第183話 海への道のり――倉庫と縫いぐるみ
「
と、ひとり納得するレンの袖をクロエが引く。
「レン、説明」
「あー、うん。まあ、大したことじゃないんだけどね」
レンはクレーンゲームの中の縫いぐるみを指差した。
「例えば布と綿。まあ、魔物素材とか付与魔法とか使えばかなり長持ちするのもあるけど、それでも600年も放置されてたら時間経過で劣化するのが普通なんだ」
習作なのか、クレーンゲーム本体は割と雑な造りで板と板の間に微妙な隙間があったりもする。
空気の出入りがある場合、内容物は劣化しやすい。
特に布や綿は経年劣化で触れただけでも崩れるという状態になってもおかしくはない。
レンはそう前置きをした上で続けた。
「この部屋は、人間が入っていない状態では、時間遅延が働いているんだと思う」
「遅延……アイテムボックス?」
「時間遅延単機能のアイテムボックスだね。人間が入ってくると、時間遅延が切れて、出ていくと時間遅延が発生するんだと思う。壁の中に魔力の通り道があるよ」
そう答えるレンに、ラウロは首を傾げた。
「レン殿。よく分からんのだが、危険はないと思って良いかね?」
「ええ、一定以上のサイズの生き物を入れたままの空間に対する時間遅延は使えませんから、この機能が直接の危険となることはないです」
「しかし、ここを作った英雄は、何のためにそのような機能をこの建物に?」
「さあ? 推測で良ければ、長くここを離れると知った英雄が、折角作った施設を残すためにその仕組みを仕込んだんじゃないかと。本来は施設だけ残しても意味がないんですけどね」
と、そこでクレーンゲームに戻っていたクロエがレンを呼んだ。
「レン、縫いぐるみ持ち上がった」
「お、後はそのまま自動で動くよ。落さずに穴の上まで運べたら、クロエさんの勝ちだ」
「勝ち?」
「縫いぐるみが貰える。あ、落ちてきたね。しかしこれはまた、リアルなホーンラビットだな」
穴に落ちた縫いぐるみを下の取り出し口から取り出してクロエに渡したレンは、ラウロに先ほどの続きを話す。
「こうやって縫いぐるみを取るゲームなわけですが、縫いぐるみが減ったら補充しないといけませんし、縫いぐるみを持ち上げる部分に引っ掛かって縫いぐるみが落ちてこなかったりすることもあるので、こうしたゲームには管理者が必要なんですよ」
「なるほど……まあ、その義理はなかろうが、折角の英雄の時代の施設の正体が分かったのだ、ライカ殿から商業ギルドに伝えて貰えぬだろうか?」
「承知しましたわ。ところで
「今の学生が材料を買う前提で良ければ、錬金術師中級と細工師がいれば作れるよ。魔法陣の一部をコインにする関係で材料に微量の
レンはその場でざっくりとした模式図を書いてライカに渡す。
「ありがとうございます。これからは娯楽にも目を向ける余裕が生まれると思いますので、開発をさせてみたいと思いますわ」
「このゲームは中身の縫いぐるみが主役だから、そっちの開発もしっかりとね」
「レン、レバーの使いを教えて」
呼ばれてレンが振り向くと、クロエがボタンの左にあるレバーを見て首を傾げていた。
レンはレバーの周りに書かれたマークから、それがアームを回転させるためのものだと推測する。
「ええと、レバーの周りに回転する矢印の絵があるから、たぶんその掴む部分――アームが回転するんだと思う。ほら、縫いぐるみに対して斜めだとうまく持ち上がらなかったりするからね。コインはまだあるから色々試してみて。リオもやってみなよ。で、分かりにくかった部分をライカに伝えてくれると助かる。ライカは、それをまとめて説明書にして、商業ギルドに伝えるように」
「かしこまりました」
真面目な顔で頷くライカと、その後ろでウズウズを隠せないレベッカに、レンは続けた。
「商業ギルドに伝えるにしても、大勢の意見があった方が良いだろうから、レベッカさんもやってみなよ。この中でなら、交代で見張ってれば、問題ないだろうし」
狭いストーンブロックの建物の中なのだから、危険はない、と告げるとレベッカはファビオに視線を向け、ファビオは溜息と共に頷く。それを確認したレベッカはクロエの隣に張り付いてクレーンの動く様子を食い入るように眺めるのだった。
◆◇◆◇◆
黄昏商会の支店に戻ったレンに、ファビオが相談したいことがあると言って来たのでレンは、ダイニングテーブルの隅で話を聞くことにした。
「レン殿、先ほどの建物のような、人が入れるほどの魔法の旅行鞄ですが、あれは現代でも作れる物なのでしょうか?」
ファビオの質問に、レンは自分が作るならどうするかと考え、慎重に答えた。
「……可否だけなら可能だと思います。素材の入手難易度も加工に必要な技術も大したことはありません……ただ、導線として
「機能次第ですが、可能であれば……レン殿が作る場合、どのような機能になるのでしょうか?」
「……ご存知と思いますが、アイテムボックスに付与されることが多い機能は、空間圧縮、時間遅延、重量軽減の三つです。厳密に言うなら空間圧縮と時間遅延は、中に一定以上の大きさの生き物を入れることができません。だから、人が入る必要があるなら空間拡張ですね。時間遅延の魔法は魔物に掛けることができますので、何か抜け道があるかもしれませんけど、現時点では中に一定以上の大きさの生き物を入れるのは不可能とされています」
レンの説明を聞き、やはりそうですか、とファビオは呟いた。
「つまり、人が入れる空間を広げる方法はあると?」
「まあ、そうですね。確か聖域の結界杭がその仕組みを使ってました」
「ならば、例えば通常は空間拡張と時間遅延が働いており、人が入るときだけ、時間遅延を停止させるという仕組みは可能でしょうか?」
と、問われてレンは腕組みをして考え込んだ。
単機能のアイテムボックスなら簡単に作れる。
それらの機能を合わせた、ゲーム内でアイテムボックス(複合)と呼ばれた品も作れる。
空間圧縮ではなく、拡張の方を使うなら、単体でなら人が出入りできる空間を広げることもできる。
だが複数機能を有するアイテムボックスの一機能だけを停止した場合、どのようになるのかを、レンは知らなかった。
「分かりません。複合型で一部機能だけを起動、停止をしたことはありませんので。でもなんでそんな倉庫型の収納魔法が必要なんです?」
「持ち運び型はそれ自体の破損や紛失がありますので、ストーンブロック製の倉庫のような物の方が安全ではないかと思ったのです」
「ストーンブロックで箱を作って、それに収納魔法、というのでは?」
「それでも一定の安全を確保できそうですが、箱ですと、箱自体の紛失の可能性もありますので……実は、魔法のレシピや、学園の教科書などの王家保管分をどのようにしまっておくべきかという相談を受けており、この旅の間に考えをまとめておきたいのです」
ああ、とレンは頷いた。
各地にレシピを保管するように頼んだのは他ならぬレンだった。
それは今後、例えばレンの死後、天変地異などでレシピが失われた場合への備えであり、ヒト種からすれば、何世代も先に備えた話となる。
本当に致命的な事態となればリュンヌが手を出すだろうが、例えば王立図書館に全ての知識を集約してそれが火事などで失われる、のように簡単に予想できる事については対策しておけ、というのがレンの考えだった。
元々、知識を一カ所に集約せず、王立オラクル職業育成学園で教えた内容を各地で弟子をとって広めることを推奨しているのもその一端である。
そのための資料の保管のためと聞き、レンは納得した。
「ストーンブロックの倉庫のようなものなら安全だと思ったわけですね」
「ええ、ストーンブロックで作られた施設は、600年前から姿を変えていないと聞きます。私が知る限り、もっとも堅牢な建材です。加えて、普通の図書館のような構造であるなら、管理者の育成も容易ですし」
アイテムボックスに触れると、ファイル管理ソフトのそれに近いイメージが脳裏に表示される。
操作はとても簡単だが、例えば30個ある筈のファイルが29個しかない場合など、直感的に分かりにくい。
それに対し、本棚に並んだ本であれば、抜けがあれば、それは不自然な棚の隙間となるため、しっかりと整理されていたなら違和感に気付きやすい。
本の出し入れの手間はアイテムボックスの比ではないほどに大変な物となるが、長年、人間が使ってきたやり方という点では理解を得られやすい。
そう説明するファビオにレンは、それならば、と提案する。
「なら、いっそ、時間遅延のみにしてしまうのもありですね」
「その場合、結構な大きさになりそうですな?」
「確かに広いほど、必要素材は多くなりますが、魔法屋のレシピくらいなら、大した広さは必要ありません……あ、いや、そっか」
レンは天井を見上げて溜息をついた。
「前提がおかしいですね。レシピ本をどう運用するのかも考えるべきだと思いますよ」
「運用ですか?」
目的はレシピの保管である。
保管したレシピが失われても復旧できるようにするために、同じ物を複数箇所に保管するのだ。
だから、いずれかが失われたら、残りのレシピ本から複製を作成して、保管数を減らさない運用となる。
それは改めて述べるまでもない大前提としてレンも共有しているはずでは、とファビオは首を傾げた。
「目的じゃなく運用方法ですよ。さっきの話だと、図書館みたいな運用に聞こえましたけど、保管目的であるなら、オリジナルに近い本は人目に触れる必要はありません。箱にしまって結界杭の魔力を供給できるようにしておくのが一番安全だと思います。あの、コラユータの街の定礎の中にあったのと同じ仕組みですね。万が一存在が忘れられても、結界が維持される限りは保管され続けます。保管用と観賞用の2セットを作るなら、それに加えてさっきの図書館方式も併用すると良いと思います」
「なるほど…………で、あれば……観賞用? のレシピは王都に先ほどの方法で図書館を作り、そこで読めるようにしておき、必要なら各々がそれを複製するようにするのが良さそうですな」
「読める場所は王都限定にするんですか?」
「ええ、それぞれの街の者が自ら複製を作って持ち帰るように仕向ければ知識の分散が自然に行なわれる。というのが狙いですな。もちろん、今教えて頂いた定礎方式で幾つかの場所に保管するというのは当然やるべきでしょうが……しかし、定礎の中にあったアイテムボックスのような仕組みというのはとても良いですな」
「俺なら、結界の横にストーンブロックの石碑を建てて、そこにレシピ本が封入されていると記して保管します。忘れられるリスクは可能な限り減らしたいですし」
結界杭の魔石を交換する度に目に入るなら、万が一街の移転などがあった場合に、忘れられるリスクは低くなる。
加えて、ヒト種だけではなく、各種族にも管理して貰うべきだろう、とレンは続けた。
「特に妖精と竜人ですね。妖精の郷は異世界です。あと竜人が住んでいるのは迷宮の中らしいので」
「いずれもこの世ならざる世界ですか……なるほど、天変地異への対策としては有効でしょうな」
「妖精の郷や迷宮内には結界杭はないでしょうから、魔石の補充の仕方は別途考える必要があるでしょうけど」
◆◇◆◇◆
レン達がそんなことをしている間、クロエ達はと言えば。
「難しい」
針と糸を持って布地と格闘していた。
「裁縫技能はお持ちなのですよね?」
「ある。この前のパラシュートの時になくて手伝えなかったから、エミリアに教わった」
「でしたら、単に慣れの問題ですわね」
クロエが作っているのは、聖域の村でクロエを待つマリーの縫いぐるみだった。
それを練習台にして、自分の縫いぐるみを作ってマリーに送る。
クレーンゲームでそれを思い出して着手してみたものの、思うように針が進まない。
「服と違う」
「まあ、縫いぐるみは綿が詰まって立体になりますからね」
ちなみに、縫いぐるみの作り方にも色々あるが、クロエはライカに見せて貰った「レイラが作った縫いぐるみ」を参考にしていた。
猫とヒトなので形状は異なるが、デフォルメの仕方を真似ようということである。
4頭身ほどで、手足は短く、顔は刺繍、髪の毛はフェルトのようなもの。
服も最初はフェルトなどを利用する。
職業の技能補正があるから、クロエの針の扱いには問題はない。
クロエが苦戦していたのは、丸みを帯びた造形だった。
伸縮性が殆どない布地で手足を縫ってみたところ、技能が仕事をしすぎて綺麗な円柱を作ってしまったのだ。
「円筒ではなく、円錐を作るつもりで縫うのです。実際には先端部分は丸くしてくださいね」
「わかった」
黙々と縫い物を続けるクロエの手元をのぞき込み、リオは不思議そうな顔をする。
「ライカ、あれは人形の腕の部分だよね? 掌がないように見えるんだけど」
「その辺は省略ですわね。掌部分を布で作って貼り付けても良いですし、細かな細工をしても構いませんけれど、そういった部分はまず本体を作れるようになってからです」
「ふうん…………あのさ、ライカも作れるなら、エーレンの縫いぐるみを作ってもらえないかな。お礼に何か狩ってくるから」
リオのお願いに、ライカは目を瞬かせる。
「獲物は狩ってこなくても結構です……作るのは……構いませんけれど、自分で作りませんの?」
「あたし、そっち系の職業技能は育ててないから」
「形状としては、本物に似てるのと、このレイラが作った猫のように崩した感じのと、どちらがお好みですか?」
「んー? なら本物に似てる感じで」
「では……」
ライカはノートを開くと、大きな竜が獲物に飛びかかろうとしているような絵を描いた。
「こんな……感じでしょうか?」
「器用だね。あ、エーレンの翼は、ここはもっと短いよ」
「なるほど。全体のバランスは同じくらいで?」
「そう。あ、でもエーレンの色ってどうやって出すの?」
「黄金竜ですから、黄色い布にするのが普通ですけど、拘るなら、金粉を塗布してもよいですね」
「黄色だと属性竜みたくなるからなんかやだな。エーレンの鱗一枚もらって、削って粉にする?」
「黄金竜を素材扱いしたら怒られますわよ。縫いぐるみなのですから金貨を削れば十分ですわ」
その会話に、後ろに控えていたレベッカが大きな溜息をついた。
「……ふたりとも結構な無茶言ってるっすよー。竜の鱗とか金貨とか、縫いぐるみの素材にしたらダメッスからねー」
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