第172話 海への道のり――公園と温泉

 そこから後、事態はレンの手を離れた。

 ここから先は資材と人材さえあれば何とかなる。そう判断したレンが、諸々を学園と神殿と王国に丸投げしたとも言うが、ようやくレンは本来の目的である旅に戻る事ができた。


 コラユータまで転移で戻った一行は、コラユータの街のクローネ邸に黄昏商会と懇意にしている貴族のお嬢様が住み着いたという噂を流し、クローネが貴族の娘であることを強調した後、東を目指す。


「それにしても、リオが送り込まれてきたときは何かと思ったけど、タイミング的に迷宮踏破のためだったんだな」


 レンが御者台から、屋根に寝転ぶリオにそう声を掛ける。

 するとリオは


「……あたしが送り込まれたのにはそんな理由があったの?」


 と驚いたような声をあげる。


「正しいかどうかは知らないけど、あのタイミングでリオが来なければ、俺とライカが迷宮踏破することになっていただろうし、そうなると迷宮踏破中は他の準備が滞っただろうから、解決までもっと時間が掛かっただろうね」


 リオがいたから、ああいう選択となったが、いなければ迷宮の入り口付近を埋め立ててしまったり、レンが作った結界杭を使って迷宮から魔物が出てこられないように封じていた可能性が高い。

 妖精がいると知っていたなら話は別だが、リオが潜ってみるまではそんな情報はどこにもなかったのだ。


 だから、妖精の救出はリオがいたからこそなったのだとレンは考えており、それを言葉にする。


「リュンヌ様のお考えに沿って動けたなら嬉しいけど」

「今度、神殿行ったら、リオがちゃんとやってくれて助かってるから、褒めてやってくれって祈ってみるか?」


 レンからすれば、それはただの軽口である。

 が、リオは真顔でやめてくれと言った。


「やめて。神様にそういうのは不敬だから……まあ、レンなら大丈夫なのかも知れないけど、あたしは別に褒めて貰うためにやってるわけじゃないから」

「そうか。まあリオがそれでいいなら構わないけど」


 そのまま何事もなく進み、ロミルダ、オレステの村を通過してリエトの街に至る。


「今回はトラブルなしか」


 と、ラウロは感慨深げに呟く、が、言うほどトラブルが続いたわけでもない筈だ、とレンは嘆息した。


 リエトの街は、街それ自体には特筆すべき点はない。

 ただ、街道維持のために生き残った街である。

 重要度で言えば通過したオレステの村の方が小麦の一大生産地として遙かに重要だったりするが、オレステ、リエト、カルヴィと移動する際、もしもリエトの街がなくなると、オレステ、カルヴィ間の移動に困難が生じるのだ。

 カルヴィの村まで進めば、後は短い距離にポツポツと村があるのだが、オレステ、リエトとリエト、カルヴィ間がそこそこ長くなっているのは単純に地形の問題だった。


「街道はあるけど、山の中だから、ちょっと大変だったよね」


 ジェラルディーナがそう呟くと、レベッカは憔悴したような表情で答えた。


「確かに。あんな先が見えない道とは思わなかったっす」


 街道は岩山に沿って作られていた。

 高低差こそ少なかったが、峠の向こうが見えないくねくねと曲がりくねった山道が延々と続くのだ。

 護衛からすると大変なストレスとなる。


 気配察知があってもそれをすり抜ける魔物がいる以上、目視確認は欠かせない。

 斥候的な役割が求められるレベッカは、本人の望むと望まざるとに関わらず大活躍だった。


 岩山で木々が少なかったため、岩の向こう側の木々の向こう、というのはあまりなかったが、その代わり、岩の山肌に開いた穴にワーム系の魔物が潜んでいたりということは少なからずあった。

 普通の商隊も通過する街道なので、それらの危険性はそれほど高くはないのだが、だからといって無視は出来ない。

 丁寧に索敵をして、迅速に倒し、何なら土魔法で穴を埋めたりもしつつ進んできたのだ。


「リエトの街は、特産品こそないけど、温泉があるみたいだから、着いたらノンビリ温泉巡りをしようね」

「そっすね」


 と、その会話にレンが反応した。


「温泉の街?」

「英雄の時代の末期に作られたと聞いてるっす」

「へぇ、ちょっと面白そうだね」


 その期待は、混浴あるだろうか、という類いのものではない。

 エルフとなったレンは常時賢者状態なので、そういう煩悩はほぼない。

 ただ単に、温泉の設備が気になったのだ。

 温泉の街と言われるほどなら、温泉の施設もそれなりに整っているだろう、という期待である。オラクルの村の炭酸温泉はレンの設計によるが、この世界独自の温泉がどのようなものなのか興味をひかれたのだ。


  ◆◇◆◇◆


 そんなわけで、宿を取った後、レンは温泉を見に行こうとした。


 着替えとタオルだけを手に、宿の者に温泉の場所を聞いたレンは驚くこととなった。


 温泉の街という位なら、各宿には温泉があるだろうと思っていたレンだったが、温泉があると謳っている宿は庶民向けの安宿しかないとの事で、レン達が泊まっているような高級な宿には、温泉は併設されていないというのだ。


「なんでまた? 温泉が売りなら、併設した方が受けるでしょうに」


 とレンが首を傾げると、事情に通じたファビオが答えた。


「この街の温泉は、温泉と呼ばれる施設に行くのが通とされているためですよ」

「施設? それに『通』ですか?」

「この街の温泉は、場所を楽しむことを含めて温泉という娯楽施設なのです。だから高級な宿では、併設した温泉は単なる風呂と見做します。ちなみに、この宿の風呂も温泉の湯を引いているので、別に温泉を名乗れなくはないのですけど、そう自称するのは粋ではないとされます」


 通とか粋とか、プレイヤーが持ち込んだ文化だろうか、とレンが頭を悩ませている横で、クロエ達は少し休んだら温泉に行こうと話していた。


 クロエが行くとなれば、エミリア、フランチェスカは当然護衛として一緒についていくし、女湯ということでレベッカ、ジェラルディーナも護衛として一緒に行くことになる。

 少し迷ってから、ライカはリオを連れて一緒に行くと決める。


 精霊闘術とソウルリンクの使い手が揃っていれば、大抵のトラブルには対応できる。


「ラウロさんとファビオさんも行きますよね?」

「いや。俺たちはちとここの領主に挨拶に行かねばならんのだ。常の護衛の他、レン殿、リオ殿、ライカ殿もいるなら今日の所はお任せしたいのだが」

「構いませんけど、挨拶ですか? 珍しいですね」

「王家から妖精の件について書状を預かっておるのだ。この先の街への連絡はこの街を起点とした方が早いからな」


 なるほど、と頷いたレンにライカが声を掛ける。


「それで、レンご主人様はどうされますか?」

「温泉は見てみたいから行くよ」


 それらがプレイヤーが持ち込んだ文化なら、それに付随する温泉も、レンにとって目新しい物ではないかもしれない。

 それだけならともかく、日本の温泉の劣化コピーである可能性もあり、その場合、それはあまり見たくないと言うのがレンの偽らざる気持ちだった。

 だが、それは根拠のない想像でしかない。まず見てみないことには話にならない。


 可能性は幾らでも思いつく。

 もしかしたら、魔道具を用いた工夫によって魔改造されている可能性もある。

 また、こちらの文化と融合したものになっている可能性もある。

 そもそも日本とは関係のない代物かも知れない。


(まあ、通とか粋とか言ってる時点でその可能性は低いだろうけど)


 などと考えつつもレンは、宿から出るならと、薄手のローブを一枚羽織り、ポーチから銀色の指輪を取り出し、ライカ達に渡した。


「レン、これは?」


 指輪を受け取ったクロエは、早速指に嵌め、一粒だけ付いている小さなアクアマリンがキラキラと光を反射する様に目を輝かせる。


「指輪型アイテムボックス。遅延の効果なし、その分圧縮に力を入れてるから、渡してるポーチの半分くらいは入るよ」

「なるほど。助かります」


 と、レンの意図を理解したエミリア、フランチェスカも指輪を受け取る。


「あーし達もいーんすか?」


 とレベッカ、ジェラルディーナもそれを受け取る。


「護衛のための装備だからね。いらないって言われる方が困る」

「護衛のための装備? レンもいるのに?」


 よく分かってないクロエが首を傾げる。


「俺もって、俺は男だからね。混浴があったとしても、男女別の場所もあるだろ? 風呂では無防備になるけど、指輪なら風呂でも付けてられる。武器と、靴、サンダルと最低限の装備、裸のままでもすぐに着ることができるローブなんかを入れとくと良いよ」

「なるほど」

「まあ、リオとライカがいれば、過剰戦力だとは思うけど、中で二手に分かれざるを得なくなったりしたら困るからね」


 ソウルリンクを使わなくても竜人は強いが、エーレンとリンクしたリオはほぼ無敵と言える。


 ライカも昔と違って、精霊闘術などの武器を使わない戦い方を身に着けている。


 そんなふたりが護衛に付いているなら、それを掻い潜れる者は少ないだろう、と考えつつも、最悪を予想し、更にその上の事態に備えるレンだった。


  ◆◇◆◇◆


 リエトの街の温泉。

 その正式名をリエト温泉公園と言う。


「公園か?」


 その入り口で看板を眺めたレンは首を捻る。

 温泉は、四方に壁があり、東西南北に門があった。

 そして門には、客から金を受けとって木札を渡す門番がいた。


 サービスを提供する以上、出入りを制限するための壁と門があるのは当たり前だし、維持費、人件費を考えれば有料であるのも当然である。

 この世界の技術水準から、切符の販売機や自動改札がないのも当然だし、そうなれば門番がその役割を果たしてもおかしくはない。


 公園の区画は貴重な土地を2ブロックも占有しているが、これも、観光という概念があまりないこの世界において、外部から客を呼べるだけの施設であると考えれば、ある意味当然である。


 レンが首を捻っていたのは別の理由だった。


「なあリオ。公園ってさ、もう少し緑があったりするもんじゃないか?」

「ヒトの街のことをあたしに聞かれても困るんだけど」

「そりゃそうか」


 温泉の建物は、のっぺりとした壁に覆われた直方体だった。

 その四方に入り口がある。

 それ以外は飾り気がまるでない。


「公園なのかなぁ?」


 首を捻りながらも金を払って中に入る。

 その際、レンは壁や床の材質を素早くチェックする。


(ストーンブロックに漆喰。補強に魔法金属を使ってる部分もある。資材の種類と量からすると、英雄の協力があったのは間違いなさそうだな)


 中に入ると、男女で二手に分かれる。

 レンは男湯側の更衣室に入った。

 門で渡された木札を見せると、入り口にいたおばさんが、籐の籠を渡してくる。

 やや重いことに気付いたレンが中を見ると、浴衣に似た服が入っていた。


「これは?」


 レンが尋ねると、おばさんは、壁に張られた入浴マナーが書かれた板を指差した。


「ここは初めて? 一応そこに書いてあるけど、ここでは、風呂に入る際にそれに着替えて頂戴ね。風呂に入ったら、男性は上半身をはだける程度は構わないけど、全裸になったら駄目。今着てるのは籠に入れたらここに持ってきてね。預かるから。木札の番号で管理するから、札はなくさないように注意してね」

「……湯浴み着があるんだ。ああ、だから脱衣所じゃなくて更衣室なのか」


 板の記述に目を通し、なるほど、だからクロエはレンが付いてくると思っていたのかと納得する。


「おや、湯浴み着を知ってるんだね。板の最後の方にあるけど、全裸になって全身を洗えるように洗い場は男女別れてるからね」

「ありがとうございます」


~~~~~~~~

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