第19話 一騎討ちと真夜中の酒場

 雪が舞い、白銀の景色が広がっていた。

 鎧姿のイリヤが、ふらついた足取りでロドリグに詰め寄ろうとする。ロドリグは酷薄な笑みを浮かべると、剣を抜き放ち、イリヤの首を撫でるように斬りつける。

 おびただしい量の血がイリヤの首から流れ落ち、彼は目を見開いたまま膝をついて雪原に倒れ伏す……。


 恐ろしい光景を見たオデットは、夢から逃れるように目を覚ました。あの日のように、涙が頬を伝っている。

 イリヤはこの時間軸では生きているのに、嗚咽が込み上げてくる。隣の寝台で眠っているアドリーヌを起こさないように、オデットは声を押し殺して泣いた。


 イリヤを前の時間軸で死なせてしまったことが、ひたすら悔しくて悲しかった。

 こんな感情を味わうのは、ともに過ごしたことで、前よりも彼のことを知ってしまったから。そして、イリヤがこちらを気にかけてくれるからだ。


 彼を失いたくない。たとえ、イリヤが自分のことを女として見てくれなくてもいい。


 荷物からハンカチを取り出し、涙を拭い終えたオデットは急に喉の渇きを覚えた。

 カーテンから覗く窓外は、まだ闇に包まれている。今が何時だかは分からないが、もしかしたら宿の一階にある酒場が開いているかもしれない。


 詠唱をしたオデットは掌から小さな光球を生み出すと、靴を履き、寝台から下りた。外套掛けから上着を外して袖を通し、枕の下から財布を取り出す。

 部屋の扉を開け、階段を目指そうとしたオデットは思わず足を止めた。光球が廊下にたたずむ人影を照らし出したからだ。


「イリヤさん……」


 上着を羽織ったイリヤが気難しい顔で立っていた。


「悪い夢でも、見たのか?」


 オデットは思わず、銀毛と黒毛に覆われたイリヤの耳を見る。しかも、彼の部屋は隣だった。自分の泣き声がイリヤには聞こえていたのだ。

 恥ずかしくなってうつむくと、イリヤが一歩足を踏み出した。


「眠れそうか?」

「というか、喉が渇いてしまって……」

「ついてこい。一杯くらいならおごってやる」


 イリヤが階段を目指して歩き出したので、オデットもついていく。

 階下の酒場は食事時ほどの賑わいはなかったが、それでも客がめいめいに食卓の前に座り、酒を楽しんでいる。


 イリヤはカウンター席に座った。オデットも隣に腰かける。イリヤは赤葡萄酒ヴァン・ルージュを頼み、オデットは温めた牛乳を頼む。

 酒壺から金属杯に注がれる葡萄酒の赤は、どうしても先刻の夢を思い出させる。オデットは複雑な思いで、赤葡萄酒に口をつけるイリヤを見守った。

 さんざん迷った末、ようやく声を出す。


「わたし……」

「ん?」

「あなたが亡くなった時の夢を見たのです。正確には、実際に目にすることはなかった光景でしたけれど」


 イリヤがこちらを見た。


「……そうか」

「でも、今度は絶対にあなたを死なせたりしません。あなたはわたしが守ります」


 思っていたよりも強い言葉が口から出た。

 イリヤは金色の目を見張ったあとで、少し笑う。


「俺にお前を守らせてはくれないんだな。お前だって殺されかけたのに」

「え!? イリヤさんは確かにとても強いですけれど、でも……」

「ずっと不思議だった」


 イリヤは酒杯を傾けた。


「生活の糧のためだけに戦っていた団員たちが、伴侶を得たとたん、急にころっと変わったように『家族を守りたい』と言い出すのが。俺はパスカルとアドリーヌのためなら命を懸けるつもりだが、あいつらは庇護すべき対象じゃない」


 イリヤは何を言おうとしているのだろう。オデットは彼の声に耳を澄ました。


「お前は強くなりつつある。多分、このままいけば、どんな魔法士でも太刀打ちできなくなるだろう。それでも──」


(それでも?)


 扉が乱暴に開かれる音が響く。

 イリヤの台詞を遮られ、腹を立てながら出入り口のほうを見ると、手下を連れたヴァジームが店の中に入ってくるところだった。手にした三日月斧バルディッシュを肩にもたせかけている。


「ここにいたか、イリヤ。……聖女さまもご一緒とはな」


 イリヤがものすごく不機嫌そうに立ち上がる。


「……ヴァジーム、なんの用だ?」

「簡潔に言うぜ。聖女さまを渡せ。それと、お前は団長を降りろ」


 イリヤの眉が跳ね上がる。


「長い話になりそうだな。外に出るぞ」


 イリヤは硬貨を数枚、カウンターに置くと、扉に向けて進む。

 ヴァジームがニタリと笑った。


「おっと、聖女さまも一緒じゃないと困るぜ。……おい、てめえら」


 四人の手下がオデットに近づいてくる。即座にイリヤがオデットの前に立った。


「やめろ」

「なら、二人一緒に外に出ろ」


 ヴァジームに促され、イリヤはオデットの背に手を添え、守るようにして店の外に出た。こんな状況にもかかわらず、イリヤの掌の感触にオデットの心臓はうるさい音を立てそうになってしまう。


 外の寒風が頬を突き刺す。人の往来がない深夜の大通りで、オデットとイリヤはヴァジーム一味と向かい合った。

 イリヤが底冷えするような声で問い質す。


「それで、ヴァジーム、どういう了見でそんな結論になった?」

「とある方が、聖女さまを欲しがってるんだよ。そんな普通の女、どんな利用価値があるのかは知らんがな。そうすれば、俺が団長になっていいんだとよ」


 愉快そうにせせら笑ったあとで、ヴァジームはオデットを忌々しそうに見た。


「その女が来てから、お前は変わっちまった。その女が魔法を使えるようにしてどうする? 魔法の力に頼りきって団を率いていくつもりか? 俺たちを受け入れようとしない人族の力に頼るのか?」


 イリヤは眉を寄せ、静かな怒りの表情を浮かべている。


「俺が今の立ち位置にいられるのは魔法が使えたからだ。そして、手を差し伸べてくれた人族がいたからだ。お前はそれを否定する気か」


「それがお前の本音かよ! 俺たちのためとか言いながら、実際は人族におもねることしか考えてねえんだ。その女を自分のものにして、さらにこの国に食い込むつもりだろうが、そうは問屋が卸さねえ。人族の血を引いてる奴は、やり方も狡猾だよなあ?」


 今ではイリヤの顔は、くっきりと怒りの色に染まっている。オデットを背に庇いつつ、刃のような目でヴァジームを睨みつけた。


(でも、今のイリヤさんは剣を持っていない……)


 魔導具でもあるあの剣がなければ、魔法を使うにしても詠唱時間が必要になる。

 ならば、自分も戦わなければ。

 ヴァジームは先ほどの会話からして魔法を軽く見ている。そこにつけ込む隙があるかもしれない。


「ヴァジームさん」


 震えそうな声で呼びかけると、ヴァジームは怪訝けげんそうに応じた。


「ああん?」

「わたしと一騎討ちをしませんか? もし、わたしが勝ったら金輪際、イリヤさんには近づかないでください」


 既にイリヤとヴァジームの仲は修復不可能だろう。それに、ヴァジームにオデットを連れてくるように命じた人物はおそらく……。

 オデットの思考を中断するように、ヴァジームがおもしろそうに問いかける。


「んで、お前が負けたら?」

「その時は、大人しくあなたに従います」

「オデット……!」


 イリヤの呼びかけに、オデットは微笑を返した。

 ヴァジームが口の端をつり上げる。


「いいだろう。人族にしては思いきりのいい女だ」


 三日月斧を構えたヴァジームと間合いを取って、オデットは正面から向き合った。

 相手は歴戦の戦士だ。懐に入られれば負ける。

 しかし、彼の恩寵「大盾」は魔法を防げない。

 ヴァジームが動いた。


「闇の神スコーディスよ!」


 口早に唱えながら、オデットは掌に集めた魔力をヴァジームに向けた。

 ヴァジームが横に逸れるように突進してくる。避けるつもりだ。

 だが、魔法はオデットを中心に放射状に放たれた。射程は短いが、距離を詰めてくるヴァジームを確実に捉えられる。


 もろに魔法を食らったヴァジームの目がとろんとし、そのままうつ伏せに地面に倒れ込む。やがて、大きないびきが聞こえてきた。

 イリヤが近づいてくる。


「眠りの魔法か。いつの間に短縮詠唱を覚えた?」

「えへへ。パスカルさんがわたしにならできるだろうって、こっそり特訓してくれたんです。そのうち無詠唱もできるようになるかもしれないそうです」

「まったく、お前は……」


 イリヤは心底ほっとしたように息をついた。そのあとで、ヴァジームの四人の手下たちに鋭い目を向ける。


「かかってくるか?」

「い、いや! 俺たちは……」

「ヴァジームさんさえ無事なら、団長には逆らいません!」


 ぶんぶんと首を横に振る手下たちを横目に、イリヤはヴァジームの巨体を背負った。


「三日月斧はお前たちが運べ」

「は、はいっ!」


 こうして、オデットとイリヤは五人を連れて宿屋に戻った。

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