2021年 エイプリルフール企画 BAD ENDⅠ『リンクスくん、ちょっとおかしくなる』
「――――て、リンクスくん」
その慣れ親しんだ声を聞いて俺の意識が覚醒した。
静けさと悲哀を込めた囁きの音色は、自分という泥沼の中に沈んで、底に溜まって行くようだった。
「ッ……ぁ………」
頭の中が、妙に痛い。
二日酔いにも似た頭痛の中で、俺は自分の記憶を辿ってみた。
あった筈の記憶が思い出せない。
村の平和な日常の記憶の他に、もっと大事な何かがあったはずなのに。もはやどれほどの時間が経ったのかすらも分からない。
そして俺の体は麻痺しているような違和感があった。
感覚ははっきりしないが、自分は横たわっているのだということは眼を閉じていても理解できる。
俺は眼を開いた。
視線の先、若く美しい女子の顔があった。
おろされた長い髪の毛は、闇と溶け合ったような黒髪をベースに、所々、毛先や毛束に紫紺が入り混じっている。
頬を赤らめて、真っ黒な瞳で俺のことを熟視していた。最愛の人間にでも見えているのだろうか。
夢でもみているように惚け、のぼせていて一向に黙ったままである。
少女は肩出しの黒いロングドレスを着ていた。黒薔薇のような美しさ。
そのせいで胸の大きさが余計に強調されていて嫌でも視界に入るから、目のやりどころに困った。
歳は十六か十七に見えるが、ルクアに似ているように感じた。髪色も瞳の色も違うけれど、多分成長したらこんな感じになるはずだ。
そして今の体勢的に、俺はその少女の両膝に頭を預けて横たえていることも分かった。
自分のような人間が、見ず知らずの人間に膝枕をしてもらうようなことをいつしたのだろう。
このままではまずいと思って、起き上がろうとしたが、体にはまるで力が入らず、ズシリと重く、全く動けなかった。
首も動かないから、目だけを動かして辺りをみた。
真っ平な天井も、薄黒い染みが付いた壁も、薄汚い灰色の空間。
壁の質感やその寂しさ。
恐らくコンクリートのような材質で造られた部屋なのだろう。
その部屋には灰色の塊や、木で出来た人型の模型、何かがびっしりと書かれた紙が散らばっていた。奥には魔導書のような本が積み重なっている。
照明器具は一切ないのに、この部屋は一定の明かるさを保っていた。
「なんだ、………ここは」
口元に僅かな障害を感じながらも俺は第一声を発することができた。
「また、逢えた。また逢えた」
彼女は俺の言葉を聞いて、何回も、その言葉を繰り返した。
喜んでいた。
その声をちゃんと聞いた時、まさかあるわけないと考えていたことが、ほとんど確信に変わった。
「ル、……クア?」
声質に変化が起きて、やや大人びているものの俺の耳はその声を知っていたのだ。
「そう、そうだよ。いつでも、リンクスくんはわかってくれてる」
と彼女は頷いて、俺の言葉を肯定した。
しゃべり方も、微笑むときの仕草も、ルクアと同じだった。
だから、俺はその事実をそのまま信じた。
「その格好は、この部屋は、一体俺は――――――――」
ルクアだと分かって、色々と聞こうとした。
俺は膝枕をされた状態から、体を抱きしめるように持ち上げられた。
互いの視線が絡み合った。
淀みもない、濁りもない、純粋な黒い瞳だ。
顔の構成比はあまりに完璧で、数世紀は現れないであろう絶美を誇った美少女。
あどけなさ、幼さが消えた成長したルクアを間近でみて、俺は何も言えなくなった。
「聞いて、リンクス君。ルクアねリンクス君のために、アイツら全部殺すことができたよ」
と、互いの顔が僅か数センチの所でルクアは言った。
「ッ……!」
俺はルクアの口からそんな怖ろしい言葉がでてきたことに驚いた。
聞き間違いであって欲しかった、信じたくなかった。
そして、ルクアが誰を殺したのかは理解できた。
別に難しいことじゃない、ルクアが人を殺すようなとき、誰を狙うかなんてことは手に取るようにわかるから。
ルクアの母親、村の人間、俺の両親の順で始末していったのだろう。
「リンクスくんと一緒だったから、この場所も好きになれた」
そう言って、ルクアは俺に接吻をした。
蝶の死体を愛でるような大事さで、俺の事を触れて壊さぬように。
これが、初めてではないような気がした。
けれども、これで終わりのような悲しさもあった。
俺は……はたしてルクアを怒るべきなのだろうか。
僧侶のようにさとすことで、改心させるべきなのだろうか。
そんな思いと悩みが自分の中にあった。
人を殺した。
確かにこれは悪いことだ。決してゆるされることじゃない。
しかし、しかしだ。
その罪の全てがルクアにあるかと言われればそうではない。
彼女が起こした行動の八割以上、俺が原因なのだ。
自らの母親を殺すキッカケ。
村の人間や俺の両親を殺すまでに至った理由。
それは俺が作ってしまったのではないか。
であれば、そんな罪深き俺が、どうして叱りつけたり、さとしたりするような真似が出来るのだ。元はと言えば、自分の独りよがりな考えだけで、ルクアの性格を変えてしまったからではないか。
母親に虐待をされていたという噂も聞いていた。
俺もルクアと会話する度に、違和感を感じていたのだ。
それが真実ならば、ルクアの精神が弱り切った所に俺がつけこんで洗脳したことになる。
性格が歪んでも当然だ。
俺がもっとルクアに大事なことを教えられていれば、異変に早期から気付いて対処していれば、無理やりにでも家から引き離すことができていたなら……そもそも俺がいなければ、ルクアはもっとまともな誰かに助けられていたのかもしれない。
これは自分が招いた結果だ。俺が殺したのだ。
その産物を俺は今みているのだ。
……………違う。それすらも言い訳だ。全部嘘だ。
自分は、ルクアの事が好きなのだ。
ルクアがどれだけ人間を殺しても、仲の良かった知り合いを殺そうが、家族を殺されようが、怒りの感情すら沸いてこないほどに。
俺は、悲しみすらも抱いていない。
実はどうでもよかったのかもしれない。
目の前にルクアがいるからだ。彼女がいれば、もう他なんてどうでもよかったのだ。
そう自分で分かってしまうのが怖かったから、色々言い訳を並べ立てていた。
俺はついに、人の命の価値すら分からなくなるほどに好きになってしまったのだ。
この世界にはルクアしかいない。ルクアも俺しかいない。
ならば自分にすら、嘘をつく必要はもうないのだ。
ルクアは、俺からゆっくりと唇を離した。
俺の言葉を待っている。
「まだ……何が起きているかわからないけど、今までのことも、この先のこともルクアが何をしようが俺が許そう。どこまで下へ墜ちようが、その先までついていくから」
と、俺がそう言った時、ルクアは明らかに動揺して表情を変えた。
「リンクスくんの前世のお話を教えて欲しいの! そうしたら、全部元通りになって、もっと幸せになれるからッ!!!」
ルクアは何故か俺に急かすように叫んだ。
俺には藁にもすがっているような、精神的に追い込まれているようにみえた。
「前世……? 何を言ってるんだ」
俺には全くルクアの言っていることの意味が全く以て、分からなかった。
普通の人間は、自分の前世なんか覚えているはずがないからだ。
「また…………同じことを、いうんだ……」
「え」
「どうして………本当の、リンクスくんじゃないと駄目なのに」
ルクアは続けざまに、理解の出来ないことを呟いていた。
かなり落胆していた。
「次も、逢おうね、リンクスくん」
とルクアは両頬に涙を流しながら、俺を慰めるように言った。
絶対に離すまいと言わんばかりに抱きしめられた。
ボロボロと泥人形が崩壊するように、俺の体が足下から砂になって崩れていった。
そのとき、ようやく自分は少年ではなく、青年になっていることに気付いた。
ルクアの身長が伸びているのに、俺の方が高かったからだ。
そして途切れて離ればなれになっていた記憶が全て、一つに収束していった。全てを思い出した。
「………ァ……」
その気付きは遅すぎて、もう声は出ない。
ルクアに言葉にして伝えることが出来なくなった。
だが、今回は少し惜しかったのではないか。
記憶を取り戻すまでの時間がわずかながらに短くなってきている。
いつかはルクアに………流石に無理そうだ。
でもまた平和な世界で、最初からルクアと共に過ごしたいと思うのは自分勝手すぎるだろうか。
そう思える自分は愚かな幸せものだなと感じた。
彼女がどれだけ時を刻んでも、何百何千と同じ俺を造ってくれて、また一緒に共依存になれるのだから。
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