第164話 海への道のり――出迎えと一年ぶりの外

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冒頭の二乗三乗の法則について(ひとつ目の◆◇◆◇◆まで)は読み飛ばしても構いません。

算数レベルの話ですので。

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 馬車のパラシュート降下実験に関してはリオが戻ってからエーレンの協力の下で行なうこととし、当面の準備は完了した。


 ミニチュアを使った試験なら、ライカの協力のもと、行なっているが、重量と面積の双方が関係する物についてはミニチュアでは不安がある。

 各部が同じ比率の異なる大きさの立体を作った場合、面積は比率に対して二乗で変化し、体積や重量は三乗で変化する。これを二乗三乗の法則と呼ぶ。


 全部の辺が2センチのサイコロAと6センチのサイコロBがあれば『AとBの辺の長さの比率は2対6(3倍)』である。

 しかし、計算してみれば分かるが、面積、体積は長さの比率と同じ3倍にはならない。


 サイコロAのある面の面積は2×2=4、サイコロBは6×6=36で、4対36=1対9となる。この9というのは、『AとBの辺の長さの比率は2対6(3倍)』の二乗である。

 サイコロAの体積は2×2×2=8、サイコロBは6×6×6=216で、8対216=1対27となり、こちらは『AとBの辺の長さの比率は2対6(3倍)』の三乗である。


 算数レベルでこんなのを法則と呼ぶのかという代物だが、長さと面積と体積が絡む場合、これはとても重要な要素となる。


 よく、恐竜をそのまま大きくしたら歩くことが出来なくなるというのもこれに由来する。

 筋力は断面積(二乗)で決まり、体重は体積(三乗)で決まる。

 単純に相似で2倍にすると、体重は8倍になるが、筋力は4倍にしかならない。加えて、骨格強度、血圧の問題なども出てくる。


 そして今回であれば。

 重量は体積に比例するから三乗で変化し、空気抵抗を生み出す布の面積は二乗で変化する。

 だから仮に縮尺10分の1の精密なミニチュアを作った場合、その重さは10の三乗1000分の1になり、面積は10の二乗100分の1になってしまうのだ。


 これでは期待する結果が得られる筈もない。

 見た目が同じ相似でも、面積、重量の比率がまったく異なるのでは試験の意味が薄い。


 レンは、二乗三乗の法則を計算に入れて錘を追加しているが、バランスなどが本来のものとは大きく異なってしまうため、落下時の挙動も異なってしまう。


 それに加えて、馬車には、エーレンが掴んでいたら機能しない、離したら機能するというギミックも仕込んである。

 だから、妖精達が他の街への移住を希望した場合のみ、人目に付かない森の上空でエーレンに協力して貰おうとレンは考えていた。


  ◆◇◆◇◆


 翌日、レン達は早朝から迷宮に向い、妖精を迎える準備を整えていた。


 迷宮から魔物が溢れ出すのを防止するために作られた結界を、結界棒を追加して広げ、迷宮入り口からまっすぐ続く通路のような形にする。

 通路は森の中で途切れ、そこから少し歩くと以前レンが作った会議室がある。

 結界棒の仕様上、うまく配置すれば本数を増やすことで会議室と通路を繋げることも可能だが、結界棒の本数を増やすと、抜けてしまったりという事故の発生確率も上昇してしまう。とレンが主張したことで、出来るだけシンプルな構造にすることとなったのだ。


 結界が途切れる数メートル、その両脇には、ラウロ達やエミリアを配置し、その内側にはコラユータの騎士や冒険者が配置される。

 守るべき対象は妖精なのだから、冒険者よりも強いと目されるラウロたちを妖精に近い側に入れるべきだという意見もあったが、いざという時はラウロ達が時間を稼いでいる内に、冒険者達が妖精を抱えて結界に逃げ込む方が確実だということで、この形に落ち着いたのだ。


 会議室は、既に元会議室とでも言うべきものになっていた。

 部屋の街側の壁がなくなり、そこに馬車が停められており、簡易馬房には馬車に繋ぐにはやや多い馬がいた。

 なお、クロエとフランチェスカは、クロエの神託の巫女としての強い要望――これを見逃すなどソレイル様が悲しむに違いない――によって、馬車の中で妖精が戻ってくるのを待っている。


 会議室から街までの木々は土魔法で取り除かれており、小さな馬車なら走れる程度に整えられている。

 この道は今後、街から森の奥に移動する経路として舗装される予定となっていたが、現時点では土を均して固めただけのシンプルな物である。


 妖精を迎える人員の大半はその馬車のそばで待つが、レンとライカだけは迷宮の中、妖精が出てくるであろう小部屋にいた。


 今回使用するルートは、ゲーム内では時間切れの際の緊急脱出ルートとして設定されていたモノで、致死性の罠などではない。

 だが、それでも小部屋に魔物が入り込んでいた場合、妖精にとっては罠と同義となるため、レンとライカは小部屋の中の小さな隙間にまで火魔法などを当てて、安全を確保・確認し、部屋の中で待機していた。


「まだ結構魔素が濃いけど、ライカは大丈夫だよな?」


 小さな木箱を出し、それを椅子代わりにしつつレンが尋ねると、ライカは頷いた。


「ええ、この程度なら、前にレンご主人様と潜った蟹の迷宮の方がキツかったくらいです」

「蟹? ああ、石垣から小さいのがワラワラ湧いてくるあそこか。でもあれ、黄色じゃなかったっけ?」

「そうでしたわね。でもあそこでは終わりが見えませんでしたから、魔素濃度が低い割に疲れましたわ」


 僅かでも魔素を消費させるため、小部屋内にも大量の魔石ランタンを設置していたライカは溜息をついた。

 そして、楽しげに笑みを漏らす。


レンご主人様とこうしてまた迷宮に潜る機会があるとは、思っていませんでしたわ」

「なんで? 俺はほしい物があれば取りに行くし、今の俺に付いてこられるのはライカとリオ程度しかいないんだけど?」

「レイラもそれなりに鍛えてますわよ? いえ、今のレンご主人様はリュンヌ様の使徒ですから、昔ほど自由にはできないのが普通だと思うのですが」


 ライカの言葉に、レンはなるほどと頷く。


「まあ、神殿勢からしたらホイホイ出歩くなって言いたいところだろうけど、神託の巫女からしてあの調子だからね」

「600年の間に、神託の巫女が各地を巡る噂を聞いたことがありましたけど、人気取りのための噂だとばかり思ってましたわ」

「実際、そういうのも混じってたんじゃないか? でも俺の場合、自由に生きろって言われてる訳だし、好きにするよ。ライカもさ、そろそろ自由にすることも考えて良いんだよ?」

「自由にさせて貰ってますわ。かつての英雄達の足跡を記録することについては、やや囚われていた面もありましたけど、今ではそれもライフワークです。やめろと言われても拒否しますわよ?」

「うん、好きでやってるなら良いんだ。でも俺がライカとディオを育てたのは、俺自身のためで、その恩は600年前に返して貰ってる。これ以上は報酬の貰いすぎになるからな」

「……仕事と報酬は等価であれ、ですわね。ディオが好きだった言葉ですわ……でも」


 受け取った物に、より高い価値を認めるのは買う側の権利です。私達が貰ったものの価値は、私達が決めます。


 と、レンに聞こえないように呟くライカだった。


  ◆◇◆◇◆


「そろそろ時間じゃな」


 迷宮の核が乗っていた台座の回りに妖精達が集まっていた。

 そしてアイリーンは、台座の上で辺りを睥睨していた。


 アイリーンの事を少し理解し始めていたリオは、これは事故が起きないように見守っているのだろうと判断し、アイリーンの横で妖精達が妙なことを始めないように監視をする。


 妖精との付き合いが浅いリオだったが、妖精はとにかく好奇心が旺盛な種族で、目を離すと何をしでかすか分からないと思っていた。

 1年振りに迷宮の外の者を見たからという理由を差し引いても、リオが見た妖精達は色々と自由だった。


 レン辺りなら「リオも相当に自由だろう」と言いそうだが、そのリオから見てさえ、妖精は自由気ままだった。

 だが、さすがに迷宮最下層には今更珍しい物もなく、妖精が暴走する要因は少ない。


 現代のヒトの世界に於いては珍しい竜人も、昨日から散々妖精にたかられた結果、今ではそこまで興味を引いていないようでリオは安堵した。


 迷宮の核が乗っていた台座もやや珍しく感じるようで、アイリーンの後ろで、宝箱が入っていた穴に潜り込む妖精もいたりするが、その程度はアイリーンからすれば当たり前の事にすぎないようで注意もしない。


「そうだ。妖精って錬金術師はいる?」

「おらぬ。ヒトやエルフの大きさがあることを前提とした道具を使う職業じゃからな。なぜじゃ?」

「そっか。この迷宮の核が乗ってた台座って、持ち帰ったら売れそうな気がしたからさ。でも多分切り取るのに錬金魔法が必要になると思うんだよね」

「切り取れる物なのかえ?」

「多分ね。レンは鍵を使わずに台を切り離したら核は消えるって言ってたし。でも、迷宮の由来の素材だとエーレンの土魔法じゃ難しいし」


 リオの言葉に、なるほど、確かに外の世界では珍しい物じゃな、とアイリーンは頷く。


「ならば、蓋の部分だけでも持ち帰ってはどうじゃ?」

「あー、そうだね。レンが何かに使うかも」


 そんなこんなで、時が流れ、


「お?」


 と、アイリーンが辺りを見回した次の瞬間。

 妖精達とリオは地面に押しつけられるような感覚を味わい、凄まじい勢いで迷宮の天井に向って飛ばされ、そのまま天井を透過して迷宮10階層を20秒ほどで通過し、なぜか星空の中に浮かんだかと思ったら、明るく照らし出された洞窟の中に放り出された。

 落下していた時間の割に落下速度はかなり遅く、地面に落ちた者たちは平地で転んだ程度の衝撃を感じる程度だった。

 続いて妖精が数人ずつ、岩の天井からゆっくりと地面に落ちる。

 落ちた妖精達は魔素の濃さに顔を顰めつつも初めての経験に落ち着かない様子でざわざわと意見交換を始める。


 それを見たアイリーンの魔力が膨れ上がり、リオは、アイリーンの魔力で自分の中が撫でられたように感じた。

 途端に妖精達のざわめきが消え、皆が周囲の魔道具に向って移動する。そして、魔道具に近い場所を巡って規律正しくローテーションを始める。


「今、何をしたの?」

「待て……うむ……まだ足りぬな……妖精全員を妾の支配下に置いたのじゃ。本来は採蜜や戦闘用の状態じゃな。じゃが全員の状態把握をしつつ、適切な休息を取らせるのには便利じゃ。お薦めじゃぞ?」

「いや、お前もやってみれば? みたいに言われても無理だから……ああ、レンにライカ、そこにいたんだ。ただいま」


 部屋の片隅で木箱に座っていたレン達に片手を挙げて挨拶をすると、リオは立ち上がって伸びをする。


「お帰り。変わったことはなかった?」

「別に。あ、鍵は使えたよ。それにしても、まだ結構魔素が濃いんだね」


 迷宮の核が外された迷宮は、その時点で踏破されたと見なされ、核がなくなった状態が24時間続くと迷宮そのものが消滅に向う。

 今はその消滅に向うフェーズで、時間経過と共に魔素が薄れている途中なのだが、それでも一般人にはややきつい環境となっている。


「みんな静かだけど、妖精達はアイリーンさんが管理下に置いてるんだね?」


 レンの質問にアイリーンは頷いた。


「そうじゃ。ああ、沢山の魔石ランタンの配置に感謝する。皆、魔道具のそばでは多少楽なようじゃ」

「アイリーンさんは大丈夫ですか?」

「おヌシから貰ったアイテムボックスとマントのお陰で、多少は楽じゃ。そちらについても感謝する」


 マントをバサリと翻し、腰のポーチをポンポンと叩いて示すアイリーン。


「それで、まだ出てきていないのは何人くらいですか?」

「うむ、後は……や、今揃った。それでは外に出るとしよう」

「妖精達は管理下に置いたままで行けますか?」

「まあ大丈夫じゃろう」

「なら、ライカとリオは両手に起動状態の魔道具を持って。同じように俺も持つから、アイリーンさんは妖精を魔道具のそばに」


 レンの言葉にアイリーンが頷くよりも早く、妖精達はそのように動いた。

 レン、ライカ、リオに、アイリーンも加えた4人の周りに総勢200人ほどの妖精である。ひとり辺り50人ほどの妖精がそばにいる事になる。

 遠目にはわさわさした塊にしか見えないが、迷宮内で見た目を気にしても仕方ない。

 部屋や通路に配置した魔石ランタンを回収しつつ、一行は出口を目指す。


「魔物の気配はないけど、角とかは慎重にね」

「うむ。しかし一年を過ごした割に、出て行こうという段になってもまったく感慨が湧かぬの」

「実質的には閉じ込められてた訳ですから仕方ないでしょうね。あ、あそこが出口です」

「これで、後は皆に600年後の世界を見せて、郷の入り口の場所を決めればひと安心じゃの」


 ライカ、リオが迷宮から外に出て、レンと、その頭にしがみついたアイリーンが迷宮から外に出る。

 暗闇に包まれた迷宮は、数分で闇に溶けるように消えていくのだった。


  ◆◇◆◇◆


 森の中、迷宮前の結界棒で覆われた場所から冒険者達に守られて進み、妖精達は馬車に乗る。


「妖精だらけで何があったのかと思った」


 フランチェスカと共に、馬車の中からレン達が戻ってくるのを見ていたクロエは、レン達が姿を現した時の姿を思い出して笑った。


 両手を前に突き出して魔石ランタンを持ち、そのランタンの周囲をそれぞれ20人ずつの妖精がグルグルと回っており、加えてアイテムボックスのポーチ付近にも10人という姿は、どう見てもまともなものには見えなかった。


 戻ってきたレンから、妖精が魔素にやられないようにしていたと説明を受けた後も、そのシュールな姿を思い出してクロエは笑っていた。

 だがそれは別に遊んでいるわけではない。


「これは多分、ソレイル様も喜ばれると思う」


 神託の巫女の仕事なのだから仕方のないことなのだ。


 迷宮が消えたことを確認したコラユータの冒険者は、結界棒を回収し、それを持って馬車の周りを囲みつつ街を目指す。

 先行してリオが森の中を爆走しているので、危機意識のない魔物は蹴り飛ばされ、ある魔物は逃げだし、ルートの安全はほぼ確保されている。

 それでも、森に慣れたレベッカとジェラルディーナが馬車の少し前を行き、冒険者達は事あらば結界棒を使えるように慎重に進む。


 そして、森から出た所で、レンがやや大きめの馬車を出し、冒険者の一部が引いていた馬を繋いで冒険者の一部を馬車に、残りは騎乗して速度を上げる。


 その様子から、そろそろ安全なのだろうと判断したアイリーンは、馬車の扉がしっかり閉まっていることを確認してからレンの前に浮かんだ。


「レンよ、そろそろ妖精達みなを自由にするが、いいか?」

「そうだね。この先は死角になるような木々もないし、いいんじゃないか? ただ、馬車の中で暴れたり外に出ようとするようならまた頼む」

「うむ」


 アイリーンが肩の力を抜く、と、妖精達がざわめき出す。


「皆の者、知っての通り、妾達は迷宮を脱し、今はヒトの街に向っておる。1年振りの外の景色じゃ、見たい者は順番に、そこな隙間から覗くが良い。手や顔を出してはならんぞ?」


 アイリーンが指差したのは、馭者席との間にある小窓と、屋根の付近にある明かり取りの小さな扉だった。

 大勢で乗るからと、普段は閉じられている小さな扉が開けられ、虫除けの金網の向こうに青空が見えていた。


「迷宮内と空の色は変わらぬが、空気が違うじゃろ。仲良く順番に眺めるが良い」


 アイリーンの言葉に、妖精達は仲良くとか順番とかいう言葉を知らないように、外を見ることができる場所に殺到するのだった。


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