第182話 海への道のり――英雄の足跡と氏族の感謝

「ライカ、この街には英雄の足跡はないの?」


 食卓でお茶を飲んでいたライカは、風呂上りのクロエにそう尋ねられ、首を傾げた。


「そうですわね……見るべきような物は少ないですわ」

「? てことはある?」

「少ないですけれど。例えば冒険者ギルド。それと、レンご主人様が黄昏商会を作られたように、英雄が作った施設もあるにはあります」

「くわしく」

「ギルドには、当時の英雄の記録をまとめた本が何冊か。それに確か、当時の英雄の肖像画が何枚かありましたわ。施設はよく分かりません」

「分からない?」


 クロエはここに住んでいたのに分からないとはどういう意味かと聞き返す。

 ライカは苦笑いをした。


「いえ、言葉通りですわ。ストーンブロックの建物の中に人形が入った大きな水槽みたいなものと、幾つかのレバーやボタンがあるのですけれど、それが何なのか未だ解明されていませんの……レンご主人様なら、何かご存知かもしれませんわね」

「レバーとボタンの配置は?」


 話を振られたレンは、飲んでいたお茶のカップをテーブルに戻す。


「私もそこまで詳しくは……確か左側にレバー、右側にボタンが複数、でしたかしら」


 その配置を聞いたレンがまず最初に連想したのは、VR機器が発達した今でもまだまだ現役の格闘ゲーム機だった。

 人形遣いの魔法をベースに、人形同士を戦わせることが出来るのでないか、という想像である。


「ボタンは6個とか?」

「そこまでは……2つ以上としか。ご興味があれば、明日、ご案内しましょうか?」

「そうだね。それが何なのか興味はあるね」

「承知しました。では明日、朝食の後に。ルフィナ、先方に連絡をしておいて」


 と、ライカはお茶をサーブしていたメイドに伝える。


「かしこまりました。午前中に鍵を開けておいて貰います」

「それじゃ、明日の服を決めるから。リオの分も」


 下がるメイドに続き、クロエもそう言って部屋に戻っていく。


「ほどほどにな」


 残ったお茶でビスケットを囓りながらレンはクロエを見送った。


「それにしても、管理者がいるような施設なんだ」

「商業ギルドの管轄ですわ。英雄の史跡というよりも正体不明の魔道具という扱いで管理されてますの。ちなみに昔の調査では、複雑な魔道具であり、未完成の可能性もあるとされていましたわ」

「魔道具か、楽しみにしとくよ……ところで、さっきからアキムさんの視線がちょっと痛いんだけど」

「ああ、レンご主人様は私の義父……というよりも正しくはレイラの義祖父という立場となりますのである程度は諦めてくださいまし。でもアキム、あなたももう少し控えなさい」

「なるほど、俺は長の候補の義祖父って事になるわけだから、見定めも必要か。レイラがどんな立場になったところで、俺はエルフの氏族に関わるつもりはないんだけどね」


 レンがそう言って笑うと、アキムは頭を下げた。


「不躾な視線を送ってしまい申し訳ございません。その、レン様のお噂はかねがね耳にしておりましたので」

「ライカ……」


 またか、とレンがライカを横目で睨む。


「仕方ないじゃないですか。レイラに伝えなければと思っていたのですから。それにレンご主人様の話をするとあの娘はいつも楽しそうにしてましたし」


 ライカがそう答えると、アキムが慌てたように、それは違うと手を振った。


「あ、いえ、違います。自分はライカ様からもお聞きしていましたが、先代の長から聞いていたのです。レイラ様の義祖父様はラピス氏族の救い主であったと」

「ラピス氏族? ……あ、あー、もしかして、昔山火事があったところかな?」


 レンがそう尋ねると、ライカは目を輝かせて頷いた。


「はい、その通りです。火事に見舞われた氏族の森と村がすべて燃え落ちようというとき、レンご主人様が近くの川をせき止めて、森を水没させた場所ですわ」

「あー、あったね。あそこだったのか。そういや、海の少し手前だったなぁ」

「……」


 レンが納得顔で頷いていると、更にアキムの顔が物言いたげになった。


「何か言いたい事、聞きたいことがあるならどうぞ?」

「ご配慮感謝致します。その、子供の頃に初めてこの話を聞いた時から不思議だったことがございまして。レン様は錬金術師なのに、なぜ魔力回復ポーションで魔力を回復して水を掛けるという方法を取らなかったのかが分からなかったのです。あの当時なら、短時間に複数回利用できるポーションがあったと聞き及んでおります」


 当時はしばらく雨が降らずに森が乾燥していた。

 火事の原因は不明だったが、風の強い日のことだったため、おそらく乾燥した枝が擦れて発火したものとされている。

 気付けば森の広い範囲に燃え広がり、魔法での消火が困難なほどの火勢となっていた。

 それでも人間種族の中ではもっとも魔法適性が高いと言われるエルフの村である。

 全力の消火活動で火は消し止められたかに見えた。

 しかし、火元はひとつだけではなかった。

 懸命の消火活動を行なったエルフ達が予想していなかった位置からの時間差での出火に、最初の火事を全力で消火したエルフ達は為す術を持たなかった。


 だが、たまたまその時、採取目的でその村にレンが訪れたのだ。


 多数の魔力切れのエルフを前にした錬金術師。


 確かにその状況なら、ポーションを配布してエルフに火を消させる、という方法が最適解に見える。

 だが、レンは自分自身が近くの川をせき止めて森を水没させ、その水を使っての消火を行なったのだ。

 アキムの疑問に、レンは、なるほど、と頷いた。


「なんというか、みんな疲れてるみたいだったから、一人で出来る部分から始めた感じかな。で、自分だけで消火をする場合、水魔法だけじゃ魔力切れは必定。レシピ違いのポーションを使って何回か回復しつつ消火するにしても、お腹いっぱいになったらその後が続かないし、動きも鈍る。だから水を生み出すんじゃなく、既にある水を持ってきて、それを操って消そうと思ったんだ」


 とレンは答えるが、それは事実を全て表した物ではない。

 単に「力尽き、意気消沈した村人たちが問題解決に当たれる精神状態になかった」というシナリオなのだ。


 そして、レンの魔力は有限で、生み出した水だけで火を消し止めることはポーションを使ってもギリギリ。うまく出来たとしてもまた別の場所から出火したら今度こそ打つ手がなくなる、と、近くの川をせき止め、森の地面を水浸しにして、その水を操っての消火を行なう事としたのだ。

 大量の水が地面を覆い、エルフが押し流されたことで、シナリオの隠し要素である、エルフにショックを与えて再起動させると消火活動を再開する、が発動し、エルフ達はライカが配って回ったポーションを受け取って消火活動を再開し、その際に足元の水を使うことで魔力消費を抑えることができたため、山火事は鎮火し、落ちた火の粉も地面の水で消えてそれ以上の延焼も発生しなかった。


「しかし、随分とご無理をなさったとも聞き及んでおりますが」

「多少の怪我ならそれこそポーションで治せるしね。みんなが動けない中で、ひとりで消火って考えたとき、一番魔力消費が少なく済む方法を取っただけだよ」

「なるほど……お話、ありがとうございました。改めて、長達が感謝をする理由がよく分かりました。ラピス氏族の者として感謝を」

「その礼は貰っているよ。それがあったから氏族を持たないハグレのライカを受入れてくれたんだろ?」


 プレイヤーのアバターであるレンもそうだが、プレイヤーが作ったNPCも基本的には天涯孤独の身の上である。

 それは、コネと縁故を個人の信用の裏付けとするこの世界では、かなり怪しい存在とされる。

 それでもヒト種が相手なら、30年程度、まっとうに働けば信用を勝ち取ることが可能だ。

 更にライカには黄昏商会の番頭という立場もあり、商業ギルドでもかなりの発言力がある。

 しかし、それだけの信用があってもエルフは受入れない。

 保守的、閉鎖的、排他的、そうしたエルフの元々の性向は、魔王戦争の後に更に強固となっていた。


 それなのにライカが、ラピス氏族の一員として認められ、しかもかなりの自由を許されていることから、それは礼なのだろう、とレンは考えた。

 それが学園に来たエルフヘリナ達のエルフ流の挨拶を見て、各種族についてそれなりに学んだレンの出した答えだった。


 そして、レンの言葉にライカは頷いた。


「そうですわ。ディオが亡くなり、いずれレンご主人様に届くようにと子を残すことを思い立ちましたが、氏族を持たない私を受入れてくれたのはラピス氏族だけでしたもの」

「大恩あるレン様の義娘の望みとあり、村に反対意見はほとんどありませんでした」

「恩を売ったつもりはなかったんだけどね。ああ、でも、それでレイラが生まれて来てくれたんなら、それは良いことだったんだろうね」


 なんだかんだ言いながらもレイラを可愛がるライカを知っているレンは、そう言って笑うのだった。


  ◆◇◆◇◆


 翌日、一行はライカの案内でかつて英雄が作ったという施設を訪問していた。

 なお使用人達は留守番である。


 建物外観は縦横5m程の白っぽい正方形。

 明り取りの窓はあるが、ただただ四角い。

 ストーンブロックを重ねた石組みの建物はそう簡単に劣化しないが、窓の凹みの付近に埃が溜まり、それが雨で流れ落ちた汚れがこびりついている。

 建物の中央には木製のドア。窓とドアは後からはめ込んだもので、建物本体と比べると劣化著しく、油っ気が抜けて白っぽくなっている。


「あまり掃除とかされてないんだな」

「なんか汚い」


 レンとクロエはそう評して建物中央部の玄関に向う。


 預かっていた鍵を使ってライカがドアを開けると、目の前には石の壁。


「ああ、こういうのもあったなぁ」


 足元を確認したレンは、足拭きマットサイズのストーンブロックに足を乗せる。

 と、目の前の石の壁が音もなく地面に沈んでその先の暗い部屋が視界に入る。


「自動ドアだね。拠点にこの仕掛けを使う英雄が結構いたっけ」

「レン、これ、神殿にも」

「やめた方がいいよ。これ、結構危ないと思うから」


 レンがそう答えると同時に、目の前に再び石の壁が現れた。


「このマットみたいな部分を踏むとドアが開いて、マットの負荷がなくなると一定時間で閉じる仕組みなんだけど、慣れないとたまに挟まったりするんだよ、これ」


 閉じる力はそれほど強くないが、それでも石である。

 ゲーム内ならドアに挟まってもダメージはなく、出入りで少し苦労する程度だったが、現実世界で石のドアに挟まれれば痛いし怪我もする。


「ドアの開閉速度は結構速いから、当ると痛いと思うよ」


 と、レンが言えば、エミリア、フランチェスカがクロエが動かないように肩に手を置いて押さえる。その状態でエミリアは


「動きを簡単に教えて頂けますか?」


 とレンに頼む。


「うん。この床のストーンブロックのマットみたいな部分を踏むと圧力を検知してドアが地面に吸い込まれる」


 レンはマットサイズのストーンブロックに足を乗せ、ドアを開けてみせる。そして足を乗せたまま説明を続けた。


「踏んでる間は、ドアは閉まらない。地面に潜ったドアの天辺部分が、床になるから、段差はあまりない」


 なるほど、とエミリアは地面に潜ったドアの上端を覗き込む。


「で、足を離して、一定時間経過すると、ドアが戻る」


 レンは足を離し、1,2,3と数を数える。そして4で戻ったドアを見て、


「魔法陣を書き換えると、長さの調整が出来るんだけど、このドアの開閉時間は普通だね。奥にも同じようなマットサイズのストーンブロックがあるから、出るときは同じようにそれを踏むといい。入る場合で言うと、ここを踏んでドアを開き、内側のマットを踏みつつ中に入ることになるから、立ち止まらなければ挟まる心配はない。でも、ドアの上端部分で立ち止まると挟まれる」


 と説明を続ける。


「このストーンブロックのマットに何か重しを乗せたらどうなるのでしょう?」

「ある程度の重さがあれば開いたままになるね。まあ、クロエさんが入室する際は、後ろの人がマットを踏んでおけば安全だと思うよ」

「なるほど」


 レンの説明を聞いたエミリアは、まず自分で試してみた。

 ドアが開くタイミング、閉まるタイミングは、先ほど見ているので大体分かる。

 危なげなく屋内に足を踏み入れたエミリアは、天井の魔道具が自動で点灯するのを見て、少し驚くが、内部の安全を確認すると、ラウロに半数を入れてからクロエを入れるようにと頼む。


「ふむ、ではレベッカとファビオは先行して安全を確認せよ。ジェラルディーナは俺と待機だ。リオ殿も先行して貰えるとありがたい」

「慎重すぎると思うんだけど?」


 そう言いながら、リオも屋内に足を踏み入れる

 続いて、レベッカ、ファビオ。

 中から安全確認完了という声を聞き、クロエとフランチェスカ。

 レン、ライカ、ジェラルディーナ、ラウロと続く。


  ◆◇◆◇◆


 外から見て、5m四方の建物である。

 内部には半分ほどを占める魔道具が鎮座しているため、人が動き回れる場所はそれほど広くない。

 そこに10人である。


「狭い」


 と、クロエが呟くのも仕方のない事だった。


「半数は外で警戒でも良かったかも知れませんね。自分は外で待機します」


 と、ジェラルディーナは外に出る。


「だから、ジェラルディーナは先に許可を取れと……まあ良い。それでレン殿、これは何なのだろうか?」

「あー、うん、英雄の世界の遊戯施設の定番、かな……」


 レンの予想に反し、それは格闘ゲームではなかった。

 水槽のようなもの――中には水はなく、代わりにたくさんの人形などが入っている――の手前には、レバーがひとつ、ボタンがふたつ並んでいた。

 そしてボタンには矢印が書いてあった。


 クレーンゲームだったか、と溜息を付いたレンは、しかし、これが正体不明なのはともかくとして、未完成の魔道具とされている理由が分からなかった。


「ライカ、これ、未完成っていうのは、どの辺りで判断されたんだ?」

「……アキムに記録を調べさせましたが、過去の調査時に動かすことが出来なかったから、だとか。商業ギルドの調査では、魔法陣の回路が一部断絶しているようだ、という見解でしたわ」

「へぇ……あー、なるほど」


 錬金術の錬成で回路を読み取ったレンは、部屋の中を見回した。


「知らないとそうなるよな」


 部屋の片隅に置かれた小さな箱――両替機にしか見えないそれに、銀貨を一枚投入すると、ガチャンガチャンという音と共に複数枚のコインが受け取り口に吐き出される。

 その一枚を摘まんで、レンは錬成でコインを確認する。


「このコインが魔法陣の欠けた部分に嵌まって回路が完成する仕組みになってるみたいだ」


 そして、そのコインをコイン投入口に放り込むと、人形の入ったガラスの向こう側が明るく照らし出され、何やら音楽が流れ始める。


「レン、それは何?」

「人形を取るゲーム。このぶら下がっているのはコイン1枚で1回だけ右に動くから、適当な位置で止める」


 動き出したクレーンを、適当な人形を狙ってボタンを押して止めてやる。


「一度止めたら、後は奥にしか動かない。ボタンを押して移動させて、離すとぶら下がってるのが降りて、掴む動きをする」


 説明しながら、ボタンを押して適当な位置で離すレン。

 クレーンは少し揺れながらアームを開いて下に下りていく。

 そして人形を掴みかけるが、バランスが悪く、人形はアームからこぼれ落ちる。


「失敗。あれでうまく掴むことができると、アームが穴の上まで移動して人形を落してくれる。まあ、アームが移動する間に落してしまったりもするから、慣れないと結構難しいよ……しかし、どうやってるんだ、これ」


 クロエにコインを渡して場所を譲ったレンは、ゲーム機の筐体に視線を走らせる。


 クレーンゲームは仕組みとしては簡単極まりない。

 しかし、600年というフィルタを通して見ると不思議極まりない部分があると気付く。


(パーツの劣化がないのはなぜだ?)


 ストーンブロックならば、600年程度であれば経年劣化はほぼ発生しない。

 だから、建物が残っていることの説明は可能だ。

 しかし、ゲーム筐体や縫いぐるみは違う。

 本来なら劣化し、動かなくなっていても不思議ではない。

 手入れもなく放置されたにしては、建物内の状態が良すぎる、とレンは首を傾げ、何かに気付いたように壁や床を見て、ああ、と納得の声を漏らした。

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