第185話 海への道のり――赤ん坊と階段状の街
そして夜半、元気な赤ん坊の泣き声が響き渡った。
ライカは赤ん坊を産湯で洗い、綺麗な布にくるんで母となった女性に新しい命を見せる。
「頑張りましたわね」
ライカが抱く我が子に、女性は目を潤ませる。
息も絶え絶えに汗だくになって、それでもやり遂げた女性は、自らが産みだした命に愛おしげに手を伸ばす。
疲れ切った手は震えながらも赤ん坊の手に触れ、赤ん坊は何も分からないままに触れた指を握る。
「初めまして、あなたも頑張ったね」
初めての親子の対面の後、ライカは赤ん坊をエミリアに託し、父親に見せに行かせる。
そして、女性の口元に封を切ったポーションを近付ける。
「これは初級の体力回復ポーションですわ、お祝いに差し上げますから飲んでくださいまし」
「あ、あの、こんなことまでして頂くわけには」
「封を切ってしまいましたから、日持ちしませんの。産後、母親が死にやすいのは知っているのでしょう? あの子のためと思って飲みなさいな」
女性が頷くのを確認すると、ライカはポーションの瓶を傾け、女性の口に中身を流し込んだ。
◆◇◆◇◆
諸々片付けた頃には空は白んでいた。
使用した布や桶には洗浄魔法を使い、綺麗にした布の内、扱いやすい木綿のものをひとまとめにする。
「おむつとかで、布はこれから入り用でしょ?」
そう言ってライカは家族に布を渡す。
「ありがとうございました。こんな道端での出産、どうなることかと思いましたが、本当に助かりました」
「感謝の気持ちがあるなら、誰かに聞かれた時、黄昏商会と暁商会に助けて貰ったと言ってくださいまし。お礼はそれで十分ですわ。エミリアさん達からは何かありまして?」
「神殿からは、元気な子を育ててくださいとだけ。その子の行く道に、多くの祝福が訪れることを神に祈ります」
「本当にありがとうございます」
赤ん坊を抱いて、深々と頭を下げる親になって数時間のふたりに、ラウロが声を掛け、銀色のメダルを渡す。
「これをやろう。もしもこの先困る事があれば、バルバート公爵に助けを求めるが良い。レン殿に救われた命なら、何か意味があるやも知れん」
ラウロに名前を出されたレンは仏頂面で
「ないと思いますけど」
と答えつつも
「でも何かあったら助けてあげてくださいね」
と続ける。
「ならば私からはこれを」
と、対抗するようにクロエも大きな薄緑のメダルを渡す。
「これを神殿で見せれば、助けて貰えるかもしれない」
「聖域の巫女からの信を得たことを示すメダルだっけか」
クロエが渡したメダルは、レンもマリーから受け取った事がある物だった。
「公爵様に、聖域の巫女様……聖域? あ、まさか」
「私の名は詮索しないように」
唇の前に人差し指を立て、クロエがそう言うと、夫婦は慌てて頭を下げる。
こうして、海辺の街の少し手前で起きた騒動は収束した。
ちなみに、忌避剤の影響で一時は離れていた周辺の魔物や獣の多くは、女性があげる悲鳴と血の臭いを嗅ぎつけて戻ってきたため、一晩掛けてリオに狩り尽くされていた。
陰の功労者であるリオは、馬車の屋根に寝転びながら小さな命を眺め、
(小さくてかわいい)
と足をバタバタさせていたが、幸いにしてそれを指摘する者はいなかった。
◆◇◆◇◆
ターラントの街は街道の東の突き当りに存在する海沿いの街である。
階段状の土地に作られた大きな街の半分程は、漁港や海産物の加工のためのエリアとなっており、近くの大きな川から引き込んだ用水路には勢いよく水が流れている。
売り物にならない魚の内臓や網にかかった雑魚はその用水路に捨てられる、海まで押し流されるが、昼頃になると海風の影響で街の中は大変生臭くなる。
「潮の香り?」
馬車から下りたクロエは、鼻に皺を寄せながらそう尋ねる。
ライカは苦笑いを浮かべつつ、
「まあ似たようなものですが、こちらはそのまま魚の腐敗臭ですから強烈ですわね。でもすぐ慣れると思いますわ」
と返す。
「腐ってるの?」
「干物を作ったりする際に切り取った部分等を用水路に流しているそうで、水路の水が少ない時期はもっと匂うそうですわ」
「臭くなると分かっていてなぜ?」
「? ……ああ、なぜ臭くなるのに用水路に捨てるのか、という事なら、又聞きの話ですけど、用水路が海に注ぐ付近に生け簀があるからとか、撒き餌の代わりになって、釣り場に魚が集まりやすくなるとか聞きましたわ」
臭さを我慢するに足る理由があるらしい、とライカが説明するとクロエはなるほど、と頷く。
そして、レンに視線を向けて尋ねる。
「海の街についたけど、レンはどうする?」
「うん。幾つか目的があるけど、まずは色々な海産物や素材を見てみたいかな。後はノンビリ海を眺めたいし、海沿いの他の漁村にも足を運びたいね」
「その前にまず宿だが」
とラウロが言うと、ライカが先に商業ギルドに行くことを提案する。
「構わぬが、なぜかね?」
「この街は当初の目的地です。私からは命じておりませんので確実ではないのですが、先行した行商人たちが何か手配しているかもしれませんので」
「……クローネお嬢様が来ると噂を流して回った連中か。まあ手配されていないなら、ギルドに宿を紹介してもらえば済むか。クローネお嬢様もそれでよろしいか?」
「ん。任せる」
◆◇◆◇◆
商業ギルドを訪ねたライカが窓口でギルドカードを提示して訪問の目的を告げると、すぐさま奥の応接室に通される。
応接セットの椅子は客側が4つ。
それぞれにライカ、レン、クロエが腰掛ける。ラウロ達は貴族だが、護衛という立場なのでクロエの斜め後ろに立つ。
リオは微妙な立ち位置だが、大人しく座っているよりも壁に掛けられた絵を眺める方が良いようで、絵の前で腕組みをしている。
冷たく冷やしたお茶を供されたライカは、テーブルの上の小さなトレイに割り符を乗せて待つ。
殆ど待つこともなく、身なりの良い女性が現れ、椅子に座っている面々と、その後ろの護衛の配置を見て、不思議そうな顔を見せるが、すぐさま気を取り直してライカに対して丁寧に頭を下げる。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。確かにライカ・ラピス様宛に黄昏商会と暁商会の連名で荷と手紙を預かっております。割り符をお持ちと伺っておりますが、こちらがそうですね?」
ライカが頷くと、女性は失礼します、とトレイごと割り符を受け取り、ドアの外に待機していた事務員に確認するように指示をする。
「ああ申し遅れました。私。ターラント商業ギルド、渉外担当のソニアと申します。以後よしなに」
ライカに向って再び頭を下げるソニアに対し、ライカは不愉快そうに首を横に振る。
「それは私ではなく、こちらの
「ご主人様、ですか?」
クロエとレンを等分に眺め、護衛の配置から、クロエが守られる対象であると判断したソニアはクロエに向き直る。
ライカの機嫌が悪くなったのを察したレンは、そこで割り込むことにした。
「ソニアさん、俺がレンです。ライカ、無理言っちゃダメだよ。俺は自己紹介すらしてないんだから」
レンはそう言ってソニアに向って軽く頭を下げる。
「ライカの義父で、黄昏商会会頭のレンです。こっちは旅の仲間のクローネお嬢様、ちなみに、公的には後ろの護衛が一番身分が高いのでお気を付けて」
「黄昏商会の会頭? 長らく空位のままでしたが……いえ、違いますね……ライカ様のお義父上ということは……初代の会頭でいらっしゃる?」
「あー、うん。よく知ってるね。600年放置してたけど、この度戻ってきたレンです。俺自身は会頭は引退したつもりなんだけどね」
「黄昏商会も暁商会も
「ライカもそういうのは控えような……まあ、アレです、俺は確かに黄昏商会を作りましたが、ここまで育て上げたのは俺の義娘と義息子たちです。俺自身は大したことはしてませんので、そんなに構える必要はありませんよ」
レンとしては純然たる事実を述べているだけなのだが、ソニアの視線が尊崇のそれに変わる。
「このように
ライカがそう付け加えた時、ドアがノックされた。
「失礼します。確認が取れましたので、お預かりしていた物をお持ちしました」
割り符の乗ったトレイを、台車に乗せて事務員が部屋に入ってくる。
一瞬、ラウロが警戒の色を見せ、事務員がやや怯えたりする一幕もあったが、台車の上の木箱をテーブルの上に乗せた事務員は頭を下げて部屋から出て行く。
木箱の中身は魔法の旅行鞄と封筒がひとつ。
割り符の乗ったトレイと、鞄と封筒をテーブルに乗せ、ソニアはご確認くださいとライカに示した。
ライカはまず封筒を開封した。
中身は手紙で、1枚目には購入した品々の詳細な情報をまとめたノートが旅行鞄にしまってある旨が記されていた。
取り出したノートを軽く流し読みしつつ、鞄の中身が記載の通りである事を確認したライカは、鞄から指輪を入れるのに良さそうな大きさの小箱を取り出す。
箱はアイテムボックスになっており、ライカはそこから鍵と分厚い封筒を取り出す。
「当りですわね」
「ライカ、それは?」
「この街の拠点となる屋敷の権利書と鍵ですわ……ラウロ様」
「何かね?」
「この街の拠点での生活ですが、使用人を普通に雇うのと、領主様からお借りするの、どちらが良いですか?」
ライカに問われたラウロは、少し考えてから、
「いずれにせよ、クローネお嬢様の詳細は伝えぬままとなる。ならば、領主から借りる安全さを選ぶべきだ……分かった。俺から連絡しておく。だが、何人必要なのだ? 拠点の大きさは?」
「寝室は大部屋が2つ、小部屋が4つ。後は普通の屋敷ですわ」
「そうすると……エミリア殿、使用人の統括はお任せしても良いかね? 基本的には管理者も借り受けるが、それらへの指示出しをお願いしたい。手が足りぬ場合はファビオを使ってくれ」
「承知しました。ただし、クローネお嬢様の護衛を最優先と致しますのでご承知置きを」
「うむ……ならばファビオ、すぐに手配を。ライカ殿、ファビオに屋敷の位置を教えてやってくれ」
そうした手配の準備が整うと、ライカは魔法の旅行鞄を手に、立ち上がった。
「それではソニアさん、私どもはこれで失礼いたします……そうそう、私達の旅は一種の国家事業ですので、見聞きした事をあまり口外されないようにしてくださいましね?」
「か、かしこまりました。何かお手伝い出来ることがあれば、いつでもいらしてください」
◆◇◆◇◆
ターラントの街は、街道に接する西側部分が一番高く、そこから東の海に向って階段状に下がっていく。
海面までの高低差は数mに及び、少しでも高低差を和らげるため、大通りは街の中をジグザグに走っている。
宅地部分では用水路の大半が地下に埋まっているが、街の中央には大きな水路が海まで流れている。
その大きな水路を渡る橋を数回通過して、レン達の馬車は漁港の手前の位置まで移動した。
「宅地の外れだけど、結界の中央に近いのか」
屋敷の敷地で馬車から降りたレンは、周囲の結界の様子を探りながらそう呟いた。
屋敷があるのは繁華街からは離れた位置で、住宅地の端に近い。
しかし、漁港が街の敷地の一部であることを考えると、街の中央にほど近い位置でもある。
ライカ、エミリア達は屋敷に入って、内部を確認し、部屋の窓を開けて空気を入れ換える。
やや埃っぽいがそれ以外に問題はないと判定され、屋内に足を踏み入れたクロエは、割り当てられた二階の部屋に入っていく。
「レン! レン! 海! 海!」
そしてすぐに飛び出てきたクロエはレンの腕を引いて部屋の窓を指差す。
馬車では扉をしめていたため外を見ることはなかったが、街は階段状になっている。
ほんの少し高い位置から眺めれば漁港の景色を一望できるのだ。
初めて見る青い輝きに、クロエの目は輝いていた。
「レン! あれ、広いの! 行きたい!」
「あー、うん。なら、準備を整えて玄関に集合って、エミリアさんとラウロさんに伝えてきて、それとリオも引っ張ってきて」
「分かった!」
興奮著しいクロエに、同行者の手配を任せ、その過程で落ち着けばよし、落ち着かない場合は全員で護衛だ、とレンは溜息をついてポーチの中身を確認するのだった。
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