第3話 オデットの確信と現れたイリヤ

 神殿を発ったオデットは、ポーラとともに馬車に揺られていた。窓外には背の高い緑の木々が立ち並ぶ、のどかな街道の風景が見える。

 こうして安全に旅ができるのも神聖リュピテール王国を覆う、強い魔物を寄せつけない結界のおかげだ。


 魔物といっても、基本的には人や家畜に害をなす強力な野生の動植物の総称なので、狼や熊と同じく、こちらが気をつけていればそうそう遭遇することもない。

 それに、中程度までの魔物なら、護衛の神官兵でも十分対応できる。


 あの夢の中では、このあとすぐにイリヤと出会った。


 出会いのあらましはこうだ。イリヤの率いるパドキアラ団の副団長がこの馬車を襲い、オデットをさらおうとする。目的はエウリサード神殿の払う身代金。

 そこへ、颯爽さっそうとイリヤが現れ、オデットを助けてくれる。

 思い返してみても、一目惚れをせずにはいられない状況だ。


「オデットさま、どうなさいました? お顔がニマニマしていらっしゃいますよ」


 ポーラに指摘され、オデットは口元を引きしめた。


「な、なんでもありません」

「そうですかあ? やっぱり、オデットさまはご婚約が楽しみでいらっしゃるのですね!」

「違います」


 オデットはややげんなりした。ポーラはいい子だが、恋に恋するというか、婚約や結婚に過剰に夢を抱いている節がある。

 いくら相手が王子とはいえ、単なる政略結婚なのに。

 それに、ロドリグが夢の通りの人物なら、本当は婚約などしたくない。


 オデットが軽く拳を握りしめた時、不意に馬車がガタン、と大きく揺れ、急停止した。


(この揺れ……覚えがある)


「ど、どうしたんでしょうか、オデットさま」


 不安を露わにするポーラとは逆に、オデットは自分でも不思議なくらい落ち着いていた。

 落ち着いているというより、何かを期待している、といったほうが正しい。


「何があったのか見てきます。ポーラはここで待っていてください」

「そんな! 危ないですよ!」


 こちらに手を伸ばそうとするポーラを安心させるために笑いかけると、オデットは馬車の扉に手をかけた。

 扉を開け、段差に気をつけながら地面に降り立つ。


 馬車は囲まれていた。五人の獣族の青年がにやつきながら武器をもてあそんでいる。

 二人の護衛は馬上で武器を構えたまま、動けずにいた。


(え……? いる……)


 彼らの中心に立っているのは、パドキアラ団の副団長だった。

 黒いたてがみに覆われた獅子の頭と先端が房飾りのような尻尾を持ち、黄味がかった茶色い毛皮の上から革鎧を着込んでいる。


 記憶にある、と言ってよいのかは分からないが、夢に出てきて自分をさらおうとした時の姿と全く同じだ。

 夢の中では死んでしまった彼だが、今はまだ生きている。奇妙な感慨がオデットの中に去来した。

 そのあとで、あまりに夢の通りの今の状況が信じられなくて混乱する。


(嘘……本当の本当に、予知夢なの?)


 ということは、イリヤも生きていて、近いうちに現れるということだ。

 現金なもので、とたんに身を焼くような期待感に包まれるオデットだったが、どうやらまた内心が顔に出ていたらしい。

 三日月斧バルディッシュを肩に担いだ副団長の眉のあたりがぴくりと動く。


「お前……何を笑っている?」


 まずい。オデットは慌てた。


「わ、笑ってなどおりません。見間違えでは?」

「いいや、笑った。確かにな」


 副団長が近づいてくる。

 おかしい。夢の中では、こんなやり取りをした覚えがない。

 確か、彼らが馬車の扉を開け、乗り込んできたので、怖がるポーラを庇うような形で、オデットが外に出たはずだ。

 副団長はオデットの真ん前で立ち止まった。


「栗色の髪に緑の目……お前が聖女か。ふん、命拾いしたな。人質に傷をつけたとあっては、身代金の額が減る」


 オデットは胸を撫で下ろした。少し怖がってみせたほうがいいかもしれない。


「わ、わたしをさらうつもりですか」


 どうやら機嫌を損ねずにすんだらしく、副団長は口の端に凶暴な笑みをはりつけた。


「察しがいいな。一緒に来てもらおうか、聖女さま」

「供の者たちに危害を加えないとお約束してくださるなら」

「もちろんだ。従者たちを人質に取ったところで、銅貨一枚にもならないからな」


 猛々しい副団長を前にしていることに対する緊張感はあるが、恐怖はほとんどない。

 それよりも、イリヤの登場を待ちわびる気持ちのほうが大きい。


「オデットさまあ!」


 裏返った声に振り返ると、馬車からポーラが出てくるところだった。目は恐怖の色に染まり、身体も震えているようだ。

 彼らを刺激してはいけない。オデットはお腹から声を出した。


「ポーラ、わたしは大丈夫です。大人しく捕まれば、危害は加えられません。あなたは馬車に戻って、みなと一緒に、このことを神殿に伝えてください」

「で、でも……相手は盗賊でしょう? オデットさまが何をされるか……」


 気分を害したように、副団長が口を挟む。


「俺達は盗賊じゃない。傭兵だ。あのパドキアラ団のな」

「盗賊も傭兵も同じようなものじゃないですか! 大体、パドキアラ団って略奪はしないって評判だったけど、これじゃ、やっていることは他の傭兵団と同じってことでしょ!?」


 やけくそになったようにまくし立てるポーラの口を今すぐ塞いでしまいたい。

 こんなことは夢の記憶にはなかった。

 このままでは、いきり立った彼らにポーラが危害を加えられてしまう恐れがある。


 副団長のほうを見ると、彼は明らかに不快げな顔をしてポーラを睨んでいる。

 突然、副団長が黒い鬣を震わせて吼えた。

 思わず、オデットは両耳に手を当てる。恐る恐る手を下ろした瞬間に、副団長は言い放った。


「小娘、言うに事欠いて、俺たちを侮辱するとはいい度胸だ。誰がこの国を守ってやっているか、教えてやる必要があるな」


 なんだか、夢の記憶よりも状況が悪化しているような気がする。自分が矢面に立たなければ、ポーラが危ない。オデットはポーラに走り寄ろうとした。

 その時。


「ヴァジーム、女をいたぶるのか?」


 低くもなければ高くもない、澄んだ声が響いた。

 忘れようがないその声が耳を打った瞬間、オデットは目を見開き、声の主を捜す。

 声の主はヴァジームと呼ばれた副団長のうしろに、騎馬姿でたたずんでいた。腰まで伸びたまっすぐな銀髪が風になびく。


 切れ長の金色の目、すっと通った鼻梁と薄い唇。繊細に彫り上げられたような端正な顔に、静かな表情を浮かべている。

 狼というには少し長めの耳は狐のように見えるが、狐のものよりも短くて細い尻尾は狼のものに近い。どちらも、先端に黒い毛の交じったふさふさの銀毛に覆われている。

 今は金属鎧は身につけておらず、均整の取れた身体に黒い布鎧をまとっていた。

 その姿はオデットが見た夢の中に現れた彼と、寸分違わない。


「あ、いい男」


 ポーラがぼそりと呟いた。


(イリヤさま……!)


 彼は確かに生きて、目の前に存在している。

 そのことが、オデットには涙が出そうになるほど嬉しかった。

 それに、イリヤが夢の中とそっくり同じ姿で登場したということは、間違いなくあの夢は予知夢なのだろう。


 一体、どういう原理で自分が急に予知能力に目覚めたのかは分からないが、彼にこれから起こる危険を知らせなければ。

 神々はそのために、奇跡を起こしたのかもしれない。

 使命感を燃やすオデットをよそに、ヴァジームが鼻でわらった。


「なんだあ? 騎士気取りかよ。お上の方々と朱に交わって赤くなっちまったってわけか、イリヤ? それでも傭兵か?」

「ゲスの勘ぐりだな」


 イリヤもふっと笑うと、芦毛の馬から飛び降りた。それからオデットに目を留める。

 彼と目が合い、オデットの心臓が大きく跳ねた。

 夢の中でも同じ状況になったというのに。イリヤが美しすぎるのがいけない。

 再びイリヤの視線がヴァジームに向けられる。


「そのお方は聖女であられるのだろう。王子の婚約者になる女性をさらったりすれば、どうなるか……分からないのか?」

「金がたんまりもらえる」


 イリヤは呆れたように首を左右に振る。


「その前に、パドキアラ団が国王から契約を切られるぞ。そうなれば、俺もお前を団に置いておくわけにはいかん。お前、露頭に迷いたいのか?」


 イリヤの金色の瞳が見る者を凍てつかせるような光を放っている。

 度胸だけはあるようで、ヴァジームはその視線を正面から受け止めた。


「俺を止めたいのか? やれるもんならやってみやがれ!」


 ヴァジームはイリヤに、持っていた三日月斧を突きつけた。


「……あほうが」


 イリヤが腰にいた剣を抜く。

 目にも留まらぬ速さでふたつの刃がぶつかり合い、火花を散らす。

 刃を打ち合いながら、イリヤが大きく飛びすさる。

 ヴァジームもあとを追い、二人は馬車から離れてゆく。

 それは、イリヤがあえて馬車から距離を取っているようにも見えた。


 何度めかにヴァジームが三日月斧を繰り出した時、振りかぶった彼の態勢がわずかに崩れた。

 それを見逃すイリヤではない。彼の剣がヴァジームの利き腕に打ち込まれた──かと思った刹那。

 ヴァジームの巨体を取り囲むように、半透明の大盾が出現した。イリヤの剣撃が弾かれる。


 夢の中でも同じ光景を見た。

 人族には神々から魔力が与えられたが、獣族の崇敬する神々は恩寵と呼ばれる個々に違う能力を彼らの民に与えたのだという。

 ヴァジームが使ったのは、その恩寵だろう。全方位で攻撃を防ぐのだとしたら厄介だ。

 ヴァジームが三日月斧でイリヤを薙ぎ払った。三日月斧は大盾をすり抜けている。


(自分の攻撃は弾かれないなんて……何度見てもずるい)


 味方につければ心強そうだが。

 そんなことよりも、今はイリヤを目で追いかけなければ。オデットは前に進み出た。

 イリヤはうしろに跳躍し、刃を避けた。その間に剣を正面に構え、何事かを唱える。

 剣の前に炎の図形が描かれた魔法陣が浮かび上がった。


(出た! イリヤさまの召喚魔法!)


 魔法陣から炎が噴き出し、トカゲのような姿を取る。火の精霊サラマンドルだ。

 イリヤが剣先で、すっとヴァジームを指す。

 サラマンドルはヴァジーム目がけて飛んでいくと、大盾の周囲を炎の壁で取り囲んだ。六本の火柱がものすごい勢いで立ち上る。


「オデットさま! 危ないですよ!」


 悲鳴のようなポーラの声に従い、オデットは馬車の前まで下がった。

 もしかして、イリヤはこのことを見越して馬車から離れたのだろうか。夢の中では気づかなかったことをようやく悟る。


 周りの者もうかつに近づけないほどの炎熱。これでは、ヴァジームは身動きが取れないどころか、放っておけば命の危険もある。

 ヴァジームは悔しそうに顔を歪めたが、ほどなくして両手を挙げた。


「──分かった、分かった。俺が悪かったよ、イリヤ」


 イリヤが剣を横に構えると再び魔法陣が出現し、サラマンドルがその中に吸い込まれるようにしてアストラル界へと帰っていく。

 あとにはヴァジームの周りに、草が焼き払われ、焼け焦げた地面だけが残った。

 ヴァジームの仲間たちが急いで彼に駆け寄る。その様子を横目に、イリヤがこちらに近づいてきた。


 ああ、確かこのあと、彼は自分の前にひざまずいて赦しを請うのだ。

 夢の中では、イリヤの態度にただただ驚くばかりだったが、今は胸がちくりと痛む。ヴァジームの暴走は彼が悪いわけではないのに。

 イリヤはオデットから少し距離を置いて立ち止まると、しなやかな動作で片膝をつき、頭を垂れた。


「聖女猊下げいか、わたしはパドキアラ団の団長、イリヤと申します。我が団の副団長の無体、申し開きのしようもございませぬ。どのようなお叱りも甘んじて受けますが、どうかわたしめに免じて、こたびの件に関わりのない団員たちには、なにとぞご寛恕かんじょを賜りとうございます」


 王子や王女と同等の敬意を捧げられる聖女に対する完璧な口上。

 オデットは表情を緩めた。イリヤにここまで言われて、彼を赦さない者がいるなら顔を見てみたい。


「お顔を上げてください」


 イリヤが面を上げた。狐や狼に似た金色の瞳がオデットの目を射抜く。

 跳ね回りそうになる心臓を抑えながら、オデットはほほえんだ。


「あなたがお謝りになる必要はございません、イリヤさま。国王陛下にはご報告をしなければいけないでしょうけれど、わたしはきちんと事実を陛下に申し上げるつもりですから。あなたは副団長を止めてくださったのだ、と」


「もったいなきお言葉」


 イリヤは再び頭を垂れたあとで、ヴァジームを鋭い視線で突き刺す。


「おい、ヴァジーム、お前も謝れ」


 ヴァジームは首をポキポキと鳴らしながら、イリヤの横に立った。


「へえへえ、申し訳ございませんでしたっ」


 イリヤは右手でこめかみを押さえる。


「馬鹿が……逆効果だ」

「あ、あの、イリヤさま。わたしは気にしておりませんから」


 確かに、最初はヴァジームの態度に「なに、この人」と思ったものだが、今回は二度目だし、彼が死んでしまうことが分かっているので、哀れさからかなんとも思わない。

 イリヤは真顔になる。


「そういうわけには参りませぬ。せめてもの罪滅ぼしに、あなたさまを王都までお送りいたします。ご許可をいただけますか?」


 同じことは夢の中でも言われた。あの時はどぎまぎしてしまい、丁重に断ったけれど、今度はどうするべきか。


(それよりも、イリヤさまに危険を知らせなきゃ!)


 いっそのこと、嘘の報告を国王にして、契約を解消させたほうがいいのかもしれない。

 たとえば、イリヤもヴァジームとぐるだった、とか。

 そうなれば、ロドリグはイリヤを排除する必要を感じないだろう。


(でも、それじゃ、イリヤさまの名に傷がつくし、パドキアラ団の団員さんたちが露頭に迷ってしまうし、何より前言撤回したことで嫌われてしまいそうだし……)


 イリヤに嫌われることを想像するだけで、胸が押し潰されそうだった。


「聖女猊下……?」


 うぐぐぐと悩んでいると、イリヤの声がした。

 はっとして視線を落とすと、彼は未知の生物を目にしたかのような不思議そうな顔で、こちらを見上げている。


(ふ、不審そう!)


 どう言い訳したものか、オデットは考え込む。

 そうだ。悩む暇があったら、疑問に思われついでに、この場で言ってしまえばよいのだ。

 なんせ運命の日である来年の一月十四日までは、あと半年しかない。

 オデットは大きく息を吸い込んだ。


「……お気遣いは無用です。その代わり──国王陛下との契約を解消してください!」

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