第24話 衝突とロドリグの策謀
男はそれ以上何も語らなかったので、オデットとイリヤは部屋を去った。廊下に出ると、イリヤは無言で階段を下り始める。オデットも黙ってあとに続いた。
居間に入ったイリヤに、オデットはようやく声をかけることができた。
「イリヤさん、疲れているでしょう。何か食べますか?」
「そうだな……久しぶりにお前の料理が食いたい」
嬉しくなって、オデットはぱたぱたと台所に走った。先ほど、女たちだけで食べた夕飯の残りの
テーブルの前に座ったイリヤは、おいしそうに料理を食べた。向かいに座るオデットは、にこにことその様子を見守る。
食事を終えたイリヤは「ごちそうさま」と言ったあとで、表情を改めた。
「オデット、話がある」
「はい……なんでしょう?」
イリヤは重々しく言った。
「あの男は、おそらくレーヌスの傭兵だ」
レーヌスはハーズにつくつもりだろう、とかつてイリヤは予想していた。ということは……。
「ロドリグ王子がハーズからレーヌスの傭兵を借り受けた、ということですか?」
「そうだ」
浮かない顔をしているイリヤにオデットは、そろそろと問いかける。
「でも、それならイリヤさんの予想通りですよね?」
「悪いほうの予想が当たった」
どういうことだろう。オデットが何も言えずにいると、イリヤが続けた。
「まだ話していなかったが、俺が参加した戦はお前の記憶通り、リュピテールの勝利だった。だからこそ今、俺はここにいられる」
なら、何も悪いことはないではないか。そうオデットが口にしようとすると、イリヤが先にしゃべった。
「だが、ハーズ軍の中にレーヌスの傭兵部隊はいなかった。そして、ロドリグ王子に傭兵を貸し与えたことから分かるように、ハーズはレーヌスと契約している。これが意味していることは、ただひとつ。ハーズは無傷のレーヌス傭兵を擁している、ということだ」
オデットは息を呑んだ。
レーヌス傭兵が精強であることは周知の事実だ。その彼らが無傷であり、ハーズがレーヌスの傭兵部隊を先ほどの戦で投入しなかったということから導き出される答えは──。
「この前の戦、ハーズは本気ではなかった……?」
「おそらくな」
イリヤは頷いたあとで、銀の睫毛に縁取られた目を伏せた。
「次の戦は来年の一月十四日ということになるが、対策を万全にしたとしても、厳しいものになるかもしれない。ロドリグ王子の裏切りの証拠は集まりつつあるが、それだけではハーズの大軍は追い返せん」
それでは未来は変えられない。自分はイリヤを絶対に守ると決めたのだ。
「でも、わたしがいます。わたしもパドキアラ団と一緒に出征して、イリヤさんを守ります」
「ダメだ」
言い切ったイリヤに、オデットは思わず言い返した。
「どうしてですか!?」
「お前はあの男を傷つけたことで落ち込んでいたな。そんな神経では、戦で戦うなど土台無理だ」
「そんなこと……」
「戦というのは殺し合いだ。俺はこの前の戦で両手指では足りないほどの敵を殺した。お前にそれができるか?」
こちらを射抜くように見据えるイリヤを前に、オデットは怯んだ。自分の手で人を殺しそうになったあの恐怖をもう一度味わいたいか、と問われても、肯定する勇気を持てなかった。
「……でも、わたしはイリヤさんを守りたいのです」
絞り出すように必死でそう言うと、イリヤは苦しげな顔をした。
「俺はお前に守ってもらおうとは思っていない」
「じゃあ、どうして……どうして、わたしの才能を見出して、魔法を教えてくれたんですか? おかしいですよ……わたしを利用しないなんて。イリヤさん、出会ったばかりの頃、言っていたでしょう? 自分の役に立てって……」
最後のほうの言葉は涙声になっていた。
イリヤは硬い声で答える。
「あの頃と今では、状況が違う」
「……どう違うんですか?」
食い下がるオデットと目を合わせようとせずに、イリヤは言った。
「──お前は戦場に連れていけない。足手まといだ」
イリヤは席を立った。
「言っておくが、俺は死ぬつもりはない。お前がいなくても、生き残ってみせる」
それだけ言い残すと、イリヤは居間を出ていった。
オデットは遠ざかる彼の広い背中を見つめながら、呆然と呟いた。
「──どうして、どうして分かってくれないのですか……?」
自分が無意識にしろ時を巻き戻したのは、イリヤに死んで欲しくなかったからだ。この時間軸ではなんとしてでもイリヤを死なせたくなくて。だから、彼を守るために頑張って修行をして、魔法を使えるようになった。
それが、全て無駄だったというのだろうか。
今度こそ涙が溢れてきて、ぽたり、とテーブルの上に落ちる。オデットは一人、がらんとした居間ですすり泣いた。
◇
王都メチスから馬車で北東へ六日ほどゆくと、緩やかな山地が広がる中に、神聖リュピテール王国の第二王位継承者ロドリグの城館がある。ハーズの国境からさほど離れていない場所だ。
その城館の豪奢な一室に置かれた長椅子に、ロドリグは一人の男と向かい合って座っていた。
「国王陛下からお貸しいただいたレーヌス傭兵がしくじった。おまけに一人は未だ帰ってこないぞ」
小太りで見るからに人のよさそうな中年の男が、申し訳なさそうに笑う。
「それはそれは、お詫びのしようもございませぬ。それにしても……ロドリグ殿下は、なぜ、その聖女に固執なさるのですかな?」
男はロドリグとハーズ国王との仲介をしているハーズ側の使者だ。それゆえに、魔法に重きを置くリュピテールの事情を
ロドリグは無知な男に説明してやるつもりで問いかけた。
「リュピテール国王の最も重要な責務は、国を魔物から守るための結界の維持。これは知っているな?」
「存じております」
「リュピテールの王として認められるためには、強い魔力を持っていると見なされる他に、魔力の強い女──たいていは聖女だな──と婚姻することが必要なのだ」
男は眉をひそめた。
「ですが、ロドリグ殿下は我が国の王女殿下とご結婚なさるのでしょう?」
「もちろんだ。だが、それでは魔力の強い女を王妃に戴くことに慣れた貴族たちは納得しないからな。聖女オデットは妾にして、わたしの子を産んでもらう」
リュピテールは国王をはじめとして一夫一婦制の国だが、王妃が子を産めなかった場合や魔力の強い子が生まれなかった場合に限り、愛妾を公に置くことを許している。
ロドリグの秘密の縁談相手であるハーズの王女は、さほど強い魔力を持っているわけではないらしい。
ロドリグは当初、王太子妃候補と噂されていた次期聖女のジェルヴェーズを妾にするつもりだったのだが、王宮でオデットの強大な表出魔力を見て、気が変わった。
「それに、聞いたところによると、オデットはだいぶ魔法を使いこなせるようになったらしいからな。手駒として傍に置いておけば、こちらの利益になる」
使者は納得したように頷いた。
「なるほど、さようでございましたか。こちらといたしましても、王女殿下を王妃に立てていただけるのなら、特に口出しはいたしません」
ロドリグは笑みを浮かべたあとで、爪を噛みたくなった。戦において邪魔なイリヤを排除し損ねたことも痛手だが、オデットの拉致にもことごとく失敗してきた。しかも、オデットはイリヤのもとにいる。
獣族でありながら強い魔力を持つイリヤと、魔法に目覚めたオデット。この二人を一緒にしておけば、必ず自分やハーズの脅威となるだろう。早いうちに、あの二人は引き離しておく必要がある。
それに、オデットが王太子妃の候補に挙がっている以上、強引な手段をとってでも彼女を手に入れなければならない。
前に雇っていたヴァジームもしくじった。その彼が消息を絶ったこともロドリグは気に入らない。
使いの者を通じて直接指示を下していたあの男は、自分が裏で何をしていたか知る人物ゆえに、始末しておきたいところなのだが……。
(まったく、どいつもこいつも……思い通りにならないことばかりだ)
次はどんな手を打つべきか、会話中にもかかわらず、そればかりが気がかりで黙り込んでいると、使者がにこにこと笑った。
「だいぶ、思い詰めておいでのようですな、殿下。ですが、何も迷うことはないではございませぬか」
「何か策があるのか? 申してみよ」
「簡単でございますよ。緒戦こそ敗れましたが、それも計算の内。次の戦はハーズも戦力の大半を投入いたします。むろん、レーヌスの傭兵部隊も。そして、その情報を我が国王は故意に流すおつもりです」
「なんのためだ?」
「次の一戦で、リュピテールを事実上、手に入れるために。リュピテール軍の主力を叩き潰してしまえば、あとは王都を落とせばよろしいのですからな」
さすが、ハーズ国王だ。人を下に見る癖のあるロドリグも舌を巻いた。
ハーズ国王の策はそれだけではない。彼は産業の乏しいレーヌスを援助することで、傭兵部隊をリュピテールに派遣しないよう確約させたのだという。
使者が目を細めた。ただし、その目の奥は不気味に光っているようにも見える。
「話を戻しましょう。この前の戦には聖女は出陣しなかったようですが、次の戦には出ざるをえません。その時こそ、彼女を捕らえる好機ではありませんか」
なるほど。次の戦場ではイリヤに罠を仕掛け、奴を無力化する算段は立てているが、オデットにも同じ手を使えばよい。
その策も使者がもたらしたものだ。
ロドリグにとって、ハーズは自分の欲していたものをくれる、おとぎ話に登場する魔導具のような存在だった。
ロドリグは内心でほくそ笑んだが、使者に即答はしなかった。軽く見られるのを防ぐためだ。
「さて、どうしたものだろうな」
辛抱強く答えを待つ使者に、ロドリグはもったいぶって告げた。
「その案に乗るとしよう。リュピテールを手に入れ、貴国と末永い友好を保つために」
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