第166話 海への道のり――試験と覚悟

 十日を待つことなく、妖精達は妖精の郷の入り口を、かつての住処に作ると決めた。


 皆、ほぼそれを予想しており、神託についての連絡を受けた神殿の上層部が若干ごねたモノの、決定はすぐに受入れられた。


 それが決まった時点でレンはエーレン、リオ、ライカの協力の下、馬車の投下試験を森の奥で行なった。

 試験は3回。

 初回は、エーレンがブレスで森に作った即席広場上空からの投下試験。

 二回目は、広場も何もない、単なる森の上空からの投下試験。

 三回目は、二回目と同じ条件で、ライカが精霊魔法で馬車の落下位置を調整できることの確認である。


 初回は、機能の最終チェックを兼ねて、丁寧に全ての機能を確認する。

 

 エーレンが馬車のグリップを握った状態でライカがレバーを操作してもパラシュートが開かないこと。

 エーレンが離し、グリップに仕込まれたスイッチが解除された後であっても、降下速度が不十分ならカバーがなくなったあともパラシュートが引き出されないこと。

 一定速度で降下中、ふたつのパラシュートが開き、安全なレベルまで減速すること。

 地面が近付いたら、魔石から魔力が流れ、フレームの魔法金属部分が強化されること。


 一回目の試験では、風に流され、広場からやや逸脱したが、馬車のフレームが強化され、ショックアブソーバーが機能した結果、乗っていたライカは大した衝撃も感じなかったと報告した。


 二回目の試験では、森の木の梢に引っ掛かった。

 レンの予想では、それなりの重量物がそれなりの速度で落ちてくるのだから、木々が折れるか、撓って跳ね飛ばされるだろうと思っていたのだが、軽量化を追求した結果として、梢が馬車の重量に耐えてしまったために発生した事故である。


「予想外だけど、まあ、空から見える位置にあるなら、エーレンが拾ってくれるってことで、問題はなさそうだね」

「急にひっくり返って驚きましたわ。座席にハーネスで固定してましたので、事なきを得ましたが……妖精達を乗せるときは、降下時はアイリーン様に全員を掌握していただくべきでしょうね」


 三回目は、風の精霊に予めどうして欲しいかを伝えておき、落下を始めたら精霊が馬車の動きを制御する。

 とは言え、飛行機のように翼があるわけではない。

 浮き輪に乗って波間をたゆたうように、馬車はふわふわと、開傘後の150メートル降下中に、横方向に500メートルほども流れ、比較的拓けた場所に着地した。


「ライカの精霊魔法は、精霊の動きが的確だね」

「600年の付き合いですので。以心伝心に近い所まで来ていますわ」


 精霊魔法は言葉での伝達が必須となるが、精霊はライカの僅かな言葉からその意図を的確に読み取ることが出来、若いエルフでは真似が出来ない精度で魔法を現出させることができるのだ。


「あれか。熟年夫婦の旦那が「あれどこだ?」って言ったら、奥さんが「テーブルの上ですよ」って答えるようなものか?」


 ゲーム中ではそこまでの説明はなかったが、精霊魔法がそういうシステムになっていると知ったレンはなるほど、優秀な精霊魔法の使い手がエルフに多いわけだと呆れたように空を見上げ、覗き込むエーレンと目があった。


 ちなみに現在のエーレンは、自身の体を使う関係上、ソウルリンクは最低レベルとなっている。

 だから、横からリオが通訳をした。


「エーレンが、次は何をやるんだって聞いてるよ?」

「3回目の試験で大体試したいことは試したし、これで十分かな」

「川に落さないで良いのかって言ってるけど?」


 それを聞き、あー、なるほど、とレンは呟いた。


「そうだね。着水試験もしとこうか。一応、浮かぶことは確認してるけど、降下着水時に沈み込んだりしないかは見ておこう……ライカ」

「……はい、パラシュートは交換しましたわ。風の精霊にも着水するように頼んでおきますわね」


 4回目は広い川の上空での降下となる。

 3回目のように、狙った位置に風で流された馬車は、やや斜めに水面に接し、50センチ程沈み込んだ後、白い風船のようなモノが側面から膨れ出て、それ以上沈むのを防止する。

 そしてその風船は、すぐに萎んで馬車から外れ、沈んでいった。


「レン、エーレンから、あれはどういう仕組みかって。さっきはあんなの出てなかったよね?」

「あれは水接触スイッチによる浮き輪だね。水に触れると出てくる仕組みだよ」

「雨とか、困らないの?」

「エーレンが離した後じゃないと機能しないし、逆さにしたコップの高い所まで水が入り込むほどの圧力が掛かる必要があるからね。あれが機能するのは沈み掛けたときくらいの筈」

「てことは今のって沈み掛けた?」


 リオの問いにレンは苦笑いを浮かべた。


「実はそうなんだ。ちょっと予想外。あの浮き輪は使うつもりはなかったんだけど、車体がちょっと斜めに入っていったから、その影響だね」


 エーレンが馬車を拾って戻ってくる。


 馬車を降りたライカは、車体が斜めに落ちたのが怖かったと報告する。


「開傘から数秒でパラシュートのバランスは安定してたんだけどね。そう言えば、途中から少しバランスが崩れてたな」

「川からハズレかけたので、精霊が押してくれたのですが、その際、パラシュートを斜め上から押してしまったようですわ」

「なるほど。それだね。原因が分かって良かったよ」


 パラシュートは開いた状態で最大の効果を発揮する。

 そのやや上方や真横から強風が当った場合、パラシュートは僅かながら押し縮められ、それは空気抵抗が減ることを意味する。

 やや下からであれば、それは空気抵抗となるが、パラシュートは真横、上からの強い圧力にはあまり強くはないのだ。

 特にレンが作った、最も原始的なパラシュートはその傾向が強い。

 地球には布を十字型にするなどした、横風が通り抜けられるような構造のパラシュートもあるが、あいにくとレンはそれを知らなかった。

 だから。


「馬車を風で押すときは馬車本体か、やや下方向から持ち上げるように斜めの風を当てるようにして貰った方が良いだろうね」


 というのが、現時点のレンに可能な対策だった。


「エーレンが、もう良いのかって聞いてるけど、どうする?」

「そうだね。ありがとうって伝えて。お礼は醤油ポーションを大樽5つで良いんだっけ?」

「そうそれ。なんか、最近、嵌まってるらしいけど、十分な量が手に入らないって言ってた」

「飲み過ぎないように伝えといてね。あれ、塩と一緒だから」

「飲むわけじゃないらしいよ? ブレスで鹿を炙って漬け込んで食べるみたい」

「なるほど」


 それはそれで美味しそうだ、とレンは人間向けのレシピを考える。

 塩分少なめに調理したのを漬け込んで更に軽く干したらどうだろうか、などと考えていると、ライカの撤収準備が完了する。


 妖精を運ぶ際は降下後に迎えと合流し、馬車に車輪その他を取り付け、迎えが連れてきた馬をつなぐ予定だが、今回はそのまま馬車をアイテムボックスにしまって、ライカの精霊闘術で街のそばまで飛ぶことにしている。

 リオがエーレンに運んで貰えば良い等と言ったが、それはレンが却下した。先日の迷宮から溢れ出た魔物討伐の際にもエーレンは姿を見られているが、街道沿いに黄金竜が飛来すれば分っていてさえも大騒ぎになる。


 ちなみにエーレンに馬車を運んで貰う際も同様の心配があるため、心話で王都に連絡を取り、現在王宮から、


『後日、金色の竜が箱をぶら下げてコラユータからサンテールまでの街道上空を移動する。決して攻撃はしないように。攻撃した場合、全力の反撃もあり得る』


 という通達を出して貰っている。


「それで、本番は予定通りでいいのかってエーレンが聞いてるけど?」

「そうだね。パラシュートのチェックをするまでは確定しないけど、問題がなければ予定通り3日後かな。小雨程度なら決行で、大雨なら延期。その判断はエーレンに頼みたい」

「広範囲の雨は避けられないが、嵐なら迂回するって言ってるよ?」


 内陸部に於ける強い嵐の範囲は、台風などと比べると格段に狭いことが多い。

 しとしとと降り続くような雨は迂回出来ないが、大抵の嵐は、エーレンの翼であれば迂回できるだろうと納得しつつも、レンは


「森の奥を飛んでるときに何かあったら助けに行くのも難しいって意見があったからね。迂回はあまりしない方向で」


 と答えた。


「詳細は街に戻って詰めようってさ」

「了解」


  ◆◇◆◇◆


「クロエさん、アリダとミラとサブリナっていつ学園に向ったんだっけ?」


 街に戻り、作業部屋でパラシュートの確認をしていたレンは、部屋でポーションを作っていたクロエにそう尋ねる。


「5日前。多分、今頃、全員中級になって、ポーションを作ってる」

「そか。妖精を連れてオラクルの村に戻ったら会えるかも知れないね」

「どれだけ成長してるか楽しみ」

「それでクロエさん、それは誰かに頼まれたの?」


 クロエの前にある素材や道具から、学園で生徒を育成する際に使用するポーションセットを作っていると気付いたレンが尋ねると、クロエは首を横に振った。


「違う。技能の習熟目的。ポーションは後でマリーに送る」

「習熟? 上級を目指すのかな?」


 レンの質問にクロエは少し悩んでから首を横に振った。


「可能ならなりたいけど、今は腕を上げるのが目的……でもレン、まだ、学園の生徒も上級にはなれていない。それはなぜ?」

「幾つか理由はあるけど、ひとつは学園の立地条件かな。あそこは、中級を育てるのにはとても良い場所なんだけど、上級って考えると、ちょっと難しいんだよね」


 例えば錬金術師中級を得るための条件は

 ・十分な技能習熟

 ・イエロー系以上の魔物に見付かった状態で硫黄草を8本採取

 である。魔物はイエロー系以上であれば何でも構わないのだが、ゲーム時代には、比較的弱点が分かりやすいイエローリザードが狙われることが多かった。

 ちなみに、職業レベルを中級にするための条件は例外もあるが、イエロー系以上の魔物に見付かった状態で××する、というモノが多かったりする。


 習熟のためには様々なポーションを作成する必要があるが、そのためには素材がなければ話にならない。


 オラクルの村は長く人が住んでおらず、サンテールの街からもそこそこ距離があるため、その周辺には多くの素材が眠っていた。


 そして、やや離れた場所にはイエローリザードが棲息しているという絶好のスポットなのだ。


 これが上級となると、条件は職業ごとに大きく異なってくる。

 戦闘職の場合、何をどれだけ倒せ、のようなモノもある。


「学園周辺だと難しいの?」

「錬金術師上級の条件ってのは、まず十分な技能習熟。複数の職業を中級以上に育てる。レッド系の領域で10種類以上の素材採取。他者の手を借りずイエロー系の魔物を倒すの4つ。オラクルの村はレッド系の領域からは遠いから難しいね」

「イエロー系の魔物をひとりで倒すのも十分に難しいと思う」

「中距離以上を攻撃できる職業を中級にして、結界内部から狙えば、相手によっては簡単に倒せるよ。お薦めは槍か弓だね。ああ、氷魔法でイエローリザード狙いにしとくと弟子を育てるのに有利かも」


 イエロー系の魔物は数人が命がけで戦う相手という常識の中で育ったクロエからすれば、レンやライカ、リオと言った規格外がそれをソロで倒すなら理解出来るが、自分がそこに至れると言われてもピンとこない。

 なので、ある種の覚悟をしつつこう答えるのだった。


「頑張る」

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