第27話 承諾と甘い日々

 互いの想いを伝えあったその日、オデットとイリヤは久しぶりに二人で夕食を作った。いつもと同じことをしているはずなのに、なんだか全ての体験が甘酸っぱい。


 刻んだマーテラの肉と野菜をパイ生地パートに包んだパテと、明日以降のおやつにするための半月型のアップルパイショーソン・オ・ポムを作る。

 二人で作った料理はとてもおいしかった。

 夕食が終わるのを待って、オデットは向かいに座るイリヤに話しかけた。


「イリヤさん、お話があります」


 何かを感じたのか、イリヤは眉根を寄せた。


「……なんだ?」


 オデットは深呼吸をした。


「わたし、やっぱり一月十四日の戦いに出陣したいのです」

「ダメだ」

「国王陛下の許可を取っていただけますか? そうすれば、イリヤさんと一緒に戦えます」

「人の話を聞け」

「イリヤさんこそ、人の話を聞いてください」


 イリヤは悩ましげな顔をした。ちょっと色っぽい。


「俺は、お前を危険に晒したくない。理由は分かるな?」


 オデットは怯まず言い返した。


「でも、ロドリグ王子はわたしを狙っているわけでしょう? それなら、村に残っても危険なのは同じではないですか」


 イリヤは珍しく言葉に詰まった。これ幸いとオデットは畳みかける。


「ロドリグ王子のことだから、わたしに利用価値を見出したとたんに、わたしを妾にするとか言い出しそうな気がするのですよ。もし、ハーズの王女さまにあまり魔力がなかった場合──」


 オデットが言い終わらぬうちに、イリヤがものすごく怖い顔して虚空を見つめた。


「そんなことは絶対にさせん」


 イリヤにも意外に簡単なところがあるらしい。もちろん、自分だってロドリグの妾になるなんて虫酸が走るくらい嫌だ。


「それなら、なおのことわたしを戦場に連れていくべきだと思います。わたしだって、もう自分の身は自分で守れますから」


 イリヤは静かにうなっている。もうひと押しだ。


「結局、イリヤさんの傍にいるのが、一番安全だと思うのです」


 イリヤは目を閉じて考え込んでいたが、やがてまぶたを開けた。


「──仕方ないな。今回はお前に一理ある」

「ありがとうございます!」

「そんなに喜ぶな。国王への手紙は書いておく。その代わり──」

「その代わり?」

「抱きしめさせろ」


 こうして、オデットは今日何度目かの抱擁を受けたのだった。


  ◇


 その日のうちにイリヤは手紙を書き上げてくれた。

 翌朝、イリヤは外出の準備を始めた。いつ招集されるか分からない今の時期、王都へ向かう団員はいないので、配達人を雇うためにイリヤ自らキャルムの街へ行くのだという。


 昨晩の会話で、イリヤはロドリグに対する警戒心を新たにしたらしく、問答無用でオデットも連れていかれることになった。普段なら、イリヤは徒歩で行くところだが、彼の強い要望で馬に相乗りする。

 前に相乗りをした時は、そろそろとイリヤの背中に触れていたものだが、今回は遠慮なく抱きつけることが嬉しい。


 何事もなくキャルムに着き、配達人に手紙を渡す。帰りの街中で、イリヤは右手で馬を引き、左手指をこちらの手に絡ませてきた。オデットは頬を染めながら、イリヤの大きな手を握り返す。

 そうして歩いている途中、宿屋の前で出し抜けにイリヤが言った。


「今日はここに泊まっていくか?」


 オデットが口をぱくぱくさせていると、イリヤはおかしそうに笑った。


「冗談だ。どうせ、帰っても二人きりだろうが」


 オデットはむうっと唇を尖らす。


「……家では部屋が別々じゃないですか。イリヤさんの冗談は冗談に聞こえないから、たちが悪いです」

「なんだ、お前にとって、俺はそんなに軽薄な男だったのか」

「そ、そういうわけでは……」

「そういえば、お前の誕生日はいつだ?」


 イリヤが話題を変えてくれたので、オデットは助かった。彼は軽薄とは程遠い人だが、一度好きになった女性は熱烈に愛し抜きそうな気がする。色んな意味で。

 ちょっと下品なことを考えてしまったオデットは、心のなかでぶんぶんと頭を振りながら答える。


「……十二月十一日です。もう過ぎてしまいましたね」


 イリヤが銀の眉をつり上げた。


「お前、なんでそんな大切なことを言わなかった。贈り物も渡せなかったし、誕生日祝いもできなかったじゃないか」


 オデットは少し驚いた。誕生日がいつなのかを言っても、軽く流されるだけだと思っていたから。


「イリヤさんでも、そういうことをするのですね」

「パスカルの家にいた時は、毎年誕生日を祝ってもらった」

「イリヤさん、誕生日が分かっているのですか?」


「ああ。そういえば、どうしてだろうな。……親が俺を組織に売り渡した時にでも、誕生日を教えたのかもしれん。売り買いされる動物でも、年齢が分かる生年月日は大切だからな」


 どこか投げやりなイリヤの言葉を聞いているのは辛い。オデットは顔をぎゅっとしかめて彼を見上げた。


「イリヤさん……そんなこと言わないでください」


 イリヤは眉を下げた。


「……悪かった」

「イリヤさんのお誕生日は?」

「三月二十二日だ」

「その日はたくさんお祝いしましょう。わたし、頑張ってお料理を作ります」

「ああ、よろしくな。……オデット、そこの宝飾店に入って、なんでも好きなものを選べ。誕生日の埋め合わせだ」


 オデットは息が止まったような気がした。実家にいた時は、毎年誕生日を祝ってもらったけれど、貧しかったので贈り物をもらったことはない。神殿では誕生日を祝う習慣もなかった。


「いいのですか……? あのお店、お高そうですけれど」

「構わん」


 信じられない心地で、オデットはイリヤとともに宝飾店に入った。馬は外に繋いである。


 オデットが選んだのは、イリヤのペンダントと対になるような涙型の翠玉のついたペンダントだった。自分の瞳と同じ色だ。安すぎてはイリヤに怒られそうだし、高すぎても悪いので、値段は中程度のものを選んだ。


 イリヤの提案でリボンはかけてもらわず、収納用の木箱だけもらう。どうしてだろう、と思っていたら、その場でイリヤが買ったばかりのペンダントをつけてくれた。


「よく似合っている」

「ありがとうございます」


 気恥ずかしい気持ちで、オデットはペンダントの石にそっと触れた。


  ◇


 それから、手紙の返事を待つまでの間、オデットとイリヤはどこにでもいる恋人同士として過ごした。

 もちろん魔法の修行は続けたし、イリヤもまた教えてくれるようになったのだが、彼が前よりも積極的に触れてくるようになったので、オデットは気が気でない。

 ある日、イリヤの淹れてくれた香草と花のお茶を楽しみながら、居間の長椅子に隣り合って座っていると、不意にイリヤが言った。


「次の戦に勝利したら、俺はお前を妻にもらえるよう、国王に頼むつもりだ」


 オデットは顔を上げた。


「でも、イリヤさん、爵位が欲しいんじゃ……」

「いいんだ。この機会を逃せば、お前は王族に嫁ぐことになるだろう。俺は、お前を誰にも渡したくない」


 イリヤが長年の目標を曲げてまで、自分を欲してくれている。そのことが、オデットは涙が出そうになるくらい嬉しかった。


「イリヤさん……」


 潤んだ目でイリヤを見つめる。彼の金色の瞳がじっとこちらを見つめ返す。と、イリヤが急に手を伸ばし、自分の顎を持ち上げてきた。


(え? え?)


 目を閉じたイリヤに無言のまま唇を奪われ、オデットの頭の中は真っ白になる。

 口づけされたと悟った瞬間、オデットは両手で顔を覆い、長椅子の隅で悶絶しそうになった。


「……嫌だったのか? いつも通りの匂いだったが」


 困惑気味なイリヤの声が聞こえてきたので、オデットは恐る恐る振り返る。


「──嫌なわけじゃないですけれど、びっくりしてしまって」

「そうか、悪かったな。もう一度、やり直してもいいか?」


 そう言われてしまうと、今更ながら嬉しさが込み上げてくる。初めての口づけの相手がイリヤでよかった。

 トクントクンと心臓が音を立てる中、オデットは頷く。


「はい」


 イリヤが再びオデットの顔を上向かせる。オデットは目を閉じた。少し間を置いて、唇が合わさる。

 イリヤの唇からはお茶の材料となった香草と花のよい香りがした。

 柔らかい感触が消えたので目を開けると、イリヤが優しくほほえんでいる。オデットは幸せに浸りながら、勇気を出してイリヤに正面から抱きついた。

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