第7話 プログラム・メイクス・プログラム②



 技術課は消防課と同じく三階にある。


 歩いて数秒の部署なので、俺は九時ちょうどに消防課を出た。


 技術課の部屋の扉を開けると、消防課とはまた違った空気があった。消防課はどこか温かい雰囲気があったが、技術課は蒸し暑いといった感じだ。空気中に大量の埃が舞っているのが、窓から入る光でわかる。部屋は消防課よりも広い。それもそのはず、人数も多いようなのだ。ざっと数えただけで十人以上いる。


「どうかされましたか」


 突っ立ったままの部外者に困っていたようで、一人のメガネをかけた長身の男が声をかけてくる。


「ノダさんに会いにきたんですけど」


 と、彼の名を口にすると、なぜかその男は露骨に嫌そうな顔をした。


「あー……あの人のお客ですか……。課長室にいると思います。奥の扉です」


 そう言われ、デスクの間を縫って課長室への道を進む。周囲からは好奇の目を向けられていた。まるで、街中にいる変人へ向けるような視線を俺へ向けている。


 一体どういうことだ? 何がそんなに珍しいんだろう。


 考えているうちに、課長室へ着く。扉を開くと、大きな机に座るノダがパソコンに何かを打ち込んでいた。


「……ノダさん?」

「おお! 流か。よく来てくれた」


 名前を呼ばれて気づいたノダは立ち上がり、俺を応接テーブルへ案内した。


「座ってくれ。例のプログラムの話をしよう」

「脚力増強プログラムですよね」

「そうだ」


 と、ノダはさっきまで自分が触っていたパソコンの画面を俺に見せて来た。その画面には金属光沢を持つ輪が二つ映っていた。


「まだデザインの段階だが、こんな感じにしようと思ってる。使う時はこれを脚首にでもつけてもらえばいい。名付けてランニング・アンクレットだな」


 ネーミングセンスに苦笑すると、


「まあ、名前なんてどうでもいいんだよ。機能性が大事だ」


 と、何か開き直った。


「とりあえず、これの試作品を今からささっと作っちまうから、着けて、署の周り走ってみてくれ」

「わかりました」

「よーし、やるか」 


 ノダは両手で自分の頬を叩いた。


「アクセス」


 彼の頭上に『0』と『1』が浮かび上がる。しかし、サイトウの時と違ってそれは消えなかった。だんだんと数字が、パソコンの画面にあるランニング・アンクレットを形作っていく。数秒後、完全にそれは出来上がった。


「これが、ノダさんのプログラム……」

「いやあ、やっぱり疲れるなあ。試作と言えど、二日に一回が限界だな」


 ノダは頭上にできたアンクレットを取る。


 彼の額に汗が滲んでいる。強力なプログラムゆえに代償があるのだ。


「ちょっと、俺は休んどく。お前これつけてちょっと走ってこい。起動条件はもうわかるよな? 「アクセス」って言えばいいから」


 俺は彼からアンクレットを受け取る。思いのほか重い。これで速度が上がるのか、と一瞬不安になったが、きっと大丈夫だろうとすぐに思いなおす。この人はなんとなく信頼できる。……ん?


「あ、すみません。ひとついいですか」

「何だ」

「ノダさんの居場所を技術課の方に聞いたとき、すごい変な目で見られたんですけど」

「ああ、それがどうした」

「もしかしてノダさんって嫌われ者?」

「並外れて腕がいい奴は嫌われるもんだ」


 否定しなかったし、さらっと自画自賛したなあ。

 



 署の外に出て、早速アンクレットを装着してみる。


「うーん……」


 手で持って見た時も思ったが、やはり重かった。脚を上げることの労力を使ってしまう。仮にこれで脚力を増強できたとしても、結果プラマイゼロな気もした。まあ、でもやってみないとわからないよな。


 さてと、「アクセス」と言えば起動するんだったはず。初めての「アクセス」だ。イノヤマもサイトウもノダもかっこよく言っていたから気合を入れて言おう。申し訳ないが、ヨシオカはどんな風に言っていたか全く思い出せない。


 深呼吸。そして、ゆっくりと上唇と下唇を離す。


「アクセス」


 その刹那。アンクレットを着けている部分が締め付けられるような痛みに襲われる。だがすぐにそれは収まり、さっきまで感じていた重さもなくなっていた。それどころか、装着前よりも脚が軽く感じる。


 アキレス腱を伸ばし、肩もほぐしておく。良い走りは良い準備運動からだ。


「よし、じゃあ走ってみますか」


 と、一歩踏み出してみる。


 その一歩が既に今までの一歩とは全く違った。


「すごい!」


 思わずそう言ってしまうほどだ。


 とにかく脚が軽かった。何より、地面を蹴る感覚が違う。軽いのに、蹴る力が強い。その勢いで一歩が大きく、早くなっていた。


「これはすげえや!」


 一歩。また一歩とスピードを上げ、あまりの心地よさにどんどん加速する。


 これだけ早く走れるようになるなら、もうbotを逃すことはないだろう。次に会ったら絶対捕まえてやる。


 視界の景色がどんどん変わる。しかし、俺はその景色を少し楽しんでいた。昨日はbotを追いかけることに集中していたので、あまり町の風景を見ていなかったのだ。


『0』と『1』の世界。まだ違和感がある。だが、昨日目覚めてすぐの俺と今の俺は違う。もうHKMへの憎しみだけではない。

今は良い仲間と、自分もできることがあるという自信がある。この世界で生きていくんだとポジティブに考えられている。帰れるなら帰りたいんだけどな。それでも、この気持ちの変化は大きい。ノダのアンクレットのおかげで心まで軽くなった。


「ん?」


視界に違和感が入り込んだのを俺は見逃さなかった。


 走るのを止め、違和感があった方に目を向ける。


 灰色の金属質な体。人型のロボット。


「おーう、昨日ぶりだな」


 botと目が合うと、奴はすぐに逃げ始めた。


「逃がさねえよっ! アクセス!」 


 走り辞めた時に、プログラムが終了していたので、もう一度起動させて追いかける。


 街中で突如始まった鬼ごっこに、周囲の住人は驚いた様子を見せていた。botもあえてなのか、人が多い所を選んで走って行き、俺が追いかけにくいようにしていた。


「さすがAI。学習してんな!」


 だが俺も人混みくらいで負けてられない。botが通ったところで出来た空間を見つけ、奴の背中から目を決して離さなかった。


 botっつっても、きっと色んな種類がきっとあるのだろう。だからもちろん、今俺が追いかけているこいつが昨日のbotじゃないという可能性もあった。その時は捕まえた時に謝ればいい。だが、こいつは俺の顔を見て逃げた。つまり俺の顔を見たことがある。仮にそれが違っても、やましいことがなければ逃げないはずだ。どっちにしろ、悪い奴。だから捕まえる。


「お前が学習しててもな、こっちも秘密兵器があんだよ」


 さらに加速し、距離を詰める。


 もう逃がさねえ。


 背中に俺の指先が――触れた。


 しかし、背中が消えた。否、しゃがまれた。


「っな!」


 おそらく奴の思惑通り。勢い余って、俺は奴に躓き派手に転んでしまった。かなり下手くそにこけたので、起き上がる動作が遅れてしまう。だが、奴の逃走ルートは目で追ってある。


 数十メートルの先の角を曲がっていった。


「クソ!」


 立ち上がり、その角を目掛けて走る。


 お前はただ学習しただけだ。こっちにはランニング・アンクレットがあるんだよ!


 角に着く。


 曲がる。


「やべっ」


 視覚情報が脳に着き、指示が体に届くのが遅かった。


 若い女性に勢いよくぶつかってしまい、お互いに反動で尻餅をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る