第17話 魔法勝負とロドリグの影

「それで、どの属性の魔法で勝負しましょうか? あなたの得意な属性でよろしくてよ。もっとも、そんなものがあれば、ですけれど」


 嫌味を言いつつも、ジェルヴェーズはこちらに有利な条件を与えてくれるらしい。だが、オデットは言い切った。


「ジェルヴェーズさまの得意な属性にしましょう。確か、風属性でしたね」


 ジェルヴェーズはにやりと笑う。


「まあ、オデットさまがそれでよろしいのなら、わたくしは構いませんわ」


 オデットはイリヤのほうを振り向いた。


「イリヤさん、大きな岩のある場所まで連れていってください」

「分かった」


 オデットはイリヤとセルゲイ、そしてジェルヴェーズと護衛とともに川へ向かっていく。セルゲイはイリヤに「お前も見ておくといい」と声をかけられたので、ついてくることになった。


 オデットを含めた三人の足取りは軽いが、華奢な靴を履いているジェルヴェーズは歩きにくそうだ。足元が危ない場所では、護衛に手を取られて歩いている。

 ほどなく、川の流れる音が近づいてきた。かなり大きな川で、川岸には川の流れに乗って運ばれてきた石や、水流に削られた岩が積み上がっている。

 オデットは足を止め、うしろを歩くジェルヴェーズを振り返った。


「ジェルヴェーズさま、岩を選んでください。相手より大きな岩を真空波で割ったほうが勝ち、ということにしましょう」

「単純で分かりやすいですわね。そうね、わたくしはあれを」


 ジェルヴェーズが指差したのは、彼女の背の高さくらいの岩だった。ジェルヴェーズは十五歳だが、オデットより身長が高いので十二分に大きな岩だと言える。

 ジェルヴェーズは岩の前に立ち、右掌を向けた。彼女の表出魔力が高まっていく。


 この三か月半で、オデットも人を包むように魔力腺から放出されている魔力の流れが見えるようになっていた。ジェルヴェーズの魔力は相当強い。

 彼女が詠唱を始める。


「風の神アネモスよ、御身のお力により、岩を割りたまえ」


 ジェルヴェーズの掌から大きな真空波が生まれ、ガリリッという轟音とともに岩が真っぷたつになる。無理やり割ったからか、岩の切断面はゴツゴツとしていた。


「まあ、こんなものかしら」


 得意そうに長い髪をかき上げるジェルヴェーズを横目に、オデットは自分が割るべき岩を探した。


(……あった)


「わたしはこれにします」


 オデットが指し示した岩を見て、ジェルヴェーズが絶句する。

 それは彼女が割った岩の大きさを優に超えており、おそらく二倍以上はあった。

 オデットが巨岩に向かって歩いていくと、気を取り直したらしいジェルヴェーズが嘲る。


「そ、そんな岩、この前までそよ風しか起こせなかった方に割れるわけないじゃありませんの。わたくしの勝ちよ」


 オデットは何も答えずに巨岩の前に立つ。両掌を胸の前で向かい合わせ、魔力を集中させる。


「風の神アネモスよ、御身のお力により、かの者を切り裂け」


 なんの音もしなかった。

 ただ、少し遅れて、ふたつに割れた巨岩が真下に積み上がった石に当たる重い音がしただけだ。巨岩の切断面は磨き上げたかのように平らだった。


(うん、我ながらいい切り口)


 オデットは、ぽかんと口を開けているジェルヴェーズを見やる。


「わたしの勝ちのようですね、ジェルヴェーズさま」


 茫然自失から立ち直ったジェルヴェーズの声が裏返った。


「な、何かの間違いよ! ……そうよ! きっと何か小細工をしたに違いないわ!」


 オデットは自分でもびっくりするくらい落ち着き払っていた。自信だ。自分自身の魔力と技術に裏打ちされた自信が、大樹のように揺るぎない冷静さを与えてくれている。


「そんなことはしておりません。あなたが村にいらっしゃったことをわたしたちが知ったのは、つい先ほどですよ?」

「わ、わたくしは認めませんわ!」

「あなたがわたしより上だとお思いになるのは構いませんが、約束は守ってくださらないと困ります。王太子殿下は差し上げますから、イリヤさんに謝ってください」


 ジェルヴェーズは怒りにわなわなと震えながら顔を真っ赤にしていたが、ぼそぼそと呟き始めた。


「──なさいまし」

「え?」

「ごめん……なさいまし」


 どうにかはっきり聞き取れるくらいの大きさでそう言うと、ジェルヴェーズは護衛を引き連れて足早に立ち去っていった。

 初めてジェルヴェーズに勝った。それに、小声ではあったがイリヤに謝罪をさせることに成功した。オデットは思わず握り拳を作る。


「……やれやれ、どうにか決着がついたようだな」


 イリヤがジェルヴェーズのうしろ姿にちらりと目をやりながら、ため息をつく。

 セルゲイがおっかなびっくりという様子で口を開いた。


「す、すごいですね。たった三か月半で、あれだけのことができるようになるとは……」

「こいつは魔法に関しては才能の塊だからな」


 イリヤに褒められてオデットは顔を輝かせる。すると、イリヤが半眼で睨んできた。


「だからといって、俺の忠告を聞かなかったことは忘れていないぞ」

「だ、だって、あのままじゃ、腹の虫が治まらなくて……」


 しどろもどろに言い訳すると、イリヤは目を伏せた。


「ああいうのをいちいち気にしていたら、俺たちはとてもじゃないが生きていけない」


 セルゲイも神妙な顔でうつむいている。

 オデットは胸をつかれた。

 ネリザ村の人たちは、ミハイルを除けば多少よそよそしくはあったけれど、じょじょに自分を受け入れてくれている。ロドリグやジェルヴェーズのように彼らを差別する側である、高位の人族の自分を。


 この村はとても平和だ。しかし、それは彼らが人には言えない苦労を重ねた結果、勝ち取ったものなのだ。

 自分だけは彼らの味方でいよう、とオデットは強く心に誓った。


「それにしても、なぜ、あの女はわざわざネリザくんだりまで来たんだ?」


 突然のイリヤの言葉に、オデットは小首を傾ける。


「え、それは、わたしが聖女のままでいるのが邪魔で……」

「それにしてもおかしいだろう。お前が魔法の修業をするためにこの村にいるという話は、エウリサード神殿にも伝わっていなければ不自然だ。だが、どうしてお前が王太子と婚約するかもしれない、という情報まで筒抜けになっている?」


「そういえば……」

「そういった繊細な情報を国王がうっかり口にするとも思えん。あのじじい、かなり老獪ろうかいだからな」


 思いっきり不敬な発言をするイリヤを、オデットはセルゲイとともに苦笑いしながら眺めた。

 そのあとでセルゲイが発言する。


「ということは、出所はロドリグ王子じゃないかな。問題は、なんのためにそういった情報を流したのか、ということだけど」


 ロドリグから妨害を受けていることを、イリヤはセルゲイに説明ずみらしい。

 イリヤは頷くと、オデットに顔を向けた。


「そうだな。……もしかして、王子はお前を狙っているのかもしれん」


 オデットは心臓が跳ね上がるほとに驚いた。前の時間軸で「用なしだ」と言って自分を殺そうとしたロドリグに狙われているなんて。だが、彼はこの時間軸で自分の表出魔力を見ている。


「それは──わたしの魔力を手に入れたがっている、ということでしょうか」

「それ以外に考えられんだろう。俺だって今のお前が敵に回ったらと思うと空恐ろしいからな」


 冗談めかして答えるイリヤに、オデットはむくれ顔をした。


「そんなことしません!」


 イリヤはちょっと笑った。


「ともかく、あの女を通して、遠からず王子は今のお前の状態を知るだろう。そうなると、注意が必要だな。今回はお前に聖女を辞めさせようとする嫌がらせですんだが、強行手段に出てくるかもしれん」


 また拉致されそうになるのはごめんだ。今は魔法が使えるから、イリヤの助けだけを待つつもりはないけれど。


「強硬手段……」

「ま、パスカルとアドリーヌもいるし、俺の家にいる分には多少安心だ」

「『多少』なんですか? あのお二人はすごい魔法士ですよね?」

「あいつらは今までに危険な討伐依頼を何度も受けているが、戦場で戦う類の魔法士じゃないから、寝起きが悪いんだ。その辺の感覚は並の人間と同程度だな」


 常に奇襲に備える戦場の魔法士と、基本、魔法士ギルドの依頼に基づいて討伐を行う魔法士の違いだろうか。


「なるほど。あ、でも、どうしてわたしを辞めさせることが、ロドリグ殿下の利になるのでしょう?」

「お前が聖女を辞めれば、あの女は王太子と結婚できる。そのあと、あぶれたお前を王子が拾い上げる──そんなところじゃないか?」


 ロドリグと結婚するのも彼に従うのも絶対に嫌だ。むう、と唇を尖らせたオデットの額を、イリヤが扉を打つようにコツンと小突く。


「大丈夫だ。俺が守る」


 甘さを感じさせるくらい優しい口調と笑顔の組み合わせに、オデットは失神しそうになった。


「イリヤ、最近、柔らかく笑うようになったね」


 セルゲイの笑みを含んだ声と「どこかだ」というイリヤのぶっきらぼうな返答を、顔中を熱くさせたオデットの耳が辛うじて拾った。

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