第14話 『天災!四神どうぶつ園』②

 白虎の背中が見えたときにはすでに自分の右腕は消えていたのだ。

鮮血は溢れず、血は滴らない。



 倒した筈の白虎はスリのように後ろから俺の右腕を奪い、背を向けてリリィの所まで駆けて行った。



 そして自分の両眼はまだ『時間加速』によって強化されているから、宙を駆ける白虎の細かなモーションすら捉えることができた。



 虎は地に両前足を付けてリリィの所で軽やかに着地すると、クルリと回ってこちらを向いた。長い尻尾がぐねぐね動いている。




 コイツいつの間に俺の背後に……!



 俺は本当に何が起こったのかが一ミリとしてわからず、失った二の腕の断面辺りを抑えながらいつでも迎撃できるようにしていた。



 右腕を一本取られた。

それなのに、そこまでの大事件だと思わない自分に驚いた。


「そこまでの痛さじゃない……?」


 ある程度の痛みと微かな喪失感。


 腕が取れてるのに一定以上痛さが来ない。

やはり偽物の痛覚にも上限があるということになる。

 

 不幸中の幸いに俺はひたすら安堵した。



 今の、血とか出てたらまずかった。

もしこれが本物の体だったら、「腕があああああああああ」とか言って終わってた。痛さで悶絶するだろうし、今回ばかりは人形で良かったかもしれない。戦闘するときだけ人形になりたい。



 しかしなんで急にまた白虎が現われたんだ。

白虎の死体は俺が遠くに蹴り飛ばしていた筈。


 復活していること自体は、二体目が現われたとか時間経過で蘇るとかで考えられるとしても、俺に全く気づかれずに後ろを取れたことが理解できない。


 さすがにあんなでかいのが動き出したら嫌でも目に映るぞ。


 

「ググゥ……ッ」


 白虎は喉を鳴らして、リリィの前に行くと道端に唾を吐くように俺の腕を捨てた。それを見たリリィはよくやったと言いたげな満面の笑みを浮かべていて、白虎の頭を一回撫でた。


 その光景は、ペットの猫が飼い主にゴキブリやら鼠を献上しているのと同じに見えた。



「よくみたら、可愛らしいお手々をしてるのね」

 

 リリィは離ればなれになった俺の腕を地面から拾い上げると、すこし弄ってからそう言った。 



 そして白虎は左前足を大きく出して、俺に追撃を加えようとする意思をみせた。


 クソが考えてる暇がない。だがこんなときこそ頭を回さなくては。




 このカラクリを看破するには、もう一度白虎を再起不能にするしかない。

そしてその後に、リリィの攻撃を躱しながら逐一白虎の様子を観察して、いつ異変が起きるのかを確認するのだ。



 ……。まあ、言ってみただけでそんなことはできないけどな。


 俺の戦闘スキル的にもそうだが、はたしてリリィがそれを許すだろうか。

そんな高度な戦闘をするぐらいならあいつを直で倒しにいった方がまだ勝率が高い。 



 それ以前に、なんであいつは俺の首を狙わなかったことが気になる。

完全に俺の背後をとって不意打ちを出来たのに、右腕だけで済んだ理由がわからない。




 思考時間はほんの僅かではあったが、疑問は湧くだけ湧いて、攻略法は思いついても消えただけであった。

 

 

 白虎は大口を裂けんばかりに開いて、氷原のような白い獣毛をつららのように逆立たせた。凶暴的な歯牙をむけると、地響きとともにばく進してきた。



「クソッ、来い!」


 もう一回顔面に一発決めてやる。

俺は自分の気持ちを奮い立たせて、戦車のように迫り来る巨躯に対峙した。



 『時間加速』


 瞬発的に能力を行使しながら五歩の助走をつけてジャンプし、虎の顔面めがけて左ストレートパンチを放った。


 腕が一本足りないのと、宙に跳んでいるせいで体重移動がなかなか難しく、回転による力を加えることができなかったが、それでも今日一番の威力を乗せて打ち抜いた。



 ドパァンッ!

 白虎の眉間にメキメキと俺の拳は沈んで行き、水風船が破裂するように銀色の体液を散らして、白虎の顔面はぐちゃぐちゃになった。



 内部には、骨も血肉も脳髄も無い。

俺は一度目に頭部を飛ばしたときと同じだと思った。

 

 しかし、銀色の液体は宇宙空間で静止するように浮かんだまま、なぜか地面に落ちない。前は飛沫となって、廊下に染みを作った筈なのに。



「なんだ」


 俺は片手を床について着地すると、この妙な光景と左拳に違和感が残っていることに気がついた。



 確かに渾身の一撃を顔面にたたき込んでやった筈だ。

それなのに、この、殺ったという感覚がないのは何でだ。最初のときとは明らかに何かが違う。



 俺は得体のしれない何かがあると感じながらも、続けざまに直立不動の白虎の左前足に向けて、ローキックを噛ました。



 ――――――――――加速した俺の脛が、白虎の堅く巨木のような脚部を刈ろうとしたときついに本質の一部を知った。



 白虎の躰全体が銀色になった途端、水のような自由さでぐにゃりと形を変えて、俺の蹴りを躱したのだ。


「はっ?」



 その勢いのままに、獣の造形をものすごい速さで変化させて、虎の肉体から銀の丸い球形に変えた。


 俺が見間違いかと瞬きをするその間に、球形から細かく密集し合った長い針が生み出され、ハリセンボンのように膨らむと全方位に向けて無数の針を飛ばした。



 視界の中には白く反射光が瞬いた。


 満天の星空のような眩い光を認めた時、俺の体には光の粒がマシンガンのように襲いかかってきた。


 

 大量の雨粒を思わせるぐらい、極めて短い間隔で射出された針が体に衝突した。


「ブッ」

 


 ガガガガッと連続且つ同時に、針の嵐を浴びせられて変な声が出た。

一本一本が秘める力が強く、足を地につけて踏ん張れない。


 

「お……ぉぉお!?」


 俺は両目を護るため片腕を上げながら、虫の大群に押されるようにニ歩三歩四歩と後ずさりした。


 時間加速での防御は余裕で間に合ってはいたが、チクチクして痛い。



 そうこうしている内に、攻撃は収まった。

大体五秒か六秒続いたように感じた。



 辺りに転がったり壁に刺さっている針は、全て氷のように溶けて、水銀に変化してからさっきの球形に帰るように吸収されていく。


 高価そうな赤の絨毯が、蓮の穴みたいに開いて気持ち悪い程の黒点を作った。


「な……」



 俺は目の前で浮遊し続ける奇妙な銀の大玉を見て唖然とした。


 おいおいおいおいおいおいおいおい。

何それ。いきなり瞬間移動してきたり、虎を辞めて針飛ばして来たり、どうなってるんだ。物理攻撃が効かないのか?顔面吹っ飛ばしても意味ないしこれじゃあもう逃げるしかないじゃん。



 今、あの球形を叩いた所でダメージを与えることが出来ないなら、もうこの場から退いた方がいい。



 そろそろ逃げよう。

ついでに一つだけ分かったことがある。この白虎が元気に走り回っているときは、リリィは青龍刀で攻撃してこない。つまり白虎が一時的に戦闘不能になっている時にしか使えないのだ。


 俺を不可視の斬撃で切り刻めるタイミングなどいくらでもあったのに、してこなかったのが良い証拠だろう。




 ――――――俺が逃げる事を考えた時、銀の大玉がまた形を変化し始めた。その経過で虎の形がうかがい知れた。



 謎の変身はすぐに終了し、一見すると同じ白虎に戻ったように見えたが、殆ど別物へと昇華していた。

 

 肉体の鋼鉄が生み出す光沢と硬質感、そして甲殻類生物が持つような凶悪な棘を全身に纏っているから、実に攻撃的なフォルムをしている。極め付けに後ろ脚が異常に発達していてバッタのようだ。

 

 両眼は紅く爛々と光り、メタリックな造形は正にターミネーターである。

やはり生物を辞めてしまっているらしい。 



「金属の肉体に形状変化か」


 多分、俺がこの白虎から得られる情報はここまでだ。

それ以上は厳しい。あれを潰せる程の時間加速は、後2回か3回使えたらいい所だ。また攻撃が効かなかったり、復活でもされたら目も当てられない。




「フーー……」


 俺はキメラのような異形の生物へと進化を遂げた元白虎を目の前にし、『時間加速』を使って一気に駆けて、逃げることに決めた。



 最初はリリィの部屋から吹き飛ばされて、通路の壁際を背に戦闘していたのが、気付いたときには真ん中まで出ていた。


 正面には、白虎とリリィ。

後ろには、図書室まで続く、突き当たりの曲がり角。


 この人形の歩幅では、曲がり角へ行こうにも、山頂までのような遙か彼方な距離だ。しかし残りの能力を全て使えば、一度目のようにすぐに辿りつき、逃げ切ることが出来るだろう。



 逃げる。逃げるのだ。


 俺が何かを企んでいることに勘付いたのか、変形した白虎の後ろでリリィが構えた。


「何かするつもりでしょ」


 なんでわかった。



「うん、まあ」


 今から本気で逃げるぞ。

仲間集めたときとか人間の体に戻ったら、相手してやるからとりあえず見逃してくれ。




「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」


 俺は喉が壊れるぐらい大声で叫んで、一歩だけドンと前へ進み出た。

 

 この明らかに普通ではない俺の気迫が向こうにも伝わって、一瞬だけ場の流れが止まった。 


「よっしゃあ!行くぞッッ!!」



 左拳を握りしめて、両目に闘志をギンギンに籠らせて威勢よく吠えた。


 白虎は瞬時に反応して主人の前にふさがるように立ち、リリィは青龍刀を投げ捨てて魔力を滾らせた。


 

 時間加速での本気ダッシュは、一回やってトラウマになりかけたけどやるしかない。

 

「はぁ……」



 リリィに気づかれない程度の浅い溜息をついてから、さらに覚悟を決めた。

 

 

 ――――――俺は大きく足を後ろに振ってから、振り子運動で加速した爪先でスプーンで抉るように地面そのものを前に蹴った。


 赤の絨毯の下の木材で出来た床がべきばきと音を散らして、リリィの方向へちぎれ飛んでいった。



 床の建材を能力を使って蹴り飛ばしのだ。

 

 大砲のような破壊音が迸って、岩雪崩のように呑み込もうとしていった。それを前にしてもメタリックな白虎はジッと固まっていた。



 俺はその猫だましを最後まで見届けず、バッと後ろに振り返って、最後になるであろう『時間加速』を行使した。

 



 保険をかけて、一度目のような両足だけにかかるものではなく、全身の時間加速だ。

 結局ビビってしまった。

 


 一歩目のスタートを切って、普段走り出すのと同じ要領で前へ跳ねた。 


「……ッ!」


 グンと後ろに引っ張られるような感覚が来た。

この瞬間だけで、大きくリリィ達から距離を取ることが出来て、自分だけレーシングカーに乗っているような気分だ。


 だが以前よりは少し遅い。

全身に『時間加速』を掛けて安全性が向上した分だけ、速度が落ちた。


 

 廊下の景色は高速で過ぎ去り、突き当りまで半分を越えて、地面を踏み切って二歩目でさらに加速しようとした時だった。



「えっっっ」


 前へ出すはずの左足がコンクリートで固められたように全く動かなくなった。左足どころか、下半身自体が動かない。



 俺は二歩目を踏み出すことが出来ず、勢いよくこけて、ズザザザザーと前のめりに転倒した。


 それでも加速し、前に進もうとする体は、ゴム鞠のように弾んでは弾んで、また回っては床を転げていった。


 保険が効いたおかげで大したダメージは無い。

だが勢いが速すぎたために受け身すら取れなかった。



 *


 ゴロゴロ転がって、俺はすぐには立ち上がることはできずに、五秒ほどうつぶせになって床に伏していた。



「嘘だろ、おい、マジで」 

 体が動かない。しかし腕は動く。

ギシギシギギギと異様な音が聞こえた。俺はすぐに最初に起きた異常を思い出した。


 また動けなくなったのだ。


 あの時は『時間遡行』を使って体を治したが、もうそれは使えない。

体が言うことを聞かないと、脚が動かないと、このまま逃げることもできずに殺されてしまうッ!




 そして自分の口元から、何かの液体が伝って零れたことに気づいた。



「血、か?」

 

 まさかこの身に血が通っていたとでもいうのだろうか。


 俺は倒れながら左手の甲で拭い、目で確認したとき衝撃を受けた。



 どす黒い工場廃液のような液体が手にべっとりとついていたのだ。


「ッッ……!??」


 こんなものが俺の体内にめぐっていた……!?ショック。



 いや……この液体とこの臭いは、どこかで……。


 自分の中で情報と情報が絡み合って、つながりかけようとしたのに次の瞬間掻き消された。


「絶対逃がさないから」



 その声が聞こえた時、すぐに顔を上げて、片手だけで無理やり立ち上がった。足から骨がぶっ壊れそうなほどの軋んだ音が出た。



 焦点が合わず、メラメラと燃え盛る魔力だけが突然に現われたかのように思った。


 銀髪ツインテールの美少女の輪郭が一瞬の程みえた。



 速い!

二歩目が踏み出せなかったとはいえ、すぐに俺の前に回り込んでくるとは。



「ぐぇっ」

 ガクンと、体がくの字に折れて俺は体の中の空気を全て吐き出した。

ついでにあの黒い液体も出てきた。


 強烈な下段蹴りを正面から受けたのだ。

動く事は出来ずとも、時間加速で防御はできた。


 この小さな人形の体には、蹴りの接触面が広くほぼ胴体全てに蹴りの衝撃が入り、大砲でも喰らったような錯覚を覚えた。


 リリィはボールでも蹴っているような気分だろう。

俺は衝撃を受けきれず、地面から足を話して空中を一直線に滑空した。

浮遊感もなく、グゥウウンと、加速する景色が段々と遅延しているように感じた。当然能力は一切使っていない。



 さすがに結構効いた。俺の防御力をわずかながら上回っていたのだ。

そのせいで集中力が途切れて能力が上手く使えなくなった。


 しかも俺に接近してきたという事は、もう時間停止を使うことが出来ないのがリリィにバレたのだ。だから遠距離から攻撃するのではなく、近づいて殺しにやってきた。



 ――――――飛ぶ方向の先、口を開いて、待ち構える虎の姿があった。



 結構、あっさりと俺は自分が負けたのだと感じた。


 負けるまでが普通に早かったから仕方ないのかもしれない。

吹き飛ばされている記憶しかないが、こっちは限界ギリギリで戦っていたのに、あいつにはそんな気配がまるでなかった。



 あーあ死んだわ。さっさと逃げればよかった……。

ちょっと軽く戦ってリリィの情報が得られたら即離脱にしようと思ってたのになあ。さすがに甘く見すぎたか。てか初戦闘でこんなクソ強いやつと戦うとかまじでついてなさ過ぎだろ。スライムとかその辺の雑魚いモンスターを倒してレベルアップしてから戦わせてくれよ。……ルクア、すまん、後はあいつらにまかせた。それでも無理なら、ゲゲイン君が助けに来てくれるはずだ。



 俺はそこで観念して目を閉じた。


 

 周りがスローになる経験をするのはこれで二回目ぐらいで、こうなったときはもう死ぬしかないのだ。



 ………。



 何か柔らかいものに受け止められたような感触がした。

喰われたにしてはやけに優しい衝撃だ。



 まさか……。白虎が寝返った……のか?

主人であるリリィに反旗を翻し、俺と組もうとでも――――



「大丈夫かい?」


 俺の脳内であり得ない想像がされていた時、そんな余裕と知性に富んだ聞き覚えのある声がした。


 ここがあの世ではないことを願いながら、恐る恐る目を開いた。



 水色と白の白波のような澄んだ前髪に青翡翠の両眼、整った横顔、顔立ち。

不思議の国のアリスのような白黒の服をきた美少女がいた。


 しかも俺はお姫様抱っこをされていた。



「あぁ……!ありがとうございますありがとうございます、ありがとうございます!」


 感動と嬉しさのあまり、それしか言えなかった。

今は人形だから涙は出ないが、本当だったら泣いていた。



 アルストロメリアが助けに来てくれたのだ。

動けないふりをやめて、俺が死にそうになっているところに駆けつけてくれた。



 助かったのはうれしいが、俺がお姫様でアルストロメリアの方が勇者のようで何ともむず痒い気分である。普通に顔を赤らめて惚れそうになった。



「あれ、あの虎は」


 そうだ。彼女がここにいるということはあの白虎は……。


 そう思って白虎がいたはずの場所を頭を動かして探してみると、十等分ほどに綺麗にぶつ切りになった大きな銀塊があった。



「とりあえず後ろから始末したんだけど、すぐに復活するだろうね」


 

 アルストロメリアはそう答えると、ボウッとコンロの火を点火するように魔力を開放した。



 そして右手を前に伸ばした。


「【原位】限定低層魔術 空間突破 《簡易転移門》」


 

 空間に極めて小さな黒点が出来たとき、そこから歪みが起きて渦潮のように渦を巻いた。次第に穴が大きくなると、ブラックホールのような虚無へ誘う穴が完成した。周囲には紫電のようなものが迸っている。



「では逃げよう」


 訓練されたような早さで魔術を行使したアルストロメリアは、俺を抱いたまま転移の穴に近づいて、全身を乗り込ませようとした。

 

 その時なぜか遠くにいるリリィは、近づいてきたり、追って来ようとする気配を見せなかった。


 転移門の中へ完全に入ろうとするとき、俺は見た。


 こちらを無表情で見つめたまま、ぶつぶつと何かを唱えている様子を。

左眼は溶岩のように灼熱の怒りに燃えて、右眼は氷海を思わせるほど冷徹。その極端な程の瞳の感情が、互いに相殺しあって少女の顔つきから感情そのものを失わせているようだった。


 それは俺にとって初めて、寝間着姿の美少女が不気味で怖ろしく感じた瞬間だった。

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