第165話 海への道のり――神殿の規則と神託の続き

 妖精達、というよりもアイリーンは、領主邸ではなく多少は気心が知れているレン達の家を街での滞在先として選択していた。


「クローネ邸の建物から5m以上離れないこと」とアイリーンに厳命された妖精達は建物の中、外を探検し始める。

 総勢200名は伊達ではない。

 暫くは、あちこちでわちゃわちゃする妖精の姿が見られることとなった。


「それで、郷の入り口はどこにするか決まったのかね?」


 と、ラウロが尋ねると、アイリーンは


「まだじゃ」


 と答え、


「ここが600年後らしいという話はしたが、それだけでは情報が足りぬ」


 と付け加えた。


「どの程度で決められそうかね?」

「10日以上掛けるつもりはない」


 アイリーンが自らを鑑みるに、600年後であることを納得するには、それこそ昔住んでいた場所に行ってみる必要がある。

 だが、現状でそれは難しいという事は理解している。

 だから納得できずとも、情報を得るための時間と、覚悟を決めるための時間を与えたいのだというアイリーンに、ラウロは分かったと頷いた。


  ◆◇◆◇◆


 レンは、クロエの訪問を受けていた。

 エミリア、フランチェスカを引き連れたクロエを迎え入れたレンは、アイテムボックス内からお茶を出して振舞いつつ3人の様子を窺った。


 いつもなら言いたいことだけ言っていくクロエは無言で、その後ろに控えつつクロエが暴走すれば口を挟むエミリア、フランチェスカは何か言いたそうにしている。

 いつもの雑談とは違うようだ、と、判断したレンが


「それで、どうしました? 何か気になることでも?」


 と尋ねると、


「……実は、確認したいことがありまして」


 とエミリアが切り出す。


「何でしょう? 答えられる事ならいいんだけど」

「その、クロエ様がパラシュートにいたく興味をお持ちでして……危険性について教えて頂ければと」


 ああ、とレンは肩の力を抜いた。


「では前提から。カップを落とせば割れます。何もなしに落下した場合の危険性はそれと同じです」


 頷くエミリアに、レンは言葉を続けた。


「その落下速度を遅くするのがパラシュートです。だから、もしも操作ミスで開かなければ、ただ落ちるだけです。怪我ならポーションで何とかなりますが、即死したらどうしようもないですね。『操作ミス』が危険その1です」

「その1?」

「その2は『パラシュートの故障や破損』ですね。布ですから破けることもありますし、紐が切れることもあります。開かないとき同様、そうなれば落下するだけです」

「なるほど……もしかして、その3もありますか?」


 エミリアの言葉にレンは頷いた。


「あります。その3。パラシュートは落下速度を落とすためのものなので、今の仕様だと地面にはちょっと高い所から飛び降りたのと同程度の速度でぶつかります。もちろん、怪我をしない程度まで速度を落としますけど、それでも衝撃がゼロになるわけじゃありません。だから『運動が苦手だと怪我をする』こともあります」

「なるほど……かなり危険なのですね」

「まあ対策はありますけどね。例えば操作ミスについては、二人乗りタンデムです。慣れた者がパラシュートを背負い、その体にクロエさんをしっかり固定するとかです。慣れた者が操作するので、単純な操作ミスの可能性は減らせます」


 ゼロには出来ませんけどね、とレンが付け加えると、エミリアはそれは当然ですね、と答える。


「故障についてはしっかりチェック。その上で、パラシュートをふたつ背負って、片方駄目ならもう片方を、というやり方もあります。予備ですね」

「あの大きなのをふたつも背負えるんですか?」

「今回ライカに試して貰ったのは、安全重視で大きくしすぎたから嵩張ってましたけど、もしも次にヒト用を作るなら、もっと小型化します」

「安全重視のままでは駄目なのですか?」

「安全重視ってのは、ゆっくり降りるってことです。ライカは風の精霊が助けてくれてましたけど、遅いほど、滞空時間が延び、風に煽られる危険性が高くなります。素早く降りて滞空時間を短くするのと、ゆっくり降りて風で遠くに流されるのと、どっちを選ぶかって話ですね」


 レンはこれらをトレードオフだと思っていたが、実のところ、どちらも満たしたいというのも不可能ではない。

 例えば地球のパラシュートにはトグルという操縦用の紐が付いているタイプが多い。

 だが、レンがその構造を正しく理解していないため、レンが作ったパラシュートにはトグルは付いていない。

 地球の初期のパラシュートと比較すれば、パラシュートを引き出すパイロットシュートがある分、進化した形となっているが、レンが映画などで見たときに目に映りにくかった部分は殆ど再現されていないのだ。

 レンの知識がこの世界のパラシュートの最先端である以上、この世界のパラシュートは、しばらくはレンが作った形のままとなる可能性が高い。


 ちなみに、パラグライダーについてもレンは正しい構造を持っていなかった。

 モーターパラグライダーなら見た事があるので外観は知っていたが、レンの認識では、あれはパラシュートの一種となっており、それは間違いである。

 パラグライダーのパラシュート部分キャノピーは揚力を得るための翼で、前方に向って飛ぶことを前提としているのだ。

 だから、パラシュートの操縦は紐を引いて傘の形を変えるのに対して、パラグライダーは紐を引いて翼に対する操縦者の位置を変える。飛行機の重心を変えることで、ロール(前後を貫く軸を中心とした回転)とピッチ(左右を貫く軸を中心とした回転)を作り出すのだ。

 それを知らないレンがパラグライダーを作ろうとした場合、まずそうした違いを知る必要があった。


 それはさておき、レンの返事を聞いたエミリアは渋い顔をした。


「ゆっくり降りる場合、精霊魔法以外でも風への対策は可能でしょうか?」

「風魔法でも可能ですけど、精霊魔法よりも細かな制御をする必要がありますね」


 精霊魔法と普通の魔法の間には違いが多い。

 そのひとつとして、精霊魔法がある程度自立的に発動セミオートであるするのに対し、通常の魔法は術者が自力で処理するマニュアルである点があげられる。


 例えば精霊魔法は短縮詠唱ができないが、それは、精霊に正しい方法でお願いする必要があるからで、お願いすれば後は精霊がやってくれる。

 通常の魔法なら短縮詠唱等が可能だが、その1分、正しいイメージを想起できないと魔法は失敗する。

 その違いを知っていたエミリアは


「やはりそうなりますよね」


 と納得する。


「そうしますと、クロエ様がパラシュートを試す場合、先んじて、私とフランチェスカがそれに習熟し、風魔法で方向を変える程度は出来るようになった上で、私達が準備してクロエ様と一緒に降りる。となりますか」


 神殿の方針として、神託の巫女の安全を他者には委ねることはあまりしないと理解しているレンは、そうなるでしょうね、と頷いた。


「方向転換は俺たちが地上から行なうってやり方もありますけど、それは駄目ですよね?」

「非常時には頼らせて頂きたいですが、可能なら避けるべきと決まっております。勿論、信用出来ないということではなく……」

「そういう規則ですね。分かります」


 そのレンの言葉にエミリアは頷いた。

 神託の巫女についている関係から、エミリア達にはかなりの裁量権が与えられているが、実際には神殿に所属する言わば職員である。

 組織の決まりには従う義務があり、異議がある場合は正式なルートで申し入れねばならない。

 緊急時には現場判断が認められるケースもあるため、四角四面ではないが、今回のように危急の話でないならルールに従わなければならないのだ。


 ちなみにクロエに関しては、神託の巫女という特殊な立ち位置なので、そうした制限はないに等しい。


「ご理解頂けて幸いです。そうした事情ですので、色々教えて頂けますと幸いです」


 レンが分かりました。と頷くと、クロエが


「多分今……言っておくことがある」


 と口を開いた。


「多分今?」


 曖昧な表現に、話があるのはクロエじゃないのか? とレンはエミリアに視線を向ける。


「クロエ様、どういう意味でしょうか?」

「神託の続き。そろそろ伝える頃合い」

「続きって事は前のは、妖精に会うとき、神官の服を着るとかって言ったあれか?」


 レンの問いにクロエは頷く。


「とても大事らしい。だけど、ここにいる者以外にはまだ内緒」

「内容は?」

「妖精達が何を選択したとしても、もう少しすると沢山の資材が必要になる。具体的にはオラクルの村をもうひとつ作るくらいの資材を用意するように。意味は分からないけど、分散させるべき?」

「分散って何を?」

「さあ?」


 クロエは首を傾げる。


「クロエ様、この時まで秘していたのは、神託にそうあったからですね?」

「そう」


 フランチェスカの問いに頷くクロエ。

 そして、この世界の者にとっては、その返事が全ての答えだった。


「クロエさん、一応確認だけど、神官の服を用意する神託のときに、その神託もあって、それを伝える時期が今日この時だったってことだよね? で、妖精の移住先の選択によらず大量の資材が必要になる。と」

「……ん。合ってる」

「あと、これは答えられないんだろうけど、神託はこれで全部か?」

「あと一つ残ってる。時期が来たら伝える」


 まだあるのか、とレンはややげんなりとした表情をし、エミリア達は、今までに類を見ない神託の伝え方だと興奮する。


「それはそれとして、オラクルの村の資材って、今村にあるのじゃ足りないって事か? 学生が増えた分、備蓄は結構増えてるんだけど」

「追加で用意しなさい、みたいな感じだった。村にいる人数なら、依頼すれば十分間に合うって」

「そんなでっかい村……いや、分散するってことは、別に作るのか? なんでまた」

「知らない」


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