第160話 海への道のり――ふたつの気配とボス戦

 妖精達を迎えに迷宮に潜ったリオ=エーレンは、危なげなく歩を進めた。


「出てくるときも思ったが、ヌシは迷宮の中を散歩のように歩くのぉ?」

「? 竜人の巣がある迷宮もっと危ないところで生まれ育ったしね。ここはレッド系の魔物しかいないから気楽だよ」


 リオの基準では、レッド系の魔物は雑魚である。

 油断すれば万が一もあるが、油断してさえ痛い目に合うのは文字通り万が一の確率なのだ。


 もしもリオが警戒すべきと判断するような相手がいれば、それはすでにレッド系の強さに収まらない。


 強い黄金竜とソウルリンクをした竜人は、英雄数十人を相手に互角の戦いをする。

 竜人とレイド戦で戦うような英雄の強さは、『レンを基準』にした場合、レンの自己評価では2倍程度となる。


 もちろん何を基準にするのか、どういう戦い方をするのかでまったく結果は異なるが、ゲームの終わりの頃のレンは、最前線で戦うプレイヤー達とは倍近い開きがあると感じていたのだ。


 そうした英雄達が集団で挑んでも互角の戦いを演じたレイドボスに近い実力があるリオを、レッド系の魔物程度がどうこうするのはかなり難易度が高い。

 リアルに於ける武道の達人と子供の喧嘩のようなもので、まず攻撃が当らない。

 その上、攻撃が当っても竜人にはそれを軽減するための鱗があり、ダメージを受け流したりする各種技能もある。


 もちろんリオだって怪我をすることはある。

 だからもしも相手がリオより高速であれば攻撃を受ける可能性はあるし、十分な力があれば一撃で致命傷となる可能性もある。

 どれだけ強くても体は生身であるため、ナイフで頸動脈を斬られれば死ぬのが『碧の迷宮』の世界だった。

 だが、リオより速くてリオの肌を抜けるほどの力があるとなると、それは最早レッド系の魔物ではあり得ない。


 リオにとって速度特化はやや面倒な相手となるが、力が伴わないなら倒せない相手ではない。


 だからそれを理解出来るそこそこ賢い魔物なら姿を隠すし、その知恵がない魔物はリオに蹴散らされる。


 その隔絶した強さに、アイリーンは溜息をつくのだった。


  ◆◇◆◇◆


 それほど急がず、寄り道は控えめで、リオ=エーレン達は魔物が出にくいルートを進み、翌日の昼前には迷宮の核のある階層の直上に到達した。


「ん? 見られてる?」


 海の中の小島で、視線――殺気の籠もった――を感じたリオ=エーレンは足を止めた。

 小島は、妖精達が迷宮の核を制御して作った食料を確保するための施設花畑で、この階層はいわゆるボス階層に相当した。


 迷宮の核を破壊、乃至は取り外せるのであれば、迷宮のボスの討伐は必須ではない。

 だからこの階層はスルーする予定であり、リオ=エーレンは視線を無視して迷宮の核の階層に続く階段に向かった。


 そこで待ったが掛かった。


(リオ。海の気配が少し妙だ。アイリーン殿を下層に送り、リオは留まって調べることを勧める)

「――と、エーレンから指摘があったんで、アイリーンはコレ持って先に行ってて」


 リオからエーレンの言葉を聞き、錆びた鍵を受け取ったアイリーンはレンに作って貰ったポーチ型のアイテムボックスにそれをしまうと、迷宮の核がある最下層に続く階段に消えていった。


「エーレン、あたしにはまだ分かってないんだけど妙な気配って、どれのこと?」


 海に大きな気配があることに気付いていたリオだったが、大きさだけなら属性竜もそれなりに大きな気配となる。

 敢えてエーレンが妙だと言うのはどこだろうかと神経を研ぎ澄ます。


(大きな気配は幾つ感じる?)

「数って言われても……水中だと分かりにくいんだよね……大きいのがふたつ? 小さいのはたくさん」


 海水という遮蔽物と、空気中とは異なる音の伝わり方、沢山の魚などの影響で読みづらくなった気配を追い掛け、リオは少し考えながらそう答えた。


(その気配はどの辺にある?)

「あの辺をこうグルグルと……あれ? 混じってる?」


 大きな気配がふたつ、島の沖合を遊弋する気配の『動き』に意識を集中したリオは、ふたつの気配が同じ位置を同じベクトルで動いていることに気付く。


(混じってるとは言い得て妙だな。位置が重なっているが、数は2つ。それぞれから感じる気配の質が異なっておる)

「うん。動きなんかは同期してるけど、なんて言うの? 攻撃しようとする気配と、様子を窺ってる気配がほんの少し距離を置いて混じってるね……なるほど確かに妙だね。迷宮を踏破すれば魔物は全部消えるけど、どうしようか」

(積極的に倒す必要はないが、気になる点は多いな)

「興味本位ってやつ?」

(こういう珍しい気配の敵ならお前の成長の糧となる可能性があるかも知れんと思ってな。それに興味本位も否定せぬよ。リオはあの気配のヌシが気にならぬのか?)

「なるよ」


 リオはレンから貰った水中呼吸のポーションをポーチから取り出すと、封を切ってラメ入りマリンブルーっぽい色の中身を飲み干す。


「このポーション、味は悪くないけど、色は何とかして欲しいよね」

(それを飲んだということは、行くのだな?)

「様子見が目的だけど、場合によっては魔法やブレスを借りる。いいよね?」

(うむ。元々、アレに目を向けたのは我だから、責任は取る。自由にするが良かろう……だが、水中でブレスは止めておけ? 人間サイズだと自分が吹き飛ぶぞ)

「うん。気を付ける」


 リオは海岸の岩場から海面を見渡し、安全そうな場所のあたりをつけると、大きく踏み込んで数メートル先の海中に身を投じた。


 水中で一息、水を肺に入れるようにすると、鼻の奥にツンとした痛みが走るが、二息ほどで呼吸が可能となる。

 海水の匂いで噎せ返りそうになりながらも、リオはゆっくり呼吸をして感覚を馴染ませる。


 水しか吸っていないのに、吐く息にはなぜか小さな気泡が含まれる。

 泡がキラキラ光りながら海面に向かうのを眺めたリオは、大きな気配が接近してきていることに気付く。

 接近は気配の大きさからすればほんの半歩程度。

 だが、感じられる殺気と観察の割合が変化し、観察が主となっている。

 リオはその気配のある方向に視線を向けた。


 それが切っ掛けとなったわけでもないだろうが、突然殺気が出てくる方向が海底全域に広がった。


 リオは下を見ず、咄嗟に水魔法で水流を生み出し、体を真横に大きく移動させる。

 するとさっきまでリオがいた場所を、数枚の昆布がマグロ並の速度で海面に向かって浮かび上がっていく。


(面倒な相手だな)

(知ってるの?)

(いや……殺気を発する位置が一瞬、海底に変わったのに気付いたか?)

(うん。だから避けられたんだけどね)


 遠くにある殺気が海底に一瞬で移動し、直後、また遠くに戻ったように感じた、というリオに、エーレンはおそらく移動したわけではない、と答えた。


(スライムの一種に、無数のスライムが群体としてひとつにまとまっているモノがいる。そいつらは、最小単位を分散配置して、それぞれと連携して攻撃をしてくることがあるのだ)

(……それ、レンが言ってた妖精の戦い方に似てるね?)

(確かに似た部分はあるが、スライムが使う方法はソウルリンクに近いやり方とされている)

(へぇ、意識を繋げて切替わるんだ。あ、だから殺気が移動したのか……で、ここらの海底はそいつらの一部がばら撒かれてるってこと?)

(確定ではないが、我が知る限りに於いて、そんな攻撃をしかけて来るのは他におらぬ……ただ、そのスライムは陸棲なのだが)


 何にせよ、常よりも全方位への警戒が必要だ、とエーレンは締める。


 リオは全力の三分の一程度で相手の気配の周囲を回りながらゆっくりと距離を詰める。

 相手の気配もリオと一定の距離を保つ方向に位置を変えるが、そちらも全力ではない。

 時折、海底から海藻が飛び出してくるが、リオはそれを少しだけ引き付けてから回避する。


(それにしても、なんで昆布がまっすぐ上がってくるの? 普通、ヘニャってなるよね?)

(魔力は感じられないが、撃ち出す際に硬化しているのだろうな)


 リオが少し角度を変えて接近すれば、相手も速度を上げて離れようとする。

 そして時折、殺気の籠もった攻撃が真下からリオを襲う。


 その攻撃の影響で足止めされたように見せ掛けつつ、相手に向かう軌道を直線的なモノに変えていくリオ。

 接近を嫌ってか、リオの軌道の前方に昆布が撃ち出され、リオは行き足を止める。

 それをチャンスと見たか、海底から撃ち出されるモノに貝が含まれるようになる。


 敢えてその一発を掠めさせたリオが水中でクルリと回転し、口内に溜めておいた気泡を吹き出し、ぐったりと力を抜いて水中に漂う。


(うわぁー、やーらーれーたー!)

(下手くそ)

(うるさいな。でも騙せたっぽいよ)


 気配が、リオの周囲を回るように弧を描いて接近してくる。

 殺気はほぼ消えており、観察が主体となっている。

 近付いてきたことでリオにも相手の輪郭が分かってくる。


(リオ、角と長い尾があるのは見えるな? 体は鯨に似た流線型で鱗を持つようだが、全体的には角のある蛇というのが近いか……だが、あの角はなんだ? 微弱な魔力が出ておるが)


 リオの視界に入ってきたのは、巨大な鯨の尾を蛇のようなものに変え、その全身を大きな鱗で覆い、目と目の間、正面に向かって長い角を持つ生き物だった。

 エーレンの角、という言葉に、リオはその部分に神経を集中する。

 ハッキリとそれを認識したリオは顔を顰める。


(うあ、グロいね)


 角は、まっすぐで長いものだったが、その根元には様々なモノが刺さっていた。

 多くは海棲の魔物で普通の魚などもそこには含まれていた。


(倒した獲物の死骸だろう)

(保存食かもね。尻尾があんなに長いんだから、刺さったまま取れないってことはないでしょ?)

(そういう習性があるとしてだ、あやつが接近してきているのはどういう意味だと思うね?)


 串刺しにするつもりか、と気付いた所で、相手が体をくねらせて一気に加速した。

 グンと増速した巨体を見て、リオは素直な感想を漏らす。


(あー、遅いね)

(……まあ、あの大きさでは仕方ない)

(エーレンはもっと素早いよね)

(黄金竜を基準にするでない)


 念のため、相手の死角で短剣の柄に手を掛ける。

 と、それに気付いたかのようには魔物は体をくねらせリオへの直撃コースから外れ、その頭上を泳ぎ抜けようとした。しかし、それはこの場においては悪手だった。


 その巨大な魔物は確かにリオを避け、その上を泳ぐことに成功した。

 だがそれは、リオの真上で無防備な腹を晒すということを意味しており、


(エーレン、アイシクルランス借りる)

(ほどほどにな)


 リオは直上を抜けようとする魔物に片手を向けた。

 凄まじい水流に巻き込まれるが、力業でそのままの体勢を維持し、リオは小さな氷の槍を発射した。


 魔物の腹に刺さった氷の槍は、周囲の水を凍り付かせると共に、魔物の肉体をも凍り付かせる。

 体の大きさ故、全身が凍り付くようなことはないが、魔法の効果範囲内は綺麗な球体の氷に変貌し、刺さった付近から内臓までが凍り付く。

 と、そこでリオは違和感に気付いた。


(あれ? 殺気は?)


 次の瞬間、海底が爆散したように様々な物体がリオ目掛けて撃ち出された。

 いや、リオ目掛けてなら対処は簡単だが、この攻撃は単に上向きに無数の物体を撃ち出している。

 そして、その全てが、今まで見た攻撃を上回る速度を持っていた。

 攻撃の十や二十なら迎撃できるリオだが、攻撃の中には砂の塊なども混じっており、それを弾けば視界が遮られる。

 ならば避けるべきだが、避けるというのは、避ける空間があってこそ成立する。


 海底全てがリオに向かって撃ち出されるような攻撃を見たリオは、これは手に余ると判断し、


(手の内を読み合って、読み勝ったと思っていたけど、これは予想外。エーレン、頼める?)

(うむ)


 とリオ=エーレンからエーレン=リオに切り替わった。


(水を固体に……しかし寒いのは好きではないな)


 エーレン=リオは、海底側の広範囲の海水を魔力で固定し、固体に近い状態に変化させた。

 氷ではない。

 水は水のまま、魔力によってそれぞれ分子の相対位置が固定されたのだ。

 熱振動は許可してあるため、水中が冷えることもあまりない。


 海底から飛んできた諸々は、水の固体にぶつかってその下の水を汚して終わった。


 分子同士の相対位置を固定するなど、プレイヤーであっても実現は不可能に近い。

 それを可能とするには、黄金竜の並外れた処理能力と、膨大な魔力が必要だった。

 そしてエーレンが水を固定した以上、それを撃ち抜くには、エーレン以上の干渉能力が必要となる。

 レッド系の迷宮の魔物にそれが出来るはずもない。


(リオの速度から、大抵の攻撃は見切られると判断した上での飽和攻撃か……手としては悪くないが)


 エーレンは足元の水の固体に下向きのベクトルを与えた。


 全て――凍り付いた巨大な魔物も、リオの体をも巻き込んで水の固体で出来た巨大な板が海底を潰す。

 広範囲が潰され、時折感じるその下の気配を一通り焼いたエーレン=リオは、水中を漂う魔物を見上げた。


(リオ、あれはどうする? まだ消えていないぞ)

(興味ない……あ、折角だしトドメ刺しちゃお。良い素材が出たらライカが買ってくれるかも知れないし)

(そうか。美味いモノを食べるときは声を掛けろよ?)


 エーレン=リオは右手を巨大な魔物にかざし、掌を握りしめた。

 それだけで魔物の体は小さく潰れ、光の粒となって消えていく。


(全然スライムじゃなかったね?)

(スライムもぞ)

(あった?)

(確証はないがあれはリバイアサンを素体としたキメラだ。角に刺さった相手の形質を取り込むようだな)


 角から出ていた微弱な魔力は恐らくそれだ、と言いつつ、エーレン=リオは、海中に漂う魔物の素材を片っ端からポーチに詰めていくのだった。


~~~~~~~~~

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