第16話 稀


 HKM幹部・ピートーとの戦闘から約一週間が経った。


 行方を晦ましたピートーはその後も見つかることはなく、彼が潜んでいた基地にあるデータも削除された痕跡しかなく、HKMを辿れるものは何もなかったという。


 俺はまたもやチャンスを逃してしまったのだ。


 あの基地は第五署の管轄内にあったらしいが、俺が関わっていたことで第四署も出動。どちらにせよ、ひとつの署で手に負える案件ではなかったというが、それでも俺はまた責任を感じていた。


「新人が責任を感じるなよ」

「結果としては逃がしてしまっても、HKM関係者を見つけたのはリュウたちが初めてよ」


 と、ヨシオカやサイトウが慰めてくれるが、重要犯罪人を逃した、また炎上によってSNS消防隊の信頼を失わせたとして第四署と第五署には本部から後日処罰が下されるそうだ。軽い処罰らしいが処罰は処罰。


 気持ちのやり場に困っていたのだ。


 そしてヨシオカ、サイトウの立会のもとイノヤマが話すという俺とユミに関する『重要な話』に今は恐怖を感じていた。


 気になるのは『重要な話』という表現だ。あまり明るい話題ではなさそうだ。ヨシオカは事情を知っているのか、神妙な面もちで自分の席に座っている。


「俺がお前に医務室で初めて会った時、『君はレアケースだ』と言ったのを覚えているか」


 と、イノヤマは話し始める。


「はい、もちろんです。生きても死んでもいない……と」

「表現に違和感を感じなかったか?」


 違和感? 考えてみるが、それらしき個所は思い浮かばない。どこか引っかかる部分はあるだろうか、いやない。


 そんな俺を見かねたのか、ヨシオカが顔をこちらに向けないまま答える。


「『君はレアケースだ』っていうところだよ。こんなのが初めてならそんな表現はしないだろう」


 ヨシオカに指摘されて初めてその表現が違和感であることに気が付く。彼の言う通りだとしたら、


「イノヤマ隊長は、別のケースを知っている……?」

「その通りだ」


 どうして……、という言葉が口から出るよりも先にヨシオカが立ち上がる。そのまま俺の横を通り過ぎ、隊長席を挟みイノヤマ隊長の胸倉を掴む。


「ちょっと!」


 普段は温和なはずのヨシオカの異様な様子に、サイトウも二人を止めに入る。


「リュウやあの子のプログラムについても知っていたならなぜ、その力を初めにリュウに言わなかったんですか。リュウも自分のプログラムを知っていれば最初から最強の即戦力として活躍出来ていたのに! SNS消防隊は! 炎上から弱者を守るための組織でしょう! 守る術があるのに、あなたはそれをしなかった! どういうことか全て説明してください!」


 イノヤマは自分の手を胸元に伸ばし、ヨシオカの手を引き剥がした。


「黙っていたことは謝る。そして、全部包み隠さず話す。あと、俺だって驚いているということはわかってくれ」


 消防課内に重たい空気が流れる。イノヤマの口から吐き出される真実に誰が息を飲んだ。


 静寂の中、隊長の声だけが響いた。


「川崎由美はリュウと同じ人間だ」

「……え?」


 耳を疑った。まさか彼女が人間? 何かの間違いではないのか。なぜなら彼女は、


「彼女はプログラムを使っていましたよ! しかも二つも! 人間は何もプログラムされていないんじゃないですか?」

「その通りだ。しかし『破壊』に関しては彼女自身が持つプログラムではない。問題なのはもうひとつの方、『狭間移動』のプログラムだ。この力は『狭間』はもちろん、そこに至るまでのアカウント空間までも自由に動けるという例を見ないプログラムだ」


 そこでイノヤマは一呼吸置き、三人の顔を一度見てから言った。


「俺もそのことは知らなかった」

「……じゃあ何を知っていたんですか」


 話を急かすヨシオカを手で制しながら、イノヤマは続きを話し始める。


「第五の隊長・アクタガワと俺は幼い頃からの親友にして、良きライバルだった。お互いに切磋琢磨してそれぞれ隊長という肩書を身に着けるまでになった。そんな仲だ。


 一年前、彼から相談があると呼び出された。初め、俺はあいつが何を言っているのかわからなかったよ。人間をこの世界に連れて来てしまっただなんて誰が信じるよ。でもアクタガワはそんな冗談を言う奴ではない。


 二人でそのことを上には報告せず、できるだけ情報を隠すように決めた。彼女を守ろうとしたんだ。


 プログラムに関しては何も持っていないと聞いていたが、どうやら消火作業中に『狭間移動』が発覚したらしい。俺にそれを言わなかったのが極力情報漏洩を避けるため。親友にさえも隠すことで、あいつも彼女を守りたかったようだ。


 これは事件後にアクタガワから聞いた話だが、『狭間移動』はこのSNS世界に来た人間が発動できるプログラムかもしれないとあいつは言っていた。体はSNS世界に来ても、元々現実世界の体。『狭間』と親和性があるのかもしれないということだ。なぜ『狭間』より向こうの現実世界へ行けないのかはわからないがな」


 そして、お前だ。とイノヤマは俺の目を見る。


「お前はあのピートーの基地へは川崎由美のプログラムで行けたと思っているだろ」


 俺はそれに対し「はい」と頷く。


「本当はお前も発動していたんだよ。『狭間移動』を」


 俺がプログラムを? ありえない。なぜなら俺はプログラム発動条件である「アクセス」を言ってな……いや、言った。むしろ言わせられた。


『せーので「アクセス」って言ってみよう。君なら絶対できるって確信してるから』


 絶対できるっていう確信。


 『狭間移動』は人間由来のプログラム。


 つまり、ユミは俺が人間であることを察していた? 俺が『狭間移動』を使えるという事実よりもそれの方が気になる。


 俺はそこでさらにあることに気が付く。この世界の住人の名前はイノヤマ・ヨシオカ・サイトウ・ノダなど現実世界で苗字に当たるような名前だ。しかし、彼女は出会ったときに「ユミ」を名乗った。


 どうして違和感を感じなかったのだろう。

 ユミだけ俺が人間だと気が付いていて、俺はユミが人間だと気が付いていなかった。


 逆にユミはどうして、俺の正体に確信が持てているのに自分のことを明かさなかったのだろう。もちろん、俺が素性のわからない人物であれば不用意に『SNS世界に迷い込んだ人間』の話をすべきじゃない。でもわかっているなら、どうして。


 考えれば考えるほどわからなくなる。


「だから、俺は『狭間移動』のことを一つも知らなかった」


 イノヤマは自分の無実を証明するようにヨシオカへ目を向ける。ヨシオカも静かに頷いてそれに答えた。


「わかりました。リュウのことも、イノヤマさんが悪くないことも」


 彼は安心した表情だが、俺はこの世界で生きていくことに改めて不安を感じていた。


 俺以外にも人間がいるということに嬉しさを覚えるのは嘘ではないが、それよりもこの世界は何なのか。何が起きているのか。


 俺が置かれている状況は想像しているよりも酷いものなんじゃないかと思わざるをえなかった。

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