第8話『といすとーりー』

 がんじがらめに鎖で縛られたように、深い闇の中へ墜ちていく。

果てのない底へ墜ちれば墜ちるほど、自分が物へと変えられていくような嫌な感覚だった。


 金縛りと思考停止の連鎖状態。そんな、悪夢ではない違う何かが永遠に続くかのように思った。


 しかし、突如として光明が差し込み、闇の池から掬い上げられた。


 *


「起きたかな?」

 最初に聞こえたのは理知的な少女の声……。


 俺が目覚めた刻、目先に、透き通った青い瞳を見た。

だが、そこには人間のような生気を感じない。

どれだけ精巧であっても作り物の域から抜け出せないような寂しさがあった。


 俺はまだ寝ぼけているような感じで、頭の中に霞がかかっていた。

知らないうちに仰向けになって寝ていたのか。



「ラブドール……何だ、なぎさちゃんか。いつから音声機能が付いたんだ」

 と目を細めて、また閉じてから俺はつぶやいた。

若干視界にぼやけがあった。



「なぎさ?僕の名前はアルストロメリアだけど」


 ここにいるのは、いつも抱きかかえて寝ていた俺のラブドール。

名は、なぎさちゃんだ。六十万ぐらいしたお高い嫁である。

懐かしさを感じた。



 今まで長い夢をみていたような気がする。異世界転生して、ヤンデレの幼なじみが家族になって、旅に出て大博打をしたり、魔術学校的なものに通ったり……。なんだ俺、まだ死んでなかったのか。


 俺はなんか全部が嫌になって。横に転がった。

……何かベッドがすごい堅いな、冷たいし。布団もないし。

床にでも転げ落ちたのか?


 ていうかさっき仰向けで寝てたのに、……抱きかかえてるわけでもないのに、なんで起きたらなぎさちゃんと目があったんだ。重みも感じない。


 俺はなぎさちゃんの状態を確かめるために手を宙で切った。

そのとき、なにか柔らかい物にふれた。


「……いくら僕が人形化しているからといっても、そんな行為は許せないな」


 明らかに人間が俺にしゃべりかける声がした。


「は」


 流石におかしいと思った俺はすぐに飛び起きた。


 そこには、なぎさちゃんではない謎の美少女がいた。



 おとぎ話に出てくるアリスのコスプレのような白黒の服装も、水色の髪の毛も、到底今の日本社会で着られるようなものではなく、一目見て不審者だと俺は思った。


「ッ、なんなんだお前は、俺の部屋に!!!泥棒か!? なぎさちゃんをどこへやった! おかあさーん!百十番してぇーーー!」


 俺は大きく目を見開いて、興奮してそう叫んだ。


「え、どこだ……。ここ」


 そして同時に気付く、俺がいる床も天井も何もかもガラス張りになっていることに。


 数歩進んだ先、正面のガラスの壁の向こう側には巨大空間が広がっていた。


 向こう側は西洋貴族がいそうな、豪華な寝室のように見えるが、……余りにも大きい。巨人でも住んでいるのか。


 この部屋を照らす燭台、何本もの蝋燭の先には紫色に灯る現実的では無い炎が見えた。




「まだ混乱しているようだね、リンクスくん」

 俺に、まるで何かを思い出させるかのように、凜とした声で言葉が放たれた。



「りん……くす」


 そうだ。俺は田中祐介ではない、リンクスだ。

なぎさちゃんはもういない。そしてルクアを探さなければならないのだ。

だが、あの日、学校の廊下を歩いていたときからの記憶が一切ない。



 この一見、俺と同じぐらいの身長の水色の髪の美少女。

よくよく見れば人間ではない。わかりやすく言えば魂が存在するダッチワイフ。


 彼女はアルストロメリアという人形なのだ。ついでに、考えが正しければ二週間前に失踪したといわれる学園の生徒会長である。



「そんな、馬鹿な。まさか……」

 俺は自分の身体をみた。あのとき着ていた制服とローブも靴までもが人形サイズに縮んでいた。


 つまり、アルストロメリアという人形が大きくなったんじゃない。

俺が30センチサイズに縮んでいるのだ。


 そのまま小さくなったのではなく、根本からナニカに変わっている。

手もやけにすべすべしていて、この身体の肌も肉も現実のものではない違う材質……。多分血が通っていないだろうから肌を切り裂かれても何も出てこない。



「君も人形になったんだよ。ようやく色々思い出して理解できた所かな?」 


 少女は俺にあきれ果てたかのように、腕を組んでそう言った。



「貴方は生徒会長のアルストロメリアさんでよろしいでしょうか……?」

 と俺は念の為に聞いた。



「そうだよ。僕の事はまずは置いておいて、君のことを順を追って説明しようか。……君は昨日、リリィの能力によって人形にされた。そして寝室へと連れてこられて、このショーケースの中へ一つの人形として展示された」


「うそだろ……じゃあ、もしかしてルクアもッ!」

 俺は脳内に巡った一つの可能性を言った。



「察しが良いね、そういうことだよ。ルクアという女の子は一昨日ここへ連れ去られた。もうこの部屋にはいないけどね」


 俺は深くため息をついた。安堵していた。

ルクアはワケの分からない連中にどこかへ連れ去られたとかじゃない。

俺の手の届く場所にいるのだ。



「じゃあ、ルクアはいつ……」

 ではいつルクアは連れ去られたのだろうか。

昼休みにリリィと俺は話していたからルクアに手を出す隙などなかった筈だ。


「リリィはルクアちゃんを初めて見たときから、すごく欲しがっていたんだ。

あの日リリィは、君がカストロを教室から追い出した直後、その空白に誘導魔術と催眠魔術をかけたんだよ。本当は昼休みが来たらすぐにルクアちゃんは女子トイレに誘導する予定だったらしいけど、もの凄い力で魔術に抵抗してね……昼休みの時間、最後に君と話を一瞬だけしてただろう?

それが済んだらようやく術にはまって、教室から退出させたら目的の場所で待機さ。結構強い誘導魔術だったんだけどね」


 俺は彼女の話を黙って聞いていた。


 ……もとよりルクアの誘拐の計画があったのか。



「リンクス君。ここからが本題だ、よく聞いてくれ。

現在リリィは、新しく手に入った人形のルクアちゃんにご執心だ。

けれどそのお陰で僕もようやくあの子の手から離れて自由に動き回れるようになった。これは千載一遇のチャンスなんだ。


彼女が昨日新たな人形を増やしてくれたこともあって役者は揃った。

今から君と同じように、硬直状態から解放したい人形が二人いる。その為にはまずこの部屋から抜け出さなくてはならない。

だから、君の力を貸してくれ」


 と、アルストロメリアは綺麗な青い目を輝かせて言った。


 つまり、リリィのお気に入りがアルストロメリアからルクアに変わったから、ルクアを真っ先に救うことはできないということだ。


 今もリリィの手の中にいるというのならば、まだ手出しできない。



「勿論、手伝わせて頂きます」

 この誘いに乗るのは当たり前の話だった。

そもそも、どんな手段を用いたのか俺を目覚めさせてもらった恩があるから断れない。


「どうして今更敬語なんか使うんだい。僕の胸を触った仲じゃないか」


「え………すみません」


 嘘だろ。あのときか……感触を覚えておけば良かった。


 そして何を言われようが、俺より先輩で生徒会長なのだから敬語で話さなければならない。



 *


 さあこのガラスのショーケースから出ようと言うときに、アルストロメリアはリリィの能力について解説し始めた。


「一度、リリィによって人形にされた者は自分で動き出すことはできない。

目覚めることも無ければ意識を持つこともない」


 俺はそれを聞いて一瞬意味が分からず、怪訝そうな顔をした。


「今話したのは僕以外の話だ。例外的に僕だけは人形にされても自我をもって動き回ることが出来た。その理由については、自分が最初に人形にされた者だからだと思っている。人間が生まれたときから最初から持つ、原始的な本能のように彼女の能力について理解できたんだ。


そして、君を硬直状態から解き放つことができて、ようやく合点がいった。僕が人形にされた者に触れると、その人の硬直状態が解除されるんだ。

これが出来るのは恐らく僕だけ……」



 つまり氷鬼の逆バージョンというわけか。

通常、氷鬼という遊びは鬼が誰かに触れたら、その人物は固まって動けなくなる。


 この場合その逆だから、アルストロメリアという鬼が既に固まっている人物に触れていき次々と解放していくのだ。


 そしてそんな鬼を一人で放置するということは、リリィは自分の能力の致命的な弱点にまだ気付いていないということだ。



「人形にされた者を元の人間に戻す方法まではわからないけれど、ある一つのルールが僕の本能に刻み込まれている」



「それは、人間に自分を視認されれば全く身動きが出来なくなるということだ。ただこれはリリィには当てはまらない。彼女には見られていても動ける」


「では、別に今はそれを気にする必要はないということですか」


「逆だよ。この屋敷には少なくとも十人以上は人が歩き回っている。

主な敵はこの広大な屋敷内を清掃して回るメイド達だが、執事、召使い等の人間も怖いね。ここには至るところにそういった罠があるんだ」


 そこまで言い終わったときに、理解できたかな?と俺に聞いてきた。



「話が長くなったけど、そろそろ行こうか。僕の後ろについてきてくれ」


 アルストロメリアはそう言って、ガラスのショーケースの大きな扉を押して開けると、地面へ飛び降りていった。



 見下ろしてみると、下から俺に早く来いと、手を振っていた。



 ……ここから下って結構高さがあるよな。

こんな高い所から落ちたら俺普通に死ぬんじゃないか。


 仕方ないので俺は『時間加速』で身体を防御しながら、地面へと落ちていった。

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