第5話 提案と承諾
オデットは唖然として、イリヤの言葉を繰り返すしかなかった。
「実際に起こった……?」
「さようでございます。その夢は予知夢ではなく、あなたさまが体験なさった過去の出来事だと思われます」
思考がついていかなくて、オデットは呆然とイリヤに問いかけた。
「どういう……ことですか?」
「聖女
では、自分は過去の世界に飛ばされてしまったのだろうか。
「……ここは、過去の世界なのですか?」
「正確には、過去の世界にあなたさまが移動なさったのではなく、時間のほうが巻き戻ったのでしょう。猊下が時間軸内を移動なさったのならば、この世界にはもう一人のあなたさまがおいでになるはずですから。あなたさまがいつも通りに神殿でお目覚めになったという事実が、その仮定を裏づけております」
イリヤの表情も口調も真面目そのもので、とても嘘をついているようには見えない。
何より、オデットの予知能力に疑問を投げかけたほどに理知的な彼が、そんなことをする理由がない。
それでも、オデットにはまだ信じられなかった。
「ですが……何らかの原因で時間が巻き戻ったというよりは、わたしが予知能力に目覚めたというほうが、まだ現実味が……」
「予知能力では半年に渡るほど詳細な未来を予見することは、まずできないでしょう。わたしが読んだ文献に登場したり、直接会った予知能力者は、たいてい切れ切れな映像や言葉で未来を予知しておりました。一か月分の予知をした者でさえ、抽象的な言葉でしか未来を予測できなかったのです。それが、予知能力の限界です」
断言され、オデットは途方に暮れた。
「なぜ、時間が巻き戻るようなことが起きて……過去……いえ、未来に何が起きたのかをわたしだけが知っているのでしょう」
「それは、まだ分かりませぬ。ただ、時魔法が関わっている可能性が高い」
時魔法とは火・風・水・土の四元素と光・闇──いわゆる六属性のいずれにも属さず、無属性ともいわれる、実在するのかも怪しい伝説の魔法だ。
誰かがオデットの記憶を保ったまま、時魔法を使って時間を巻き戻したのだろうか。一体、なんのために。
「時魔法……」
自分はよほど不安そうな顔をしていたのだろう。イリヤが「それはさておき」と話題を変えた。
「なぜ、この現象が起きたのかを解明する前に、あなたさまにお訊きしたいことがございます」
「は、はい。なんでしょう?」
「なぜ、あなたさまは、わたしにそのような重大なお話をしてくださったのですか? 伝える相手ならば、同じく命を落とす予定のヴァジームでもよろしかったでしょうに。……奴が大人しく話を聞いて、しかも、それを信じるとは思いがたいですが」
「それは──」
あなたのことが好きだから、死んで欲しくない。
そんなことを口にすれば、まるっきり告白である。
急にトクトクとうるさく鳴り始めた心臓の音から逃れるように、オデットは嘘ではないが、真実でもない答えを返した。
「あなたが亡くなれば、わたしも命を落とすことになります。だから──ではいけませんか?」
「つまり、わたしたちは運命共同体である、と?」
破壊力の大きい言葉を食らい、オデットは返答に窮した。
こちらの様子を窺っていたイリヤが口を開く。
「聖女猊下、未来を変えたいとはお思いになりませぬか?」
変えたい。自分もそうだが、イリヤが殺される未来など、もう二度と見たくはない。
「変えられる……のですか?」
「予知ならば、能力者の特性によって、未来は変えられる場合と変えられない場合に分かれます。ですが、巻き戻ってやり直した結果、迎える未来なら、変えられる可能性は十分にあると思われます。なにしろ、まだ起こっていないこと、でございますから」
イリヤの見解には説得力があった。何より、理由が分からないにしろ、せっかく時が巻き戻ったのならば、未来を変えない手はない。
オデットは力強く頷いた。
「はい。是非、変えたいです」
イリヤが不敵に笑う。彼のこんな笑みを見たのは初めてだった。
「では、わたしとお手をお組みになるのはいかがです?」
急な申し出に、オデットは目をぱちくりさせた。
「手を組む……とは?」
「言葉通りの意味でございます。もし、ご協力していただければ、わたしはあなたさまがロドリグ王子とご婚約なさらくてすむよう、力を尽くしましょう」
それは願ったり叶ったりだ。未来──前の時間軸でイリヤを手にかけ、自分も殺そうとしたロドリグと婚約するなど、虫酸が走るほど不快極まりない。
だが、果たしてイリヤに協力を求められるほどの価値が、自分にあるのだろうか。必要な情報は、もう彼に話してしまったし。
「ですが、わたしにお役に立てることがあるとは、とても……」
「あなたさまには今日から半年分のご記憶があられます。それだけでも十二分でございます。それに、必要な時に思い出されるご記憶もございましょう」
「無才の聖女」と呼ばれ、予知能力を持たない自分でも、イリヤの役に立てるのだ。胸が熱くなり、オデットはイリヤの金色の瞳を見つめた。
「わたしでお力になれることがあれば、喜んで」
イリヤはにやりと笑った。見る者をぞくりとさせる、
「では、これから半年間、あなたさまをわたしの監視下に置かせていただきます」
思わぬ不穏な言葉に、オデットの口元と声が引きつる。
「か、監視下……!?」
「さようでございます。未来をご存知のあなたさまを他の者の手に渡すわけには参りませぬから。知識の独占は、先手を取るために欠かせない要素でございます」
要は、オデットを囲い込みたいということだろう。
(この人、本当にわたしを敬っているの!? もしかして、今までの完璧な礼儀も口先だけ……?)
いずれにしても、イリヤがかなり計算高い人物だということは間違いなさそうだ。勝手に思い描いていたイリヤの理想的な肖像がぽろぽろと崩れていくような気がして、オデットは呆けそうになった。
でも、ロドリグよりは彼のほうがまだ可愛げがあるし……何よりイリヤに死なれては寝覚めが悪い。自分だって、まだ死にたくない。オデットは腹をくくることにした。
「……分かりました。イリヤさまのよしなに」
イリヤは優雅な手つきで右手を胸に当てた。
「承知いたしました」
オデットは複雑な思いで彼を見ていたが、不意にあることに気づく。
「あの、でも」
「なんでございましょう?」
「わたしの婚約は、王族の方々と神殿の間で取り決められたものです。まだ婚約式前とはいえ、その約束をわたしの一存で撤回させることができるものでしょうか?」
イリヤは涼しい顔だ。
「わたしに策がございます」
それだけ言うと、彼は剣を抜き、うしろに控えていたシルフを魔法陣の中に戻した。直後、風の防御壁が消え去る。
急に空間が開けたような気がして、オデットは立ちくらみを起こしそうになった。
(策って、なんだろう?)
疑問に思ったものの、イリヤが馬車の方向に向けてすたすたと歩き出してしまったので、慌ててあとを追う。
イリヤが歩きながらこちらを振り返る。
「これからあなたさまには、パドキアラ団の本拠地、ネリザ村においでになっていただきます。ここからなら休憩を入れても、一日もかかりませぬ。そのあとで、王都へ向かいます」
聞いたことがある。本拠地を持たない他の傭兵団と違い、パドキアラ団は国王から賜った土地に村を築き、戦の招集がない時はそこで暮らしているのだという。
それよりも、オデットは疑問を感じた。なぜ、イリヤはネリザ村に自分を立ち寄らせるつもりなのだろう。
「あの、どうしてわたしをネリザ村に?」
「確かめたいことがございます」
イリヤは振り向かずに答えた。街道脇ではヴァジームたちが鍛錬をしている。
イリヤはその横を素通りすると、彼の乗馬に歩み寄り、その首を軽く叩く。
オデットはそれを横目に馬車に近づいていく。座り込むようにして待っていたポーラがぴょんと立ち上がり、駆け寄ってきた。
「オデットさま! 大丈夫でしたか!? ずいぶん、長い間話し込んでいらっしゃいましたけど……」
馬車の中ではなく外で待っていたということは、ポーラは自分を心配するあまり、様子を見守ってくれていたのだろう。
オデットは表情を緩め、彼女に笑いかけた。
「大丈夫です。……それでね、ポーラ。あなたに頼みたいことがあるのです」
「なんですか?」
これからパドキアラ団の本拠地に向かわねばならないことを告げたら、また心配をかけてしまうだろう。オデットはポーラの茶色の瞳をじっと見つめた。
「わたしはこれから、あちらのイリヤさまとともにパドキアラ団の本拠地に赴きます。でも、あなたは何も心配しないで。みなとともに王都へ向かい、わたしの到着が遅れることを国王陛下にお伝えして欲しいのです」
ポーラの表情がみるみるうちに曇る。
「……大丈夫、なのですか? だって、あの副団長もいるのでしょう?」
「イリヤさまがご一緒ですもの。大丈夫よ」
正直、自分を利用する気満々のイリヤをどこまで信用してよいのか分からないが、お互いの利害が一致している以上、めったなことにはならないだろう。
「聖女猊下、そろそろ参りましょう」
イリヤの声だ。なおも気遣わしげにこちらを見ているポーラの手を、オデットはぎゅっと握る。
「ありがとう、ポーラ。必ずまた会いましょう」
「オデットさま……」
エウリサード神殿では唯一の味方だったポーラ。彼女に心からの感謝をすると、オデットはイリヤのもとに歩いていった。
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