第8話 国王との謁見と魔力腺

 イオンツ宮の謁見の間は、足を踏み入れた者に荘厳な印象を与える。

 室内の両側には白い柱と大きな窓が並び、自然光が差し込むようになっていた。

 今は昼間だから火は灯っていないが、大きなシャンデリアがいくつも天井からつり下がっている。


 入り口から伸びる緋色の長い絨毯の先には七段の低いきざはしがある。その最上段には、赤と金の天蓋に守られるようにして、黄金と金緑石で飾られた玉座に座る国王フィリップ二世の姿があった。


 オデットが以前ここに招き入れられた時と現在で大きく違うのは、隣にイリヤの姿があることだ。


 団員たちは隣の控えの間で待機している。謁見の間では武器の携帯は認められていないので、イリヤは帯剣していない。

 ロドリグが当然のように階の前まで歩いていく。


「父上、こたびの謁見、わたしも拝見するご許可を賜りますよう」


 六十代のフィリップは髪も髭も白いが、瞳には生気がみなぎり、若々しい。国王は息子の申し出に対し、鷹揚おうように頷いた。


「ふむ。まあ、よかろう」


 ロドリグは階を上り、玉座の隣に立った。

 彼に少し遅れて、イリヤとオデットは階の前まで歩を進めるとひざまずく。頭を垂れると、フィリップの低い声が降ってきた。


「さて、聖女と傭兵隊長とは、珍しい組み合わせだのう。何があった? 面を上げて申してみよ」


 顔を上げたオデットは横目でイリヤを見た。彼はオデットに軽く頷いてみせると、口を開く。


「は。実は──」

「父上、この男の部下は、あろうことかわたしの婚約者になる女性をかどわかそうとした上に、身代金を要求しようとしたのです。そればかりか彼女を脅して言うことを聞かせ、自分に有利な証言をさせようとしております。なにとぞ、だまされませぬよう」


 ロドリグがまくしたてる。オデットは苦々しい気持ちでいっぱいだった。この王子の口を塞いでしまいたい。

 フィリップは白い眉を上げた。


「まことか? イリヤ」

「恐れながら申し上げます。我がパドキアラ団の副団長が聖女猊下げいかを拉致しようとした上、エウリサード神殿に身代金を要求しようとしたことは、残念ながら事実でございます。団長として慙愧ざんきの念に耐えませぬ。しかし、わたしが聖女猊下を脅しているという殿下のご指摘は、まったくの事実無根でございます」

「なっ──」


 ロドリグが口を挟む前に、フィリップがオデットに視線を向ける。


「さようか? 聖女オデットよ」

「はい。イリヤ団長のおっしゃる通りでございます。わたくしは自分の意志でイリヤ団長に同行いたしました」


 オデットの返答を聞いたフィリップの目が、おもしろがっているような光を帯びる。


「それはなぜだ?」

「それは──」


 オデットは口ごもった。国王陛下に何を申し上げようか、謁見の間に入る前に繰り返し考えてきたつもりだったが、いざとなると言葉が出てこない。

 時間が巻き戻ったことは他の者には告げずにおくように、とイリヤからも言い含められている。


「聖女猊下の隠された才能を、わたしめが見抜くことができたからでございます」


 助け船を出してくれたのはイリヤだった。

 フィリップが興味深そうな顔をする。ロドリグは不審そうな顔だ。失礼な。


「才能とは?」


 フィリップに尋ねられ、イリヤは「は」と答える。


「聖女猊下は魔力総量は多いものの、魔法の才能はない、と聞き及んでおりました。ですが、このお方にはとてつもない魔法の才能があられます。そこで、陛下にお願いがございます」

「申してみよ」


「つきましては、わたしが聖女猊下に魔法をお教えしたいのです。どうか、その期間だけ、我がパドキアラ団の本拠地、ネリザ村に猊下をお迎えするご許可をいただけますよう」


 抗議の声を上げようとするロドリグを、フィリップは手で制した。


「ふうむ。だが、それでは、一週間後に予定されておるロドリグと聖女の婚約式はどうする? 王族と婚約した聖女は、婚家でしきたりを学ぶのが慣例でな。短期間にしろ、今からネリザ村に聖女を置けば、慣例を破ることになる」


 ロドリグの表情が勝利を確信したものに変わる。

 しかし、イリヤは一切、表情を変えなかった。


「婚約自体を白紙にお戻しになることが、最善の策かと存じます」


 フィリップとロドリグが、異口同音に声を発する。


「何……?」

「理由はふたつございます。第一に、猊下ほどの才能と魔力を持っておいでになる聖女は、僭越せんえつながら第二王位継承者のご婚約者としてはふさわしくございません。今からでも、王太子殿下とのご婚約をご協議なさるべきでございます」


 想い人であるイリヤ本人の口から出たこの提案に、オデットとしては少し残念な気持ちになる。

 ネリザ村にとどまるための時間稼ぎとしては、うまい方法なのかもしれないが。


「き、貴様、言うに事欠いて──」


 怒りで顔を真っ赤にするロドリグを、フィリップが再び手で制す。


「して、イリヤ。もうひとつの理由とは?」

「聖女猊下が、来たるべきハーズとの戦において、重要な役割をお果たしになるからでございます。猊下を単なるお妃として王室にお迎えになるのは、重大な国家の損失。しかし、わたしならば、聖女猊下を戦場の第一線でご活躍できる魔法使いにお育て申し上げることができます」


 オデットは内心で慌てた。イリヤを助けられればそれでよかったのに、なんだか話が大きくなっている気がする。

 ハーズの名を出され、フィリップが真顔になる。北東に国境を接するハーズ王国はリュピテールとは積年の敵国同士だ。

 さらに、この頃、リュピテールとハーズの間では国土を巡る小競り合いが一層激しさを増しており、戦が始まるのではないか、という噂が流れていた。


「……それほどの魔力なのか?」

「陛下ならば、ご意識をご集中なさればご覧になれるはずでございます。今の猊下の表出魔力を」


 国を守る結界を維持するために聖女との婚姻を繰り返してきた王族は、基本的に魔力が強く、他者の魔力を見る目にも優れているといわれる。 

 フィリップがこちらに目を凝らす。ロドリグも同様だ。

 なんだか、少しきまり悪い。

 しばらくして、フィリップは目を見開いた。


「こ、これは……なぜ、突然、これほどの魔力が──」


 ロドリグも唖然としている。

 自分ではまったく分からないが、人からはどう見えているのだろう。かなり気になる。


「おそらくは、魔力腺が開放されたものと思われます」


 イリヤの答えに、フィリップがはっとする。


「そうか──オデット、そなた、生まれつき魔力腺が閉じている体質だったのか!」


 魔力腺とは、人族なら誰にでもあるとされている、内に秘めた魔力を体外に表出させるための通り道のようなものだ。

 それが閉じていたということは──もしかして、魔力総量が多いのに表出魔力が微弱で、ほとんど魔法を使えなかった原因はそこにあったのだろうか。


 確かに、生まれつき魔力腺が閉じていたために、魔力をうまく操れず、才能が見出されることが遅れた大魔法士の逸話を聞いたことがある。

 その大魔法士は大病がきっかけで魔力腺が開いたのだとか。


 生まれつき魔力腺が閉じている人族は、一種の特異体質なのだ。

 一見して、本当に魔力が乏しく魔法を使えない者や、魔力総量は人並みなのに表出魔力を身体に循環させることが不得手な者との区別がつきにくい。


 生まれつき閉じた魔力腺を人為的に開くのは、現代の魔法学では困難を極め、自分は魔法を使えないと思い込んだまま一生を終える者もいるらしい。そう、以前のオデットのように。

 そのことに感づいた神官もいたのかもしれないが、上申したところでどうしようもない話だ。


 さらに、大神殿に設置されている、結界への魔力供給のための魔導具。

 あれは表出魔力を吸い上げる術式(魔法の効果を魔導具に再現させるための方式)ではなく、対象の身体に蓄えられた魔力を転移させて取り込む術式が組み込まれていると聞く。

 聖女になる前に、オデットがあの魔導具に触れた時はなんの問題もなかったから、事実なのだろう。


 魔力総量の測定方法も少量の血液を使うため、魔力腺の状態は調べられない。

 結果として、魔力線が閉じていることに気づかれなかったオデットは、ろくに魔法が使えないまま放置されることになったのだ。


(でも、どうして、急に魔力腺が開いたというの……?)


 オデットは健康そのもので、大した病気をしたことがない。

 同じことをフィリップも思ったらしい。


「魔力腺が開いた原因は?」

「申し訳なきことながら、それは分かりませぬ」


 イリヤは嘘をついている。オデットはそう直感した。

 魔力腺が開いた原因について考えてみる。オデットには思い当たる節があった。


(もしかして──)


 自分の考えに没入するオデットを、フィリップの声が現実に引き戻した。


「……イリヤ、そなたの言わんとしていることは分かった。予も神殿も、とてつもない過ちを犯してしまうところだった。ロドリグとオデットの婚約は保留とし、そなたの願いを受け入れるか否かについては、近いうちに沙汰を出そう」


 イリヤは恭しく頭を垂れた。


「は、陛下のご厚情、恐悦至極に存じます」

「父上! このような者の甘言に惑わされますな! わたしはオデットと結婚いたします!」


 何を思ったのか、そう喚き立てるロドリグに、フィリップはたしなめるような視線を向ける。


「ロドリグ、オデットの重要性、そなたにも分からなくはないであろう。これ以上は口出し無用だ」


 ロドリグは悔しそうに引き下がり、イリヤのことを睨み据えた。当のイリヤは涼しい顔だったが。

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