第32話 パドキアラ団とブランシュ夫妻

 イリヤが国王の孫だったと聞いた、王都に滞在しているパドキアラ団の面々は、それぞれ顔を見合わせたあとで、おかしそうに笑った。


「今更、団長がどこの誰でも驚かねえよ」

「なあ、魔法を使える時点で普通の獣族じゃないんだから」

「団長には何かあると思ってたんだ。俺の勘が当たったな」


 先にイリヤの生い立ちを聞かされ、似たような感想を口にしていたセルゲイは、みなの反応を前にして微苦笑を浮かべていた。

 イリヤは団員たちに言った。叙爵され、領地を与えられたあとは希望者を私兵団として雇い、継続的に給与を支払う。もちろん、パドキアラ団の所有地であるネリザ村に残って、農民や商人として生きても構わない、と。

 団員たちはまたしても顔を見合わせたあとで、どっと笑った。


「俺たちは団長が好きで団員をやってるんだから、お互いに肩書きが変わろうと、頭はあんただ。専業で農民や商人をやるのは、戦えなくなってからでも遅くない」というのが彼らの意見を総合した答えだった。

 オデットも彼らの返答を聞いて嬉しかったのだが、イリヤは「……酔狂な奴らだ」と呟き、破顔していた。


 続いてイリヤがオデットとの婚約を発表すると、団員たちは「やっぱりな、やっぱりな」と大いに沸いた。

 女性団員たちは「衝撃だわ~。あたしらの団長が結婚しちゃう」とお互いを慰め合っていたが、あとでオデットを祝福してくれた。


 王宮にそれぞれ豪勢な一室を与えられたオデットとイリヤは、フィリップにイリヤの母親であるシャルロット王女の肖像画や思い出の品などを見せてもらった。

 今のオデットと同じ十八歳で亡くなったというシャルロット王女は儚げな人ではあったけれども、イリヤが女性だったらこんな風だろう、と思わせる美しい面差しをしていた。

 イリヤは何も言わずに、彼よりも若い母親の肖像画を眺めていた。


 ところで、親族が判明したイリヤには、師匠と姉弟子にして育ての親ともいうべきブランシュ夫妻という存在がある。

 真実が分かったその翌日、オデットとイリヤは戦から生きて戻ったこととイリヤの親族が見つかったことを報告するために、王都メチスのブランシュ家を訪れた。


 ブランシュ家は一階が魔導具の店になっている、住み心地のよさそうな一軒家だった。この家でイリヤは少年時代を過ごしたのだ。

 オデットとイリヤの突然の来訪をブランシュ夫妻は喜んで迎えてくれた。


「イリヤとオデットさんなら、必ず無事で戦場から戻ってくると思った。なんせ、俺の弟子だからな」


 そう言って、パスカルはイリヤの肩を叩いた。

 居間の長椅子に座るなり、「話がある」と真剣な表情でイリヤが自らの素性について語り出すと、二人は食い入るように彼を見つめ、耳を傾けてくれた。

 話を聞き終えたパスカルが呆然として確認する。


「──ってことは、イリヤ。お前、王子さまだったってことか?」

「祖父から王子を名乗ってよいという勅許ちょっきょをもらえれば、そう呼ばれることになるな」


「そうかあ。よし、お前のことが大々的に公表されたら、うちの店を王子殿下が暮らした家として宣伝しよう! きっと、評判になるぞ」

「勝手にしろ。ああ、それと、あんたたちに俺を保護して育ててくれた礼を言いたい、と祖父が話していたから、準備をしておけ。そのうち、王宮から使いが来るだろう」


 パスカルは相好を崩した。


「そいつは光栄だ。褒美ももらえそうだしな」

「まあ、あなたったら……。国王陛下も義理堅いお方ねえ」


 イリヤがくすっと笑う。


「ありがたく受け取っておけ。あんたたちがいなかったら、俺は領主に縛り首にされて、今頃墓がどこにあるかも分からなくなっていただろうからな」


 そんな穏やかでない話は初めて聞いた。盗賊時代のイリヤを討伐したのが、パスカルとアドリーヌで本当によかった。


「それにしても、イリヤのおじいさまと叔父さまが見つかってよかったわ。わたし、この感動をどう表現すればいいのかしら!」


 アドリーヌはおもむろにイリヤの席に近づくと、彼にがばっと抱きついた。この夫婦はイリヤの本来の身分を知っても、全く態度を変えない。そのことが、オデットには酷く嬉しかった。

 イリヤは焦った顔をしながら、必死にアドリーヌを引きはがそうとする。


「やめろ! オデットの前で抱きつくな!」


 アドリーヌの抱きつき癖にはだいぶ耐性ができてきたし、イリヤにちゃんと自分のことを気遣ってもらえて、オデットとしては「まあ、仕方ないかな」くらいの気持ちだ。

 アドリーヌはきょとんとして、オデットとイリヤを交互に見る。


「あら、ということは……」


 イリヤはアドリーヌの両肩をぐいっと押しのける。


「そうだ。俺たちは婚約することになった。おじい……じじいの許可も取ってある」


 オデットは密かにぽわんとせずにはいられない。


(今、『おじいさま』と言いかけて、言い直した……素直じゃないイリヤさんも可愛い)


 妻の行動に、やれやれという表情を浮かべていたパスカルが笑顔になった。


「お前もついにその気になったか。まあ、出会って半年で婚約だから早いともいえるかな。とにかく二人ともおめでとう」


 アドリーヌも満面に笑みを浮かべ、祝福してくれる。


「二人とも本当におめでとう。オデットさん、イリヤは器用に見えて不器用なところがあるけど、よろしくね」


 それは、オデットがイリヤを愛しく思う理由のひとつなので、なんの問題もない。オデットは力強く答えた。


「はい。喜んで承ります」


 にっこり笑ったアドリーヌはパスカルの隣に戻る。


「結婚式にはわたしたちも呼んでもらえるのかしら」


 イリヤは首を縦に振った。


「王族や貴族の結婚式がどんなものかは知らんが、招待できるよう取り計らう。な、オデット」


 今のイリヤがあるのはブランシュ夫妻のおかげなのだから、当然のことだ。オデットはしっかりと点頭する。


「はい、もちろん」


 パスカルが表情を改めた。


「めでたい話に水を差すようだが……親御さんのことは残念だったな、イリヤ」


「いいんだ。たとえ両親が生きていたとしても、いつまでも祖父の追っ手から身を隠すのは難しかっただろう。見つかってしまえば、合意の上とはいえ、父は王女を連れ去った上に手を出した罪人として極刑は免れなかったはずだ。そうなれば、俺も母も、きっと祖父を恨んでいた。……結局、収まるところに収まったんだ」


 そう結論づけたイリヤは、とても寂しそうな顔をしていた。イリヤの父親に関しては、肖像画も形見の品も残っていない。昔の傭兵仲間が見つかれば、どんな人物だったのか話を聞けるだろうが、それはだいぶ先のことだろう。


 もし、物心つく頃まで、イリヤが両親と過ごせていたら──オデットはつい、そう思ってしまう。

 アドリーヌが眉を下げて、イリヤに声をかける。


「でも、あなたはもっと早くに王族としての待遇を受けていてもよかったと思うの」


 イリヤは肩をすくめた。


「仮にそうなっていたとしても、獣族の血を引いているとか、父親の身分が低いとか、他の王族に色んな難癖をつけられた挙げ句、いびられて性格が歪んでいたと思うぞ。ロドリグなんぞ、俺を目の敵にしただろうな」


 パスカルが呆れたように笑う。


「なーに、言ってやがる。やられっぱなしになるお前じゃないだろうが」


 イリヤは「まあな」と、つられたように笑ったあとで、しんみりした顔になる。


「……それに、王族として育っていたら、あんたたちには出会えなかった」


 アドリーヌは目を潤ませ、パスカルは何かを堪えるように天井を見上げた。

 イリヤは心持ち顔を伏せてほほえんだ。


「……俺は両親に望まれて生まれた。それだけで充分だ」


 オデットは何かが胸に込み上げてきて、隣に座るイリヤの手を握った。本当は、彼を思いっきり抱きしめたかったのだけれど。

 イリヤは優しく手を握り返してくれた。そんな自分たちを見守るパスカルとアドリーヌの目は、とても優しかった。


 ブランシュ家をいよいよお暇する際、イリヤはオデットに「少し待っていてくれ」と一声かけたあと、パスカルに小声で何かを相談していた。パスカルはにやりと笑ってイリヤに何かを要求している。

 なんだろう、と思いはしたが、オデットはこれからの忙しい日々に気を取られて、ついにイリヤに訊けずじまいになってしまった。

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