第11話 邂逅ガール④
『狭間』は思ってた以上に不思議な空間だ。時間の流れがまるでわからない。
ある感覚は進んでいるということだけ。地面についてない足を動かし進んでいる。
目の前には先を行くbotの背中があるが、どのくらい追いかけているかまるでわからないのだ。
「もしかして、私たちが追いかけていることに気が付いてないのかな」
隣で歩くユミが口を開く。
「そんなことあるんですかね。さっきまで必死に逃げていたのに」
「さすがに『狭間』には入って来れないって思ってるのかも。私たちが侵入する瞬間は見られてないしね」
言われてみればそうだ。となると、安易に追いかけるよりも尾行する形で奴の行き先を暴くことを狙った方が良い気がしてきた。それはユミも思っていたようで、
「静かに追いかけようね」
と、人差し指を唇に当てた。
「「あ」」
全く同じ一文字が二人の口から同時に飛び出す。
botの体が突然空間の中に沈んだのだ。
「消えた!」
俺たちは歩みを速め、botが消えた場所に辿り着く。消えた場所にはもちろん何もない。沈んでいった穴も、その痕跡も。一体どこへ行ってしまったのだろう。
「ちょっと肩貸してね」
ユミが俺の肩に手を乗せる。彼女は再びbotを逃がしたことを気にしていない様子だった。
「アクセス解除」
彼女がそう発するや否や、二人の体が『狭間』から元のネット世界へ弾き出される。
一瞬体の自由が利かなくなり、気づいた瞬間には地面に倒れていた。空間移動が解除されたようだ。やはり、あれは彼女のプログラムだったのだろうか。
俺は上体を起こすと、ユミもすぐに起き上がった。
「ここはどこだ?」
「……私もわからない。でもなんか、恐ろしい雰囲気」
俺も辺りを見渡してみる。ユミの言う通り、とても穏やかとは言えない景色だ。
工場と言う感じだろうか。『0』と『1』で出来たパイプがそこら中に張り巡らされており、タンクや建物も連立している。上空は暗く、そのせいで当たり一体が重苦しい雰囲気を纏っていた。
「とりあえず隠れましょう」
「それがいいわね」
脳よりも先に体がそう判断した。ここは危ないと、そう体が言っているのだ。
俺たちは近くにあるパイプ群の隙間に身を潜めた。体と体が密接する。彼女の吐息はもちろん、鼓動まで聞こえてきそうだった。人間のように温かいその体に少し恥じらいを覚える。
「あ、見て」
彼女の視線の先に目をやると、さっきまで追っていたbotが歩いているのが見えた。細いパイプとパイプの隙間からでもよく見える。
「こんなところに、どうして?」
自分で口に出してみて、昨日ヨシオカが言っていたあのことを思い出した。
『だがbotは違うんだ。奴らが直接管理してるAIなんだ。だから捕まえれば奴らの尾を掴める可能性がある』
ヨシオカの言っていたことが正しいならば、ここにHKMへと繋がる大切な何かがある。それならここに隠れるよりも、その何かを探した方が良いのではないか。いや、ここがHKMが直接管理する場ならむやみに動くのは危険と言えるだろう。
考えているうちに、botは建物の中に入っていく。
これで、botにとってこの場が何かしら意味があるということは確実だ。まず、イノヤマに連絡を……あ、俺は連絡手段を持っていない。
「ユミさん、一先ず第五の隊長に連絡を――」
「いや」
彼女は俺の言葉を遮り、狭い空間の中で立ち上がる。
「私たちで行こう。また姿を晦ませられたら、ここまで来た努力が無駄になる」
「何言ってるんですか! こういう場所があるっていうことがわかっただけでも収穫だ!」
なぜか、二人の間にある空気が冷たくなったように感じた。文字通り、背筋が凍る。体を動かせなかった。凍ったように動かなかった。
さっきまでbotを覗いていたパイプとパイプの隙間から見えていた。
二つのぎょろりとした目が。白い丸の中にある黒い丸が俺たちを見つめていた。
その二つ目は低い声を響かせながら呟く。
「うるさいネズミが二匹いるな。捕まえて懲らしめなければ」
目が消え、代わりに大きな腕が隙間から入り込んで来た。五指を広げた手がユミの胸倉を掴み、連れ出そうとする。しかし小さな隙間をユミの体が通れるはずもなく、引っ張られる度にユミはパイプに体をぶつけていた。
「ユミさん!」
「……逃げて」
声が震えていた。額や腕は叩きつけられたせいで赤くなっており、痛々しくて直視しがたい。
どうにかして助けなければ。
「ユミさん! さっきの通信機器をください! 俺が第五に応援を頼みます!」
彼女もさすがに連絡せねばと思ったのだろう、鞄に手を伸ばす。だがそれが叶うことはなかった。
耳をつんざくような音を立ててパイプが破壊され、大きな手がユミを持ち上げた。鞄は壊れたパイプに引っかかり、地面に落ちた。俺はすぐそれに手を伸ばすが、それもまた届かず、大きな足に目の前で踏みつぶされた。完全に通信手段は絶たれた。これでもう俺たちの状況を第五署に伝える術はなくなったのだ。
その大きな足からなぞるように上を見上げる。そこで、初めて二つ目と巨大な手の正体を見た。
緑の模様が入った白装束を着た男。その上からでもわかる筋肉と金剛力士像のような顔が圧倒的な力の強さを物語っていた。
「HKMの管理区に入り込むとはなかなかだと思ったが……違うようだ。実に弱い。ましてや宿敵SNS消防隊のお仲間だと見受けるが。下っ端は随分と非力だな」
鋭い目が俺を見下ろす。そして、憎きHKMの人物!
ユミはその男に捕まれたまま苦しそうにうなだれていた。
「ユミさんを離せ!」
「自分で取り返してみろ」
まあ、そりゃ簡単には離してくれないよな……。でも、どうする? あの大きな体に飛びついても吹き飛ばされるのがオチだ。ジャンプしようにも、ユミの位置には届かない。
緊迫した状況下のわりに頭が回っている。そのまま冷静でいろ俺。
ジャンプ……そうかジャンプか。
botに吹き飛ばされたとき、ランニング・アンクレットの力で壁を蹴った。このアンクレットで強化されるのは足の速さではなく、脚力。つまりジャンプでユミの高さまで届くはず。
「やってやるよ……。アクセス!」
力強く地面を蹴る。体がふわっと浮き上がり、既に俺は男の頭よりも高い位置にいた。だが、男もそれくらいでは驚かない。もう片方の手を伸ばす。俺は宙に浮いたままその手を蹴り返した。アンクレットで強化された蹴りの威力は想像以上で、巨体の男をよろめかせられるなど思ってもみなかった。
「今助けるからなユミ!」
奴が大勢を崩している今のうちに!
重力のまま落ちながら、俺はユミの腕を掴む。奴の手はまだユミの服をしっかりと握っていたが、その手もまた蹴りで弾き飛ばす。
無事にユミを奪還し、着地。
男も倒れることはなかったが、初めて驚いた様子を見せた。
「ほう……。弱いのは弱いがネズミよりは元気なようだ。お前、名前は?」
「名乗る義理はない!」
「そうか。驚かせてくれた私はお前に教えてやろう。HKM幹部・ピートーだ」
やはり幹部だったか。これは今すぐ逃げた方が良さそうだ。
ユミを抱えたままピートーとは反対側の方へ走り出す。怪我人を連れて走るのは思いのほかしんどいが、そんなことは言ってられない。
「何をしている。逃げていいとは言っていないぞ」
背後からピートーの声が聞こえると、目の前にbotの集団が現れて道を塞いだ。
さっきまで追いかけていたbotの形もいれば、小型も大型もいる。
「HKMのシステムに入り込んだ罰は重いぞ」
ピートーが浮かべるその笑みに、冷静でいられるわけがなかった。
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