第7話 王宮への到着とロドリグとの再会

 村の奥にあるイリヤの家にお邪魔したオデットは、昼食をご馳走になった。

 玄関広間と居間しか見ていないが、室内は余計なものが少なく、片づいている。

 居間の右側には食事を摂るための食卓と四脚の椅子が置かれ、左側には低い卓子と長椅子、座り心地のよさそうな一人がけの椅子が置かれていた。


 食事用の食卓を挟んで、オデットはイリヤと向かい合って座っている。

 料理はイリヤが作ったものではなく、団員たちからお裾分けしてもらったものらしい。


 パン、エンドウ豆のスープ、狩りで仕留めたという鹿肉の炙り焼きロティ牛酪ブールで炒めた野菜の付け合わせ、キイチゴフランボワーズのタルト。

 何軒も回ってきたようで、二人分でも結構な分量がある。

 千切ったパンをスープに浸しながら、イリヤが口を開く。


「お疲れのこととは存じますが、昼食を終えたら馬で王都に発ちましょう」


 オデットは首をかしげた。


「急ぐ必要があるのですか?」

「ございます。あなたさまの眠っていた魔力が強大だと分かった以上、早急に手は打ったほうがいい。それに、猊下げいかの付き人が王宮の者に、団のことを好意的に説明するとも思えませぬ」


 確かに、ポーラはヴァジームと言い合っていたし、オデットのことを心配するあまり、パドキアラ団のことを恐ろしげに言い立てる可能性もある。オデットは頷いた。


「……そうですね」

「今から出発すれば、馬車よりも速く王都に到着できます」


 イリヤの正しさを認めつつ、オデットにはうまく呑み込めていないことがある。


「あの……」

「なんでございましょう?」

「わたしの魔力は、そんなに強大なのですか? 以前とは比べ物にならないことは分かるのですけれど、まだ実感が湧かなくて……」


 一瞬、イリヤの動きが止まった。すぐに元の冷静な表情に戻った彼は、木製の酒器をずいっとオデットの前に押し出す。


「たとえば、この器に入る酒の量が、普通の人間の魔力総量だとしましょう」

「はい」

「そして、これに入る量があなたさまの魔力総量だと思えばよろしい」


 イリヤが次に押し出したのは、酒器の三倍はありそうな酒壺だった。


「これだけの魔力が、なんらかの理由で表出するようになったのです。普通の人間であれば、常に魔力を放出していなければ、生きていくのさえ困難な量の魔力が」


 それでは、今まで自分の魔力総量を測定していた魔力計は、正しい数値を示していなかったのか。

 常に最高値だったから、これ以上の魔力総量なわけがないだろう、とオデットも神殿の者たちも思い込んでいたのだ。 

 オデットが言葉を失っていると、イリヤが語を継いだ。


「ですが、あなたさまはごく自然にお身体に魔力を循環させておいでになる。おそらくは、生まれ持っての資質でしょう。鍛えれば、必ず歴代のどんな聖女よりも優れた魔法使いになることができます」


 途方もない話に、オデットは呟くように返事をするのが精一杯だった。


「できるのでしょうか……わたしに」

「必ずできます。できるようになっていただかなくては困る」


 イリヤの目は真剣そのものだ。


(イリヤさまを信じたい……)


 そうだ。彼を守るためならなんだってする、と心に決めたばかりなのだ。自分にその力があるのなら、活かさない手はない。

 身内に規格外の魔力が宿っているばかりか、それが表に出てきてしまったという事実は、まだ少し怖いけれど。

 オデットは声に力を込めた。


「イリヤさま、わたし、頑張りますね」


 イリヤはちょっと目を丸くしたが、すぐにそっぽを向いて右手に匙を持った。


「……やる気になってくださったのなら結構。あなたさまが強くおなりになれば、その分、協力者であるわたしの生存確率が上がりますから。……さっさと召し上がってください」

「はい」


 もしかして、照れているのだろうか。イリヤの新しい一面だ。

 オデットはほほえむと、匙ですくったスープを口に運んだ。エンドウ豆のスープは、幼い頃、実家で食べていたような懐かしい味がした。


   ◇


 昼食のあと、準備を手早くすませたイリヤ以下七名のパドキアラ団員たちとともに、オデットはネリザ村を発った。

 今回は馬を貸してもらったので一人乗りだ。……決して残念に思ってはいない。


 一行は休憩を挟みながら街道を走り、三日後には王都メチスに到着した。

 予定通りの行程で、これならポーラたちよりも早く王宮に入れるはずだ、とオデットは胸を撫で下ろす。


 イリヤに連れられて王宮に入ったオデットは、彼とともに国王との謁見を官吏に申請した。

 二人で応接室の長椅子に腰かけ、返答を待つ。六人の団員たちはイリヤを守るように室内に控えている。


 予期せぬ事件は前触れもなく起きた。断りもなく部屋の扉が開け放たれたのだ。

 何事かと思い、イリヤの向かいに座るオデットは扉のほうを見る。

 そこには、ロドリグが立っていた。表情こそ、何かに急いているようだったが、肩まで伸ばした金髪と青い瞳、整った顔立ちは、オデットの未来の記憶とまるで変わっていない。


 そう、イリヤを殺し、自分を殺そうとしたその時と。


 オデットは顔を強張らせ、身をすくめた。

 ロドリグはその様子に気づかなかったのか、オデットが座る長椅子の傍まで歩いてくる。


「よかった……! オデット、無事だったんだね。さらわれそうになったと聞いて、心配していたんだ」


 婚約式を控えた若者らしい、こちらを気遣う台詞。しかし、それが演技であることをオデットは知っている。

 何か返事をしなければ。そう思ったが、恐怖で言葉が出てこない。


 そもそも、オデットたちはポーラの乗った馬車よりも早く、このイオンツ宮に到着したはずなのに、なぜ、ヴァジームによる拉致未遂事件のことをロドリグが知っているのだろう。


「……ロドリグ殿下、失礼ですが、聖女猊下は長旅で疲れておいでになります。わたしでよろしければ、代わりにお答えいたしますが」


 イリヤの静かな声が耳に心地よい。彼は恐怖に縮こまる自分を案じて、ああ言ってくれたのだ。

 潮が引くようにオデットの心身は落ち着いていく。イリヤのほうを見ても、彼は目を合わせてはくれなかったが。

 ロドリグは剣呑な目をイリヤに向ける。


「オデットをさらおうとしたのは、パドキアラ団の副団長の一味だそうだな。そなたの監督不行き届きではないか。よくこの場に顔を出せたな」


 団員たちが殺気立った視線をロドリグに向ける。

 対照的に、イリヤは冷たくロドリグを見返した。


「その件に関しましては、申し開きのしようもございませぬ。ですが、聖女猊下にはお赦しをいただいております」

「脅して赦免させたのではないか? 彼女は先ほどから怯えているようだが」


 ロドリグはオデットを心配しているように見せかけて、イリヤに難癖をつけたいだけのようだ。

 それはそうだろう。彼のことが殺したいほど邪魔なのだから。

 でも、自分はイリヤを守ると決めたのだ。オデットは震えそうになる声を、なんとか制御した。


「そ、そんなことはございません! わたしは自分の意志で、イリヤさまについて参りました」


 ロドリグは不意を突かれたような顔をした。


「オデット……」

「それにしても、殿下はお耳がお早い。てっきり、エウリサード神殿の方々はもう少し遅れてご到着なさるかと思っておりましたが」


 話題を変えたイリヤの疑問に、ロドリグは勝ち誇ったように応じる。


「護衛の一人が貸し馬車屋で馬を替え、早駆けしてイオンツ宮に参り、わたしに知らせてくれたのだ。おかげで、パドキアラ団の悪事を知ることができた。国王陛下にも、このことをご報告申し上げるからな」


 父王の権威に頼るなんて。改めて観察すると、ロドリグは呆れるくらい器が小さい。

 オデットと同じことを感じたのか、イリヤはふっと皮肉げな笑みを浮かべる。そのような表情でも、彼の美しさにはまったく傷がつかない。


「それは奇遇でございますね。ちょうど我々も、陛下に申し上げたき儀がございますゆえ、こちらに参りました」

「我々、だと……? どういうことだ」


 ロドリグの視線がオデットに向けられる。

 あなたとは婚約できない。

 今ここで宣言してしまうと、余計に面倒なことになりそうだが、イリヤに協力するのだという意志だけは伝えなければ。

 オデットは勇気を振り絞り、ロドリグと目を合わせた。

 口を開きかけた瞬間、扉を叩く音が響く。


「聖女猊下、イリヤ殿、失礼いたします」


 断りとともに入室してきたのは、侍従らしき男性だった。侍従はロドリグに気づくと、礼を執ったあとで、イリヤとオデットに向き直る。


「お待たせいたしました。国王陛下が今からお会いになるそうです」

「かたじけない。ご案内をお願いいたします」


 礼儀正しく振る舞うイリヤとともに、オデットも立ち上がった。

 ロドリグが険しい顔で侍従に言い放つ。


「わたしも同席させてもらう」


 イリヤが小うるさそうにロドリグを横目で見る。オデットも全く同じ気持ちだった。

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