第32話『田中祐介、33歳独身』


 俺は、ルクアに「ここから動かず、絶対に班の仲間を守るように」と伝えてから、磁石に引き寄せられるように目的地へと向かっていた。


 『能力』を奪われ続けているからか、何故か”相手”の位置が分かるのだ。

そしてその中で自分の能力の新たな使い方が、その本質が理解出来たような気がした。



 段々空が紅く暗くなってきている。

何故か寒さを感じなかった。


 のろのろしてたら制限時間が訪れてしまう。


 そして俺は向かっている最中、ある考え事をしていた。


 奪われた能力……リリィが持って行った『攻略本』が関係しているのではないかと。


 そしてリリィが倒されて、『攻略本』ごと奪われた可能性……。

は無いな。彼女が渡したのだ。だからこそのあの発言。真意。


 ちりばめられたヒントが、綺麗に嵌まっていくようだった。



 まだあの人間に会ってはいないが、大体の流れが読めた。


 あの言葉通りに受け取るなら……だ。


 『能力』がきちんと俺が得をするように奪われたことを考えると、完全に話がみえた。リリィは俺を裏切ったわけでもなさそうだ。


 これはただ彼女の、ちょっとしたただの嫌がらせ、ドッキリではあるだろうが……。


 そんなことを考え続けていると。



「君が噂のセーデルちゃん、であってるかな」


 俺は犯人である少女が名乗る前に言った。


 遂に、『能力』を奪った張本人の場所まで辿りついたのだ。

そして既に誰が奪ったのかも予想は付いていた。


 コバルト色の髪の毛に、まっすぐに流れた毛並みから、修道女のような雰囲気を漂わせていた。


 そして彼女の葡萄色の両眼は狂気さが浮き彫りとなっていて、確実にイカれていた。

 


「感じる…感じた。神の所在を!

ついに天啓が私にも下りました!私はこの試練を乗り越えて見せます!」


 と俺の存在に気付くと、急に天に話しかけ始めた。


 よく見ると、彼女の足下には『攻略本』が落ちていた。


 使用済みか。そうだろうな、想像通りで良かった。



 ここに来るまでの間にこいつの能力に関して、いくつか候補を考えていた。恐らく、相手の事を知れば知るほど、能力を奪えるという『能力』の筈だ。仮にそうじゃなくても類似しているだろうから、幾らでも対応できる。


 奪える能力の数の上限が、どれだけあるかも何となく予想が付いていた。


 そしてもう一つ分かっていることがある。

”リンクス”で調べたな。これは確定だ。



「それ、返して貰うよ」


 と俺は『攻略本』に指をさして言った。


「この完全なる叡智の書はお前如きが持っていて良い物じゃない!

私に権限を譲渡しなさい」


 と実に傲慢な態度で言った。若干不愉快だった。


「また頭おかしい系の奴か。いやだなぁ。ただ返して欲しいだけなのに。

しかし、完全なる叡智の書……ねえ」


 俺は笑ったら可哀想だから笑わなかった。

命名の癖が強い。



「一人でノコノコとやってくるとはねェ。 

……どう? アイツら一人くらい死んでた?」

 

 と彼女はふと正気に戻った感じで俺に聞いてきた。



「アイツら? 誰一人死んでないよ。死人は誰もいない」


「最悪。 一人くらい殺してたら楽になったのに。

お前を捕えてから、わざわざ殺しに行かなければならなくなったじゃない。 いや、楽しみが増えたのかしら」


 頭おかしいやつと話してたらキリがないな。


 さっさと済ませよう。


「今一人? 仲間がいたりする? 」


 と俺は聞いた。コレが一番、大事なことなのだ。


「村人みたいな生ゴミに答えてあげる義理はないのだけど…?」


 と質問を質問で返された。

しかし俺には、その答えようと、目の揺らぎや瞬きの数からして、いないということがハッキリとわかった。


「はいはい。

今だったら許してあげなくもないからさあ。僕の能力返してくんない?

君やってること全部泥棒だよ。君が信じてる神様も泣いてるよ」


「許す? 一体どの口が言っているのかわからないわ。

お前のことは全て知っている。何もかも。

お前みたいな愚図でも、この本から情報を私に取られていることは理解しているでしょう?

勝ち目はないことが何故わからないのか謎だわ。

しかも頼りの綱の『時間操作』は全部私が奪ったんだからサア。

聞きたい? 私が奪う事の出来る能力は……」


 と彼女は自分の能力までべらべらと話し始めようとした。


「能力を奪える数は一つだけ。そうだろう? 

相手の情報を知るだけで奪うことが可能ならば、本からでてきた僕の情報を辿るだけでルクアやその他の能力も一部分、奪えるんだ。

あまりにも奪う条件が簡単すぎる。

『時間操作』を奪った上でそんなことが出来るはずがない。

君が何か教えてくれようとしてくれたみたいだし、僕に勝つためのヒントを与えよう。”この『能力』はまあまあ癖が強い”。

そして、少し君に感心したかもしれない」


 と俺が言った所で、彼女は不思議そうな表情をした。

それがわかったから何だといいたげな顔をしている。


「それで? 何が感心したと?」


「いや、お前みたいなクソガキでも、ちょっと頑張るだけで俺の能力を奪えるんだなあって感心したんだよ。

色んな運の巡り合わせに感謝するといい」



 興が乗ってきた。

後で、悪役っぽい感じでやってみようか。



「運の巡り合わせは、スゥルターヌ様が与えて下さったものよ。

私はそのお返しに、お前の情報と身体を持ち帰って献上をしなければならない」


 自信満々に胸を張って彼女はそう言っているが、その言葉を聞いて俺はますます謎に思った。


「ほ〜、それじゃあお前等が信じる神様は、俺の情報を知ることすらできないのか。 世の中、全知全能の神ばっかりいるわけじゃないからなあ」


「…何が言いたいわけ?」


「物分かりが悪いな。

君達が信じてる神は、そこの地面に転がってる『攻略本』以下だって言いたいんだよ。

三十路が近い無職の村人のおっさんが昼寝途中にガキに泣きつかれて、しゃあなしにホコリ被った本棚からひっぱり出してきた物以下の存在…」


 そう言うと、みるみる内に彼女の怒りの激情が膨れ上がっていくのを感じた。そしてその怒りを表わすように魔力を解放した。



 ……にしても全部か、全部俺の『能力』を奪ったとこの馬鹿な女は信じているらしい。


「それじゃあ、歯を食いしばるんだ」


 俺は優しいので、手始めに『疑似時間停止』を使うことにした。

そうしなければ勝負にならないだろうから。


***************************




 野鳥の悲鳴のような鳴き声が、森の中に染み渡った。

紅く照らされている白銀の森には、濃い陰が多くなっていった。


 そして遂にリンクスは、木陰の暗がりからぬるりと出てくるように現れた。


 そのときの表情をみて、一瞬、捕食者である筈の自分が恐怖してしまった。


 三日月のように歪んだ目元、同じくニタリと歪んだ口元の表情。

 

 そんな満面の笑みと言わんばかりの、笑顔の出来損ないを固定させたままやってきたからだ。


 元の白髪、灰目の美少年の姿はそこにはなかった。


 

「君が噂のセーデルちゃん、であってるかな」



  *


「それじゃあ、歯を食いしばるんだ」


 この男がそう言った。


 目の前から、リンクスが消えた。

そう認識したときには既に、顔面、胴部にかけて、何カ所も同時に殴打されたような感覚が襲ってきて、思わずその苦痛に後ずさりをした。


「~~~~!」


 既に過剰な魔力で身体を覆っていたので、ダメージは抑えてはいたが、鋭く鈍い痛みが残った。


 そして何が起きたかを知っていた。

あの本を読んでいなければ……知っていなければ、何が起きたかすら分からずに負けていくトリックの正体を。


「時間停止かッ!」


「惜しいな、『疑似時間停止』だ」


 と背中から、突き刺すように蹴りを入れられた。


「づッ。糞!!」


 と背後に裏拳をしたが、空振り。

奴は既に距離を取っていた。



 なぜ能力を使うことが出来ている?

まさかあの本に載っていなかった情報があったということなのか。

そんなはずがない。あれは神が与えて下さったものだ。


 恐らく、私が読み飛ばしてしまった部分があったに違いない。

読んでいなかった箇所が存在するにしても、少なくとも9割以上は情報を得ている筈なのだ。



 制限時間や、あんな奴らなんかこの際どうだっていい。

この戦いが終れば、いつだって始末することはできる。


 問題はルクアに気付かれる前に、この男を捕らえることだ。

それが全てだ。


 そして捕える方法は簡単だ。能力を完全に使い果たせればいい。


 私は肉体全てに『時間加速』の効果を付与させて、更に足に魔力を重点的にためると、リンクスに向かって駆けた。


「ほう、向かってくるのか。このRINKSに」


 と奴は言って構えているような仕草をしているが、全くの素人。

完全に無防備な体勢だった。


 みえる。

こいつの先の動きが完全に!!


 私が幾度か攻撃のフェイントをいれたら、いとも簡単に両腕でガードしようとした。


「馬鹿が!!」


 魔力での強化に合わせて『時間加速』で加速された蹴りを奴の両腕に喰らわせてやった。


 バギャッと確実に両腕の骨が砕ける音を置き去りにして、吹き飛んでいった。樹木の中にめり込んだ。


「素晴らしい力だ。私に相応しい!」


 ただの蹴りでこの威力。

私はこの力に惚れて、超人になった気分でいた。


 今後、例えどんな能力を奪えるチャンスが来たとしても、この力は二度と手放さないだろう。


「さあ、いつまでもそこにいてないで、涙で濡れている表情をみせなさい」


 奴も『時間加速』で防御していた筈だから、死んでいることはない。


 しかし、私が予想している結果とは全く異なっていた。


「……おぉ~~~。これは君に近付かれないほうが良さそうだ。

へえ、『時間加速』で攻撃される側はこんな気持ちなのか」


 と樹木の中にめりこんでいたリンクスは、実に感心したように両腕をぶんぶんと振って、起き上がった。


 さきほどと何の表情の変化も起こらなかった。



「なに?」


 なぜ無傷なんだこの男は。

私は『時間加速』で防御されることを、想定内にいれて蹴りを食らわせた。 今頃は奴の両腕は粉々になっているはずだった。


 ……ダメージを受けた瞬間に、『時間遡行』で身体を治して、何事もなかったかのように装っている??


 この男は極度の嘘つきだ。

絶対にそうだ。



 能力の大半を奪っているが私が今使うことが出来るのは、簡単な『時間加速』と『時間減速』だけだった。


 それも『攻略本』でコツを知ったのにもかかわらずだ。

『時間停止』や『時間遡行』等は非常に高度な技なので使うことができない。正直、本で情報を得ても、なぜこの男がここまでの技を使えるのかが理解できなかった。


 しかし、私の方が魔力や筋力で圧倒的に勝っているのだ。

この男は格闘技の経験があるわけではない。

純粋な格闘戦に持ち込んだ時点で確実に勝てる。


 そして、こいつが使える能力の回数は限られている!

使うことができても後数回の筈だ。


 初っ端から『疑似時間停止』を使うとは馬鹿なことをしたな。

そして続けざまに『時間遡行』も。


 もはや能力の残数はまともに残っているはずがない。

残っていたとして『疑似時間停止』一回分くらいのはずだ。


 勝利は近い!


 私は全ての弱点を知り尽くしているのだ!

魔術に関する情報に極度に欠けていることも!



 この男が時間遡行で身体を治そうが、意味を成さない処刑方法を思いついた。


 私は深呼吸をして身体の中に魔力を巡らせた。


「【遊位】神聖大火炎魔術 火神 《軻遇突智かぐづち》」


 

 太陽のように巨大に思える炎の球形が、出現した。

その瞬間、この周辺の温度が20度ほどあがって、雪が全て溶けて無くなった。


 自由意志を持って、暴れ狂うかのように奴に向けて驀進していった。

 

 その火球は進行方向にある地面を高熱で溶かして抉りながら、数十本もの樹木を巻き添えにして、彼方まで消えて行った。


 一本の道ができてメラメラと燃えている中に、一つの影を見た。


 その影は防寒具だった。

浮かんでいて、その後ろからリンクスがやはり何事もなかった風を装って出てきた。そして宙に浮かんでいた防寒具は思い出したかのように、燃えて消え去った。


「こいつ」


 防寒着を脱ぎ捨てて、それを盾代わりにすること防いだか。

時間加……いいや時間差を置いて燃え尽きたから、『時間減速』か。

こざかしい!



「なんだそのファイヤーボール”モドキ”は。

ランカちゃんに教えて貰ったらどうだ?」



 ――――その言葉がした時、また奴の姿がかき消えた。


「ぐッ……ぅ!」



 時が消し飛んだかのように、私の身体に一つの衝撃が刻み込まれた。

一点に集中して攻撃してきたのだろう。


 流石に内臓が破壊されたかと思った。



 ――2回目……!! 

この戦いで2回も『疑似時間停止』を使ったのだこの男は。


 そうだもっと使え! 

いや使い果たしたな能力を!


 もはや残量が0に近いお前の負けだ!



 一方で私は、ある程度のダメージを更に緩和することができていた。


 時が止まると感じたその瞬間、この男がやっているように自分の身体を『時間加速』で守ったのだ。

どれだけこいつが攻撃をしてこようが最早関係がない! 

圧倒的なステータスの差で押し切れる!!



「全然、全くきいてないわ。

お前だけがこの能力を使いこなせると思ってて馬鹿みたい!」


 しかし、そんな私の余裕は奴にとっては絶望とならず、逆効果と化した。



「やっと、学んだのか」


 とリンクスは、余裕の笑みを浮かべてこちらの思考を読んだかのように言った。


 分かる。分かっている。

この男は負け惜しみを言っているだけだ。



 さっきだって咄嗟ではあったが、『時間加速』で身体を守ることに成功したのだ。この『時間操作』の能力に関しては男の真似をすればいい。


 そうだこの男は何度も『時間加速』を両眼に……。


「ぐぁあア!!!」


 私が両眼に『時間加速』使った瞬間、悶絶するような激痛が走った。

そして嗚咽をしながら、ひたすらに瞼の上を押さえて地面の上を転がり回った。



「アホだなあ……両眼の時間を加速するのは負担がかかるからやめておいたほうがよかったのに」



 とリンクスは、呆れるような調子で嗤いを堪えながら言っていた。


 分かっていたのだこの男は。私が次に移す行動を。

違う、誘導された。あの一言や一連の動作で。


 イタい、痛い…。暗い。


 まだ目が開かない。立てない。



「―――ゴキブリは、死ぬかもしれない状況に陥るとIQが300になって初めて飛び方を覚えるらしい」


 奴の声だけが聞こえる。


 近付いてくる。


「飛び方を覚えると、ある者は逃げるために、そしてある者は人間に飛びかかる。生きるためにだ」


 マズイ、マズイ。


「お前は飛べないゴキブリだ。

自らはリスクを冒さずに、安全圏で闘っているフリをしてきた無能。ゴミ。

そのままずっと地べたで這いつくばってウロチョロしておくといい」


 …近距離内に入った!


「この、糞がアアアアアアアアアアア!」


 私は無理矢理目を開いて、目の前まで来ていた奴に飛びかかった。



 リンクスは、こちらに向けて中指を立てたまま静止しているように見えた。


 そして私の手刀が奴の首を貫いた。

はずだった。


 確かに今も、確実に、首を貫いているのに。

スカッと空振りをしたかのように、空気に触れているような感触だったのだ。まるで最初から何もない空間のように。


 奴は血も出なければ、悲鳴をあげることもない。

ただニヤニヤとしたまま同じポーズで突っ立っている。


 ぼやけた視界の中でも、この男の肉体に触れているのに!



「惜しかったなア~~~?」


 と、奴の胸元から飛び出てきた、謎の手に私の首をがっしりと捕まれた。


 すぐに理由がわかった。

さっきまで、見えていた奴の身体の映像が靄となって消えて行ったのだ。

そして、その背後から本体が姿を現した。



 奴は異常に表情筋をつり上げて、怖ろしい笑みを見せていた。


「なにッ、どうして。なぜだ!」

 

 何が起きているのか理解が出来なかった。



「『時間減速』で光の情報を固定して見せた幻影だ。

お前がそれをみたとき、俺本体は幻影の後ろに隠れていた。

そのまま動くなよ。何かしようとしたその瞬間に、脳の血流の『時間』を弄って内側から破裂させてやる。 

この位置でミスはしない。大人しくしておけば楽に殺してやろう」



 このとき、ようやく私はこの男に弄ばれていたことに気がついた。

最初に『疑似時間停止』をしたときから、私の首を捕まえて殺すことは可能だったのだ。なのに、それをせずに無意味に戦いを続けていたと言うことは、あそんでいたからに過ぎない。



「…さあ終りにしようか」


 完全に死を覚悟した。

首を更に強く絞められたので声もだせなくなった。



『生徒ナンバー22のリンクスから規定量を超えた”殺意”を検出しました。

今すぐに闘いを中止してください。今すぐに闘いを中止してください』



 監視魔獣が止めに入っていたのだ。同じ言葉を反復させていた。


 この魔獣は、違反行為をしたものを強制的に転移させるように設定されている。リンクスが戦いをやめなければ、一瞬で最初の地点へと飛ばされる。


 戦いが引き分けで終るかもしれないのだと一瞬、安堵した。



「なんだタロウか。飯はまだだよ。 

『時間遡行』」

 

 とわざわざこの男は口に出して技を使った。


 犬の監視魔獣の時が遡って何事もなかったかのような状態になっていた。


 なぜ、なぜ『時間遡行』が使える。 

一時間のクールタイムが必要な筈なのに! 


 まさか……まさか!!


 気付くには遅すぎた。


 この男の両腕の関節から、じわじわと血が緩やかに滲んで染み出てきていて、骨が少しづつ砕かれていることに。


 制服の下からの変化だから全く気付かなかった。

この至近距離でよく見ることでやっと理解できたのだ。



 この男、最初から腕なんか治していなかった。

『時間減速』で破壊される速度を遅くしただけだった!!


 そして心の奥底から恐怖した。

治せた筈の重傷の腕ではなく、『時間遡行』を捨てるように監視魔獣に使うという狂気さに。


 違う。この私に確実に勝てると睨んでいて、最初から既に監視魔獣を止めることを予測して行動していたのだ。


「そうか、お前は一時間だと知ってたな。

二発目の『時間遡行』が使えるまでの時間が。その情報はもう古い。

さっき、30分間隔で使えるレベルにまで成長したから…。

実はバーベキューコンロに修復することに使ってたから、成長でもしないと使えなかったんだけどな」


 と言うと、なぜか目を閉じた。

そして開く。


「これこそが俺の求めたファンタジーだ! 素晴らしい! なんて日だ!」


 彼は極度に興奮していたかと思うと、一瞬で冷めて舌打ちをした。


「うん…。 あぁ、もう腕が限界か。

そうだな……お前にもチャンスをやろう。ワンチャンスだ」


 そう言ってゴミでも捨てるように放り投げられた。

その時ブチッと、リンクスの左腕が千切れた。


 がっしりと私の首を掴んだまま、この男の左腕だけが千切れていたのだ。残った右腕も今にも千切れていきそうなほど、損傷していた。


 なのに、まるでそよ風が吹いたかのように平然としていた。


「ひッ」


 戦わなければ、戦わなければ殺される。

違う、どうにかして逃げなければならない。


「わからないか? お前は命という大変貴重で高価な物を賭けていたんだ。

だから今、確変タイムに突入したんだよ。

俺を殺すことが出来るかも知れないという特別な時間に。

実は………俺もモーガン先生からチャンスを貰ったんだ……だからその幸せを君にも分けてあげたい」


 そして奴は、自分の千切れてしまった腕をみつめると急に笑い始めた。


「自分の事ながら、貧弱な肉体だなアと思っているよ。玩具のように脆い。突いただけで崩れてしまいそうだ。

それにしても、どうだ……俺の能力は。使いにくいだろ? 

もっとフルパワーで使ってみたくないか」


 その言葉は悪魔の提案と同じように聞こえた。



「神よ。神よ…私を」


 と絶望の果てに祈ることを選択した。


 しかしその時、この男のいままで崩すことのなかった笑みが無くなり、完全な無表情となった。


 濁った灰目を大きく見開いて私に顔を近づけてきた。

灰色の目は骸骨のように空虚……虚だった。


「神はいない。いたところで大したやつではない。

死んだことのある俺が言うんだ間違いない。

死んでも神になんて会えなかったからなア。

人間が最終的に行き着く先は、魂のゴミ捨て場だ。

ただ…仄暗い海の底でヘドロと同化して、永遠に絶望しているだけ………。

嫌なことを思い出させるなあ、君は」


 この男は『一度死んでいる』などという通常であれば信じてもらえないようなことを言った。


 私がこの男の『能力』を奪い続けていることで、それを真実であると理解した。



「俺がレベル1のままでいる理由がわかるか?

この世界のレベルは、何かの生き物を殺すことでしかあげることができない。それが嫌なんだ。どんな生き物であっても魂はある。

俺はあの“場所”へ、あの泥沼に魂を送りたくないんだ」


 最早私のことなどどうでもよくて、自分の世界に入っているような気がした。


「ゆ…許して、下さい」


「許す? 許す許さないを決めるのはルクアだ。

俺はルクアを守らなければならない。

そしてその俺を攻撃するということは彼女に対して危害を加えようとしているのと同じだ。 だから俺に謝ってもしょうが無いだろう。

お前は自分に向けられたナイフや銃に許しを乞うのか? 

違う。ルクアに謝るんだ」


 その声の裏側に感じる明らかな激怒の相は別物にみせていた。


 私はどうすればよいのか分からずに、舌を噛みちぎって自害するべきではないかと模索し始めた。


「だが安心するといい。彼女は優しいんだ。

死をもって罪を贖う程度のことで、キット……許してもらえるはずだよ。

今日も言ってたからね。死ぬことで絶対に赦されるんだ。

それじゃあ第二ラウンドを始めようか。戦いはこれからだからね」


 急に満面の笑みとなって、優しくなった声色で言った。

その変わり様は歪で、完全に恐怖で身体が硬直させることになった。


 そしてもう、震える身体を押さえることが出来ていなかった。


「さあ立って。立つんだセーデル。

絶望の中でも立ちあがることで勇気が湧いてくるかもしれない」



 と彼は千切れかけた右腕で私のことを無理矢理立たせてくれた。


 立つ……立つ?


 私はようやくここで、完全に自分の使命を思い出した。



 情報だけは、情報だけはもって帰らなければならない……!


 私は一目散に走り始めた。目的や逃走経路も決めていない。


「無駄だなあ」

 この男は能力を使う訳でも、追ってくるわけでもなく、ただ口を開いた。



「俺の名前は『田中祐介』33歳独身。

自宅は神戸、六甲山の別荘地帯にあり結婚はしていない―――」


 あり得るはずのない情報。聞いたことのない国、地名……。

『攻略本』で知ることのなかった情報を知る度に、なぜかこの男の『能力』を奪い続けていった。


 この感じたことのない気持ち悪さに気を取られて転んでしまった。


 そしてこの男はずっと、自己紹介を続けていた。


 相手の情報を知れば、能力を奪う事が出来る。

そんな単純な力を私は初めて恨んだ。


 これが自分の『能力』なので止めることが出来なかった。


 『能力』を奪う事は、良いことではなくなり、逆となっていた。

この男の情報を知る度に、力が増えていく度に、今までに味わったことのない恐怖心と気分の悪さが支配していって―――――私は気絶した。

****************************


『……判定シマス。この闘いは生徒ナンバー22リンクスさんの勝利です。生徒ナンバー4のセーデルさんから1ポイントを剥奪し、リンクスさんに付与します。両者共に今すぐ戦いを終了してください。終了しない場合は不正行為とみなし強制退場となります』


 監視魔獣タロウからそんな間抜けな声で勝利がつげられた。


「楽しかったよ。

一瞬だけギャンブルをしてるような気分を味わえた。

賭けた物に対して褒美が少ないけどね」


 と泡を吹いて気絶している少女に向かって言った。



 どうやって勝つかは戦う前から決めていたが、悪役っぽい感じでやるのも疲れるな。色々と。


 悪役がバトル中に精神攻撃をしかけていくというのは古来からの定石だ。

なんとかそれを思い出しながら、見よう見まねで真似てみたが案外上手くいくもんだ。



 そして、一人の人間を怖がらせることなどは俺にとっては容易いことなのだ。

 人間は得体の知れないもの。自分では考えや予想がつかないものに恐怖する。普遍的な物でいえば、幽霊。太平洋の深淵から、宇宙そのものという所まで……。


 プロの格闘家でも、暗闇の中、ただ黙って近付いてくるおじさんに遭遇したら恐怖して逃げてしまう。気の持ちようとかそんなんじゃない。


 そして、得体が知れないということは、相手のことを正しく評価出来ていないということにもなる。



 よく観てよく考えたら、恐怖する対象は案外しょぼいことだと分かるのだ。


 なのにこの女といい、何故人は人を過小評価したり、過大評価をすることで勘違いを起こすのだろうか。この女は『攻略本』を使っても、俺の本質を見抜けなかった。俺であれば見抜けたとまでは言わないが、そんなにも難しい事なのか。一体どうすれば人間は人間を正しく評価できるんだ。


「底が深いようで浅い。いざ深淵に飛び込んでみたら実は浅瀬で、岩にぶつかって死ぬようなもんだな」


 と俺は今回のこの女の敗因に結論づけた。



「一応、俺に勝つという確変タイムチャンスは与えたはずなんだけどなあ」


 俺は、優しいから一応勝ち筋は何度も与えてあげたのだ。


 俺がどんな情報をどれだけべらべら話そうが、『名前』という情報で得られる力は変わらない。


 急に増え始めた力におびえず『リンクス』という名前の情報を知ることで得た分と、『田中祐介』という名前を知ることで得た分はイコールだと早めに気づいておけば。前世のことなんか知らなくても、残りの奪える能力残数は5割だとすぐ理解できたのに。


 まさか前々前世があるとでもおもったのか?



「(大丈夫か? グロッ。ひどいやられようじゃねえか)」

 とゲゲイン君が樹の上から現れた。


「大丈夫だよ。今はね。

『時間減速』で痛みは感じないようにしているから。

今あるのは幻肢痛だけ。

効果が切れる前に、落ちてる腕を早めにひっつけてほしい。

あと小さな傷も治さないとね……ルクアちゃんにバレるとやばいから」


 実は彼はずっと隠れて観ていたのだ。


 まあ、俺が一人だけで来るはずがない。

どんな精神状態であっても、そこまで慢心はしていない。

ヤバいときは加勢して助けて欲しいと言ってあった。



 俺は、気絶している少女をみて苦笑した。


 この程度の大きなチャンスを逃す時点で……いや、ゲゲイン君がすでに待ち構えていた時点で、彼女に最初から勝ちなどなかったのだ。



 少なくとも、仲間を使い捨てるような真似をして自分だけが得しようと思っているやつは永遠に敗北し続けるのが、この世の定めだから。


 *


 なんとか気絶したセーデルの身体を運んで、3班が待つ場所へと戻っていった。そして制限時間ギリギリになって、ポイントを思い通りに分配することができた。 


 泡を吹いた状態のセーデルをみて、グレイとランカの二人はひっくり返っていた。


 しかしそんなことは無視して、残り数分以内に、ルーカスやゲゲイン君も集まって、監視魔獣を騙して負けたり勝ったりする演技をしなければならなかった。思えばそっちの方がしんどかったかもしれない。



 そして最終的に制限時間になると、最初の地点へと全員が戻された。

流石にこの時になってようやくリリィと会えたので少し文句を言うことにした。


「君マジでひどい。ドッキリの度が行きすぎてるんじゃないか」


「でも、使えるようになったでしょ?」


 と彼女は全く悪びれず様子もなく言った。


 やっぱりそうだったのだ。


 リリィはセーデルの能力を利用して、俺に能力を奪われるという感覚を体験させることで、手っ取り早く能力の”移動方法”を会得させたのだ。


 結果的には能力の権限を相手に渡すことが出来るようになった感覚はあるが、やはり納得がいかなかった。


 色々、俺が他のことに利用されたような気がしたからだ。



 彼女にこれ以上文句を言ったところで仕様がないので、最後に、セーデルにはあの事を全て覚えていられるとまずいから、アルストロメリアの催眠で忘れさせておいてほしいと頼んだ。


 俺に対する恐怖心とトラウマの感情を除いて。


 ――――グレイとランカの二人は確実に何かヤバいことが起きていただろうが、それに対して、特に何かを言うことはしなかった。

今後に対するヒントも、慰めの言葉も言う必要は無い。


 彼女達は戦闘なんていう些細なもので強くなくても、心の芯で、物事を超えていける力を持っていると最初から見抜いていたからだ。


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