第173話 海への道のり――入浴とエーレンの疑問

 湯浴み着に着替えて奥に入ると、吹き抜けの広い空間があった。

 風呂は見当たらない。


 レンは辺りを見回し、目に付いた大きな木の下のベンチに向う。


 そう。この空間には木が生えていた。

 天井部分は、四方に庇があり、中央は金網が掛かっている。


 庇の下の通路を歩けば雨でも問題はないようになっており、その上でそれなりに緑を楽しめる。

 内部には餌付けされた小鳥なども放されており、時折、その鳴き声が聞こえてくる。

 一部、網で区切られた植物園のようなものもあるし、小動物を展示していたりもする。


「なるほど、公園か……それにしても、湯浴み着だけでうろつく前提ってのはどうなんだ?」


 湯浴み着とは、入浴時に着る服である。


 海外では温泉に入る際に水着着用を許可するところも多いが、湯浴み着は大昔の日本で生まれた湯帷子ゆかたびらから続く入浴時専用の衣服である。

 肌を晒さずに風呂に入るためのもので、各部を緩めて体を洗うこともできる。


 肌を晒したくないと言うことにも様々な理由がある。

 混浴で異性に肌を見せるのが恥ずかしいから、ということが多いが、肌に傷や、酷い荒れがあり、同性であっても見られることに大きな精神的苦痛があるという場合もある。


 繰り返しになるが、入浴時専用の衣服である。


 つまり、それを着て歩き回るためのものではない。

 男性用は麻で作られた甚平に似た形をしているが、公園内を散策している女性は、ワンピース型、甚平型、浴衣型と様々である。

 デザインも色も、それなりに工夫しているのは、女性が入りやすくする工夫と思われる。

 そして、薄衣一枚は恥ずかしいのか、湯浴み着の上に浴衣を重ねている女性も多い。


 が。


「エルフの俺でも目のやり場に困るんだけど」


 湯浴み着は基本的に各部が緩めやすく作られている。

 そして、肌を覆う布は1乃至2枚。

 下着は着けない。


 日本風に言うなら、薄手のTシャツとスパッツのみを身に着けた女性が歩き回っている状態である。

 布が綿でないだけましだが、体の線をあまり出さない女性が多い世界では少々目の毒となる。


 ちなみに、適齢期以降の女性の多くはワンピースタイプに浴衣タイプを重ねる選択をしている。

 これは、女性が家族以外の異性の前で足を晒すことはよくないとする考え方によるものである。


 脛丈の甚平などもあるようだが、足の形を露わにすること自体が異性を誘う行為とされることもあるため、一定年齢を超えるとワンピース+浴衣一択となるようである。


(まあ浴衣の形が珍しいからってのもあるかな?)


 あまり見たことがない、その土地特有の民族衣装を着る機会と考えると、京都に行って舞妓さんの衣装を着るのと同じ感覚があるのかもしれない、とも考える。

 だがそれはさておき、肌こそ露わではないが、薄衣の1,2枚で歩き回る女性の姿は、性欲が小学生低学年男子並のレンをして、


(ちょっと刺激が強くないか?)


 と思わせるのだった。


  ◆◇◆◇◆


レンご主人様、お待たせしました」


 ライカ達がやってきたのは、10分ほど経った後だった。


 着替えるだけなのに、と考えるレンと、色々面倒だった、と考えるライカ達の間には大きな温度差があったが、何はともあれ合流である。


「へぇ、面白いチョイスだね。みんな似合ってるよ」


 全員に失礼にならない程度に視線を走らせ、如才なく褒め言葉を口にするレン。


 エミリア、フランチェスカ、レベッカ、ジェラルディーナの護衛娘たちは、灰色の甚平の上に浴衣を羽織ることを選択していた。

 そんな中、同じ格好の筈なのにレベッカだけは大きな花柄の浴衣を羽織っている。


 リオとクロエはお揃いの紺の甚平。

 エミリアが浴衣を一枚持っていることから、恐らくはそれをクロエに着させようとして失敗したのだろう。


 クロエはリオとのお揃いが嬉しいらしく、ニコニコしている。


 ライカはワンピース型だった。精霊闘術を前提とするなら、それで十分だという判断なのだろう。


「湯浴み着の選択に個性というか理由が透けて見えて面白いな」

「面白いでしょうか?」


 レンの言葉にジェラルディーナは首を傾げる。


「護衛しやすいように地味な色合いで動いてもはだけることのない組み合わせを選んだんだよね?」

「はい、そうですね」

「で、レベッカさんがひとり花柄なのは、敵の目を引くことを目的としてる?」

「そーっすね。あーしは羽織り物なしで走り回ってもそんなに恥ずかしくないっすから、いざとなったら派手な布で敵の目を引いて、邪魔になったら脱ぐっす」


 猟師が着るのはもう少し厚手だけど、これに似た形の服もあるから、とレベッカは笑う。


「で、リオが動きやすそうな甚平型を選んで、それを見てクロエさんが真似した、と」

「……更衣室、覗いてた?」

「覗かなくても想像はできるよ」


 とレンが答えると、クロエの後ろでエミリアとフランチェスカが深く頷き、フランチェスカが。


「上に一枚羽織って頂きたいのですが、嫌だと申されまして」


 と言った。


「あー、うん。まあ、しばらくはいいんじゃないか?」

「しばらく? どういう意味でしょう?」

「それね」


 レンはフランチェスカの着ている湯浴み着を指差す。


「湯浴み着ってのは、基本的に薄衣一枚で、お湯に入ると肌に張り付くんだ」


 そうなりにくい材質と言うことで綿ではなく麻が選択されているが、肌触りの良さを追求した結果として、薄くて柔らかく仕上げられており、結果として綿と同様、濡れたら肌に張り付くようになっている。

 皆を待っている間、そういう人間(女性とは限らない)を見ていたレンは、温泉に浸かった後なら自発的に上に一枚欲しくなるだろう、と説明をする。


「色によっては色々透けて見えたりもしますよ」


 とレンが言うと、湯浴み着を見下ろしてフランチェスカは、ああ、と頬を染める。


「そ、そうしますと、入浴後、あのままで殿方の前に出るのは避けるべきですね」

「その方が良いね。一枚羽織れば多少はマシになるけど、それでも女性の場合は胸の形が露わになったりと、色々と問題があると思うよ」


 普通の状態なら大したことはないが、濡れた湯浴み着で館内を移動すると、やや冷える。

 そうなると、生理現象で乳首が目立ってしまったりもする。

 と、真顔で指摘するレンに、


「その、レン殿は――いえ、エルフの男性は、そういう直接的なものを見ても興奮はなさらないのですか?」


 とフランチェスカが尋ね、ライカによるエルフのそうした欲求についての短い講義が始まったりもするが、それはここでは割愛する。


  ◆◇◆◇◆


 混浴の温泉。

 とは言っても皆が湯浴み着を着ているため、実態としては屋内温水プールに近いそこには、他にも公園としての要素があった。


 一行は温泉に入る前に、まず施設内を一巡する。


「この辺りは花が主体の植物園ですわね」


 目に付いたのは、網で仕切られた向こう側に並ぶ多数の鉢植え。

 それぞれの鉢には名前と簡単な情報が記載されている。


「触れられないようになっているのは残念ですね」


 エミリアがそう呟く。

 と、レベッカが、それは仕方ない、と笑った。


「あの辺のは綺麗だけど毒草っすから。あっちのピンクの花は、根っ子から花まで全部が毒っすね」

「毒ですか? 命に関わるほどの?」

「あれを燻した煙を吸うとちょっと危ないっすけど、それ以外ならお腹痛くなったり、気持ち悪くなったりする程度っす。だから子供が触れないように網の向こうに置いとくのは正解っすね」


「なるほど……あ、クロエ様、あそこに兎がいますよ」


 魔物のグリーンホーンラビットがいる世界ではあるが、あえてホーンラビット――角兎という名前を使う以上、角のない兎もいる。

 兎、鶏の雛などが飼われているコーナーを見付けたエミリアは、毒草よりはマシだろうとクロエをそちらに誘導する。


 犬猫の件で、愛玩動物はカルタの村にしかいないと思っていたレンも、物珍しそうに動物を見て回る。


「小さいのばかりだな……」


 子ウサギばかりなのを見て、首を傾げたレンは、すぐに理由に思い至る。

 クロエは、置いてあった干し草を兎に差し出し、もくもくと食べる様を嬉しそうに眺め、油断した兎の背中をそっと指先で撫でる。


 リオは柵の中の兎の胸の辺りを持って持ち上げる。

 一瞬硬直して後ろ足をバタバタさせた兎は、リオが腰の辺りを支えるようにして抱っこすると大人しくなる。

 それを見てクロエも真似をしようとするが、胸を持って持ち上げようとすると兎はノタノタと逃げ出す。


 仕方なくクロエはリオが抱いている兎の後ろ足をつつく。


「可愛い」


 肉球のないモフモフの足を柔らかくにぎにぎと握り、クロエは溜息をもらす。


「脂がのってて美味しそうだよね」

「食べるの?」

「兎は美味しいよ? 可愛くもあるけど」


 リオは兎を柵の中に戻すと、隣の柵から黄色い毛玉を取り出し、掌に載せてクロエの鼻先に差し出す。

 リオの掌の上で、全身の羽毛を膨らませ、プルプル震えるひよこを見て、クロエは目を輝かせる。


「こっちはひよこ。これも可愛いけど、農家なんかはこれを育てて食べたりもするね。クロエは鶏肉、好きだよね?」

「……うん。そうだね。育てたら食べるよね」


 なるほど、と頷いたクロエに視線を向けられた兎は、殺気でも感じたのかノタノタと柵の中を逃げるのだった。


  ◆◇◆◇◆


「お風呂……温泉」


 温泉の入り方が書かれた板を眺めたクロエは、そのまま風呂の脱衣所のような場所に向う。

 湯浴み着は着ているが、一応男女で脱衣所のような場所が分かれている。

 人によってはそこで湯浴み着を絞ったり、髪や化粧を整えたりするためである。


 クロエはそこを素通りして浴室に入る。


 浴……というのはあまり適切ではないかもしれない。


 屋根が網になっていて、日の光が差し込み、壁の上の方に作られた細いスリットから風が抜ける。

 そこは露天風呂になっていた。


 お湯を汲んだ桶を使ってエミリアがクロエの肩、背中、腰にお湯を掛けていく。

 クロエは湯浴み着の中に手拭いを入れて、汗を流していく。

 それを数回行なった後、クロエはお湯の中に入ることにした。


 クロエ以外も同様に行なって浴槽に入っていく。


 さて。子供のお風呂遊びで『タオルクラゲ』というものをご存知だろうか。

 浴槽に浮かべたタオルに空気を溜めてタオルを沈めると、空気で膨らんだタオルから細かい泡が出る、というもので、浴槽のある風呂が一般的な日本では、多くの子供が幼い頃にそれを見た経験があるだろう。


 湯浴み着を着て浴槽に浸かったクロエは、まず服が大きな泡と共に捲れることに困惑した。

 特に、肩や腰などがそのようになり、慌てて手で押さえる。

 押さえると今度は、湯浴み着から細かな泡が出てくる。

 大半は問題ないが、甚平のズボンから出てくる泡は、一見するとおならに見えなくもない。


「クロエ、おなら?」


 リオが笑いながらそう言うと、クロエは真っ赤になってしてないと言い返し、リオのズボンも似たような状況であると気付いて笑い出す。


 そんなのどかなやり取りを眺めるレンに、ジェラルディーナは


「レン殿、妙齢の女性の入浴を見過ぎでは?」


 と諫言する。


「あーそーだね、気を付ける」


 鼻の下までお湯に沈みながら、ブクブクとそう答えつつレンは、楽しげに遊ぶリオとクロエからそっと視線を外すのだった。


 そんなレンに気付いたリオが、クロエの手を引き、ニヤニヤと笑いながら近付いてくる。


「レンはあたしとクロエならどっちが好みかな?」

「ん?」


 マジマジとふたりの体付きを観察したレンは


「クロエさんは案外着痩せするタイプか。リオはまあ普段通りだな」


 と、冷静に答える。

 観察されてクロエは恥ずかしそうにリオの後ろに隠れようとするが、リオに捕まってレンの前に並ぶこととなる。


「……レン、見過ぎ」

「あたしは鍛えてるから、服の有無で胸の形とかあんまり変わんないし。それで、どっちが好み?」

「強いて言うなら……」


 レンは視線を動かし、奥の方で我関せずとお湯に浸かっているエミリアを見る。


「体付きで言うなら、エミリアさんあたりが好みかな?」

「え?」


 とクロエとリオ。


「はい?」


 といきなり流れ弾が飛んできたエミリアが首を傾げる。


「へぇ、ほう、ふうん。具体的にはどの辺が?」

「背丈に対して全体的にやや細めで均整が取れてるあたりかな? エルフってのは他の種族と比べると、男の性欲は子供並だから、そっち方面の話なら分からないな。ちなみにクロエさんは、胸が柔らかそうだし、リオはちょっと硬そうだけど形は良いよね。手触りの違いを知りたいという好奇心はあるけど、それは性欲じゃないしなぁ」

「なんかからかい甲斐がないなぁ……あ? レン、エーレンが、なぜレンはエルフ以外の性欲について知ってるのかって聞いてるけど?」

「あー……うん。温泉から出たらね」


~~~~~~~~

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