第20話 ひとつの別れと秘めた想い
イリヤは光属性の魔法で作り出した鎖でヴァジームを縛り上げ、宿屋の寝台に横たわらせた。
(本当なら床に転がしてやりたいところだが)
悠長に朝になって目を覚ましたヴァジームは、自分を取り囲むイリヤやセルゲイをはじめとした団員たち、それにオデットを見て、目を瞬いた。
「……俺は、負けたのか?」
「そうだ」
イリヤの答えに、ヴァジームは虚ろな目で天井を眺めてから、オデットに視線を向けた。
「そうか、負けたのか。こんな人族の小娘にな……」
「ヴァジーム、お前の感傷はどうでもいい。単刀直入に訊く。お前を焚きつけたのは誰だ?」
ヴァジームは一瞬、黙り込んだ。
「……それは、拷問されても言えねえよ。言えば、やっこさんは俺を殺すだろうからな。やっこさんにとっちゃ、俺の命なんて軽いもんよ」
昨夜、ヴァジームが自分に吐いた台詞と、オデットを危険に巻き込んだことを思い出し、イリヤのうちに再び怒りが込み上げてきた。
「それは貴様の都合だろう。……本当に拷問してやろうか?」
「イリヤさん、やめて!」
青ざめたオデットに制止され、イリヤは冷静さを取り戻した。
そうだ。もはや、ヴァジームを副団長にはしておけないが、今までの働きや、彼に心を寄せる者がいることを鑑みても、それは得策ではない。何より、彼を副団長に任じたのは自分自身だ。
「……分かった。だが、けじめはつけなければならん。お前を副団長から外した上で放逐させてもらう。今後一切、パドキアラ団には近づくな」
ヴァジームは一拍置いて頷いた。
朝食をすませたあとで、イリヤは街の入口で待ち合わせていた団員たちに事情を説明した上で、彼らとともにヴァジームを見送った。
ヴァジームの手下たちはパドキアラ団に残ることになる。ヴァジームが彼らにそう勧めたからだ。
一人、門から濠に渡された橋に歩き出そうとするヴァジームに、イリヤは声をかけた。
「異国に行くなら、ハーズとレーヌス以外の国にしろ。俺がお前に忠告してやれるのは、これが最後だ」
ヴァジームは何も訊いてはこなかったが、ただ顔を橋の正面に向ける。
「……世話になったな。あばよ」
それがヴァジームの最後の言葉だった。
パドキアラ団を立ち上げ、ヴァジームを副団長に迎えた時の記憶が束の間、イリヤの中に蘇る。
「イリヤさん、あの忠告は……」
オデットがその意味を問いたげに、馬の手綱を引きながら近づいてきた。
「オデット、風の防御壁を作れ。他の団員に聞こえる」
「はい……」
少し団員たちから離れた場所に移動したあとで、オデットは風の防御壁を作り出した。半球形の壁が二人を包み込む。
イリヤは口を開いた。
「お前も気づいているだろうが、ヴァジームをそそのかしたのは、おそらくロドリグ王子だ」
「はい」
「ロドリグ王子はハーズと通じている。そして、レーヌスは本格的な戦が起こった時にハーズに傭兵を派遣する可能性が高い。オデット、前の時間軸では、一月十四日の戦闘の際、リュピテール陣営にレーヌスの傭兵部隊は参加していなかったそうだな?」
「はい、そのはずです」
「ならば、ハーズとレーヌスに行けば、ヴァジームはロドリグの放った討手に殺されてしまう可能性が高い。レーヌスはハーズ側についたわけだからな」
オデットは蕾がほころぶように笑った。
「よかった。イリヤさん、ちゃんとヴァジームさんのことを考えていたんですね」
男が女を抱きしめたくなるのは、こういう時なのだろうか。しばし呆然とオデットを見つめたあとで、イリヤは咳払いした。
「……追い出してすぐ、奴に死なれても寝覚めが悪いからな」
オデットはなおも嬉しそうにほほえんでいたが、新たな疑問を抱いたらしい。可愛らしく小首をかしげた。
「もうひとつ、分からないことがあるのです」
「なんだ?」
「前の時間軸では、ヴァジームさんはあなたの近くに倒れていたのです。多分、あなたとともに戦って亡くなったのだと思います。でも、この時間軸ではヴァジームさんはロドリグ王子に雇われていたわけですよね。前の時間軸とこの時間軸では、私のこと以外でもズレが生じてきているのでしょうか」
イリヤは頭を振った。
「いや、俺が思うに、それはズレじゃない。おそらく、ロドリグ王子はこの時間軸で俺たちが出会う前から、俺を引きずり降ろそうとしていたんだ」
オデットの顔が強張る。
「じゃあ、七月にヴァジームさんがわたしをさらおうとしたのも……」
「ロドリグ王子の差し金だろう。ヴァジームにお前をさらわせて、俺の責任を糾弾するためにな。なんだって俺をそこまで目の敵にするのかは分からんが……」
本当は、あんな男を「王子」などと呼びたくはないのだが、今は仕方ない。いずれ、その化けの皮を引っぺがしてやる。
幸い、手の者や宮廷との仲介役に頼んでいたロドリグへの調査が功を奏し始め、彼が領地の城館にたびたび異国人を招いて密談をしているという事実が分かってきたところだ。
何かに思い至ったのか、オデットの顔が白くなった。
「ということは……もしかして、ヴァジームさんを死なせたのは……」
「おそらく、前の時間軸の俺だろう。あいつは魔法を封じられた俺に戦いを挑んだんだ。魔法が使えない俺とあいつのどちらが強いか、試してみたかったんだろう。魔法嫌いなヴァジームの考えそうなことだな」
そして、ヴァジームと戦い、消耗しきった自分を高みの見物をしていたロドリグが殺したのだろう。
イリヤは力強く言いきった。
「同じことを繰り返す気はない。お前から聞いた情報を元に対策も考えている。現にヴァジームに関する脅威は消えたし、お前もロドリグ王子と相対しても平気なだけの力を身につけた」
オデットを安心させるためでもあるが、自分を鼓舞するための言葉。オデットの表情が少し和らいだ。
(自分の命と団だけじゃない。オデット、必ずお前を守ってみせる)
俺はオデットのことが好きだ。
それは、彼女の匂いがかぐわしいことや、ともに過ごすうちに情にほだされたから、というだけではない。
彼女といると心地よく、安心するからだ。
もちろん、オデットが自分に深い想いを寄せてくれているから、ということもある。
(お前が未来を知らせてくれたのは、自分自身の死を回避するためじゃない。俺を救おうとしてくれたからだ)
初めてオデットに「わたしがイリヤさんを守りますから」と言われ、彼女の本心に思い至った時、イリヤは味わったことのない切なさを覚えた。
自分だけにそれほどの想いを注いでくれる女には、今まで出会ったことがない。
彼女を前にすると、その気持ちに応えたいと思う。
声にならない言葉を呑み込んで、イリヤはみなのもとに戻るためにオデットを促した。風の防御壁が解かれる。
みなと合流すると、既にヴァジームの姿は消えていた。団員たちがオデットに声をかける。
「聖女さま、あのヴァジームに勝ったんだって? すごいなあ」
「ヴァジームには悪いけど、うちの団には団長が必要だからな。聖女さまが勝ってくれて助かったよ」
「そんな……ありがとうございます」
団員たちに囲まれるオデットを見て、イリヤは口元を緩めた。彼女はすっかりパドキアラ団に受け入れられたようだ。
イリヤたちはキャルムの街を出た。村まではさほどの距離はないので、今回馬に乗ってきたのはオデットとアドリーヌだけだ。獣族は人族よりも俊足で持久力があるので、短距離ならば馬を使う必要がない。
数時間走ったのちにネリザ村に帰り着く。出迎えた村人たちへのヴァジームに関する説明は、セルゲイに任せる。新しい副団長には彼を任じることになるだろう。
オデットとアドリーヌとともに家に帰ると、長椅子で魔導書を読んでいたパスカルがこちらを見て言った。
「アドリーヌ、明日、この村を出るぞ」
アドリーヌが目を丸くする。
「まあ、あなた、突然ね」
「お前たちがいない間、色々考えて決めた。オデットさんはもう大丈夫だ。あとはイリヤに任せる」
ということは、また二人きりになるのか。オデットのほうを見ると、彼女と目が合う。オデットは恥ずかしそうに目を逸らした。
(……理性を失わないようにしないとな)
思わず匂い袋を摘まむイリヤをパスカルが手招いた。
「なんだ?」
尋ねると、パスカルは声を潜めた。
「お前からの手紙に書いてあった質問に、今夜答える。時間を空けとけ」
オデットは本当に時魔法を使ったのか否か。
四か月も答えをお預けにされていた問いについて、いよいよパスカルが回答してくれるというのだ。
「……分かった」
イリヤは表情を引き締めて首肯した。
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