第30話『攻略本の使い道』
正午を過ぎて模擬戦は残り5時間となった。
氷の地面の上、雪が優しくかぶせていくように降り積もっていくことは、ただ無意味に時間が過ぎたことの証であった。
俺の方はもうクタクタであった。今にも幽体離脱しそうなほどに。
精神的にも肉体的にも色々としんどかった。
一秒も戦ってすらいないのにコンディションが最悪であった。
ついでに言えば、こんな状況なのにまだまだ制限時間が残っていて、よくわからない妨害行為がいつ訪れるのかを待ち続けなければならなかった。
なので俺は現在、ルクアに膝枕をしてもらいながらウトウトしていた。
ランカの一件で、””かなり精神が疲弊しすぎた””為だ。
俺から膝枕をしてほしいと頼んだら、彼女は歓喜に酔いしれながら、秒でしてくれた。
彼女の吐息が荒いことや何らかの呪文を唱えていることを気にしなければ、太ももが暖かくて実に気分がよかった。
実はそこまで膝枕をしてもらったことがないので、その点でも最高だった。
自分の顔に触れた彼女の髪から香ってくるラベンダーや柑橘系のような甘やかな匂いと、近くでバーベキューコンロの炭が燃える心地よい音が、更に俺を夢の世界へと誘おうとしていた。
凡そ3時間、自分達の班は監視魔獣にこの場所へ案内されてからというもの、留守番をするように全く動かずにいた。
特に大した理由はなかった。
しいていうならまだその時ではないからだろう。
制限時間がギリギリになるという焦りだす時がくるまでは受動的でいたかった。
仮に、モーガン先生が言うように妨害してくる輩がいたとして、ランカやグレイの命を狙っているとしても、それはこの模擬戦の中での話である。
であれば向こうも制限時間というものは気にしている筈だ……。
ニヤけた顔をした。
それが例え、全くの部外者やクラスメイトであっても構わない。
俺は、何か悪い事を企んでいる連中が、時間に迫られて切羽詰まった様子で来るのを見るのが好きだ。
残り一時間、残り四十分……残り十分となったとき、奴らは一体どういう表情で向かってくるのだろうか。
締め切りに迫られた漫画家のような青ざめた顔で来るのだろうか?
それとも怒りに満ちた顔で来るのだろうか?
ソレも悪くない。
まさか最も一位に近い3班が、他の班を追い回すわけでもなく、一歩も動かないとは思ってもみなかっただろう。
『攻略本』や、ルクアの魔術で位置を特定してもらって今すぐにでも叩き潰すことは可能ではあるが、それはつまらない。
グレイやランカの二人には申し訳ないが。
分かり易い悪役が既に存在しているのならば、俺は楽しみの一つとして、そいつらでストレスを解消させて貰おうか。
ポイントに関しても、こちらとしては4班を料理するだけでいい。
今できることは、この場から離れずに、まだこの場にきていないルーカスやゲゲイン君を待つことだけだ。
*
とても重要なことを思い出して、意識は完全に覚醒した。
今になるまで、すっかり忘れていたことがあったのだ。
「能力の修行をしてもらってないな……」
修行というか、ただ、自分の能力の権限を他人に与える方法を聞くだけなのだが。
「誰に。誰に修行なんかをしてもらうの?
リンクス君はすでに完成しているのに」
とルクアは冷水よりも、雪よりも冷たい声で言った。
俺は思った。
本当に既に俺が完成していてこの程度だったら非常に悲しいと。
そして彼女は実に勘が鋭かった。
俺の発言からどこかへ行ってしまうと思ったのか、膝枕をした状態で、俺の首を腕で締めてどこにもいけないような状態にした。
このまま彼女がもう少し力を加えたら、膝枕からのチョークスリーパーという謎のコンボ技になるだろう。俺の頸動脈が危ない。
「……完成なんかしていないよ。日々僕は圧倒的な速度で成長をしているからね」
と俺は慎重に言うと、それもそうだという感じで感心した声を出した。
修行相手のことは偽ろうと思ったが、ここは素直に言おう。
「修行はリリィちゃんにしてもらうんだ」
「……何を、言っているの」
そう言うと、彼女は無表情でぐっと力を加えた。
頸動脈に流れる血が止まったような気がした。
「ぅぐぇ………かっ、彼女に、何か貰っていたね?」
俺は苦しみながらも無理矢理そう言った。
想定内だ。
「……ぇ」
彼女は何か重大な秘め事がバレたときのようないじらしい顔をして、瞬間的に俺の首を解放した。
そう、ルクアは珍しく俺に隠し事をしていたのだ。
あの後、どんな感じでリリィに
「僕はリリィちゃんと約束をしたんだ。
ルクアちゃんが喜んでくれるようなプレゼントをあげてくれるのならば、この僕に修行を付けるという権利を与えると」
今言ったことをリリィに聞かれていたらグーで殴られるかもしれない。
「そっ、そんな……ことを。私のせいで……」
ルクアはめちゃくちゃ動揺をして、胸元あたりに一瞬手を触れた。
そこにブツを隠してあるのだろう。
俺はその隙にサッと起き上がった。
「丁度今から、修行を付けて貰う約束だったんだ。
ルクアちゃんに不甲斐ない僕をみられると恥ずかしいから、ここで少し待っていて欲しい。 リリィちゃんに貰ったもので遊びながらね」
そう言って俺は彼女の頭を撫でてから、リリィがいるところへと向かった。
しかし、まさかあの時の忌まわしき遺産が、彼女にとっては、俺に言えないほどの大きなプレゼントに変わったのだ。もし実情をしれば怒り狂うどころの話では済まないだろうが。
彼女が喜んでくれるのなら、過程は重要ではない。
惨事も俗事になる。
であれば……であればだ。
もう一度リリィに人形にしてもらって、俺の左腕や両脚を切り落としてもらおう。両眼をくりぬくのもアリかも知れない。
首さえ残っていれば、大丈夫そうだからどこの部分を切り落としていくかはリリィと要相談だ。
ルクアにあげることのできるプレゼントがいっぱい増えて嬉しくなった。
かなり痛いが我慢しよう。どうせ人間に戻ったら全て元通りになっているのだから。
*
「まだ少し早いけど……いいわ。先に本を渡して」
と班の集まりから離れた所で、木にもたれかかるようにいた銀髪ゴスロリ美少女はぶっきらぼうに言った。
「早い?」
何が早いのだろうかと思いながら、3.5次元ポケットから攻略本を取り出してリリィに投げ渡した。
しかし、彼女はしっかりと受け取ったのだが、その瞬間、バチッと静電気に触れてしまったかのような感じで地面に落としてしまった。
「……くッ」
「あ~~ちゃんとキャッチしないから。
苦手なのは言葉のキャッチボールだけじゃなかったんだね」
と俺は彼女が落としてしまった攻略本を取りに行って、付着した雪を払った。
彼女は手を摩りながら、実に機嫌が悪そうに俺を睨んだ。
「殺されたいの?」
「ごめんごめん。僕の村で流行ってるジョークだよ。
そういえばこの本は僕が許可した人間じゃないと渡せないんだった。今から誰でも使えるように設定しなおすよ。一回だけ使ったら元に戻るから気を付けてね」
と俺は彼女に『攻略本』を手渡した。
まず他人に攻略本を貸すことがないから完全に忘れていた。……ということにしておこう。
リリィは本を持ちながら何かをするわけでもなく、それをただ見つめていた。
「うん? 開かないのかな。
『攻略本』は開かないと使うことはできないよ。
Aボタンを押して本を開くんだ」
と村人Lの俺はNPCのように言った。
「あなた……口調や性格が変わったかと思えば、すぐに戻ったりして気持ち悪い。不気味」
本当に彼女から、心底気持ち悪いと思われているようだった。
「あのねぇ。
素の自分を隠したまま、このキャラと話し方を維持するの結構しんどいからね。 君も人形に対しての話しかけ方と今が随分と違うじゃないか」
俺は勇者になるべく荊の道を進んでいるのだ。馬鹿にしないで頂きたい。
「あなたは自分のペットと人間に対して、同じ話し方をしているの?」
と彼女は少し赤面しながら言った。
「……していないね」
そして普通に論破された。
「攻略本はここでは使えないわ。
それより教えて―――なぜあなたは私を許したの」
と彼女は気難しそうな暗い顔をして言った。
目線は俺ではなく、地面に向けられていてその声色にも後ろめたさがあった。
「え?」
「あのことについて謝る気持ちはさらさらない。
けど…何故私に何の制裁も加えなかったの。しようと思えばできたはずなのに。私はあなたから全てを奪うつもりだった」
「君からそんな話題を振られるとは思ってなかったな。
隠していたわけじゃないし、これは真面目に答えるとしようか。
理由は簡単だけどね。他の全てが嘘であっても、君のルクアの事が好きだという感情だけは真実だと確信を得ていたから。
唯それだけ。許すなんていうそんな高尚なものじゃない。
僕の行動原理は常にルクアだ。
君の存在が彼女にとって有益だと判断したから……と言えば分かり易いか」
『ルクアの友達になってくれそうだから』
と素直に言えない俺は精神的に異常があるのだろう。
怒っていなかったと言えば嘘になるが、俺個人の感情など些細な問題なのだ。最初からあってないようなもので………”感情”、それは砂浜に刻まれた文字が波にかき消され、流されていくような瞬間的な存在だ。
そんなものを第一に考えるより、メリットとデメリットを見据えて確かな未来をみるべきだ。
あのとき、ルクアの事を好いてくれている存在がいたと知って、俺は死んでも良いと思った。分かっていたからだ。自分という存在がルクアを縛り続けていることを。
そして死にかけても、自分の生をあっさりと諦めた。
自分が死ぬことで彼女に第二の人生を歩んで貰えるキッカケを作りたかったのかもしれない。これは逃げだ。
そして”リリィがルクアに危害を加えずに人間に戻す”という確証も得ていたが、ルクアの心情を考えても根本的な解決ではなかった。
仮に怒りという感情が続いていたとしても、その拳はリリィに振るうべきじゃなく、逃げることを選んだ俺なのだ。
人形化の状態で奪われた腕も、錆びて砕け散った関節も、死ぬほど痛かったがそれは逃げを選んだ自分への罰として適切で、寧ろ感謝までしていた。
最初は”ある”と勘違いをしていた痛みの上限も、それは殆ど血が出るか出ないかの差でしかなかった――――。
きっと、ルクアを救わなければならないという気持ちが麻酔のように働いて、ここで死んだほうが良いのではないかという自己嫌悪が俺をひたすらに騙していたのだ。
……やばいな。俺まで暗い気持ちになってきた。
今日で体力を消耗しながら、感情が揺さぶられすぎたことで、精神状態がぐちゃぐちゃなっている証拠だ。ランカ………。
「そう………よくわかったわ。
今からわたしは数時間、姿を消すから。
全てが終ればあなたは能力の新しい使い方を理解しているはず。
何が起きても、うたがわないことね」
小悪魔的な含みのあるような表情をみせて、彼女は『攻略本』をぷらぷらと振りながら、白銀世界に溶け消えるように姿を消した。
「………」
攻略本だけ持って行って消えてしまった。
「……はあ?」
格好つけて消えていったが、お前この班の班長だぞ。消えるな。
しかし……彼女、一体何を調べるつもりなのだろうか。
まさか、以前に子供の作り方がどうのこうの言ってたから、それを調べるのか?
もしそうだったとしても、セクハラになるから聞くことはしないが。
俺は紳士だからな……しかし、万が一予想通りだったら、未だにお人形さんで遊んでいる少女の心が砕け散ってしまう可能性もある。
どちらにせよ本を持ったままどこかへ消えてしまったし、絶対エロいこと調べてるな。
使用履歴を見れば一発でわかるんだ。
これからは『攻略本』でR18関連のことを調べることができないように、保護者設定的なやつでロックを掛けておこう。
彼女は『何が起きても疑うな』とは言っていたが、それは俺の方が言いたい。
どんなに卑猥なものが出てきても、俺は少女にそれを見せたという罪と、一切の責任を負わないと。
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