第12話 停滞する修行と突破口
イリヤの家に住むようになった翌朝。ネリザ村の近くの森にぽっかりと広がる空き地に、オデットは立っていた。
うしろには、イリヤがたたずんでいる。彼は一緒にここに来るまでの間に、香草の粉末が入っているという首から下げた小袋を、時折鼻に近づけていた。
(イリヤさんって、いい香りのものが好きなのかしら? お花も好きみたいだし)
「オデット、まずはお前の実力を測りたい。光属性と水属性はもう見せてもらったんだったな。そうだな……得手不得手も見たいから、まずは火属性の魔法を使ってみろ」
イリヤに言われ、オデットは両掌の間に炎が生み出される光景を思い浮かべて、意識を集中させる。
「火の神フォーテガよ、御身のお力により、炎を現したまえ」
次の瞬間、大きな炎が現れた。
ただし、オデットの周りを囲むような火柱となって。
火柱は高く伸びて炎を噴き上げる。以前、イリヤがヴァジームとの戦闘で使ったサラマンドルの炎よりも凶暴な炎。
「わわわ……!」
このままでは、森が火事になってしまう。オデットは慌てて水属性の魔法を使おうとした。
「待て! 魔法は使うな!」
炎の壁で見えないが、イリヤの声がした。その方向からオデットの上空に水の衣をまとった美しい乙女が飛んできた。水の精霊オンディーヌだ。
オンディーヌが片手で炎を薙ぐと、水飛沫が上がる。炎の壁の高さを上回る、波のような水の壁が押し寄せる。水の壁は炎の壁を圧迫していき、ついには消滅させた。
焼け焦げた草地から煙が立ち上っていく。ふう、と安堵の息をついたイリヤが剣を横に掲げ、魔法陣を出す。オンディーヌはにっこり笑うと、その中に消えた。
安心したオデットは、その場にへたり込んだ。
「ありがとうございます……イリヤさん。ご、ごめんなさい」
「謝るな。……立てるか?」
「は、はい。大丈夫です」
オデットが立ち上がると、近づいてきたイリヤが顎の下に拳の人差し指を当てて、考え込む。
「これでは、他の魔法を使うにしても、かなり危険が伴うな……だが、もう一種類だけ見てみるか。風属性の魔法を使ってみろ」
「でも……」
「また魔法が暴走しても、俺がなんとかする」
「はい……」
心強いイリヤの返答を聞き、オデットは恐る恐る両掌を向かい合わせようとしたが、この方法はやめることにした。さっきは意識の集中のさせかたが悪かったのかもしれない。
オデットは両手を突き出し、一陣の風が吹き抜ける様を想像しながら詠唱する。
「風の神アネモスよ、御身のお力により、風を吹かせたまえ」
強い風が音を立てて吹いた。
成功したか、と思ったが、風は勢いを増していき、暴風と化した。オデット自身も風に煽られ、立っているのがやっとだ。
前方に生えた太い木がメリメリと音を立て始める。
(木が折れちゃう……!)
オデットは集中を解く。だが、風は止まらずに、木を薙ぎ倒そうとする。
オデットは振り返り、イリヤに助けを求める。
「イリヤさん! 木が……!」
イリヤが抜き身の剣を縦に構える。何事か呟くと魔法陣が出現し、中から白髭を蓄えた老人の姿をした小人が飛び出る。土の精霊グノームだ。
グノームが手にした杖を振るうと、オデットの前面を覆うように、地中から岩盤のような壁が現れた。同時に、壁に当たって弾かれ、砕けるように四散していく風が身体に触れる。やがて、風がやんだ。
イリヤがグノームを魔法陣に戻すと、壁はボロボロと崩れ、土に戻った。
「真空波が発生しなかっただけ、さっきよりはマシだな」
投げかけられたイリヤの言葉にもかかわらず、オデットは気落ちした。
「そうでしょうか……」
「ああ。しかし、お前、木の心配をしてどうする。倒れたら建材か薪に使えばいいだけだ」
「でも……そういう風には割り切れません。植物も命なのですから」
オデットが本音を言うと、イリヤは両目を閉じて、ため息をつく。
「色々なものに情けをかけすぎるのも、ほどほどにな」
どういうことだろう。聖女として、慈悲の心を持つのは大切なことだ。オデットは首を捻る。
「どういう……ことですか?」
「魔法を自由に使えるようになれば、お前は間違いなくハーズとの戦に駆り出される。そうなれば、相手は人だ」
オデットは冷水を浴びせられたような心地がした。運命を変え、イリヤを守るためには、人を傷つけ、時には殺めなければならないこともあるのだ。
(でも、それでも……)
雪の上で血まみれになって倒れていたイリヤの姿が、目に蘇る。
もう、後悔はしたくない。
たとえ身勝手だとそしられようと、どんな犠牲を払おうと、自分はこの人を守り抜くと決めたのだ。オデットはイリヤを見上げ、目を合わせた。
「わたしは大丈夫です」
イリヤは少したじろいだような顔をして、匂い袋を鼻に近づけた。
「……それならいい。それはともかくとして、だ」
イリヤの目が厳しいものに変わる。
「魔法というのは精神的な技能だ。精神をもっと安定させろ。今のお前はやる気だけはあっても、軸が定まっていない。そんな状態では魔力は暴走し続けるだろう。今から実技はやめて、精神を安定させるための訓練に移る」
まさか実技の修行の中止を言い渡されてしまうとは。正直落ち込みそうになるくらい動揺している。本当に半年後までに魔法を使いこなせるようになるのか、と頭を抱えたくなる。でも、オデットは気を取り直して質問した。
「どんなことをするのですか?」
「基礎訓練だ。お前もやったことがあるだろう。瞑想や、それに伴う呼吸法、あとは心象訓練だな」
「それができるようになれば、わたしもイリヤさんのように……?」
召喚魔法を使ったことがないので実感としては分からないが、精霊に言うことを聞かせるというのは、並大抵の魔法使いではできないような気がする。相当な修練が必要なのだろう。
イリヤは「ああ、そうか」と思い出したように言う。
「お前には、まだ話していなかったな。俺の恩寵は『服従』。召喚した精霊や妖精をすぐに手懐けることができる能力だ」
(な、なんという掟破りの組み合わせ……!)
イリヤは人族と獣族の混血だから、魔力だけでなく恩寵も持っているのだ。才能の暴力にもほどがある。それに比べて自分は魔力だけはあっても、全く使いこなせていない。
しばし自失したあとで、オデットは蚊の鳴くような声で呟いた。
「……そうですか。イリヤさんは魔法で苦労したことがなさそうですね。ふっ、ふふ……」
乾いた笑いまで漏れてしまった。
イリヤが銀色の眉をつり上げる。
「勘違いするな。俺だって魔力をより安定させるために基礎訓練は受けた。属性魔法を使うためにも必要だったし、俺自身の精神が暴走すると、召喚した奴らは暴れ狂って手に負えなくなるからな」
イリヤの言うことを聞いて、今まで自分を助けてくれた精霊たちが荒れ狂う光景。それは自然そのものの猛威だ。想像するだけで心が寒くなる。
「……召喚魔法も大変なのですね」
「そうだ。お前はまず、属性魔法を使いこなせるようになることを考えろ。家に帰って基礎訓練を始めるぞ」
この日から、イリヤによるオデットの基礎訓練が始まった。
椅子に腰かけ、魔力を高めて循環させる呼吸法を行いながら瞑想をする。それに加えて、精度の高い魔法を使えるようになるための心象訓練にも取り組む。
イリヤが属性魔法を使う姿を注意深く観察したり、魔法を使っている自分の姿を思い描いたり、見事魔法を成功させた情景を思い描いたり──こちらは、座学の要素が強い。
魔法に見切りをつけられる前に神殿で受けていた訓練なので、思い出してしまえば、それほど難しいことでもない。
そして、一週間がたった。
オデットは絶望していた。
瞑想は全く集中できないし、呼吸は乱れるし、心象は組み上げようとすれば崩れる。
理由は分かっていた。
イリヤだ。
といっても、彼の教え方が下手なわけではない。精神論に頼らず、理路整然としていて、優秀な師匠だと思う。
原因は別にある。
こちらが年頃の異性だからか、イリヤはめったにオデットに触れてこない。
だが、瞑想中にオデットの背筋が曲がっている時や、属性ごとに違う、瞑想に必要な印の結び方などを説明する時にうまく伝わらない場合は、どうしても身体に触れる必要がある。
そうなると、もうダメだった。イリヤのことで頭がいっぱいになって、瞑想や座学どころではなくなってしまう。
家に二人きりでイリヤの授業を受けるという、彼を強く意識せざるをえない状況であることも、心がかき乱される原因だろう。
不思議なことに、イリヤ絡みのことでオデットの集中が大きく乱れると、彼も連動するようにげんなりしていた。
とにかく、精神を安定させるための基礎訓練の環境としては、最悪に近い。……イリヤとお近づきになれるという意味では最高の環境だけれど。
これでは、半年後──いや、五か月半後の来たるべき日までには確実に間に合わない。
危機感を募らせたオデットは、ある決意をして朝食に臨んだ。神殿では昼食と夕食の二食しか摂らない決まりだったが、畑仕事をするネリザ村では一日三食なのだ。
今日はオデットが食事の用意をした。堅焼きパンとキャベツのスープに
「イリヤさん、お話があります」
スープを一口飲んだあとでオデットが切り出すと、イリヤは軽く目を見張った。
「なんだ、お前もか」
「え、イリヤさんもですか?」
「お前から話せ」
イリヤの話の内容も気になったが、話す順番を譲ってもらったので、ひとまず自分の言いたいことを伝える。
「実は、ですね。決してイリヤさんの教え方が悪いというわけではないのですが、できれば別の教師の方を紹介して欲しいのです」
イリヤは固まっている。もしかしなくても、不快な思いをさせてしまったのだろうか。
オデットがどう言い直そうか迷っていると、おもむろに乾酪をかじったイリヤがため息をつくように言った。
「実は、俺も全く同じことを考えていた。人族に魔法士の知り合いがいるから、そいつに教えてもらうのはどうだ? 王都の魔法士ギルドに所属していて、腕は確かだし、教え方もうまい」
イリヤも、一向に進展しないオデットの修行に思うところがあったようだ。少し複雑な気分だが、渡りに船である。
「ぜ、是非、そうしてもらえると助かります!」
「そうか。そいつは王都に住んでいるから、すぐに手紙を書こう」
頷いた直後に、イリヤは思い出したように付け加える。
「そいつは女なんだが、お前と同性だし、構わないな?」
今度はオデットが固まる番だった。
(女の人……)
今までイリヤに女性の影がなかったから考えたこともなかったが、その人が彼の元恋人だという可能性もある。
だって、こんなにもすてきなイリヤに、恋人がいたことがないというほうがおかしい。
いや、元恋人なら問題はないのか。でも、焼けぼっくいに火がつく、ということもあるだろうし。
「……オデット?」
イリヤが、なぜか怯んだようにこちらを見ている。
オデットは我に返った。そもそも、自分はイリヤの恋人ですらないのに何を考えているのだろう。それに、せっかくイリヤが自分のために便宜を図ってくれるのだ。
「構いません。イリヤさんが紹介してくださるのですから」
オデットはぎこちなくほほえんでみせた。
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