第四章 聖女を辞める日

第28話 約束と出陣

 国王フィリップからの返事は早馬で届けられた。その内容は簡潔で、「聖女オデットがパドキアラ団とともに出陣することを許す」と書かれていた。

 同時に使者は召集令状も差し出した。山脈から進軍してきたハーズ軍がエルス砦を無視して国境を超えたらしい。

「お前の記憶通りだな」とイリヤは笑った。


 オデットはイリヤとともに戦の準備をした。重い甲冑は着込めないので、革鎧を身につける。

 オデットは今回、聖女の装いではなく鎧姿でパドキアラ団に祝福を授けた。こうしていると、前の時間軸で閲兵した際、イリヤの前で祈った日がつい昨日のように思い出される。


 あの惨劇が起きた日まで、あと四日。


 恐れることはない。今は傍にイリヤがいる。

 外には雪がちらついていて、このまま降り続ければ記憶通りに積もりそうだった。


 一月十日のまだ夜が明けきらない早朝、パドキアラ団は出陣した。

 イリヤのすぐうしろで乗馬を歩かせながら、オデットは出征前にイリヤと交わした会話を思い出していた。


 ──イリヤさん、どんな作戦を立てているのですか?


 イリヤは不敵に笑んだ。


 ──心配か? 俺は一応、お前に未来の話を聞いてから、半年間も作戦を練ってきたんだがな。

 ──差し出がましいことを言ってしまったら、ごめんなさい。わたし、ロドリグ殿下の部隊を先に攻撃して、殿下を捕虜にしたほうがいいと思うのですけれど。

 ──いや、王子の部隊を攻めるのは最後だ。先にハーズ軍を奇襲する。


 なぜ、王子の部隊より数が多いであろうハーズ軍を。驚くオデットに、イリヤは説明した。


 ──捕虜にした王子を人質に取ったところで、ハーズが攻撃をやめるとは限らない。おそらく、王子はハーズに利用されているんだろうしな。それに、その策をとるには、パドキアラ団が単独で行動することが前提だが、リュピテール軍は戦力を分散させないだろう。今回、ハーズは前回よりも大軍で進軍してきているからな。


 ──じゃあ、なぜ、前の時間軸でロドリグ王子は別行動ができたのですか?

 ──後方にいれば、本隊から秘密裏に離れることも可能だ。奴め、王族という立場を利用して、後方にいたんだろう。もしくは、霧や吹雪を発生させる魔法でも使ったか。


 やはり、イリヤは戦争の専門家だ。オデットは自分の発言が恥ずかしくなった。


 ──ごめんなさい。変なことを言って。

 ──いや、いい。先にハーズ軍を撃退して、ハーズに頼りきっているロドリグ王子の戦意を喪失させたほうがいいんだ。一応、王子が率いているのも、国王の兵だしな。無用な血を流すのは避けたい。


 イリヤは、ふと表情を改めた。


 ──オデット、やはりこれを持っていてくれないか。


 イリヤが取り出したのは、あの青い石のペンダントだった。

 彼がどんな気持ちでこのペンダントを渡そうとしているのかを考えてしまい、オデットは胸がつかえるような気がした。


 ──わたしは、もうイリヤさんからもらったペンダントを持っていますから。戦場にもつけていくつもりですし。

 ──あれは魔導具じゃないだろう。お前は戦慣れしていない。持っておけ。

 ──でも、それは、きっと親御さんがイリヤさんを危険から守るために、あなたの首にかけたものだと思います。大事な局面でわたしが受け取るわけには……。


 イリヤははっとした顔でペンダントを見た。戸惑ったように黙り込んでいたが、すぐにオデットと目を合わせる。


 ──……そうだな。そうかもしれない。だが、だからこそ、俺はお前にこれを持っていて欲しい。自分の命よりも大切なお前に。


 そこまで言われてしまえば、オデットも首を横に振るわけにはいかなかった。イリヤに向けて手を差し出す。


 ──預かるだけですよ。戦が終わったら返します。

 ──ああ、それでいい。


 イリヤはオデットの掌の上にペンダントを載せた。イリヤの体温が移ったペンダントは温かかった。


 ──オデット、時魔法は何があっても使うなよ。

 ──はい。

 ──約束だ。


 イリヤは首を曲げ、こちらの顎を持ち上げると唇をふさいだ。突然唇をまれ、オデットが呼吸を忘れていると、唇を離したイリヤはいたずらっぽく微笑した。


 ──続きは、帰ってからだ。


 これ以上のことをされたら、頭がどうにかなってしまうのでは、と思ったけれど、オデットは頬を熱くさせながら頷いた。


 そして、今、オデットはイリヤとともに街道を進んでいる。


(必ずネリザに戻る。イリヤさんや村のみなさんと一緒に)


 ハーズの敵兵も、敵側についたレーヌス傭兵も、パドキアラ団と同じように待っている人がいて、帰る場所があるのだろう。

 でも、自分にだって譲れないものがある。人族ひとぞくの自分に居場所を与えてくれたパドキアラ団のために、そしてイリヤのために戦う。


 どのような戦い方をするかは既に考えてある。

 オデットは時折振り返ってくれるイリヤに微笑を向けると、瞑想の呼吸法で精神を落ち着かせた。


  ◇


 三日後の一月十三日、パドキアラ団はハーズとの国境付近でリュピテール軍と合流を果たした。正規軍の他に貴族の私兵部隊や他の傭兵団の姿も見える。

 今回の戦は国王の親征ではない。老齢の父王の代わりに王太子ルイが総司令官を務めている。


 そして、そこにはルイとともにロドリグの姿もあった。

 パドキアラ団の動向を見抜かれてはまずい。オデットは掌に汗がにじむのを感じたが、イリヤは平然としていた。

 ルイが笑顔でイリヤに声をかける。


「おお、イリヤ団長。それに聖女オデットも一緒か」


 イリヤは敬礼した。オデットも胸の前で両手を組む聖職者の礼で応える。

 ルイは鷹揚おうように頷いた。


「イリヤよ、先の戦でのそなたの活躍は聞き及んでいる。今回はどのような策を授けてくれるのかな」

「その件でございますが、折り入って王太子殿下だけにお話がございます」


 すかさず、ロドリグが割って入った。


「何を言うか。わたしも父上の兵を預かる者として、ともに聞くぞ。よろしいでしょう、兄上?」

「うん……」


 曖昧に答えるルイを前に、イリヤの目が鋭くなった。


「王太子殿下、わたしは総司令官であられる殿下だけに献策をしたいのです。お許しいただけますね?」


 ルイは気を呑まれたように首を縦に振った。イリヤはルイとともに、設営された天幕の中に入っていく。おそらく、中では風の防御壁を張って盗聴に備えることだろう。

 のけ者にされたことで、ひとしきりイリヤを罵っていたロドリグが近づいてきた。


「オデット、久しぶりだね。君のことはずっと心配していたよ」


 よく言う。何度もさらおうとしたくせに。オデットは不快感を表に出さないように細心の注意を払った。


「ありがとう存じます。ですが、イリヤさまに大変よくしていただいたので、なんの煩いもございませんでした」

「そうなのかい? だが、あのイリヤという男は何を考えているのか分からないからね。……さっきの話、君は何か聞いていないか?」

「いいえ、何も」


 これは半分本当だ。イリヤの作戦の詳細はオデットも聞いていない。おそらく、ハーズ軍とロドリグの部隊に挟撃されないよう兵を動かすはずだが。

 ロドリグは残念そうな顔をした。


「そうか。話は変わるが、君は兄上と結婚するのではないか、と宮廷ではみなが噂しているよ。君はわたしのものになるはずだったのに」


 あまりの気持ち悪さにオデットは身を震わせそうになった。


「……さようでございますか」

「だが、父は判断を保留していてね。この戦でわたしが軍功を立てれば、父も再びわたしと君を婚約させてくれると思うんだ。楽しみに待っていてくれ」


 もはや無難な答えを返す余裕もなく、オデットは黙り込んだ。本当は「いい加減にして! この身勝手野郎!」と、なりふり構わず叫びたかった。


(ハーズの王女と結婚するつもりのくせに……)


 それに、自分にはイリヤという人がいる。言葉を探していると、イリヤがルイとともに戻ってきた。オデットは即座にイリヤのほうを向く。ロドリグが不愉快そうに顔を歪めるのが見えたが、気にしないことにする。


 ルイは物憂げな表情をしていたが、イリヤはさっぱりとした表情だった。イリヤはルイに敬礼すると、こちらまで歩いてきた。


「オデット、パドキアラ団はリュピテール軍の先鋒を務める。危険だが、お前は俺の隣にいろ」

「はい、イリヤさんと一緒なら大丈夫です」


 オデットはようやく笑みを見せることができた。

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