第174話 海への道のり――エーレンの問いとレンの疑問
「なんかからかい甲斐がないなぁ……あ? レン、エーレンが、なぜレンはエルフ以外の性欲について知ってるのかって聞いてるけど?」
「あー……うん。温泉から出たらね」
そう答えつつレンは、エーレンになんと説明したものかと思考を巡らせる。
ヒトの性欲とエルフの性欲。それらを比較するには、両方を知らないとならない。
例えば、エルフは禁欲期間が長くても苦痛を感じない。
が、これはヒトから見た場合、性欲が薄いのか、理性による抑制が強いのかの判別が付かない。
飢えや渇きなら、いずれ体調を崩したりすることから、限界は見極められるが、性欲に関してはそうした限界はあってなきがごとしだ。三大欲求の残りの食欲、睡眠欲などと異なり、月単位、年単位で禁欲したところで死にはしない。
そうしたものを、異なる種族間で比較することはまずできない。
春先の発情した猫の性欲が、人間のそれと比べて概ね何倍なのか、というような話で、外部からの観察による推測、憶測しかない。血液やMRIを使っても、それで分かるのは数値の変化だけで、欲求の強さを数値化できる訳ではない。
そしてエルフの中には、エルフは強い理性で欲望を制御しているのだと信じている者も少なくない。
レンの場合、地球の成人男性の性欲が記憶にあり、それとエルフとなった自身のそれを比較することで、エルフの性欲がヒトより薄いのだと知る事ができるが、それがなければ判断のしようがない部分である。
なのに、それを比較した結果を口にしていたのだから、エーレンが疑問に思ったのも当然と言える。
そう考えると、エーレンの疑問はある意味、とても真面目で理に叶ったものだった。
(さて。正直に話して良いモノか……)
レンは英雄の世界の人間である。
ということは、関係者は皆知っている。
だが、英雄の世界がなんなのかを正しく理解している者はいない。
そしてレンは、この世界がゲームの中の世界だったことや、英雄の世界――日本――でレンが普通のヒト種だったことはあまり広めたいとは思っていなかった。
(ヒトだったことは口止めしつつ明かして、この世界とゲームの類似性については触れないでおければ重畳ってとこか)
そこまで考えたレンは、神々の認識はどうなっているのだろうかという疑問を思い出し、どうすればそれを確かめられるのだろうかと首を傾げるのだった。
◆◇◆◇◆
温泉の源泉は幾つかあり、単純温泉、塩泉などが楽しめるようになっていた。
それらを回って、最後に単純温泉で塩気を流した一行は、少々湯あたり気味になりつつ宿に戻る。
領主に事情説明をして、手紙を依頼してきたラウロ達が一行を待っていたが、クロエ達が温泉ではしゃぎすぎて疲れたから部屋で休むと聞くと、引き続き護衛をジェラルディーナたちに任せ、ラウロ達も温泉に向うのだった。
それを見送った後、レンはリオに呼び止められる。
「エーレンが話したがってるけど、レンの部屋でいいよね?」
「ああ。構わないけど、部屋で? ああ、ソウルリンクして、エーレンが出てくるんだ」
今のまま、リオが通訳するやり方で話をすると思っていたレンは、なぜそこまで、と質問をする。
「なんか、凄い興味を持ってるみたいなんだよね。あたしには理解出来ないけど、そんな食いつくようなことなの?」
「論理的な思考の末にそこに疑問を持ったのなら、エーレンはスゴいと思うよ」
レンの部屋に戻ると、ライカが果汁で香りを付けた水を水差しに入れて差し入れてくる。
『ふむ。待たせたな。もうこちらを向いても良いぞ』
「エーレン=リオだね。この形での対面は割と久し振りかな?」
『対話となればな……さて。それでは返事を聞かせて貰えるかね?』
そこにいるのは、外見だけなら、体格が良くなってローブを羽織っているリオである。
が、細部に黄金竜の特徴が出ており、かつ、魔力や気配が変化している。
いつもはそれらを隠蔽しているエーレンだったが、今回は興味で気が逸っているのか、そうした気遣いはあまりされておらず、エーレンの前にコップを置いたライカが、慌ててそれらの隠蔽に掛かる。
「ええと。他言無用で頼みたいんだけど、約束出来るかな?」
『リュンヌ様に誓おうか? それとも始祖が好みかね?』
「リュンヌで」
その眷属であるふたりに取って、その名に誓うのは他の何に誓うよりも重い。
レンの返事にエーレン=リオは頷く。
『では、此度のレン殿が明かす秘儀について、レン殿の許可なく、それを知らぬ者には明かさぬと、リオとエーレンの名においてリュンヌ様に誓おう』
「あ、リオも入れるんだ」
『まあ、リオもそういうことに興味を持つ年頃だからな。何とか覗こうとしておるようだ』
そう言ってエーレン=リオは笑顔でレンに迫る。
『そんなことはどうでも良い。早く説明せよ。我らのようにソウルリンクでもすれば別だが、普通なら他の種族の主観を知る機会などありはせぬ。ならばレン殿はどうやってそれを知った?』
ああ、気にしていたのはそこだったのか、とレンはようやくエーレンの興味の先を理解した。
「それじゃ、ライカも他言無用でね。結構おかしな話をするから、心して」
「かしこまりました。番頭として秘密は守りますわ」
「……まず、英雄の世界は、この世界とは異なる世界ってのは知ってるよね? ……あれ? 異世界って概念はあるのかな?」
『今更だな。世界とは通常、人間の住むこの世界を指す。異世界とは、異なる世界。つまり神々の世界や、リュンヌ様が管理されている冥界などだな。迷宮も異なる世界であるし、どうやら妖精の郷もその類いだったようだ。英雄の世界は神々の世界に近い異なる世界と認識されておる』
エーレンの返事を聞いたレンは、ああなるほど、と頷く。
「なら、次だけど、異なる世界、英雄の世界の人間はすべてヒトなんだよ。こっちに来るときに、神々の力で様々な人種の体を貰うんだ」
『レン殿のその体は作り物なのか?』
「そこは考え方次第かな。神々が作った肉体は作り物、偽物だと思う?」
『なるほど。確かに我らの肉体も神々が作り賜うたもので、これを偽物と言う者はおらぬな』
「母親から生まれた体ではないって意味では神の手による作り物だけどね」
『ふむ……む? なんだ。それが答えではないか』
「そうだね」
肩を落すエーレンにレンは苦笑を見せる。
「もっともったい付けた方が良かったかな?」
『いや。物事は単純な方が良いが……そうか。レン殿はヒトの肉の欲を、ただ単に知っていただけなのか』
「そういうことだね。英雄の時代はヒトもエルフも同じ程度の認識だったんだけど、リュンヌに喚ばれた後、その違いを感覚的に理解して、あまりに欲が薄くてビックリしたんだ」
『なるほど……そうすると、他の者にその感覚の違いを理解させるのは難しかろうな』
「まあ無理だろうね」
と答えたところでレンは、あれ? と首を傾げた。
『何か思いついたのか?』
「いや、リュンヌとかならそういう違いを理解させる方法を知ってそうだな、と」
そこまで答え、レンは腕組みをする。
(待て待て、まずリュンヌはこの世界と『碧の迷宮』の関係をどこまで知ってる? 知った上で神様やってるのか、それとも知らないで神様やってるのか、どっちなんだ?)
そうやって考え込むレンに、エーレン=リオは、
『
と答えるのだった。
◆◇◆◇◆
エーレン=リオとの話を終えたレンは、自室のベッドに転がって宿の天井を眺めながら、先ほどの思い付きについて考えを巡らせていた。
レンは当初、この世界をゲームの世界だと考え、すぐにゲームでは不可能だったことができることから、ゲームと深い関係がある異世界だと認識を変えた。
ライカの存在や、レン以外の英雄の記録が、レンの中ではその証拠となっている。
しかし同時に技術者としてのレンは、こうした世界が存在する理由を説明できずにいた。
ゲームとはプログラムである。
大昔のものとは異なり、昨今はAIを用いてプログラムが組まれるし、設計工程すらAIが担当することも少なくはない。
そういう観点から見れば、多くのプログラムは、人間の手を経ずに生まれる。
しかしそれは、自動車が工場で自動で組み立てられるのと似た話に過ぎない。
人間は完成品に問題がないことを確認する。
特に、『碧の迷宮』のような、神経接続するようなゲームなら尚更である。
お役所、医療関係者他、ゲームの安全性を保証する団体などによって多くの確認が行なわれ、ハード、ソフト、ファーム、様々な面から安全装置が適切に動作するかが確認されたりもしている。
開発段階で被験者は各種身体パラメータが記録されたりするので、古い小説にあるような、
「VRゲームだと思ったら全員意図せず異世界に行ってました」
ということは発生しない。
プログラムにそのような機能があれば、ゲームの試験段階で発覚する。
その辺の事情を熟知しているレンからすると、なぜ自分がここにいるのかが全く分からないのだ。
別に人間は、VRゲームで本当に異世界に行くわけではない。
脳からの信号、脳への信号を偽の信号で書き換えることで、そのように錯覚させているだけである。
意識はずっと脳の中にあり、別に幽体離脱するわけでもない。
脳神経と接続するとは言っても、その接続は表面的なものにすぎないのだ。
魂があるかないとかは別の話となるが、記憶や感情といった物を魂と喚ぶなら、魂は脳によって作られる。
ゲーム機は強い感情を検出する程度ならできる。だが、記憶を抜きとることは出来ない。
しかし現在のレンの状態を鑑みるに、リュンヌはそれをやっているように見える。だからレンは、リュンヌがゲームの外のことを理解していると考えたのだ。
(今後の展開が読めないし、一度話が聞ければ良いんだけど)
そんなことを考えながら、レンは眠りに落ちていった。
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