第6話 魔力の片鱗とネリザ村
ネリザ村への道行きは心臓に悪いものとなった。イリヤと馬に相乗りすることになってしまったのだ。
芦毛の馬に跨ったイリヤに「うしろにお乗りください」と言われた時は、思わず呆然としてしまった。
イリヤが目で催促してきたので、ようやくオデットは我に返り、おずおずと彼のうしろに座る。
走行中は、できるだけ身体が触れ合わないように気を張っていたのだが、馬の速度が上がっていくにつれ、それもかなわなくなった。
「振り落とされます。お掴まりください」
イリヤの許可が出たので、オデットは恐る恐る彼の背中に両手を当てた。その直後、馬上が大きく揺れたので、反射的にイリヤの背中にしがみつく。
(だ、抱きついたわけじゃないし……)
自分に言い訳しながらも、オデットはイリヤの広い背中と衣越しに伝わる体温に、不覚にもときめいてしまった。
イリヤの長い銀髪が風に乗ってなびき、顔をくすぐる。
それが少しも嫌ではなく、オデットはぼんやりと思う。
自分は、やはり、この人が好きなのだ。
彼に死んで欲しくない。
前の時間軸の印象とは、だいぶかけ離れた性格をしているようだけれど。
そのうちに辺りが暗くなり始めたので、途中、宿場町で休憩を取る。もちろん、宿の部屋は別々だ。
宿屋近くの酒場で摂った食事の時に、イリヤはネリザ村の説明をしてくれた。
彼はおしゃべりではなかったが、無口な性分でもないらしく、質問すれば様々なことを教えてくれる。
ネリザ村はパドキアラ団の団員たちが農業などに従事しながら暮らしている村で、団員たちの家族も住んでいることから、かなりの大所帯らしい。
元々は、戦乱で荒れ果てた廃村を報奨としてイリヤが賜り、復興させたそうだ。
酒場での食事は初めてだったが、宿場町だけあって客も多く、なんとなく実家で家族とともに食卓を囲んでいたことを思い出す。
あの頃の食事は賑やかだった。ちくりと胸を刺す記憶から逃れるために、オデットは新たな質問をする。
「イリヤさまは、獣族のなんという種族でいらっしゃるのですか?」
獣族とは、狼族や獅子族のような様々な種族の集合体だ。
イリヤの耳は狐を思わせるし、尻尾は狼に似ている。一体なんの種族なのか、前の時間軸でも気になっていたのだ。
「
魔法を使えるから、イリヤには人族の血が流れているのだろうという予測はしていたが、狐狼族という名は聞き慣れない。
「狐狼族?」
「一般に、狐のような奸智と狼のような猛々しさを持つ種族といわれております。狼族のように集団を作って生活していて、生態も狐族よりも狼族に近いですね」
「はあ……」
よくいえば、賢くて勇猛な種族といったところか。イリヤにぴったりだ。
甘辛いソースのかかった鶏の
「そういえば、イリヤさまが村でご確認なさりたいこととはなんでしょう?」
イリヤは麦酒を一口飲んだ。
「あなたさまがどの程度、魔法をお使いになれるのかを確かめたいのです」
魔法、と聞いて、オデットは身体を強張らせる。
「ですが、わたしは……」
「別に、気に負われる必要はございませぬ。今のあなたさまの状態を拝見したいだけですから」
オデットは小首をかしげる。
「今の……わたしの状態?」
「はい」
イリヤは首肯しただけで、それ以上は説明してくれなかった。
◇
翌朝、夜が白む頃にオデットはイリヤに連れられ、宿を出た。
街道でひたすら馬を走らせると、陽が中天に昇る前に大きな村が見えてきた。
村の周りを囲む柵の間に立てられた簡素な門を、イリヤは馬に乗ったまま潜る。
イリヤに気づいた村人たちが集まってきた。もちろん、彼らはみな獣族だ。
ヴァジームのように獣の頭と尻尾を持ち、毛皮に覆われた者から、イリヤと同様に人族が獣の耳と尻尾を生やしたような外見の者まで様々だ。
「団長、お帰りなさい」
「団長、ヴァジームの様子を見てくるって言ってましたけど、一緒じゃないんですか?」
「団長、その女の人は?」
矢継ぎ早に質問を浴びたイリヤは、よく通る声で静かに答えた。
「あとで説明する。俺たちも疲れていてな。いったん家に戻るから、道を開けてくれないか」
「はーい」と村人たちはイリヤから離れた。どうやらヴァジームと違って、みなイリヤに従順らしい。
イリヤは家を目指して村の中に馬を進めていく。
人々が道を行き交い、ある者は畑を耕し、ある者は軒先で鶏に餌をやっている。鞍上から見るネリザ村は、とてものどかだった。
「だんちょー!」
犬に似た折れた耳と尻尾を持つ、五、六歳くらいの男の子が、イリヤの乗馬に向けて走ってきた。イリヤが手綱を引き、馬を止める。
「ミハイル、馬に不用意に近づくな。危ないぞ」
ミハイルと呼ばれた男の子は、イリヤに声をかけてもらったことが嬉しかったのだろう。さっきよりも速く走ってくる。
イリヤが仕方なさそうな顔で馬から降りようとした時、ミハイルはすてんと転んだ。
とっさにオデットは馬を降りて、彼に駆け寄る。
「大丈夫!?」
ミハイルはのろのろと自力で起き上がったものの、顔をしかめて右膝を見る。擦りむいた膝には血がついていた。
べそをかきはじめたミハイルの傍らにしゃがみ、オデットは傷口を診た。出血だけでなく皮が一枚むけており、見るからに痛々しい。
オデットの胸は傷んだ。血を見ると、イリヤの惨い傷口を思い出してしまう。痛みだけでも和らげてあげたい。
「少しじっとしていてね」
言うことを聞いてぴたりと動きを止めたミハイルの傷口に、オデットは手をかざした。
「光の神ミルラよ、御身のお力により、この者の傷を癒やしたまえ」
手が発光し、集まった光が傷口に吸い込まれていく。光属性の癒やしの魔法だ。ただ、オデットの表出魔力では痛みを緩和させることしかできない。
だが、傷口を覆うように収束した光は、じょじょに広がっていき、オデットとミハイルの周囲を包み込んだ。
(え……? 何、これ……)
びっくりしたオデットは、傷口に魔力を送り込むのをやめた。すると、光が四散する。
あとには、傷が綺麗に消え去った膝を驚いたように凝視するミハイルが残された。
「すごい、きずが治っちゃった……! おねえちゃん、だんちょうと同じことができるんだね!」
泣くのをやめて笑顔を向けてくるミハイルを前に、オデットは呆気に取られてしまった。
自分の力では傷は治せないはずなのに、どうして……。
「また転ぶんじゃないぞ、ミハイル」
気づくとイリヤが隣にいて、ミハイルの頭をぽんぽんと撫でていた。初めて目にする彼の優しい笑みは、身も心もとろけさせるほどの威力がある。
「こいつの怪我を治してくださり、ありがとう存じます」
「い、いえ……あの、でも、おかしいのです! わたしに、こんな強い魔法は使えないはずで……!」
相談相手を見つけて、オデットは思わず口走る。イリヤは首を捻った。
「聖女
「魔力総量だけは多いのですけれど、表出魔力ではあれくらいの怪我でも治せませんし、痛みを和らげるくらいしかできませんでした」
オデットの答えに、イリヤが真顔になる。
「猊下、今ここで他の魔法を使ってみてください」
確かに、他の魔法を使ったらどうなるのだろう。
自分でも興味を惹かれたオデットは、イリヤに頷いてみせた。
しかし、使うとしたら、どの魔法がよいだろうか。
(水属性か風属性の魔法はどうかしら)
六属性の魔法には、それぞれ相性があり、治癒魔法を司る光属性は闇属性や水属性、風属性と相性が悪い。
ならば、水属性や風属性の魔法を使い、どの程度の効果を発揮するかを試してみるのがよいかもしれない。
風属性だと、もし失敗して微風しか起こせなかった場合、効果が確認しづらいから、水分を凍らせる水属性はどうだろう。
あれなら、自分の表出魔力でも霜を降らすことくらいはできるはずだ。
今は夏だから、先ほどの魔法のように効果が強く出て、霜が大量に発生してしまったとしても、すぐに解けてしまうだろう。
オデットは立ち上がり、深呼吸をした。
「……水の神ターネロよ、御身のお力により、冷気を降らせたまえ」
オデットは地面に目を凝らしたが、何も変化はない。ところどころ雑草の生えた土地が広がっているだけだ。
(し、失敗した……?)
神殿では日常茶飯事だったとはいえ、先ほどの成功から、もしかして、と思っていただけに気分が落ち込んでしまう。
それに、イリヤの前だとなんだか気まずい。
「だんちょう、おねえちゃん、見て!」
ミハイルが大声を上げた。彼が指差した方向を見ると、小さな白いものが降ってくる。灰のように見えたそれは、雪だった。掌で受けると解けていく。
オデットは空を見上げた。いつの間にか上空は分厚い雪雲で覆い尽くされ、無数の雪がふわりふわりと舞い落ちてくる。
不思議なことに、雪雲はネリザ村の上空だけに発生していて、遠くの空は今までと同じように真っ青だった。
(こんな魔法……初めて見た)
しかも、自分がその魔法を使った張本人なのだ。いまいち実感がなかったが。
「聖女猊下、あなたさまのお力はよく分かりました。……ですが、この雪を止めていただけませぬか。積もると作物の成長に障ります」
イリヤの冷静な指摘を受け、オデットは雪を止めるために、詠唱の文句を考えようとした。
「え、えーと、水の神ターネロよ。御身のお力により、雪を止めたまえ……?」
経験したことのない事態に対応したためか、不慣れな詠唱では雪はまったく降りやむ気配がない。
このままでは雪が積もって、下手をしたら作物が枯れてしまう。
おろおろしているオデットを前に、イリヤはため息をつくと、剣を抜き放った。
魔法陣から二人のシルフが現れる。イリヤの命令を受けたシルフたちは天へと飛翔してゆき、ふうっと息を吐いた。息から生じた突風が雪雲を吹き飛ばしてゆく。
再び青空が覗き、太陽の光が差し込んだ。
シルフに作業をさせているイリヤを前に、オデットはうなだれる。
「ごめんなさい……。わたし、魔法を使えるようになっても、てんでダメで……」
「お謝りになる必要はございませぬ。あなたさまは周囲から魔法ができないと見なされていたせいで、きちんとした技術をご習得なさる機会がなかったのでしょう?」
オデットははっとした。その通りだ。自分の学んだ魔法の知識は初歩的なものばかり。顔を上げると、目がイリヤの視線とぶつかる。こちらを見下ろす彼の眼差しは、恐ろしく真摯だった。
「ですが、これからは魔法を学んでいただく必要がございます。……未来を変えるために」
イリヤは生きたがっている。オデットにはそのことが、胸が震えるくらい嬉しかった。
なぜ、急に強い魔法が使えるようになったのかは分からない。けれど、未来を変え、イリヤを助けるためなら、自分はなんだってしてみせる。
「はい、もちろんです」
オデットは返事をするとともに、イリヤの金色の瞳を見つめ返した。
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