第4話 説得とペンダント

「は……?」


 イリヤが呆気に取られたように薄く口を開けている。

 しまった。やらかしてしまった。嫌われるとかそれ以前の問題だった。

 ヴァジームだけがおもしろそうに、ニタニタとした笑みを浮かべている。

 なおも周りにたくさんの疑問符を浮かべたような表情で、イリヤは問うた。


「それは──どのような意味でございますか?」


 オデットはとっさに馬車からかなり離れた街道脇の草地を手で指し示す。


「あ、あちらでご説明いたします!」


 イリヤが立ち上がった。小柄なオデットとはかなり身長差がある。

 そんなところにもドキドキしながら、「いきましょう」と小さく口にして、オデットは草地に向かう。


 ポーラが心配そうな顔でこちらを見ていたので、微笑してみせた。

 供の者たちやヴァジーム一味からだいぶ離れたところで、オデットは立ち止まる。振り返ると、うしろを歩いていたイリヤも足を止めた。


「……それで、お話とは、内密なことでございますか?」

「は、はい。それはもう」

「失礼」


 イリヤはおもむろに剣を抜き放つと、先ほどのように正面に構える。イリヤが耳慣れぬ言葉──おそらくは精霊言語──を唱える。

 現れた魔法陣がきらめき、中から全身が大気の青に染まったような少女が飛び出した。風の精霊シルフだ。

 イリヤの剣は、召喚の媒体である魔導具の役割を兼ねているのだろう。


 シルフが指示を仰ぐようにイリヤのほうを向く。

 精霊言語で主の命を受けたシルフは両腕を開き、オデットとイリヤの周囲にうっすらと透過する半球形の壁を作り出した。

 イリヤはシルフをうしろに待機させたまま、端麗な唇を開いた。


「獣族は耳がいい。このくらいの距離では、こうして風の防御壁でも作らない限り、聞く気がなくとも話が筒抜けになります」

「そうなのですか。お気遣い、ありがとうございます」

「それで、先ほどのお言葉のご真意とは?」


 イリヤに水を向けられ、オデットは唾を飲み込んだ。

 予知と判断して間違いないとはいえ、自分の頭の中にしかないことを人に話すのは思った以上に勇気がいる。特に、それが人の人生を左右することとなれば。

 予知能力を持っていた先代の聖女は、それだけ強い精神力の持ち主だったのだろう。

 オデットはイリヤを見上げ、その金色の瞳を見つめた。


「端的に申し上げると、国王陛下とご契約なさったままでは、あなたはハーズ王国との戦いで命を落とすことになります」

「なるほど、聖女の予言、というわけですか」


 イリヤの目が、すっと細まる。


「しかし、失礼ながら、あなたさまに予知能力があられるという話は、ついぞ伺ったことがございませぬ」


 彼は知っているのだ。オデットが「無才の聖女」と呼ばれていることを。

 国王と契約している傭兵隊長ともなれば、王宮に出入りする機会もあるから至極当然のことだが、オデットは身を強張らせた。


 しかし、ここで怖気づいていては、イリヤは確実に死を迎える。殺しても死にそうにないヴァジームや他の団員たちだって死んでしまうのだ。

 そして、リュピテールはハーズの手に落ちる。

 オデットは勇気を総動員して言葉を紡ぎ出す。


「なぜ、今になって予知能力が目覚めたのかは分かりません。ですが、わたしは昨夜の夢の中で確かに見たのです。馬車が襲われるところも、あなたが助けてくださるところも。急にこんなことを申し上げて、驚かれたとは思いますが、わたしを信じていただけませんか」


 イリヤはオデットから目を背けずに答えた。


「あなたさまを信じる信じないの問題ではございませぬ。国王陛下との契約を解消することはできかねます」

「……なぜですか」

「予知能力者は獣族にもおりますが、彼らの予知の精度を測るためには、ある程度の期間を経なければなりませぬ。昨日今日で予知能力にお目覚めになったあなたさまのお言葉で、重大な決断をするわけにはいかないのです」


 この人は、思っていた以上に理知的だ。彼の知略が味方からは頼りにされ、敵からは恐れられる理由も頷ける。

 オデットは食い下がった。


「ですが、あなたはこのままでは半年後に──」

「聖女猊下げいか


 イリヤの声は氷のように凍てついていた。


「他の傭兵隊長たちが、なんのためにこの稼業を選んだのかは存じ上げませぬが、わたしは何も、金と命惜しさのためだけに傭兵をしているわけではございませぬ。そのお力は精度をお高めになって、他の者たちのためにお使いください。……ご心配してくださったことは、ありがとう存じます」


 最後に付け加えられた彼なりの礼を聞いた瞬間、オデットは絶対にイリヤを死なせたくないと思った。

 もう二度と、死んでいく彼を何もできないまま見送りたくない。


(何か、何かないの……? 彼を説得できる方法は──)


 必死に夢の記憶を探るオデットの脳裏を、細い鎖から下がった青い石がこぼれ落ちる光景がよぎった。

 そうだ。イリヤは死ぬ直前に鎧からペンダントを取り出し、眺めていたのだった。


 彼の心を動かせるかどうかは分からない。でも、何もしないよりはましだ。

 風の防御壁を解除するためだろう。シルフを振り返り、何か伝えようとしているイリヤに向け、オデットは叫ぶように声をかけた。


「イリヤさま! ペンダントをお持ちでいらっしゃいますよね!? 大切なものなのですか?」


 銀髪を翻してこちらを振り向いたイリヤの目は、大きく見開かれていた。


「そのペンダントの特徴は?」


 イリヤのまとう雰囲気が急変する。詰め寄られ、オデットはびっくりして返答に窮した。

 でも、イリヤはこちらの話に興味を持ってくれている。説得の取っかかりになるかもしれない。

 オデットは夢で見たペンダントを正確に思い出そうと努めた。


「澄んだ青い石です。形は涙形で、鎖は銀色でした。少し離れたところから見たので、細かい装飾までは分かりません」


 イリヤは美しい彫像になってしまったかのように微動だにしなかったが、やがて、険しい目でオデットを見据えた。


「先ほどの夢のお話──詳しくお聞かせください」


 どう話せばうまく伝えられるだろう。オデットはロドリグと婚約してからの半年間の予知の記憶を手短にまとめ、運命の日の出来事を詳細に話すことにした。


「はい。長い話になるかもしれませんが」


 オデットは話し始めた。ところどころ言葉に詰まったり、説明に困ったりする場面では、イリヤが的確な質問をしてくれたので、なんとか話し終えることができそうだった。


「──そこで、わたしはロドリグ王子に殺されそうになり──気がつけば、いつものようにエウリサード神殿で目を覚ましていました。年月日を確かめると、夢で起きた出来事の半年前だということが分かったのです。最初は、ただの悪夢だと思いました。ですが……」

「夢で見た通りに、ヴァジームにさらわれそうになり、わたしが現れた、と」


 オデットの言葉を引き取り、イリヤが確認するように言った。


「はい。──今度こそ、信じて、いただけますか?」


 イリヤはオデットの問いには答えずに、ふと視線を落とした。


「わたしは最期にペンダントを眺めていた、と、おっしゃいましたが、その時──わたしはどんな顔をしていましたか?」


 思い出そうとしなくても、自然とイリヤの最期の表情が浮かんでくる。オデットの胸は切なさに締めつけられた。


「……安堵したように、ほほえんでいらっしゃいました。傷による痛みは想像を絶していらっしゃったでしょうに……」

「さようでございますか……」


 うつむいて呟くように言ったあとで、イリヤは目を上げた。


「先ほどのご質問ですが、信じる信じないというよりも、ありのままを受け入れるしかないでしょう」


 いずれ訪れる凄惨な死を、イリヤは受容するつもりだということだろうか。オデットは思わず彼の目を直視する。

 だが、次に音声となって発せられたイリヤの台詞は、オデットの想像を絶していた。


「あなたさまがご覧になった夢は、おそらく実際に起こった出来事でしょうから」

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