第184話 海への道のり――神の意図と巡り合わせ
その後も旅は順調に進む。
海まで後1日、というところでレンは首を傾げた。
「海ってこんなに遠かったっけ?」
クロエはレンに街道の地図を差し出す。
「あ、いや、街道は一本道だから、間違ってるとか言うつもりはないんだけどね」
それでも一応、ありがと、と地図を受け取ったレンは、地図に目を落してなるほどと頷いた。
「改めて見ると、街道って結構曲がりくねってるんだな」
緩やかなカーブが多い程度に認識していたレンだったが、思いの他カーブが多いのだと地図を見て気付き、だから直線距離と街道の長さが一致しないのかと納得する。
出発前にもゲームの中でも、何回となく地図を確認していたレンだったが、今になってようやくそれに気付いたのだ。
ルートは街道沿いに道なりで、街道自体の分岐はないため、あまり真面目に地図を確認していなかったための勘違いだが、元はと言えば『この世界産の地図は
「丘や山は迂回しますから」
とエミリアが返すと、クロエは地図を覗き込み、なるほど? と首を傾げる。
「街道は、可能な限り坂道を避けています。山の間を通る部分も、出来るだけ坂にならないようにうねうねと曲がりくねってましたし、丘陵地帯も避けるようになっているんですよ」
とエミリアは説明をするが、地図には山こそ描かれているが、等高線がないため水平を保っていると読み取れる情報はない。
なぜ、そんなに詳しいのかとクロエが聞くと
「街道は神の奇跡ですから、昔、色々と調べた神官がいたんです。それをまとめた書物が聖域にありますよ」
とエミリアが答える。するとレンは不思議そうな顔をし、クロエも一緒に不思議そうに首を傾げる。
「レン、何か気になった?」
「あー、うん。神殿は神様の意図を探るのは不敬って言うけど、そういうのを調べるのは良いんだなって思ったら、その線引きが分からなくなってさ」
「神々の意図を勝手に推測するのは良いこととされていませんが、目の前にあるものについて知識を蓄える事を悪とは言われておりませんので」
「勝手に推測か……まあ、それなら分からないでもないけど」
「え? 分かるの?」
と目を見開くクロエ。
そして、以前の、神様の考えを推測しろという話と違うけど、どういう風に分かるのか、と質問をする。
「あー……英雄の世界にも神様は存在するとされているんだけど……」
「されている? ソレイル様達はちゃんと存在するのに?」
「んー……英雄の世界は別の神が管理してるってことになるかな、まあリュンヌは既に英雄の世界の神の一柱になっている気もするけど、こっちの他の神々は英雄の世界には干渉していないと思う……それは置いといて、英雄の世界の神様は基本的に何もしないんだ」
「何も? 冥界の管理も? 誕生の祝福も?」
「あー、その辺は見て分かる物じゃないから分からない。こっちとの大きな違いは、神が職業や技能を与えてくれないってことかな。魔物もいないから、それで何とかなってるけど」
職業がない、と聞いたクロエはその世界を想像しようとしたが、すぐに諦めた。
この世界の職業は、生活の全ての基礎である。
神殿で過ごしてきたクロエにとって、それは水や地面が存在しない世界のようなものだった。
だが、隣で考え込んでいたエミリアとフランチェスカは、それなりの世界を想像できたようで、もしかすると、と口を開く。
「職業がない……何もしない。それはつまり、奇跡が奇跡として示されていないということでしょうか?」
「その通り。だから英雄の世界の人間は神の存在を証明できないんだ。だから神を信じる人達は、太陽の日差しや穏やかな気候などに神の恵みを感じたり、ヒトが存在するのは神の奇跡によるものと考えたりするんだけど、でもとにかく神は何も示さない。それこそ、神官が悪いことをしても天罰ひとつないんだ。勝手な解釈を禁じた方が良いと思ったのは主にそっち方面が理由かな」
レンの答えを聞いたクロエとフランチェスカはやや理解が追いついていないようだが、エミリアは納得したように頷いた。
それを見て、レンは、ああ、天罰のある世界でも過去に事件はあったのか、と得心した。
「それはつまり、神官が聖典のこの記述は、実はこういう意味であると勝手な解釈をして、民を惑わせるというような意味でしょうか?」
「惑わせて私腹を肥やすって感じだね。その上英雄の世界には天罰がないから罰を受けないんだけど、敬虔な信者ほど、「神が私に罰を下さないなら、私の述べたことは事実であると神も認めておられる」と言われると、信じざるを得なくなるわけだ」
「英雄の時代以前、似たような事件があったという記録を見た事があります。神官の職業を持たない者が神官と偽って、神殿を自分のものにしようとしたとか」
この世界の天罰は、悪用した職業の恩恵と、それに類する記憶を剥奪するという形で下される。
だから、悪事に関する職業を持たない者ならば天罰の影響は小さい。
そして、料理人の職業を持たなくても練習すれば簡単な料理程度はできるようになるように、持っていない職業を真似ることは困難を伴うが、不可能なことではない。
そうした努力の末に職業を得ること無く神官の知識を学んだ者が、かつて色々やらかしたのだ、とエミリアは述べた。
「なるほど。ひょっとして最初の頃にクロエさんが言っていた「神の意図を探る不敬」、というのは、神から言われたわけじゃなく、人間が自省を込めて言うようになったのかな?」
「調べてみないと分かりませんが、可能性はありますね」
しっかりと天罰のある世界は、自浄能力もしっかりしている、と感心しかけたレンは、一つの疑問を覚えた。
「その、悪さをした神官はどうやって、悪事が露見したんだ?」
「雲ひとつない青空の下、雷に打たれました。そして、同時に世界に灰箱が齎されました」
「分かりやすい天罰だな……でもその結果、神託をみんなが確認できるようになったのか」
或いはそれは、神託を得た神殿内部の有志による制裁だったのかも知れないが、それもまた自浄能力の表れであろう、とレンは余計な事を言わずにおくことにした。
「レン、つまりどういうこと?」
「神の言葉を勝手に解釈して、大勢にそれを吹聴するのは良くないって事かな。神が「あの人間を連れてこい」と言ったとして、「神はあの人間を生け贄に捧げよと言いたいに違いない」とか勝手な解釈をしたら駄目って事だね」
「……それだと、レンが前に言ったことと食い違う?」
「神が言った事の意味を考えて動くべきだって話だね」
レンがそう尋ねると、クロエは「そう、それ」と頷いた。
「何かを命じられたとき、その意図や目的を正しく理解する必要はあると思うよ。それを知らずに行動したら、結果的に神の意に反する行動をとってしまうかも知れない。それが取り返しのつかない結果を齎すこともありえるだろうからね」
先の例だと「生け贄が欲しい」のか「神官として神殿に迎えたい」のかを知らずに生け贄にしてしまった後で、実は神官として迎えたかったと分かっても手遅れだ。だから色々な可能性を考えて、可能な限り正しく意図を読み取り、不安がある場合は出来るだけ取り返しのつかない状態にならないようにしておくのが大事だとレンは述べた。
「それで、もしも意図の取り違えがあったら?」
と尋ねるクロエ。
「灰箱とか、
「レン殿の話は、まるで雑貨屋の店長と店員の関係のようですね」
それはやや不敬ではないか、と言いたげなフランチェスカにレンはそうだね、と答える。
「でも、上司が曖昧な指示を出したら部下は混乱するのが当たり前だからね。神が意図して混乱を招く言い方をしたなら、混乱や失敗も、何なら不敬だって神の計画の内でしょ?」
と詭弁を弄するレンだったが、実際には神託で伝えられる情報量の上限が、その混乱を招いているのだろう、と推測していた。
ヒトやエルフよりも、神とやりとり出来る情報量が多い竜人の協力を得られるなら、その問題を解消するのは難しくない。
ソレイルがリュンヌに情報を伝え、リュンヌから眷属である竜人に伝え、それをヒトに伝えれば良いのだ。その方法なら世界や生き物への影響は少ない。
だが、これでは伝言ゲームである。
どこかで情報が歪む可能性を否定できないし、過去の経緯からヒトが竜人の言葉を素直に信じるのか、という疑問もある。
(ああ、だからこの前の神託装置の話になるのか)
情報量を増やした上で、大勢がそれを確認できるような仕組みがあれば対話のすれ違いは激減する。
とは言え、そうした物が出来た場合の社会への影響は無視できない。
全てに対する答えが得られないにしても、場合によってはそれは「質問をしたら答えが得られる箱」となってしまうかもしれない。
レンは又聞きでしか知らないが、インターネット黎明期に何でもネットで調べられるなら、知識を蓄えるのは不要であるという話がネットに流れたことがある。しかしそれが間違いであることは大勢の犠牲の上で証明されている。結局の所、自分が質問したい事柄について一定以上の理解がない場合、その者の質問は幼児と同等(あれなーに?)になり、調べ、得られた答えを理解するための基礎すら構築できなくなるためである。
そうした事例を聞き知っているだけに、レンは神託装置の扱いには慎重になるべきだと考えていた。
具体的には、作り方と完成品の管理は神殿預かりとして、不用意に拡散しないようにしてもらうべきと考えていたのだ。
(祭りの時の祈りが届いてれば良いけど……まあ、完成したらクロエさんにも説明しておこう)
◆◇◆◇◆
空気の匂いに潮の香りが混じるようになり、比較的森が切れている辺り、緩やかな左へのカーブの手前でライカは馬車を停め、馬車のドアを開ける。
密閉された車内の、調整された空気が入れ替わり、クロエは
「なんか匂う」
と首を傾げた。
「慣れないと不快に感じるかも知れませんが、海の匂い、潮の香りですわ」
「これが……」
書物で読んだことを思い出し、クロエはくんくんと空気の匂いを嗅ぐ。
が、すぐに嗅覚が慣れてしまい、意識しないと香りが分かりにくくなる。
そんなクロエの横からレンは顔を出し、ライカに問いかけた。
「それでライカ、前の連中は?」
「前の連中?」
前方に視線を向けるレンに気付いたクロエは、真似をして遠くを見通そうと視線を動かす。
が、前方に見えるのは丘だけで、それを迂回するように左に曲がる街道と、そこを馬で走って行くレベッカしか見えない。
「前の連中って何?」
「カーブを曲がった少し先に数人の人間の気配があるんだよ」
距離にして40mほど。
レンとライカの気配察知の感知範囲上限よりも僅かに近い位置に、人間の気配があった。
「あ、わかった、あれ」
とクロエが指差す。
見える筈がないと思いつつもレンが視線を動かすと、空気に薄く揺らめく煙のようなものが見えていた。
透明の揺らぎのようなそれは、魔道具で煮炊きをするときの湯気のように見える。
レンは暫く考えてからファビオに尋ねた。
「何だと思います。あれ」
「さて。薪を使わずに煮炊きをしているようにも見えますが、結界の外でというのは解せませんな」
海辺の街まで、後1キロかそこらである。
何があれば、そのような位置で煮炊きをするのか、レンには見当もつかなかった。
と、カーブの向こう側からレベッカが馬を走らせて戻ってきた。
その必死の形相に、何かあったのかと警戒をする一行。
エミリアは表に出ていたクロエを馬車に引きずり込み、屋根の上ではリオが伸びをして固まった体を解す。
「大変っす! お産っす! 産気付いて、馬車停めて子供産んでるっす!」
その声を聞いて一行の警戒が緩み、次の瞬間、ライカは馬車を走らせた。
「
御者台からライカがレンに必要な物を伝える。
「リオ様は先行して、獣や魔物がいたら排除してください! 素材は無視して構いません! ジェラルディーナさんも先行して、結界棒を使って安全確保! それと必要なら錬金術師が色々提供できると伝えてください!」
「わかった、やっとく」
「承知」
リオとジェラルディーナが先行するのを目で追いつつ、ライカは、馬車を停めて出産している意味について考えていた。
結界の外は戦う術を持っている人間にとってすら危険だ。
一般人が結界から出られないわけではないが、可能なら出ないのが普通で、妊婦なら尚更である。
まして、産み月が近いなら振動が激しい馬車での移動は絶対に避ける。
つまり、この出産は完全に予定外の出来事なのだろう、とライカは推測した。
(……想定外なら、準備は足りない筈)
カーブを曲がった所で停車している馬車が見えた。
数人の男性が、お湯を沸かしてオロオロしている。
ジェラルディーナが地面に刺した結界棒を確認し、結界の中に馬車を停めたライカは、御者台から飛び降りると隣の馬車に駆け寄る。
「状況は!?」
「落ち着いてますよ。旦那さんが色々出産について知らなかっただけみたいです。破水して慌てて馬車を停めてお湯を沸かし始めたそうです。そこにいるのが旦那で、他は護衛に雇った冒険者だそうです」
ジェラルディーナの冷静な返事を聞いて、ライカは、少し落ち着きを取り戻し、大きな溜息をついた。
「自分の妻が出産するのに出産について知らなかった? まあ、無事なら何よりですが……あなたが旦那さんですね?」
「あ、ああ……まだ一月ある筈だったんだが、突然産気付いてしまって」
「一月前に揺れる馬車で長距離移動というのが無茶なのですが……誰も止めなかったんですか?」
「うちは男所帯だったからよく分からなくて……妻も初産で不安がっていて、だからターラントの街の妻の実家を頼ろうと思ったら……」
「……振動で破水した、と……なるほど、ジェラルディーナさんは出産の手伝いの経験は?」
「近所のを手伝ったことがある。馬の出産も見た事がある」
「心強いですわ。エミリアさん、フランチェスカさんは?」
馬車から降りてきたふたりにライカが訪ねると、ふたりは腕まくりをしてエプロンを着けつつ問題ないと答える。
「神殿で産む人もいますから、慣れてます」
「良かった……私は産んだことはありますが、立ち会った経験はありませんので助かりますわ。必要な物があれば言ってください」
「状況確認してからですけど、沢山の綺麗な布、水、お湯、ベッドになりそうな平らで丈夫な台でしょうか」
ジェラルディーナが挙げた物の内、ベッド以外はすべて手元にある、とライカはそれらを取り出し、産婦がいる馬車に移動する。
その後ろからレンが声を掛けた。
「ライカ、ベッド代わりの台だけど、土魔法の錬成で作る。ここでいいか?」
「助かりますわ。移動距離が短くなるようにお願いします。ついでに、その横に諸々置いておく作業台もお願いします」
「了解」
レンはフランチェスカにも確認しながらベッドと作業台などを作り、多少でも柔らかくなるようにとベッド部分には毛布と敷布を掛け、布を丸めた枕などを作る。
そして、洗浄魔法で全体を綺麗にし、同じく洗浄魔法を使った桶2つに純水で水を入れると、クロエが片方を温度調整で40度ほどにする。
「いつでも適温に出来るから、必要なら言って」
「クロ……ーネお嬢様、ありがとうございます」
「あ、ライカ、これ」
レンは石鹸と消毒用のアルコールを取り出して台の上に置く。
「洗浄魔法でも良いけど、全員、手洗いと消毒はしっかりしとこう」
洗浄すれば綺麗になるため、気休めかもしれないけれど、と言うレンにライカは頷く。
「それでライカ、本当に産まれそうなのか?」
「破水してますので、出産は始まっています。ですが、陣痛は弱めのようですね……月足らずのようですし、無事に生まれるか、少々不安ではあります」
と、最後の部分だけは小声で答えつつもライカはエミリア、フランチェスカの様子に目を向ける。
産婦をベッドに移動したフランチェスカ達は、レベッカ達の協力の中、周囲に目隠しの布を掛ける。簡易版の産屋である。
その布の向こう側で婦人が痛みを訴え始めた。
「陣痛ですね……この間隔が短くなったら出産ですが、初産は時間が掛かります。
「出来ることは?」
「ありません。男性は旦那さんも含めて全員あっちです」
ライカはそう言ってレン達の馬車を指差した。
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