第13話 二通の手紙とイリヤの過去

 夜は静かだ。家にオデットが来てからというもの、何かと騒がしい日々が続いているが、彼女が自室に戻る夜になると、静けさが家の中に満ちる。

 イリヤは自室の机に向かい、手紙を書いていた。手紙は二通書くつもりだ。師に向けたものと、姉弟子に向けたもの。


 もっとも、師のことを「師匠」と呼んだことはない。いつも、「パスカル」と呼び捨てにしていたし、これからもそうだろう。

 彼らとは敵同士として出会った。狩る者と狩られる者として出会ったのだ。


 十三の時、イリヤは獣族の少年たちを率いて盗賊をしていた。襲うのは貴族や豪商の馬車。富める者から奪うことに、なんの痛痒つうようも感じていなかった。彼らもまた、貧しく弱い者からむしり取るだけなのだから。


 ある日、根城にしていた廃村に、一組の人族の男女が現れた。

 侵入者の出現に、イリヤは即座に命令を下した。捕らえるか、殺すか。

 おそらく訪問者らは自分たちの討伐依頼を受け、根城を見つけ出したのだろう。


 急襲には場馴れした少年たちだったが、標的に向かったとたん、次々に気配が消えた。

 結果、イリヤは一人で討伐者たちに立ち向かうことになった。


 彼らは魔法を使った。自分の魔法しか見たことのなかったイリヤは、その精度の高さにまず驚いた。イリヤも召喚魔法で応戦したが、精霊の攻撃は彼らの魔法にかき消された。

 二人の討伐者の連携は精緻を極め、追い詰められたイリヤは死を覚悟した。


 ──なんだあ? こいつも子どもか。どうなってやがるんだ、一体。


 魔法の鎖でこちらを拘束した男が、困惑したようにそう言った。女が心配そうな顔で覗き込んでくる。


 ──とにかく、この子たちの話を聞きましょう。

 ──だが、こいつらを突き出さないと、報酬が出ないぞ。

 ──まあ、先生! こんな年端もいかない子たちを領主に突き出すつもりですか? この子たちは第一級の賞金首だから、全員縛り首にされてしまいますよ!


「先生」と呼んだ男を叱りつけたあとで、女はこちらと目を合わせ、にっこりと笑った。暗がりの中で目を凝らすと、少女といってもさしつかえのない若い娘だった。

 この娘なら、話が分かるかもしれない。縛り首と聞いて急激に不安になったイリヤは、娘の青い目を見上げた。


 ──突き出すなら俺だけにして、みんなを助けてくれ。


 娘の白い手がイリヤの頭を耳ごと撫でた。


 ──あなたはいい子ね。大丈夫、全員まとめて面倒見るから。


 そうやって頭を撫でられたのは、生まれて初めてだった。

 娘の言ったことに嘘偽りはなかった。彼女はイリヤたちを王都に連れていき、獣族の知人の伝手を頼って全員の落ち着き先を探してくれた。

 彼女の名はアドリーヌ・ソワイエ。「先生」と呼ばれた男はパスカル・ブランシュといった。


 アドリーヌはパスカルの弟子で、二人は王都の家でともに暮らしていた。パスカルもアドリーヌも王都の魔法士ギルドに所属しており、周囲から一目も二目も置かれる魔法士だった。


 イリヤたちの盗賊団に手を焼いた領主が、わざわざ王都の魔法士ギルドに依頼し、二人を雇ったのだ。

 領主にはなんと説明したのか、とイリヤが訊くと、アドリーヌはくすりと笑った。


 ──盗賊を追い払うことはできたけど、捕まえることはできなかった、と説明したわ。

 ──報酬は受け取れたのか?

 ──そんなこと気にしなくていいの! わたしも先生も結構稼いでいるんですからね。


 少年たちが引き取られたあと、最後に残ったイリヤを自宅でしげしげと眺めて、パスカルは言った。


 ──お前はうちに残れ。お前の魔法は我流だから、暴走したら危険だ。


 イリヤは目を見開いた。そんな風になんの思惑もなく、誰かに望まれるのは初めてだった。


 ──俺は剣も学びたい。他にも色々なことを。


 パスカルは仕方なさそうに二度頷いた。


 ──好きにしろ。剣は俺も少しかじったが……まあ、手に負えなくなったら剣の師匠は紹介してやる。言っとくが、出世払いだからな。


 パスカルは金にがめつい男だったが、少年時代のイリヤを食い物にすることもなく、しっかりと育ててくれた。

 イリヤは様々な知識や技術を吸収した。元々、学ぶことには向いていたようで、一度覚えたことはなかなか忘れなかった。アドリーヌにくっついて回り、料理や裁縫、買い物など、生活に必要なことを習った。


 自分くらいの歳の少年は、次第に母親や姉のような存在とは一緒に行動しなくなるのだと知ったのは、だいぶあとのことだ。

 アドリーヌからはいつも花のような香りがしていたが、それはパスカルに向けられた想いだった。

 イリヤはその事実を受け入れ、温かい湯船につかっているかのような日常を生きた。


 十八になったイリヤは家を出ることに決めた。傭兵になるためだ。

 パスカルもアドリーヌも、揃って反対した。傭兵は不安定な職業だし、盗賊のようなものだと。


 確かに、傭兵は戦場での略奪を行うにとどまらず、村などを襲い、無辜むこの民から略奪することでも知られていた。雇用主との契約期間を終えた傭兵たちが、手っ取り早く糊口ここうをしのぐ手段が略奪なのだ。


 五年間、イリヤはずっと考え続けてきた。自分のように道を踏み外した、あるいは踏み外そうとしている獣族が安心して暮らせる場所はないのだろうか、と。

 自分は運よくパスカルとアドリーヌに救われた。だが、そのような幸運に恵まれる者は多くはないだろう。

 リュピテール国民とは認められていない獣族は、いったん正道から外れると援助の手が差し伸べられることはない。


 リュピテールの東には、獣族の王が治めるレーヌスという国がある。

 産業の少ないレーヌスは、昔から獣族の膂力りょりょくと恩寵を活かし、国家規模の傭兵業を営んできた。


「輸出」された傭兵たちは他国のために戦い、場合によっては同じ国民同士で殺し合うこともある。

 レーヌスも決して獣族の安住の地ではない。


 ならば、自分の手でその地を作ることはできないだろうか。

 それには、傭兵になることが絶対に必要だ。正規兵になれない獣族にとっては、手っ取り早くのし上がる手段こそが傭兵になり、戦功を上げることなのだ。

 イリヤが自分の考えを口にし、それを実現するための道筋を述べると、パスカルとアドリーヌは反対するのを諦めたようだった。


 出立前、パスカルは一振りの剣を贈ってくれた。

 構えて召喚対象の名を呼ぶだけで精霊や妖精を召喚するための魔法陣を出現させられる、魔導具の機能を持った剣だ。パスカルは優れた魔導具職人でもあった。


 二人に見送られて家を出、王都を発ったイリヤは盗賊時代に根城にしていた廃村のあるパドキアラ地方に戻った。ちょうど、イリヤたちの討伐を依頼した領主が代替わりしていたのだ。


 地方では、結界を潜り抜ける比較的弱い魔物の討伐を、冒険者ギルドや魔法士ギルド、さらには傭兵団に依頼している。特に山狩りなどを行う場合は、数を頼む傭兵団の出番だった。


 領主の雇った傭兵団の募兵に応じ、イリヤは最初の戦いに参加した。

 獣族でありながら魔法を使えるイリヤは重宝され、短期間で一傭兵から小隊長、中隊長へと昇格し、ほどなく連隊長になった。


 傭兵隊長にやっかまれ始めたのをこれ幸いと、イリヤは領主に願い出、傭兵隊長として新たな傭兵団を立ち上げたいので、募兵を許して欲しい旨を上申した。

 領主の許可を得たイリヤは、傭兵隊長としてパドキアラ団を旗揚げした。二十歳の時だ。


 最初の団員は、王都で商人をしていた盗賊時代の仲間、セルゲイだった。

 商業ギルドに加入するのにも人族の保証人がいるような閉塞した環境に嫌気が差したから、という事情もあったようだが、イリヤの動向をずっと気にしてくれていたらしい。


 彼が商人時代の人脈を利用して募兵活動をしてくれたおかげで、少ないながらも実戦経験のある者たちが集まった。

 イリヤは副団長をセルゲイにしたかったのだが、彼は裏方に徹したいと言って謝絶した。


 代わりに候補となったのがヴァジームだ。彼は短気なところはあるものの、恩寵である「大盾」に裏打ちされた確かな戦闘力を持ち、指揮能力に優れていたからだ。

 魔物の討伐活動を続けていくうちに団員を増やし、活動範囲を王都まで広げていったイリヤは、ハーズとの小競り合いに頭を悩ませる国王フィリップから、ついに召し出されるに至った。


 少数ながら必ず戦果を上げる、魔法を使う獣族の傭兵隊長の率いる傭兵団。その噂が、フィリップの耳にも届いたのだ。

 フィリップとの契約を果たし、ハーズとの少戦闘で戦功を上げたイリヤは、好きなものを褒美に取らせようという国王に土地を賜りたいと願った。


 あの廃村を蘇らせ、団員たちとその家族の安住の地にしたかった。

 それに、拠点を持って自分たちで農作物を育て、収穫することができれば、団員たちの生活が安定する。

 そうなれば、略奪をする必要もなくなり、「獣族の傭兵」に対する人々の印象もよくなる。


 結果、ネリザ村の復興はうまくいき、イリヤは夢の第一歩を果たした。

 このまま功績を上げ、爵位のひとつももらえれば、単なる一村から領地へと獣族への施策を広げることができるだろう。


 しかし、大きな障害がある。オデットの語った未来だ。

 第二王位継承者ロドリグ王子が秘密裏にハーズと手を組み、自分を抹殺しようとしている。

 このリュピテールにおいて、そこまで自分の影響力が強まったのは喜ばしいことだが、殺されるのは困りものだ。


 ハーズは大国であり、壮年の国王はやり手だと聞く。おそらく、ロドリグは王位とハーズの王女との婚姻を餌に、利用されているだけなのだろう。

 オデットの語った未来はどう考えても事実だ。彼女には嘘をつく理由がない。


 イリヤは襟の中から青い石のペンダントを取り出し、じっと見つめた。


 オデットはごく限られた者しか知らない、このペンダントのことを知っていた。そして、彼女が時を巻き戻したことはまず間違いない。


 それでも、国王にロドリグの裏切りを直訴するには時期尚早すぎる。手の者や宮廷との仲介役に頼み、ロドリグの動きを調査させてはいるが、日が浅いこともあり、まだ何も分かっていないのだ。

 焦ることはない。未来は変わり始めている。オデットがネリザ村で魔法の修行に取り組んでいる現実そのものが証拠だ。

 

 それはさておき、オデットの能力に関するパスカルの意見は聞いておく必要がある。彼は王都でも屈指の魔法士だ。時魔法についても、自分より遥かに詳しいだろう。


 それに、半年もの時間を巻き戻したことに対する反作用についても気にかかる。

 パスカルへの手紙を書き終えたイリヤは、アドリーヌへの手紙を書き始めた。彼女にはオデットの教師役を頼むつもりだ。


 ただ、自分と再会した時のアドリーヌの態度を想像するだけで気が重い。

 さらに、それ・・を目にしたオデットがどういった反応を示すかを考えると、寒気に似たものを感じる。


(……恋人でもない女に、なんで気を遣っているんだ俺は)


 字を間違えそうになったので、イリヤはこめかみを指先で叩き、ため息をつく。

 夏の夜が更けていく中、眠気を覚え、イリヤは小さくあくびをした。

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