第30話 聖女の凱旋とロドリグの末路

 ロドリグは戦場の南に部隊を伏せ、リュピテール軍が通るのを待っていた。

 リュピテール軍の後方で進軍中に、配下の魔法兵に命じて自分たちの部隊の周りに吹雪を発生させ、本隊からはぐれた体を装って、ここに到着したのだ。


 しかし、ずいぶん時間がたったにもかかわらず、リュピテール軍は通過しない。せっかく、先頭にいるであろうイリヤとオデットの魔法を無効化するための魔法陣を仕掛けてあるというのに。


 さすがに不安になってきたロドリグは、斥候に様子を見てくるよう命じた。雪景色の中、斥候は北に向かって馬を駆る。

 だいぶ時が経過したが、斥候はなかなか戻ってこない。ロドリグの不安は膨れ上がった。


(なんだ? 何が起こっている……?)


 やがて、雪煙を上げながら斥候が馬を駆けさせてくるのが見えた。

 ひとまず安心したロドリグだったが、次の瞬間、ひっと声を上げそうになった。斥候のうしろには獣族の傭兵部隊──パドキアラ団が整然と続いていたからだ。先頭にはイリヤ、その隣にはオデットがいる。

 ロドリグは兵たちに号令をかけた。


「ぶ、武器を取れ!」


 その時、巨大な影が差した。曇天から舞い降りたそれ・・は、雪に覆われた大地に両足をつける。地響きがした。耳をつんざく咆哮が大気を震わせる。

 王子であるロドリグですら本物を目にしたことのなかった最強の生物にして妖精の中の妖精──ドラゴンだ。


 オデットが召喚魔法を使えるという話は聞いたことがない。ということは──。


(イリヤはこんなものまで召喚することができるのか!?)


 なんという並外れた魔力。

 ロドリグは腰が抜けそうになるのを必死に堪えた。

 今、分かった。イリヤのことがどうしてもいけ好かなかった理由が。なんとしても排除したいと思った理由が。


 父に気に入られ、短期間で重用されるようになったからでも、エルス砦の戦いで武勲を立てたからでもない。

 本能的にこの男には勝てないと悟ってしまっていたからだ。魔力でも頭脳でも武芸でも。

 こんな獣族ごときに……。


 イリヤは憎らしい端麗な顔に皮肉げな笑みを浮かべる。


「おや、ロドリグ殿下、味方のわたしどもに、なにゆえ武器をお向けになるのですか?」

「そ、それは……そなた、これはどういうことだ!?」


 斥候に問い質すと、彼は力なく答えた。


「殿下……ハーズ国王はリュピテール軍の捕虜になりました。わたしたちの敗北です」


 ロドリグは唖然とした。自分が国王になった暁には必ず厚遇すると約束し、兵たちを仲間に引き入れ、この日を待った。その努力が、全て無駄だったというのか?

 こんな身分卑しい獣族と、魔法もろくに使えなかった小娘のせいで、今までの計画が水泡に帰したというのか?

 ロドリグはあることに気づき、魔法兵を振り返る。


「そ、そうだ。魔法陣の罠は! あれはどうなっている!」

「わたしが解除いたしました」


 冷ややかに答えたのはオデットだった。

 ロドリグの兵はおよそ五千。それに比べてパドキアラ団は少数だが、無傷のイリヤに率いられた彼らは一万の兵にも勝る。加えて、恐ろしいほどの魔力に目覚めたオデットと危険極まりない竜も一緒だ。


 ロドリグは馬首をうしろに向けると駆け出そうとした。自分一人でも逃げ切ってやる。そう思った。だが。

 瞬く間だった。鎖状になった光属性魔法に両腕ごと絡め取られ、手綱が握れない。

 振り返ると、掌をこちらに向けたオデットの緑の瞳に睨みつけられていた。

 オデットの詠唱を聞いた覚えはない。ロドリグは愕然とした。


(無詠唱だと!? たった半年で!?)


 イリヤといい、この女といい、化け物か?


「いい加減にしなさい。この、卑怯者!」


 ロドリグは喚いた。


「な、なんだと! わたしはこの国の王子だぞ! 聖女といえど、無礼にもほどがある!」

王子になられるかもしれませぬな、殿下」


 イリヤが凍えるような金色の目を向けてくる。


「リュピテール軍に裏切り者がいることは事前に掴んでおりました。戦が始まる前に、王太子殿下にもお伝えしております」


 ロドリグは青ざめた。兄はもう、自分の部隊が姿を消したことに気づいているだろう。兄が自分をハーズと通じた裏切り者として父王に報告してはまずい。


「あなたはご自分の部隊を動かすことにばかり気を取られ、軍全体の動きを観察なさらなかった。もし、その動きにお気づきになっていたならば、お一人で逃げおおせることも可能だったでしょうに」


 言葉を切ると、イリヤはロドリグの兵たちに呼びかけた。


「お前たちはこの裏切り者を守るために最後まで戦うのか? もし、戦うのならば、パドキアラ団は容赦しない!」


 イリヤの声はさほど大きいわけではないのによく通った。武器を構えていた兵たちが、次々にその手を下ろす。


「そ、そなたたち……」


 ロドリグはもはや、呆然と呟くことしかできなかった。

 光の鎖で縛られたロドリグは、術者であるオデットに囚人のように引っ立てられる。

 いつの間にか、雪がちらついていた。舞い落ちる雪に気づいたオデットが感慨深げに空を見上げる。


「前に雪が降っていた時は、あなたを止められませんでしたけれど──今回はリュピテール軍の勝利です。立場が逆転しましたね、ロドリグ殿下」


 ロドリグにとっては訳の分からないことを、オデットが独り言のように口にした。


  ◇


 行く先々で、民衆は歓呼してリュピテール軍を迎えた。

 オデットは将軍たちからも兵たちからも、国を勝利に導いた聖女として称えられた。今まで、多くの人からこんなに褒められたことはなかったので、少し照れくさい。


 戦闘後に聞いた話だが、混戦の中、セルゲイのもとに戻ってきたイリヤは、オデットが魔力の渦に包まれて消えたと聞き、すぐに竜を召喚したらしい。

 召喚対象が竜ともなると、消耗する魔力は甚大だ。それでも、イリヤは一も二もなく決断したのだという。

 彼に大切にされていることを今まで以上に実感し、オデットの胸はじんと熱くなった。


 竜が行き来できたあの空間は、時空のひずみらしい。竜によると、時魔法の扱いに失敗した時に術者が飛ばされることがあるそうで、その危険性ゆえに時魔法を使う者は絶えて久しいのだという。


 オデットは発動しかけた時魔法の中断に失敗したから、時の牢獄に転移したのだろう、とイリヤの通訳を介し竜は話していた。


 ──あの恐ろしい時の牢獄とは、神々が世界の法則を破った人間に与える罰ではなく、単なる失敗の結果なのでしょうか?


 オデットが尋ねると、長い時を生きた竜は笑みに似た表情を浮かべたあとで、『それを知るのは神のみよ』と答えた。


 ゆっくりと街道を西進し、リュピテール軍は王都に凱旋した。

 総司令官、王太子ルイは、捕虜として捕らえたハーズ国王とハーズと通じていた弟王子ロドリグを、謁見の間の玉座に腰かける父王フィリップの前に引き出した。そのあとで、自身は玉座の隣に控える。


 ハーズ国王リチャードは大国の王だけあって、虜囚の身であるにもかかわらず、堂々とフィリップと渡り合い、リュピテールに有利な条件で講和を申し出た。

 フィリップもこれには満足したようで、リチャード王を賓客として扱うと約束し、無礼のないよう衛兵たちにも申し渡す。

 リチャード王が謁見の間を退出してしまうと、フィリップは一転して沈んだ声で「さて」と言った。


「ロドリグを前に」


 戦を勝利に導いた功労者として、イリヤと一緒にこの場に招かれたオデットはロドリグを注視した。フィリップは実子であるロドリグに、どのような処罰を言い渡すのだろう。フィリップの国王としての資質が問われる場面だ。


 逃亡を防ぐために左右を衛兵に固められ、フィリップの前に連れてこられたロドリグは父王の前でひざまずいた。

 フィリップは静かに問う。


「ロドリグ、そなたがハーズと通じていたというのは事実か?」


 ロドリグは顔をはね上げた。


「めっそうもございません、父上! 全て、そこにいる汚らわしい獣族の虚言でございます!」


 この期に及んで何を。オデットは怒りに目がくらみそうになったが、イリヤに軽く肩を叩かれ、踏みとどまった。 

 フィリップは厳しい眼差しを息子に向けた。


「ふむ、虚言を申しておるのはどちらであろうな。あとでリチャード王に話を聞けば、事実は明々白々になろう。リチャード王は予の心証をよくするために、喜んで話してくれるであろうからな。予は、そなたに自ら罪を認めて欲しかったのだが……」

「ち、父上……」


 すがるような目を向けるロドリグを前に、フィリップはため息をついた。


「証拠を掴んだイリヤが事前にそなたの裏切りに気づき、ルイに知らせてくれたゆえに、我が軍はハーズ軍とそなたの部隊の挟撃を受けずにすんだ、と聞いておる。自らを棚に上げ、こたびの戦の功労者を罵倒するなどもってのほかだ。そなた、何を見返りに国を裏切った? 王位か? ハーズ国王の娘婿の立場か?」


 さすがはイリヤも認める賢王フィリップ。ロドリグの腹のうちなど、全てお見通しらしい。

 ロドリグは何も言い返せない。

 フィリップは重々しく告げた。


「ロドリグ、そなたを北の塔に幽閉する。それ以降の沙汰は、追って伝える。せいぜい塔の中で己のしたことを悔いるがよい」


 北の塔は極刑に処される高貴な者が収監される場所だ。一度入れば、まず出てこられない。ロドリグの顔が蒼白になった。


「父上! 父上! どうかそれだけはご勘弁を!」


「予は、そなたのような情けなく恥知らずな息子を持った覚えはない。……衛兵、その者を部屋の隅にでも転がしておけ」


 ロドリグはなおも喚いていたが、衛兵たちによって謁見の間の隅に引きずられ、押さえつけられた。

 フィリップは長いため息をついた。前の時間軸でイリヤを殺され、自らも殺されかけたとはいえ、オデットの気は晴れなかった。自分でさえそうなのだから、実父であるフィリップはどれだけやるせないことだろう。


 けれど、この時間軸でイリヤが殺されることは回避できた。そう思うと、安堵感と充足感が湧いてくる。

 あとは、イリヤの功績がきちんと報われることを祈るだけだ。


(イリヤさんは、本当に国王陛下にわたしを所望……してくれるのかな?)


 そう思ってちらりとイリヤの横顔を見た時に、フィリップの声がした。


「傭兵隊長イリヤ。それに、聖女オデットも、こちらへ参れ」


 オデットはイリヤとともに、フィリップの前に進み出、ひざまずいた。

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