第三章 ぶつかり合う想い

第21話 ブランシュ夫妻への感謝と時魔法の恐ろしさ

 夜がやってきた。

 既にオデットとアドリーヌは、それぞれの寝室に戻っている。

 居間の一人がけの椅子と、その斜めに置かれた長椅子に、イリヤとパスカルは腰かけていた。居間の壁の中心に設えられた暖炉の火が爆ぜる音がする。


 低い卓子には麦酒ビエールを注いだ木製の酒器がふたつ、置かれている。

 居間の側面に背を向けた、座り心地のいい椅子に深く座りながら、イリヤは尋ねる。


「それで、あんたの見解は? オデットは時魔法を使ったと思うか?」


 暖炉に近い長椅子にかけるパスカルは、少し麦酒に口をつけた。


「俺も、間違いなく時魔法だと思う」


 独り言のように、イリヤは口にした。


「なぜ、オデットには使えたんだろうな……」

「時魔法というのは、六属性全てを極めた者にしか使えないとされている。オデットさんの素質が、それを可能にしたんだろう。魔力腺が開かれてすぐに時魔法を使った、ってのは規格外だがな」


 イリヤはほほえんだ。


「あいつはいつも、俺を驚かせる」

「お前、いい顔で笑うようになったなあ」


 嬉しそうな笑みを浮かべたあとで、パスカルは真剣な顔をした。


「お前が俺だけに見解を訊いたのは正解だと思う。わざわざ暗号まで使われていた手紙に、最初は驚いたけどな。ところで、お前、時を巻き戻せることについてどう思う?」

「一度くらいならいいが、何度も人生をやり直すなんてごめんだ」

「そうだな。この魔法の恐ろしい点は、まさにそこにある」

「……どういうことだ?」


 身を乗り出したイリヤの問いに、パスカルは意を決したように答える。


「悪いことは言わない。彼女が再び時魔法を使うようなことがあったら、なんとしても止めろ」

「だから、どういうことだと訊いている」

「時魔法の代償は、魔力を消費することだけじゃないんだ。俺たちが魔法を使えるのは、神々の創造した原理原則に従っているから──お前にも、そう教えたな?」

「ああ」


 万物は六属性のいずれかに属す。実際に神々が存在しているのかどうかは分からないが、召喚魔法使い以外の魔法使いは各属性を司る神々に祈りを捧げることで魔法を使うことができる。それが、この世界の摂理だ。

 獣族けものぞくが恩寵を使えるのも、太陽神をはじめとした獣族の神々の加護を受けているからだという。


「時魔法は無属性魔法なんて呼ばれることもあるがな、明確に属性魔法とは区別すべきなんだ。なぜなら、『時の神』は俺たちの世界には存在しない」


 パスカルの言葉に、イリヤははっとした。確かに、カーリ教の聖典にも獣族の神話にも「時の神」の存在は語られていない。なぜ、今まで気づかなかったのだろう。


「……時魔法はこの世界の原理原則に反している。そういうことか?」

「そうだ。あるいは、名を秘された神が関わっている可能性もあるが、今はそんなことは重要じゃない。世界の原理原則に反した魔法を使い続けると、どうなると思う?」


 イリヤは考えた。時に関する罰則のようなもの……。真綿で首を締められるような不安感が足元から這い上ってくる。

 それでも、イリヤは辿りついた懸念を口にした。


「……時間とは直線上のものだ。だが、時魔法で時を戻すと、時間の流れはひずんでいくんじゃないか? 未来を知る術者が、過去を好き勝手に変えられるんだからな」

「いい線いってるな。お前はやっぱり賢いよ。そう、歪んだ時空はやがて円形となり、術者は永遠にその時の輪から抜け出せなくなる」


 いつしか、イリヤの掌には汗がにじんでいた。


「どうして、そんなことが分かる?」


 パスカルはため息をついた。


「……昔、その仮説を唱えた魔法士がいたんだよ。彼は六属性どころか時魔法をも極めた、それこそ百年に一度の天才だった」


 オデットのことを想起し、イリヤは息を呑んだ。

 パスカルは続ける。


「『無』というのは『全』だ。だからこそ、六属性全てを極めた者にしか使えないんだろう。彼は自分の仮説を証明するために、時を戻す実験を繰り返したんだそうだ。──そして、実験中に忽然と姿を消した」


 イリヤは目を見張った。


「消えた……?」

「ああ。助手の目の前で消え失せたんだそうだ」


 それは、オデットの身に降りかかるかもしれない事態だ。イリヤは動揺を押し殺そうとした。


「……その後の消息は?」

「そういう報告は、どんな文献を読んでも見当たらなかった。思うに、彼は自分の提唱した、時の円環に閉じ込められてしまったんだ。そこは、ひたすらに同じ時の流れが繰り返される、まさしく時の牢獄だという」

「では、オデットがそこに囚われたら……」

「おそらく、永遠にお前の死を繰り返し見続けることになる」


(オデットは俺が死ぬ光景を夢で見ただけで、あんなにも泣いていた──)

 

 もし、そんなことになれば、彼女の精神は崩壊してしまうだろう。

 そもそも、その円環の中にいる術者以外の者は、本当に実在する人間なのだろうか。術者の記憶が作り出した幻影のようなものなのではないか。

 術者はただ一人、時の牢獄をさまようことになる。それが、時間を支配しようとした人間に神々が与える罰──。


(オデットが円環に囚われてしまったら、二度と会えない……)


 イリヤは拳を握りしめた。


「分かった。オデットには二度と時魔法は使わせない」

「それを聞いて安心した。お前は、やると決めたらやる男だからな。しかし……」

「なんだ?」

「お前にも、ついにそういう相手ができたんだなあ」


 へらりと笑うパスカルをイリヤは軽く睨む。


「何を言っている」

「お前がオデットさんに好意を持ってるのはバレバレだ。お前、冷静に見えて態度に出やすいからな。アドリーヌも気づいてるぞ」


 そういえば、セルゲイも感づいている様子だった。


「…………」

「お前、昔はアドリーヌのことが好きだったろう」

「な……」


 不意打ちに何も言えずにいるイリヤから視線を外し、パスカルは苦い笑みを浮かべた。


「俺が焦り始めて、アドリーヌに求婚することを決めたのは、それも原因だからな。お前が成長するにつれて、危機感が募っていったんだ。……アドリーヌをさらっちまって、悪かった」

「……別に気にすることはない。それに、俺がアドリーヌに抱いていたのは、恋愛感情とは少し違うと思う」


 自分は母を知らない。もし、母親がいて、自分を慈しんでくれたら、このような感じなのかと夢想していたのだ。

 それに、アドリーヌが母ならば、自分にとっての父はパスカルだ。多少、がめつい父ではあるが。


 さすがにそれは気恥ずかしくて本人の前では言えず、黙り込んだあとで、イリヤは考えた。

 オデットが時魔法を使う直接の引き金になったのは、彼女自身の命の危機だ。しかし、自分の死を目にしたことも強く関わっているのではないだろうか。

 うぬぼれているわけではないが、最近、強くそう思うのだ。


(俺は死ぬわけにはいかない。それが、オデットを守り抜く最善の道だ)


 自分の膝に目を落としながら、イリヤは決意を新たにした。


   ◇


 オデットたちがキャルムの街から帰ってきた翌朝。四人はいつも通りに食卓を囲み、朝食を摂った。

 今日はパスカルとアドリーヌが王都に帰る日だ。

 食事を終えたブランシュ夫妻は荷物を確認したあとで、イリヤとオデットに向き直った。パスカルがイリヤに手を差し出す。


「ほれ、礼金は?」


 イリヤはため息をついて、重そうな袋をパスカルの掌の上に置いた。


「……前にあんたが言っていた通り、宿泊費は食費込みで差し引いてあるからな」


 中には硬貨がぎっしり詰まっているのだろう。オデットは申し訳ない気分になる。


「ありがとさん」


 中を確認したパスカルはほくほく顔で、袋を懐にしまった。

 四人は家を出て、村の入口まで歩く。ブランシュ夫妻はそれぞれ乗馬の手綱を引いている。

 オデットは夫妻と目を合わせて言った。


「パスカルさん、アドリーヌさん、この四か月間ありがとうございました。魔法が使えるようになったのは、お二人のおかげです」


 アドリーヌが優しくほほえむ。


「そんなことないわ。オデットさんが頑張ったからよ。ね? あなた」

「そうだな。素質も大事だが、その才能を開花させるためには努力も必要だからな。オデットさんは、よく頑張ったよ」


 鼻の奥がつんとして、オデットは涙ぐんだ。


「パスカルさん、アドリーヌさん……」


 この四か月でオデットの魔法を扱う力は大きく向上した。あのヴァジームを倒せるくらいに。

 短縮詠唱もできるようになったし、これなら、イリヤとともに戦場に立つこともできるかもしれない。

 一歩近づいてきたアドリーヌが、にこにこしながら耳打ちする。


「わたしたちが帰ったあとは、イリヤに面倒を見てもらってね。魔法のことも、実生活のことも」


(面倒……? 実生活……?)

 

 一瞬「結婚」という単語が頭に浮かび、オデットは頬を熱くさせる。


(いやいやいや! イリヤさんの気持ちもあるし、そもそも聖女は自分では結婚相手を選べないんだってば!)


 パスカルの隣に戻ったアドリーヌは、ひらりと馬に跨った。


「じゃあね、イリヤ、オデットさん」


 パスカルも乗馬し、手を挙げる。


「二人とも、またな」

「ああ、また会おう」

「お二人とも、お元気で」


 オデットは手を振った。

 ともに夫妻のうしろ姿を見送ったあとで、イリヤがこちらを向いた。


「さっき、アドリーヌに何を言われた?」


 オデットは慌ててごまかす。


「あ、いえ、今後の魔法の修行はイリヤさんを頼れ……と」

「ま、そうするしかないだろうな。だが、お前は俺の前だと集中力がなくなるからな……どうしたものか」


 もしかして、イリヤは自分の気持ちを知っていて、わざとからかってくるのかもしれない。そう頭の隅で考えながらも、オデットはつい焦ってしまう。


「え!? それは、その……」

「俺に教わるのは嫌か?」


 イリヤの口調は、どこかいたずらっぽい。とどめのような台詞を投げかけられて、オデットの耳たぶが熱くなった。


「……いえ、嫌ではないです」


 むしろハーズとの戦までにイリヤと濃密な時間を持てるわけで、とても嬉しい。

 けれど、本音を言うわけにもいかず、オデットはうつむいた。必死に言い訳を探す。


「……ただ」

「ただ?」

「また、魔法を失敗して、イリヤさんに迷惑がかかったらと思うと……それだけが心配です」


 イリヤはくすりと笑った。


「今のお前なら大丈夫だ。それに、また魔法が暴走したら、俺がなんとかする」


 ぽん、と頭の上に手を置かれ、オデットはよろめきそうになったのだった。

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