最終話 生まれ故郷と婚約指輪
突然のことに、オデットはなんと答えていいのか分からなくなる。
「──どうして、突然……」
「悪いとは思ったが、メチスにいる間、お前の故郷──サクレ村について調べさせてもらった。お前の両親は健在だ。兄姉は独立したり嫁いだりして家を出たようだが。両親は神殿からもらった金を元手に、中規模の牧場を経営しているらしい」
次々と語られる自分の知らない親兄弟のその後に、頭が追いつかない。
確かに、両親に会ってみたいとは思った。だが、それが急に現実のものになるのかと思うと、どうしても足がすくんでしまう。
イリヤが真摯な眼差しを向けてくる。
「大丈夫だ、俺も一緒に行く。もし、お前の両親が本当に娘を金のために売り渡したクズなら、俺がお前の代わりに一発殴ってやる」
その言葉で、オデットの動揺と緊張は霧散した。
「殴るのは困ります、イリヤさん」
苦笑いを返すと、イリヤは微笑した。
「そうだな。一言言うくらいにしておくか」
二人は馬車に乗り込むと、オデットの故郷のサクレ村に向かった。
サクレ村はエウリサード神殿から五日ほどの距離にあった。ネリザ村から向かったほうがかえって近いかもしれない。
馬車で進むうちに、次第に風景がかつて見慣れていた高地に変わり、オデットは懐かしい気持ちになった。
草地では羊たちがのんびりと草を
十年ぶりに戻ってきたオデットは、イリヤとともにネリザよりも小さな村の中に入っていく。
オデットたちが上流階級の衣服を身につけているからだろう。すれ違う村人たちは一様に
イリヤがこちらを向く。
「オデット、家の場所は覚えているか?」
オデットは村の中を見回しながら、記憶が浮かび上がってくる奇妙な感覚を味わっていた。
「覚えています。多分、あちらの道を……」
記憶を頼りに進んでいくと、一軒の大きな家に行き当たる。だが、自分の住んでいた家はこんなに立派ではなかった。間違えたのだろうか。オデットが戸惑っていると、ちょうど家の扉が開き、中から中年の女性が現れた。
オデットは息を止めた。
(お母さん……)
記憶の中にある姿よりも年を取っているが、間違いなく母だ。
オデットがじっと母を見つめていると、こちらに気づいた彼女が不思議そうに視線を向けてくる。母の表情が驚きに塗り替えられていく。
「オデット……?」
口から声が勝手に飛び出た。
「はい! オデットです、お母さん!」
「オデット……!」
駆け寄ってきた母がこちらの肩をがっしりと掴む。オデットの身長は母と同じくらいになっていた。
「オデット、うちに入っておくれ。今から父さんを呼んでくるから」
「はい……」
オデットは頷くと、イリヤとともに家に入った。昔とは比べ物にならないくらい広い居間には、立派な長椅子が置かれていた。母はオデットたちに長椅子を勧めると、父を呼びに家を出ていった。
イリヤがぽつりと言った。
「お母さんは、お前と会いたかったようだな」
何より嬉しかったのは、十年もたっているのに、母がすぐに自分をオデットだと分かってくれたことだ。しかし、オデットはその喜びをうまく言葉にできなかった。
「そう、みたいですね」
「俺が殴る必要はなさそうだ」
イリヤはそう言って、オデットの手に彼の大きな手を重ねてくれた。
やがて、扉がバタンと開き、母が中年の男性を連れて帰ってきた。父だ。確かに若い時の面影がある。
「オデット……本当にオデットだ」
オデットは立ち上がって、照れ笑いを浮かべた。
「お父さん……久しぶり」
両親はオデットたちの向かいの長椅子に腰かける。
お互いに元気だったか確認し合い、オデットが戦場に赴いたと聞いた時は酷く心配した、と言ってくれたあとで、両親は黙り込んでしまった。
オデットはちらりとイリヤに視線を送って切り出した。
「実は、わたし、聖女を辞めて、こちらのイリヤさんと婚約することになって……」
「イリヤと申します。お嬢さんとはお付き合いさせていただいております」
両親は目を見張ったが、すぐにほほえんだ。
「そうか、お前は獣族の子とも仲がよかったからなあ」
「礼儀正しい方で安心したわ」
自分に獣族への差別意識がないのは、この両親のおかげなのだと実感できて、オデットは嬉しかった。
「驚かないで聞いてください。この村まではまだ知らせが届いていないかもしれないけれど、イリヤさんは国王陛下のお孫さまに当たるお方で、公爵閣下でもあらせられるのです」
両親は言葉を失い、二人同時にかしこまった。
「そ、それはご無礼をいたしました」
イリヤは苦笑する。
「いえ、どうぞお構いなく。王族だと分かったのは、ごく最近ですから。それまでは、ただの傭兵でした」
「ご苦労をなさったようで……そうか、聖女さまが王族のお方と結婚するというのは本当だったんだなあ」
父の言葉に頷きながら、母は苦しげにうつむいた。
「わたしたちがお前を神殿に差し出すと決めたのは、聖女さまになれば王族と結婚できると聞いたからなの。せっかくの誕生日を迎えても、何も贈ってやれないようなうちで大人になるより、そのほうがよっぽど未来が開けると思って……」
オデットは目に涙がにじみそうになるのを自覚した。
「そんな……そんなことない! わたし、貧乏でもいいから、みんなと一緒に暮らしたかった!」
両親は泣いていた。
「オデット、ごめんな……。お前を金に替えるようなことをして。そのおかげで、俺たちはいい暮らしをして……」
「ごめんなさい……オデット」
オデットは立ち上がり、低い卓子を回って両親の席まで歩いていくと、二人に抱きついた。
「いいの。イリヤさんに会えたのは聖女になったおかげだから。ただの村娘として過ごしていたら、きっとわたしたち、すれ違うこともなかった」
それからオデットと両親は気がすむまで泣いた。
そろそろお暇しようという時、オデットは大切なことを言い忘れていたことに気づく。
「二人とも結婚式には来てね。兄さんや姉さんも来てくれると嬉しいわ」
「お前が呼んでくれるなら、どこにでも行くよ」
父がそう答えると、母も頷いてくれた。
オデットはもうひとつ付け加える。
「ねえ、聖女を辞めたのだから、結婚するまでは、わたしもお父さんの姓を名乗っていいかしら」
「もちろんだ。聖女を出した家だからってことで、『ル』なんて大仰な前置きがつくようになってしまったが」
「ありがとう」
また来ると約束して、二人に大きく手を振ると、オデットはイリヤとともに馬車へと向かった。イリヤが前を見ながら言う。
「お前の両親はいい人たちだな」
「はい。昔は分からなかったけれど、今はそう思います。イリヤさん、ありがとうございました。こうして両親に会う機会を作ってくれて」
「礼を言われるようなことはしていない。俺がしたかったことをしただけだ」
イリヤが照れていることが分かり、オデットはくすりと笑った。案の定、イリヤは話題を変える。
「お前の姓はなんというんだ?」
「
「オデット・ル・ベルジェか。悪くない響きだ」
馬車に乗ったオデットたちは、すぐには王都を目指さず、ネリザ村に向かった。
ずっと家を空けていたので、様子をこの目で見たかったこともあるが、久々に誰にも邪魔されず、二人でゆっくりしたかったのだ。神殿騎士たちには宿屋に泊まってもらうことにする。
久しぶりに家の中に入ったオデットは、ずっと、しようしようと思っていたことを実行に移した。
「イリヤさん、これ、お返しします」
オデットはイリヤの母親の形見のペンダントを首から外し、掌に載せて差し出した。イリヤは受け取ろうとしない。
「別に、お前が持っていても構わないんだが」
「わたしは預かるだけだって言ったでしょう? それに、このペンダントには、国王陛下とイリヤさんのご両親の想いが詰まっているのですから」
「仕方ないな。ま、子どもが生まれたら、そいつに渡すのもいいだろう」
さらりと「子ども」という刺激的な発言をされてしまい、オデットはドキドキしてしまう。それを知ってか知らずか、イリヤは表情を真剣なものに変えた。
「代わりに、お前に渡しておくものがある」
「な、なんでしょう?」
イリヤは懐から小箱を取り出すと、その箱を開けた。中から、小さな緑の石のついた指輪が現れる。
「左手を出せ」
「はい……」
差し出したオデットの左手の薬指に、イリヤは指輪をはめた。少し緩かった指輪は、みるみるうちにオデットの薬指にぴったりの大きさになった。
オデットは目を瞬く。
「これ、魔導具ですか?」
「魔導具でもある婚約指輪だ。魔力が暴走しそうな時に鎮めてくれる効果がある」
オデットははっとした。そういえば、前にブランシュ家を訪れた際、イリヤはパスカルに何かを頼んでいた。あれは、もしかしてこのためだったのだろうか。
疑問を肯定するように、イリヤが補足する。
「最高のものをできるだけ早く作ってくれと頼んだせいで、あの金の亡者には、ずいぶんとふんだくられたが……まあ、お前の身の安全が保障されるなら、安い買い物だ」
「すみません……お高いものを」
イリヤは金の瞳で軽くこちらを睨んだ。
「俺の忠告を無視したな。時魔法は使うな、と、あれほど言っただろう」
言い訳の言葉が思い浮かばず、オデットは慌てた。
「あ、イリヤさんのペンダントを見たら、気持ちが落ち着いたのですけれど、ちょっと遅かったみたいで……」
イリヤはため息をついたあとで、じっとこちらを見据える。
「俺と結婚してくれ、オデット。お前を誰よりも愛している」
オデットは心から頷く。
「はい、喜んで。どんなことがあっても、イリヤさんだけを愛し抜くことを誓います」
イリヤは堪えかねたようにオデットを抱きしめた。
「たとえ、この先俺が死んでも、絶対に時を戻そうとするな。自然な時の流れで、お前自身の幸せを探せ」
「それ、求婚の時に言う台詞じゃないと思うのですけれど」
「そうか?」
「まあ、イリヤさんらしい、かな?」
オデットはイリヤを抱きしめ返す。彼からはお日さまのようないい匂いがした。イリヤは「お前の匂いが好きだ」と言うが、オデットも彼の匂いが好きだ。
胸の高鳴りから一転、穏やかな気分になったからか、オデットはふとあることに思い当たった。
「イリヤさん、ひとつ不思議なことがあるのです」
「なんだ?」
「わたし、前の時間軸──もう、過去ですね──で、偽りの戦勝の報告を受けた時、とても不安になって、戦場に向かったのです。そうしたら、あなたが倒れていて……。どうしてそんな胸騒ぎを覚えたのか、今でも不思議なのです。わたしには、予知能力はないはずなのに」
イリヤはしばらく考え込んでいたが、やがて答えた。
「こんなことを言うのはガラじゃないが……想いというのは、時を越えて繋がっているのかもしれん。時というのは複雑で、人には到底解明しきれない、いわば神の領域なんだろう。だからこそ、何かの拍子に、ふと繋がる……」
前の時間軸では、イリヤとは数度顔を合わせただけだった。それでも、知らぬ間に大きくなっていた想いが、今の時間軸の自分自身と繋がり、イリヤの危機を知らせた──ということだろうか。あの時は、結局間に合わなかったけれど。
だからこそ、今、イリヤの腕の中にいられることが、何よりも嬉しい。
「イリヤさん、好きです。大好きです」
イリヤはちょっと腕の力を緩めて、顔を覗き込んできた。
「あまり人を煽るな。お前次第では、今夜、一人で寝かしてやらんぞ」
「え? え? それは困ります……!」
慌ててもがくと、イリヤに抱きすくめられ、片手で顎を持ち上げられた。
「そういえば、約束がまだだったな。戦場に行く前の約束を果たしてもらうぞ」
それは、もしかして、ちょっと濃厚な口づけの続きだろうか。あの時の感触とふわふわした気持ちを思い出すと恥ずかしい。でも、嬉しいのも確かだ。
オデットは顔を真っ赤にしながら、覚悟を決めて目を閉じた。
──完──
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