第2話 出会った日
むぅと出会ったのは冷たい雨の日だった。
仕事を終えて駅から自宅への道を歩いていた。仕事はなんとかこなせるようになった。しかし友人もおらず活発な性格でもない琴子はただ家と職場を行き来し、休日は家で独り過ごす生活だった。楽しみも趣味も特にない。
傘に雨が落ちる音、靴には水が染み込んで特有の不快感。
雨のせいなのか、仕事の疲れか、それとも今のなんの楽しみもないこの生活のせいか心の奥底に虚無感を抱えながらただ歩いていた。
……何か聞こえてきた。雨音に紛れて、かなり耳をすまさないと聞こえない、微かに、助けを呼ぶような。
今の琴子が助けを呼んだらこんな声だろうか、そんな声。
全神経を耳に集中させて、その声がする方へ進んだ。
どうやら空き地から声がするようだ。『売地』と書かれた看板の横の柵を跨いで入る。完全に不法侵入なので、こっそりと声の主を探す。
手入れもされておらず、雑草が生い茂る土地の隅に何かがいた。
雨で濡れている薄汚れた毛が丸まっている。
猫だった。むぅ......むぅ......と弱々しいが確かに泣いている。
琴子は気付いたら自分の鞄からタオルを引っ張り出し、その瀕死の猫をくるんで走っていた。
近くの動物病院に駆け込んだ。この時間まで診療していることはよく通り掛かるから琴子は知っていた。
* * *
その日から猫との生活がはじまった。
衰弱していたが、獣医さんや看護師さんに教えてもらったり、本で調べた情報で必死にお世話した結果、猫は順調に回復していった。
その猫は、よく「むぅ」と鳴いた。
おやつを要求するときや、いびきなんかもそうだった。
だから琴子はその猫を『むぅ』と名付けた。
むぅは、琴子に甘えることは最期までなかった。しかしおやつは大好きで、その小袋を見せたときは近寄ってきて目を輝かせた。ご飯であるカリカリよりもおやつを要求して、いつも「カリカリ食べないとだめだよー」となだめていた。
甘えることはなかったものの、琴子を警戒したり、威嚇することもなかった。いつも鋭い目をしていて最初は怒っているのかと思ったが、一緒に暮らしているうちにこれが通常モードの顔なのだとわかった。
琴子が仕事から帰ってくると、むぅはいつも鳴き声で迎えてくれた。むぅ専用に買ったベッドだったり、琴子のベッドの上から。眠いときは丸まったまま、暇にしてたときは琴子をしっかりと見つめて。撫でてくれと寄ってくることはなかったが、「おかえり」と言ってくれているようで琴子はそれがとても嬉しかった。虚無感で潰れそうだった琴子のこころは、むぅと一緒に暮らし始めてからだんだん軽くなっていくようだった。
むぅはよく琴子の膝の上を陣取った。 しかし撫でると途端にどこかへ行ってしまった。なので、甘えたいのではないんだと琴子は解釈して膝にのってきても触らずにそっとしておいた。
むぅは保護した当初はやせ細っていたが琴子と暮らし始めてから体重が増え、心配になるような体型ではなくなった。むしろ少し太りすぎなのではないかと、膝にむぅをのせて足が痺れていくのをなんとかこらえながら琴子はよく思っていた。痺れは辛いものの、むぅの暖かさは琴子の身体全体を包み込み、心地がよかった。
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