セーデル視点 『ある信仰者の物語』
今日の礼拝堂は、針が刺したかのような緊張感で、空気すら凍てつくようだった。
側廊の椅子からも見える天井画や、立ち並ぶ幾本の柱に描かれた神の奇跡の一様は、太陽が暖かな日差しで明るく照らしてくれるように、今日の騒々しい様子を見守って下さっているようだ。
しかし、今、私が見ている異様な光景は、それが現実であるとは信じがたいものであった。
普段であればお目にかかることさえできない
私はその光景を、数多の信者達にまみれた後方からしかみることが叶わず自分の非力さや運の無さを呪った。この場においては、伯爵家の令嬢という地位は、余りにも低いのだということも理解した。
祭壇の大きな銀の燭台に灯っている火が、無風の中で不意に揺れた。
その時、ついに”
そのお姿にステンドグラスから虹色の神秘的な光が貫いた。
「たった今、神託が下った。
『全ての信徒に告げる。
悪の手先である”リンクス”の本体に関する情報を得て核心に迫った者には絶大な栄誉を。それを捕らえた者には、未来永劫消え去ることのない褒美を与える』と」
その御言葉を聞いてこの場にいるすべての聖職者の方々が歓喜に沸いた。
平伏しておられた方々は、その姿勢のまま顔だけを上げた。
「なんと!! 10年ぶりに神託を授かるとは」
「ぉお! 遂にあの『悪のカリスマ』リンクスに神の名の下に鉄槌を下す刻が来たと!」
「これが私達への新たな試練……」
ただ神託が下ったことに対して涙し感謝する者、大義を与えられたことに喜ぶ者、新たな試練に覚悟する者。
そして、どれだけ位が高い御方であっても垂涎がでるほどの名誉と褒美に興奮し、戦慄する者……。
この空間には、さまざまな感情や思惑が入り混じっていた。
今回の神託は………不敬な考えなのかもしれないが。
ここ2、3年、教会を悩ませてきた問題を解決に導くための燃料が注がれたのだ。
そしてこの素晴らしき瞬間を全ての信者と分かち合いたかったのに、隣に座ってみていた御爺様に手を引かれ、人気のない祭室の中へと連れ出された。
「御爺様、一体なぜこのような場所に」
と私は聞いた。
そして、聖書を片手に抱きながら沈黙を貫いていた御爺様は、私に語りかけた。
「セーデルよ。良く聞くのだ。
そして今から話すことは誰にも言ってはならない。
……つい先日。
あの忌まわしき名を……”リンクス“を自称する少年がお前の通う魔術学園に入学してくるという話が私の耳に入って来た」
「なんですって!
しかし…しかし! それは確かな情報なのですか?」
私はそれに対して驚くだけではなく、しっかりとした恐怖も感じていた。
不意に自分自身の身体を抱きしめていたことにも気がついた。
当然怒りの感情の度合いが強かったが、スゥルターヌ様や”無人”様ですら手をこまねいているような問題が、自分程度が関わって良い話であるとは微塵も思わなかったからだ。
「同じ職場にいるのだ。
どれだけ学園長が隠そうが、遅かれ早かれ、必ず情報というものは得ることができる」
「それではすぐに他の信徒や、上の方々にお知らせをしなければ!」
「それはできない。違うのだ」
と御爺様は首を振った。
「セーデル。お前も分かっているな。
もしも全てが上手くいったならば、”
上の方々に言ってしまえば、すぐに手柄を取られてしまうだろう。
秘密裏に動かなければなるまい」
と慎重に言った。
まさか御爺様が”リンクス”を追うつもりでいたことに衝撃を受けて、それがとてつもなくたまらなかった。
「しかし、私如きが裏で事を進めたところであの悪魔……あの女の目は誤魔化せませんわ」
「お前はまだ知らないでいたのか。
つながりの深いハロッズ・リリィが表だって動いていないことを考えると何かがおかしい」
「それでは、まさか…」
「奴らの方が、情報を早く得ていたということだ。
どこから情報を仕入れたのかは知らんが、すでに動き始めている。
そしてこの慌てよう……動きが急過ぎる。奴らにとっても想定外だったのだ。
やはり”本体”の可能性が高い」
そして御爺様は一度、一呼吸置いた。
「あの悪魔は……かなり早い段階で接触を心みる事は必至。
それも奴が入学してきた瞬間、という可能性もある。
そうなると、全てが後手に回っているこちらとしては最早手の出しようがない。どちらにせよ奴らは遙か以前から、情報収集に力を入れていたのだ。
我々が情報戦で負けることは自明の理。
ならば……。
”リンクス”と奴らが衝突したときの結果に任せるのだ。
結果が全てのものを言う。奴らが勝利し、”リンクス”が姿を消せば手を引くしかあるまい。
しかし、平然と戻ってきたのならば………そのとき、闇の一族は戦力を大きく欠いているだろう。同時に、”
その言葉を聞いて、”それは良いことなのだろうか”と私は思った。
「しかし、もし仮に”本体”が奴らを打ち破るようなことがあったのならば、私達では手に負えない領域に達していると思いますわ」
『悪のカリスマ』として知られているリンクスは、街そのものを支配し洗脳するという謀略の高さと、そこまでしながら身を隠し続けることができるという未知から恐怖の対象になっている。
もしもそんな奴があいつらを下すなどとという、武としての強さも兼ね備えていたのならば……。
「捕縛するのは、最も上手く事が運んだ場合だけだ。
出来なくても構わん。
情報を得るだけで良いのだ。
核心に迫るような情報を得て、報告するだけで絶大な栄誉を得ることが出来る。予め、上の方々に気付かれてしまっても時間を稼げるように『リンクスという少年は偽名を使ったただの不良者であった』と伝えておこう。
そして栄華を誇った闇の一族は現在、組織そのものがぐらついていて”本体”を追っているような余力を残していない。
そこまで聞いて私は、御爺様の計画の成功にかなり現実味を帯びているような気がしてきた。
「情報を得たとしても、どうやってそれが真実であると信じて貰うのでしょうか」
と私は最初から気になっていたことを質問した。
仮にリンクスの首を差し出すことが出来たとしても、偽物だと言われて終りそうな気がしたから。
「真実であるかどうかは”無人”様が決めて下さる。
元より誰も正体がわからない。神ですらわからないのだ。
学園にやってきた人物が、本物だろうが偽物だろうが……。
そんなものはどちらでもよい。本物にしてしまえばよいのだ。
聞けば、そいつは辺境の地に住んでいる村人だそうだ。
村人なんぞ、幾ら死んでも構わん。
生きているのも死んでいることと同じようなものだ。
所詮はゴキブリのように沸いて出てくるだけの存在なのだから」
ようやく私は、心の奥底から納得して、そして深く頷いた。
「そうですわ。
スゥルターヌ教への信心を持たない村人風情のゴミは、魔獣の死骸と共に燃やして消えて当然です」
「お前に課せられた、反教会派の貴族の生徒を退学に追い込むという使命。
それは一度、停止するのだ。
リンクスは反教会派の可能性が濃厚であるから、下手に刺激するような行動は止めた方が良い。
そして計画を変更して、五ヶ月以内に行われる模擬戦の中で始末することにしなさい。模擬戦は教員の目が離れる好機」
自分の楽しみが奪われるような気がして一瞬、不快な気分になったが、すぐに押しとどめた。
「………了解しました、わ」
*
御爺様の言う通り、リンクスと名乗る白髪灰目の美少年が私が通う学園へ……そればかりか私のクラスにやってきた。ルクアという紫色の長髪に黄金の目を持った絶世の美少女やゴブリンを連れて……。
奴が”本体”であるかは一先ず置いておくとして、異常者であることは間違いのないことだった。
登校初日から問題行動ばかりを起こして、”悪魔”が失踪してから問題行動そのものに過敏になっていたカストロにまで噛みついていたからだ。
そして普段学園に姿を見せることがないリリィが現れていたことから、確実に何かが起きようとしていた。
三日目、ルクアという少女や他のクラスメイトが失踪し、翌日リンクスが姿を消したということが発覚した。
――――そこから数日の間、私は御爺様の言いつけを破って反教会派の貴族の生徒を退学に追い込むという”趣味”を継続していた。
放課後。ぞろぞろと学園の生徒達が帰って行く頃合い。
いつものように同じ教室の人間を数人使って、グレイとランカの二人を今は使われていない教員室の連れ込んだ。
そしていつものように、この埃臭い空間に三人だけとなった。
地べたに這いつくばって赤い目をしている二人の姿を見て嗜虐心が燻られる。
「色々あった…けど、腐れ縁ねェー、グレイ。
まさかここまで学園をやめないものだとは考えてもいなかったわ。
マア、貴方自身と、私達に刃向かうことを選んだ貴方のお父様方を恨みなさい。 サア!」
とこいつの腹を二度蹴り上げてから、髪を上に持ち上げてのぞき込むように顔を近づけた。
「…くッ」
我慢してから嬲るというのは、実に清々しく気持ちの良いものだ。
加工場に出荷される前の豚のような、恐怖に滲んだ二人の目を見ていると、殺してしまいそうになる。
そのまま頭をがっしりと掴んで、何度も床にたたきつけた。
小さく悲鳴を上げる度に、苦しさを増していくのを感じる度に…!
これは神が、数日間我慢をした私に与えてくれた褒美なのだということを理解せざるを得なかった。
―――そして地面に血だまりが出来始めた頃。
私の腕を白い手が掴んでいた。
「は?」
私は手に付着したエメラルドのような数本の髪の毛を振り払ってから、そいつの顔をみた。
「もう、止めて下さい!」
ランカだ。
言うに事欠いて、この取るに足らない欠陥品風情が人を助けようとしていたのだ。いつもグレイに守られてばかりの屑がだ。いつもだったら頭を抱えて時間が過ぎるまで震えているだけなのに。
この目だ。
この正義感を気取った青い目。
余りにも不愉快が過ぎて、ここで殴り殺すことを考えてしまった。
「ゃ…やめなさい…らんか」
と顔が血だらけになったグレイは、相方に訪れる最悪な未来を感じとって血を吐きながら声を上げた。
だが、その思い通りに動くことを私はしなかった。
ずっと、大事に取ってあったことを教えてあげることにしたのだ。
彼女には肉体的な苦痛ではなく、精神的な苦痛の方が効きそうだから。
「ランカァ……今だからいうけどさあ。婚約破棄は全て私が仕組んだのよ。
侯爵家の男と婚約して未来が明るかったと思うけど。残念でしたァ」
と内緒話をするように耳打ちをして、彼女に囁いてあげた。
「え……そんな……こと」
段々と、青く黒く、絶望の表情に染まっていくのを見て、更に教えてあげようと思った。
「本当はね。貴方たちみたいなゴミ屑は、豚の餌にしてあげたかったのよ。
いいえ。そのつもりだったのだけど出来なくなった……。
模擬戦の中で……ただの授業の中で死ぬことになったんだから、ね」
と伝えて、この日は、この二人を自分の気が済むまでいたぶり通した。
*
数日が経って、何故か、ここ最近の出来事の記憶が薄れているような……そんな気がしていた。
しかし、はっきりと覚えていることがあった。
次、リンクスが学園に現れる時は、
そして、闇の一族が来たならば、リンクスが欠けていなければならなかった。
そう思っていたのだ。
しかし、現実は、思い描いた通りにはいかなかった。
”どちらも”現れたからだ。何事もなく、唯、平然と。
それが当然だったかのように。
リリィは何故か毎日学校に通い始めた。
あの
リンクスは、無断欠席ということになっていた。ルクアという少女もだ。
それら全てが『通常である』と思い込もうとしている自分に恐怖した。
本当は何かが起きていたはずなのに思い出せない。
記憶になぜか靄がかかっているかのように感じていたが、最悪なことになっているということだけは理解できた。
御爺様にも聞いてみたが、私と同じような症状が起きていた。
思い通りにいかないことに対する苛立ちをあの二人にぶつけようにも、出来なかった。反教会派であるリンクスの目があったからだ。
私は失意の中、そして異常な空間に置かれていても、ただ時間だけが過ぎていった。
心の奥底で、記憶が確かじゃないけれど、確実に覚えていることだけを成し遂げようとしていた。
『リンクスの情報を得る。もしくは捕らえる』
次に……『模擬戦の中でグレイとランカを始末する』
前者は、不可能なことに思えたが、二つ目の方は容易いことであると思っていた。
模擬戦が始った。
そして後者も不可能だと気付くことに、余り時間はかからなかった。
まず、第三班がいる場所へと近付くことさえ敵わなかったからだ。
そして彼らは動かず、どこの班とも戦いに行こうとする様子がなかった。
一班も二班もいなかった。
この森の中で魔術による戦闘の音すら聞こえなかった。
最初から私達の班と、三班しかいないかのように思えた。
起きたことと言えば、天気が一回かき消えて押しつぶされるような重力に襲われるという超常的な現象だけであった。
この時点で、その範囲内に近付こうとする勇気すら起きなかった。
誰がこの現象を引き起こしたのか、それを理解していたからだ。
制限時間に刻一刻と近付いていった時、私は閃いた。
同じ班の仲間を全員倒して、逃げる事に。
ストレスが溜まりすぎて、班の少年に魔術で攻撃をしたら何故かポイントを貰えたことがキッカケだった。
倒れている4班の面々に、「私に殺されたくなければ、3班に特攻してあの二人を始末してきなさい」とだけ言って私は姿を消すことに決めた。
*
そして、逃げて逃げて逃げ続けた。
夕暮れ時、落ちていた奇妙な本を拾った。
そのとき、天から『この本を開くと全ての情報が手に入る』と言う声が聞こえた。
これは絶望している私にスゥルターヌ様から向けられた天啓だと確信した。
どこか聞いたことのあるような、声に導かれるがままに一心不乱に本を開いた。
思うことは、『”リンクス”に関する情報を得たい』
正にこれだけだった。
そして全ての情報を、その白い本から入手することに成功した。
使い終ったとき、手から弾かれるように本が墜ちた。
真っ白な雪の地面に溶け込んでいるように見えた。
これがあの男の未来だ。
嗤いが止まらなかった。
――――私が持っている相手の『能力』を奪うという力。
それは、相手の情報を”知る”ことで発動する。
つまり、これで奴の力の根源である『時間操作』を今、奪い取ったのだ。
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