第186話 海への道のり――港と海水浴

 クロエを止めることは誰にも出来なかった。


 今のこの感動をありのままお伝えするのは神託の巫女の務め!


 と言い切られてしまえばエミリアさんたちに否やはない。


 神託の巫女の護衛という立場のラウロは、到着したばかりで景色を楽しみたいと言うクロエに渋い顔こそすれ、お役目とあれば止めたりしない。


 リオは最初こそ眠いとだだを捏ねたが、海に行くなら美味しい獲物が獲れるかも、とむしろ積極派である。


「居住区から海に行くルートは複数ありますけど、一番早いのにしましょう」


 苦笑いしながらもライカは一行を先導して、拠点のすぐそばにある、街中央を流れる用水路まで出る。


「馬車だとさっきのように、行ったり来たりしながら坂道を進みますけれど、この用水路沿いの歩道を進めば、ほぼまっすぐですわ。徒歩になりますが、馬車よりよほど早く着きます」


 段差部分にかなり急な階段があるが、この世界では階段があるだけマシな部類である。

 そこを先導しながらライカは階段を降りる前に、障害物のない用水路の橋の上から海の方を指さした。


「海のある方が東です。で、北側……左手側が漁港。中央の用水路沿いに海産物の加工場と市場、右手側は小さな林と海水浴場になってますわ」

「結界杭の中に海水浴場? 随分と贅沢な土地の使い方だな」


 とレンが呟くと、ライカはにこやかに頷いた。


「そう思いますよね。私も最初はそう思いましたわ」

「海水浴場?」


 とクロエは首を傾げる。


 結界の外は危険な場所である。

 水棲の魔物もいるのだから、水遊びなど結界の中に引き込んだ下水用水の上流部分でしかできないのが普通の感覚である。

 海水浴という概念自体、あまり一般的ではない。


「風呂に入ることを沐浴、入浴と呼びますわよね。同様に海の水に浸かることを海水浴と呼ぶそうですわ」

「塩水に?」

「珍しいことではありませんわ。塩水の温泉もありますもの? 海水浴場は英雄が作ったとされてますわ……実際には英雄の協力を得て、当時の領主が作った、ということですけれど」

「行きたい」

「ええ、海の中にも川のように流れがあり、そのおかげで、海水浴場はここまで匂わないそうですし、とても綺麗な場所です。港を少し見てから参りましょうか」


 ライカがそういうとクロエは目を輝かせて頷いた。


  ◆◇◆◇◆


 漁港は岩場の海岸の一部を土魔法を駆使して掘り下げ、一部を埋め立てて作られていた。

 そうして作られた一番外側の桟橋に結界杭が設置されているため、桟橋のあるあたりまでは一定の安全が保たれている。

 海に向って左方向に桟橋が幾つか並び、その手前に倉庫などがある。

 右方向には用水路があり、その辺りが海産物加工場と市場になっており、海には生け簀がある。用水路の右奥には、桟橋にも似た形状の岬が突き出しており、その周囲の波は荒い。

 岬の周囲には防風林なのか、たくさんの木々が生えている。


 この港の船の行動範囲は、船から港の篝火が見えるあたりまでとされている。

 船には魔物が嫌う匂いを出す樹脂が塗られていて、船自体が魔物に襲われることは極めて稀とされているため、篝火は魔物対策というよりも迷子防止が一番の理由である。


 夜明け前、陸風にのって船を出し、港の灯りが見える範囲に散らばって魚を釣る。

 或いは、前日仕掛けた小型の罠を回収する。魔物が掛かることがあるので、大きな網は使えない。

 午前中、風が海風に変わったあたりで港に戻ってくる。


 船は3人も乗ったら満員になりそうな小型の帆船が多い。

 三角の帆を使うタイプで、帆を2枚使うタイプや双胴船も混在している。

 いずれも安全性を重視した構造となっているため、速度はあまり出ない。


 丁度漁船が戻ってくる時間にぶつかったらしく、用水路から見た時は数隻しかなかった船が次々に増えていく。


 木箱に詰めた魚が次々に市場に運ばれていくのを邪魔にならないように遠くから眺めているクロエに、接近する老人がいた、

 その接近に気付いていたラウロだったが、老人の物腰から脅威ではないと判断して接近を許す。

 それを理解しているかのように老人はラウロに会釈をすると、クロエに話しかけた。


「船に興味あるンかい?」

「ん。海の船は初めて見た」


 そのクロエの返事に、日焼けした顔に刻まれた皺を深くしながら老人は笑った。


「そうかぁ。なら、あっちの倉庫の外階段を上がってみるとええ、高いとこから見ると遠くの船も良く見えンぞ。もしなんか言われたらメローニんとこのピノ爺さんが上って良いって言ったって言えばええ」

「ありがと、エミリア、いい?」

「クローネお嬢様がお望みなら」


 エミリアの許可を得たクロエは、ピノに手を振って倉庫の外側の階段を上って踊り場から景色を楽しむのだった。


  ◆◇◆◇◆


 階段の上で存分に眺めを楽しんだクロエだったが、階段を降りるなり


「くさいしなんかベトベトする」


 と髪に触れ、洗浄魔法を使う。


「潮風ですわ。この時間は海から陸に向って風が吹きますから、風には塩水が含まれますの。海岸近くだとこの影響がかなりあって、鉄を出しておくと錆びてしまうそうですわ」


 ライカの説明に、ジェラルディーナは


「武具にもよくなさそうですね」


 と、革鎧に幾つか使われている金具を確認するのだった。


  ◆◇◆◇◆


 海産物の市場を眺め、レンが諸々半分程度を買い込み、アイテムボックスにしまっていく。

 基本的に近海での漁だが、エビ、カニ、タコ、イカだけではなく大型の魚なども揚がっている。

 海藻類や塩もそれなりにあり、レンはそれらを大量に買い取り、明日もまた同じくらいの量を買いに来ると約束した。


「レン、買いすぎ」

「海の魚は美味いし、エビやカニも茹でるだけでかなり美味しくなるからね」

「レン。エーレンがレンの料理食べてみたいって」


 リオにそう言われ、レンは少し困ったような顔をする。


「エーレンのサイズ分の料理はちょっと難しいんだけど」

「ソウルリンク状態で食べるから、あたしサイズ分で問題無いよ」

「そか……食べてみたいものって何かあるのか?」

「カニと貝だって」


 そう言われ、レンは市場を見回した。

 カニは普通に揚がっていたが、貝を見掛けなかったことに気付いたのだ。


「そういや、あんまり貝がないな。ライカ、何か知ってるか?」

「この市場は漁港からの水揚げが中心ですから。貝は冒険者ギルドになりますわ」

「……なんでまた?」

「小さな二枚貝なら、この後向う海水浴場でも取れるので市場に出ることもありますが、大きな貝は、潜らないと取れませんので」


 かなり危険なのです、というライカに、海の魔物か、とレンは得心した。

 船なら特殊な樹脂を塗っておけば魔物に襲われることはほとんどないが、それには魔物忌避剤と同じ程度の効果しかない。

 獲物の姿を直接確認されれば、匂いなど気にせずに魔物は襲ってくるのだ。


「なら、取りあえず買えるものだけ買っておくか」


 と、レンは買い占めない程度に目についたものから順に買いあさっていく。

 それを見たライカが


レンご主人様は本当にカニとか蜘蛛とかお好きですよね)


 などと考えているということを知らずにいるのは、レンに取っては良いことなのかそれとも悪いことなのか。

 いずれにせよ、様々な魚介類を購入したレン達は、そのまま市場を南に抜けて、防風林を通り抜ける。


 防風林の手前は街道側よりやや低い程度の高さに岬が突き出した地形になっている。

 その岬に掘られた岩の階段を上ると、港が一望出来る。

 そして、岬の奥はと言うと。


「白い」


 クロエは砂浜を見て、不思議そうな表情で港を振り返った。


「黒い」


 そしてレンに「なんで?」と尋ねた。


「降りて見ないと分からないけど、近くに白っぽい岩か、枯れた珊瑚で出来た海岸があるんじゃないかな」


 とレンは答える。


「白っぽい岩?」

「海岸の砂は、どこかから流れ着いたものだと思うよ。陸から流れてくることもあるし、他の海岸の岩なんかが波で削られて流れてくることもある……ほら」


 とレンは、海と岬を指差した。


「海流が南から北に流れている場合、その流れをこの岬がせき止めるから、この場所には砂が溜まりやすいのかもしれない」


 それが正しいかどうかは、色々調べないと分からないけど。

 と続けたレンは、砂浜の奥、街を囲む塀の手前に建物のようなものを見付けた。


「ライカ、あっちの建物は?」

「海水浴場ですわ」

「更衣室かなにかか?」

「いえ、ですから海水浴場です」


 行けば分かります、と背を押され、レン達は白い砂浜をその建物まで進む。


 建物は石造りの塀で、入り口は男女別になっている。


「銭湯か温泉みたいな感じだな」


 男用の入り口から中を覗くと、砂浜がプールのように深く掘られており、そこに海水が溜まっていて、時折強い波が来ると砂混じりの海水が追加される。

 天井はなく、中には陽光が降り注いでいる。


「なんだこれ?」

「お客さん、初めてかい?」


 番台にしか見えない位置に座ったおばあさんが楽しげに尋ねてくる。

 レンが頷くと、おばあさんが片手を出してくる。


「銀貨5枚。ここは潮湯治って言って、健康になるために海水に浸かる場所だよ」

「そこに海があるのにわざわざ?」

「まあね。海に入ったらベトベトになるだろ? ここでは出た後、真水で体を洗えるんだ。それに裸で海に入るのは、恥ずかしいってお客さんも多くてね」

「中は男女別?」

「当たり前さね。風呂と同じで裸で入るんだから」


 なるほど、これは風呂と同じ扱いなのか、とレンは納得した。

 その上で、


「クローネお嬢様はどうする?」


 と念のため尋ねてみる。

 神託の巫女として、様々な経験をしたがるクロエが断るはずも無く、ならば、と、女性には、以前温泉で渡した指輪の中身を確認するように告げ、男女に分かれて中に入る。


 脱いだ服を脱衣籠に入れ、非常用の装備を入れた指輪だけを身に着けたレンは、裸になって海水に浸かる。

 なお、ラウロとファビオは外で待機している。


 プールのような場所をひとり占めにしたレンは、


「まあ、化繊みたいな水着に適した布があるわけじゃないし、地球の海水浴も元々は医療行為って話は聞いたことあるけど……湯浴み着じゃなく、裸でってのもなんでなんだろうな」


 と、ひとり楽しげに呟くのだった。

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