第18話 慰労会と酒場での騒動

 ジェルヴェーズの電撃訪問から三週間以上がたった。

 相変わらずパスカルとアドリーヌによる魔法の訓練は続いていたが、ある朝食の席でイリヤが言った。


「今日は午後から団員たちを連れてキャルムの街へ行く。好きに行動したあとで宿に泊まる予定だ。慰労会のようなものだな。一緒に来るか?」

「俺は行かんぞ。なんだって、こんな辺鄙へんぴなところに来た上に、わざわざ田舎町に繰り出さにゃならんのだ。金の無駄遣いだな」


 パスカルが真っ先に断る。アドリーヌは口元を拭きながら、ほほえんだ。


「わたしは行こうかしら。大人数でわいわいできる機会なんて、なかなかないし」


 オデットは考え込む。神殿暮らしだったから、当然そういう経験はない。


(あれ……? でも……)


 そういえば、神殿にいた頃、若い神官たちがこっそり夜の街に出かけた、という話を偶然立ち聞きしてしまったことがある。

 禁欲しなければならないはずの彼らは、「女」について語り合っていた……。


 オデットは椅子を蹴立てんばかりに立ち上がる。怪訝けげんそうな顔でこちらを見ているイリヤと目が合った。

 いくらすてきな人で女っ気がないとはいえ、イリヤだって男だ。そういった目的で、みなと連れ立って街に出ようとしているのではないか。

 オデットはバンッとテーブルに両手をつき、高らかに宣言した。


「イリヤさん! わたしも行きます!」


 そして、イリヤが女性を金銭で買うなどという不道徳な行為をするのを阻止してみせる。


「……ああ、勝手にしろ」


 呆れたようなイリヤの声だった。


   ◇


 赤く染まった陽が山並みに消えていこうとしている。

 パドキアラ団の団員は全部で五百五名だが、今回のキャルム行きに参加したのは四百名ほどだった。その中には、珍しくヴァジーム一味の姿もある。


 門が閉まる前に、高い壁で囲まれた街に着く。手分けして宿を取ったあとは自由行動となり、みなは連れ立って方々に散っていく。

 キャルムの街は王都ほどではないにしろ賑やかだった。そこかしこに立った街灯に、点灯夫が梯子の上から魔法の明かりを灯し始めている。

 街灯は魔道具だから、いったん明かりを点けてしまえば、ずっと煌々と光り続けるので、明け方になると点灯夫が光を消して回るのだという。


 もちろん、オデットはイリヤを先頭としたグループにいた。アドリーヌやセルゲイも一緒だ。

 大通りを歩いていたイリヤたちが大衆向けの酒場に入っていく。空いていた席に座り始める彼らを見て、どの席にしようか迷っていると、イリヤが声をかけてきた。


「何をしている。ここが空いているだろうが」


 イリヤが隣の席をぽんと叩いたので、オデットは緊張と淡い期待に心をときめかせながらも言われた通りにする。

 彼は首から下げた匂い袋を、鼻に近づけようとしてやめた。


「団長は、いつも聖女さまと一緒にいるよなあ」

「そうそう、いっそ嫁にもらっちまえばいいのに」


 団員たちはそう言って笑い合う。オデットの頬が熱くなる。

 イリヤが眉を寄せた。


「めったなことを言うな。このほうが何か騒ぎがあった時に庇いやすいだろ」


 セルゲイが品書きを見ながら笑う。


「それを、ご執心って言うんだよ」


 イリヤは肯定するでも否定するでもなく、「ふん」とそっぽを向いた。


(これは、どういうことだろう……?)


 団員たちからそう思われていたことは、かなり恥ずかしいが、イリヤの反応の示すところが気になりすぎる。


「みんな、料理は適当に決めていいかな? 何か苦手なものとかはある?」


 セルゲイの質問に団員たちは笑顔で答える。


「ないない」

「俺たちは字が読めないから、セルゲイがいてくれて助かるぜ」

「オデットさんとアドリーヌさんは?」


 さすがセルゲイ。とても気が利く。

 イリヤの向かいに座るアドリーヌがほほえむ。


「わたしもみんなと同じでいいわ」


 オデットも続く。


「わたしも」


 セルゲイが女給に酒と料理を注文する。料理が来るまでの間、みなで話していると、隣の食卓についていた中年の男がこちらへ歩いてくる。

 なんだろう、と思っているうちに男はイリヤの横まで近づいてきて、罵声を浴びせた。


「おい、てめえ! 人の女に、何、色目使ってやがる!」


 セルゲイを含めた団員たちの目が、すっと鋭くなる。

 当のイリヤは涼しい顔だ。


「人違いじゃないか?」

「なんだと!?」

「あんた、やめてよ……」


 男のうしろから若い女が追いすがる。男は女の手を払いのけた。


「お前は黙ってろ! 獣族の若造なんざ、ちらちら見やがって!」


 話が見えてきた。どうやら、男の恋人がイリヤに目移りしてしまったのが、そもそもの原因らしい。気持ちは分かる。

 男の顔は酒気を帯びて赤らんでいる。加えて、イリヤが獣族であることが怒りに火を注いだようだ。平民の間でも獣族が蔑まれているのかと思うと、オデットの心は痛む。

 イリヤは冷めた目で男を見た。


「悪いが、お前の女に興味はない。席に戻ってくれ。座が白ける」

「てめえ!」


 男の右拳がイリヤに向けて突き出される。イリヤは平然と片手でそれを受け止めた。

 成り行きを見守っていた周囲の客たちが囁き交わし始める。


「おい、あれ、『銀狼のイリヤ』じゃないか?」

「銀髪銀毛の狐狼族ころうぞく……間違いないな」

「あーあ、かわいそうに。喧嘩を吹っかける相手を間違えたな」


 話し声が聞こえたのだろう。男の顔に脂汗がにじみ始める。力を失った男の拳を放すと、イリヤは低めた声で告げた。


「……行け。二度と俺の前にその面を見せるな」


 男はあとずさったあとで、酒と料理の残っている自身の食卓に硬貨を投げ、逃げ出すように店を出ていった。女が慌ててあとに続く。

 緊張を解いたセルゲイがにっこりと笑う。


「ふふ、丸くなったね、イリヤ。前だったら、二、三発は殴っていたところだったのに」

「まあ、イリヤ! そんなことをしていたの?」


 眉をつり上げるアドリーヌをイリヤは嫌そうな目で見る。

 料理が運ばれてきても、アドリーヌは追求の手を緩めなかった。オデットたちはそんな二人を笑いながら眺める。

 楽しい食事が終わり、オデットたちは酒場を出た。空には銀色の月がかかっている。すっかり冬の気配がする夜風に吹かれながら、イリヤが言った。


「そろそろ宿に戻るぞ」


 料理を食べている時も、いかにイリヤを夜の街に立ち入らせないかを考えていたオデットは、拍子抜けした。


「え!? もう戻るのですか?」

「当たり前だ。お前、残りたいのか?」

「いえ、違いますけれど……みなさん、大人だから、夜の街に興味はないのかなあ、と……」


 団員たちはいっせいに笑い出した。


「聖女さまはおかしなことを言うなあ」

「俺たちは発情期にならないと、色っぽいことにはさほど興味が出ないんだ。種族によって色々違うけどな」

「そうそう。獣族の女はおっかないから、なかなか娼婦にならないしな」

「え? え? そうなのですか……?」


 自分の勘違いが恥ずかしくなって、オデットは顔を赤らめた。ちらりとイリヤのほうを見ると、彼は呆れ顔をしている。

 オデットは何も言えなくなって、歩き出した彼から離れて歩を進めた。隣に並んだアドリーヌが話しかけてくる。


「楽しかったわね。揉め事もあったけど、イリヤが大人の対応をしてくれてよかったわ」


 獣族であることを罵られても、いつも柳のように受け流してしまうイリヤの姿を思い出し、オデットは寂しくなった。


「……イリヤさんは、前に言っていました。自分たちは差別されることを気にしていたら、生きていけない、と……。イリヤさん、きっと、たくさん悔しい思いをしてきたんでしょうね……」

「そうね……」


 アドリーヌは優しくほほえむ。


「でも、あの子は獣族が差別されない世界を目指していて、それを少しずつではあるけど、実現させつつあるわ」

「え……」

「あの子が傭兵を志したのは、困っている獣族のためなの。傭兵団を組織して、路頭に迷ったり、犯罪に手を染めた獣族に職と生活手段を与えるためにね」


 イリヤがそんなことを考えていたなんて知らなかった。


「そうなの、ですか……」

「その決意を聞いた時は、なんでイリヤがそんなことをしなければいけないのかと思ったわ。あの子には自分だけの幸せを探して欲しかったから。でも、今のイリヤを見ていると、こうなってよかったと思うの」


 そういえば、この時間軸で出会ったばかりの頃、イリヤは言っていた。


 ──他の傭兵隊長が、なんのためにこの稼業を選んだのかは存じ上げませぬが、わたしは何も、金と命惜しさのためだけに傭兵をしているわけではございませぬ。


 イリヤは常に団員と獣族のことを考えている。だから、団員たちも彼を慕うのだ。

 アドリーヌは夜空を見上げた。


「それにね、イリヤが刺々しくなくなってきたのは、きっとあなたのおかげよ。オデットさん」

「わたしの……?」

「そう。イリヤはあなたのことを守らなければならない人だと思い始めているわ。だから、自信を持って」

「え、え……? それはどういう……?」


 オデットの問いに、アドリーヌはいたずらっぽく笑って耳打ちした。


「狐狼族は狼と同じで、女性が発情期にならないと、その気にならないらしいわよ。オデットさんも頑張って」


(発情期になるって、どうすれば……?)


 声にならないオデットの深刻な疑問に答える者はなく、気づけば明かりに照らされた宿が見えてきたところだった。

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