第171話 海への道のり――数字と禁忌

「……あれ? いや……でもなんでそうなる?」


 ヒトを集めて妖精からのクレームを聞き取る。

 そうやってぼかしていたから気付くのが遅れたが、そこに数字を持ち込めば異常さが明らかになる。

 50人のヒトが窓口として、200人の妖精のクレームを聞き取る。


「ヒトひとりが処理すべき妖精は4人程度しかいないのに、なんで人手が足りなくなるんだ?」


 冒険者ギルドの窓口だって、受付に4人くらいが並ぶことは珍しくはないが、その程度で混雑しているとは言わない。


「クロエさんが見た景色には、妖精は何人くらいいた?」

「……多分……500人以上? ……あれ?」


 数瞬後、妖精の郷の入り口周辺の魔力が揺らぎ、魔力感知を持つ者たちがそちらに視線を向ける。


 濃い紫の円筒のあらゆる場所から、大量の妖精が湧き出していた。


「レン、来た」


 500人、クロエはそう言ったが、どうやらそれはクロエの視界に限っての話だったようで。


「……いや、来たじゃなくてさ。どういうことだよ、これ」


 200人しかいなかった筈の妖精が10倍ほどに増え、街の中を乱舞する様を見たレンは、ただそう呟くのだった。


  ◆◇◆◇◆


「おお、出迎えご苦労」


 戻ってきたアイリーンはレンの姿を見付けてそう声を掛ける。

 そのアイリーンに詰め寄ったレンは


「なんでこんなに増えてるんですか」


 と尋ねる。


「別に増えたわけではない。妖精の郷にいた連中を連れてきただけじゃ」

「妖精の郷にいた? 内部で80年も生きていたんですか?」

「いや? ……ああ、そうか。ヌシも知らぬのか。そうじゃろうな……何回も話すのは面倒じゃ、ラウロはどこじゃ? 主立った者を集めよ」


 そう言われ、クロエの方を見るレン。

 エミリア、フランチェスカに加え、レベッカもいるが、ラウロの姿は見えない。


「あー、そう言えばクロエさんの護衛から離れてるな。どこか知ってる?」


 レンに聞かれ、クロエはふるふると首を横に振る。


「知らない」

「ラウロ様なら兵士用の土地っすよ。今は最低限の建物しかないっすから、何を作るか相談したいって兵たちに連れてかれたっす」


 そう言ってレベッカが指差したのは、神殿の隣にある、国の兵士のための土地だった。

 レン達がそちらに向うと、ラウロが空を舞い飛ぶ妖精達を見上げて呆然としていた。

 正確には、レンと一緒にいる者を除くすべてのヒト種がそうなっていた。


「ラウロさん。アイリーンさんを連れてきましたので、説明を聞きましょう」

「お……おう……しかしこれはどうしたことか?」

「それを今から聞きます。二度手間になりそうなので、神殿でみんなと合流しましょう」

「うむ……しかしこれは変事なのか? 慶事なのか?」

「その辺も含めて説明して貰いましょうか」


 レン達が神殿の庭に着く頃には、使用人達が再起動を果たしていた。


 要望聞き取りのためのテーブルをひとつ空けさせたレンは、アイリーンの席を作り、ラウロ一行、クロエ一行、ライカ、サンテール家から使用人の管理のために来ていたアレッタ、シルヴィ、エドワードがテーブルを囲むように並ぶ。

 人払いなどもしておらず、サンテール家の使用人が大勢いるため、即座に全員に椅子が用意され、紅茶や果汁が饗される。

 全員が、舞い飛ぶ妖精を気にしつつ、お茶で精神の均衡を図る。

 人心地ついたあたりで、レンはアイリーンに、皆が聞きたがっているだろう事を尋ねる。


「それじゃまず俺から。聞きたいことは色々あるけど、妖精は200人しかいないんじゃなかったのか?」

「200人は妾の群れの人数じゃ。じゃが、郷にはたくさんの妖精がおった。妾にしても予想外じゃったよ。じゃがまあ、色々話を聞き、郷の皆にも妾達の入り口を使う許可を与え、声を掛けてきたんじゃ」


 口火を切ったレンに、アイリーンはそう答えた。

 その返事の意味を噛み砕き、飲み込もうとするレンの隣でラウロも声をあげた。


「妖精の郷とはそれだけで生きていける環境なのかね? レン殿に花畑を作らせていたようだが」

「あちらに花畑はないが、生きて行くだけなら辛うじて何とか、じゃな。じゃが、その質問の本質はそこではなかろう? 遠回りは好かぬ」

「うむ。あれだけの妖精がどうやって生延びていた? それを聞きたい」

「じゃろうなぁ……ま、ある意味では簡単な話じゃ。別に80年の間、郷で生延びていた訳ではない」

「別の場所にいたのか? その、竜人たちのように」


 ラウロの問いに、リオたちのケースとは別じゃ、とアイリーンは笑った。


「むしろ近いのは、レンや妾じゃ。あやつらは妾達と同じく、80年ほど前の世界に生きておったそうじゃ。ある日魔物から逃れて妖精の郷に入り、しばらく外に出ないからと皆が出入り口を閉じた。その次の瞬間。妾達が現れたそうじゃ……何を言っているか分からんと思うが、妾にもよう分からん」


 事もなげにそう話すアイリーンに、ラウロは


「……たしかに分からん」


 と腕組みをして空を見上げる。


「妖精の郷には時間遅延のアイテムボックスみたいな効果がある?」


 続くクロエの質問に、アイリーンは


「そんな訳があるか。妾達が入ってから丸一日ほど経過しとるが、外でもそうじゃったろ? 外と中とで時間がずれるなんて話は聞いたことがないわ」


 と返す。

 それを聞き、レンは何かを思いついたような顔でアイリーンに尋ねる。


「……妖精の郷の入り口が時間の流れをこっちと同期させていたってことですかね?」

「その可能性もあると思っておる」

「お師匠様、どういう意味ですか?」

「仮説の域にもないけど、妖精の郷の入り口を通して妖精の郷とこちらの世界は同調していたんじゃないかって話だね……で、中から全部の入り口を閉ざしてしまったことで、こっちの世界と完全に切り離され、こっちから見たら時間が流れてない状態になっていた。そこに、アイリーンさんが新しい入り口を作ったことで、再び時間が同期して流れるようになった、とか? アイテムボックスは異空間を作るけど、あれはこの世界の一部だから、何も仕込まなければこの世界と同じだけ時間が流れる。けど妖精の郷は完全な別世界……それこそ神の世界や冥界よりも遠い世界で、この世界と時間が同期していないんじゃないかって話なんだ……けど」


 分かりません、と項垂れるシルヴィ、クロエに、レンは少し考えてから、たとえ話をする。


「あくまでもたとえ話だけど、例えば本、物語。物語を読む時、読者は主人公と同じ時間を体験するよね? 登場人物と読者の時間は同期しているんだ。でも読者が本を閉じた瞬間から、物語の中の時間は流れなくなる。でも本を読むのを止めて食事をしたり仕事をしたりと、読者側の時間は流れてるよね? 過去、妖精達が本の内側から郷の入り口を閉じるって方法で本を閉じたから、あっちの時間は流れなくなったんじゃないかってことなんだけど」

「妖精の郷が本の中の世界ですか?」

「それはあくまでも例え。こことは別の世界で、こっちから誰か見てるときだけ時間が流れてる世界だね」

「そういうたとえ話にすると多少は理解が容易になるかの」


 話を聞いていたアイリーンはなるほどと頷きながら続けた。


「つまり内側から閉じられていた本を妾が開いたことで、本の中とこちらの時間が同期した、というわけじゃな」

「根拠も何もありませんけどね。それに視点を変えて、あっちが読者、こっちが物語で、こっちのページの最初に『それから80年後』って書かれてた可能性もあるわけだけど」


 レンは考えをまとめながらそう答える。

 根拠も何もない荒唐無稽な説だから、と言い訳をしつつ、レンは改めてアイリーンに向き直る。

 妖精の総数は出てきただけでも2000人を超えているように見えた。

 それは、アイリーンの群れ以外にも多くの群れが存在する、という事を意味する。


「アイリーンさん。妖精の総数……郷にいるのを含めた場合の数字はどの程度でしょうか?」

「ふむ。昨夜聞いた限りでは3000人ほどじゃな。群れにして20程度じゃ。現在の代表は暫定で妾となっておる。で、じゃ。全員からの要望がある。郷の入り口を作れる場所が幾つか欲しい」


 アイリーンはラウロに向き直り、要望を伝えた。


「幾つか? この街では駄目なのかね? それに、レン殿ではなく俺に頼むと言うことは、王国を頼る事も厭わぬということか?」

「一カ所に幾つかの入り口がまとまっていても構わぬが、全てを同じ場所に作るのは駄目じゃ。昔からそう決まっておる。じゃが、ここのように贅沢なものは望まぬ。適当な村や街に、僅かな土地を借りる形でも構わぬ。そういう者たちは、王の臣民? それになっても構わぬ」


 そんなアイリーンに対してレンは


「当面は、こことオラクルの村、あと、前に受入れ準備を整えていたコラユータの街。適当な街の神殿でどうでしょう?」


 と提案する。

 アイリーンは指を折りつつ、全部で五カ所以上として貰いたい。と答え、しかし、と首を傾げた。


「しかし、今、当面は、と言ったな? なぜじゃ?」

「これは聞いた話ですけど、80年前、妖精がいなくなった後、ヒト種が既知の妖精の住処を調査したそうなんですよ。その際、結界杭は確保されてるでしょうから、それを戻せば、元の場所に結界を張ることは出来ます。そちらの準備ができるまではオラクルの村やこちらで過ごせばどうでしょうか、と言う意味で当面はと言ったんですよ」

「ああ、なるほど。妾達の場合と違って全員が一度に消えたのじゃから、それなりに調査はされておるのか。王国としてはそれで構わぬか?」

「その結界杭は元々妖精の物だ。持ち主に返すことに異を唱える者はおらぬだろうよ」

「ならば、全てとは言わぬ。半分ほどの土地に結界を作っては貰えぬじゃろうか? 元々の、狭い土地を壁が覆い、そこに小屋がひとつかふたつに井戸がひとつという程度で」


 それを聞き、ざっくりと必要資材を計算したレンは、なるほど、これが神託が伝えたかったことかと得心した。


「この街を作る際に大量の資材を用意しましたが、かなり余ってますから、それを使えば、それくらいは十分に作れますよ。泉の壺はちょっと足りないので、それはこれから作ります。でも、半分を復活させるということは取捨選択が発生しますね。その調整は妖精側でお願いします。俺からの要望は元々、ヒトに知られていた場所で、街道からほど近い場所にして欲しいってことです。作りに行くのが大変な場所は勘弁してください。あと、妖精の移動をどうするのかは国の方で決めて貰いたいです。またエーレンにお願いするのか、別の方法を取るのか、とかですね」

「3000人の移動か。場所は取らぬとしても馬車10台。護衛を考えると3隊……非常時に逃がすための護衛も考えるなら、4隊は必要か」


 妖精を馬車10台に押し込め、それを護衛する、ということを想定し、ラウロは、最低限の数字を出す。


 2乗3乗の法則は、縮小する際にも同様に働く。

 妖精の身長がヒトの10分の1なら、必要となる床面積は10の2乗分の1。つまり100分の1となるのだ。4人乗りの馬車であれば、床面積的には妖精400人を収容できる。

 1台ごとに世話人をひとり乗せれば1台あたりの妖精搬送人数は300人。

 10台というのはそうした数字である。


「護衛には学園の卒業生も手配しますわ。10日前までにお知らせ頂ければ10人程度は卒業後の支払いとして協力させられますわ」


 ライカの提案に、ラウロは


「かたじけない。感謝する。学園の卒業生なら一騎当千は無理でも一騎で十くらいは相手にしてくれるだろう。馬車にひとりを付ければかなり安心できる」

「復活させる場所の希望は妾がまとめるとして、移動方法じゃが、今なら全員を連れて行く必要はないぞ?」


 アイリーンに言葉に、レンはどういう意味かと尋ねる。

 アイリーンは妖精の郷の入り口を指差した。


「本来、妖精の郷への入り口は群れ専用のものじゃが、今は妾達の入り口の使用許可を他の氏族全員に出しておる。長が20人ほどを連れて新しい入り口を開けば、内部で繋がるから、残りの者は郷で待機しておれば良い……まあ、20人で開いた入り口では、後ほど開き直しとなるじゃろうが、大勢で移動するよりはマシじゃろうて。ひとつの集落にふたつの入り口を作るとすれば、連れて行く人数は更に半分じゃ。つまり210人を連れていけば済むのじゃ」

「そんな方法があるならなんでここに来るときに……ってそうか、移動経路として使うには、出口と入り口が必要になるのか」

「うむ。ひとりの長が作れる入り口はひとつのみじゃから、あの時点では通路として使うことは無理じゃったんじゃ」


 それはもしかすると、転移の巻物並の移動方法となるのではないか、とラウロが尋ねると、アイリーンは渋い顔で首を横に振った。


「第一に、妖精の郷に入れるのは妖精のみじゃ。第二に、今は特例として開放しておるが、妖精は己の群れの長が作った入り口しか使えぬという決まりがある。妾達の入り口も、今回の件が終わったら他の群れが使えぬように調整しなおすぞ?」

「それは勿体なくないか? 出来るのにやらないのだろう? そうだ、中で荷物の受け渡しをするなどはどうだ?」

「ヒトにも禁忌は多かろ? 他の群れに入り口を使わせるのも、荷運びも妾達の禁忌なのじゃよ。命が掛かれば別じゃが、そうでもなければ、好んでそれを行なう者などおらぬわ」

「……なるほど」


 貴族という、ヒト種の中でも特に禁忌が多い身分にあるラウロは、ならば仕方がないか、と矛先をおさめるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る