第159話 海への道のり――鍵とパラシュート


 迷宮の核を取り外すのに鍵が必要だとレンから聞いたクロエは、どのような鍵なのかと尋ねた。


「鍵……どんな見た目?」

「外見的な特徴はないかな。いろんなのがあった。普通の鍵もあれば、水晶っぽいのとか、魔法金属でできたやつとか」


 外見的な特徴がないと聞いたクロエは、別の条件で該当する鍵がないか、記憶を探る。


「なるほど……なら、心当たりがある、かもしれない?」


 カプアの村の襲撃の頃――英雄の時代の迷宮の核の鍵とするなら、その鍵も英雄の時代以前の物である可能性が高い。

 そう考えたクロエは、外見的な特徴を条件に加えないなら、該当する鍵を知っていることを思い出した。


「心当たり? 神託かな?」

「違う。前に見付けたとき、そこに入ってた」


 クロエは定礎の中に入っていたアイテムボックスを指差した。


「見た目は錆びた銅の鍵だから、気にしてなかったけど、箱を定礎に入れたのが英雄の時代なら鍵も当時のもの」


 クロエの話を聞いたレンは、木製の宝箱を模したような箱を開くと箱の中の黒く見える空間に触れた。


「ノート、設計図、周辺地図、あと未加工のストーンブロックと様々な形に加工されたストーンブロックがそれぞれ沢山……あ、これか、洞窟の鍵」


 表示される内容リストをチェックすると、洞窟の鍵というアイテムが入っていた。

 取り出した鍵は『長年使い込まれた真鍮の鍵』、というのがもっとも適切にその見た目を表しているような品だった。


 アイテムボックスを受け取った際に、ライカに中身の確認をさせていたレンだったが、命じたのは前に見た時と同じ物が入っていることの確認でしかなく、だからライカはその鍵については報告をしていなかったのだ。

 また、鍵の見た目が、いかにも使い込まれた真鍮の鍵だったことも判断を狂わせていた。

 ライカが見た事のある迷宮の鍵はそう多くはないが、どれも水晶で出来ていたり、精緻な彫刻が刻まれた貴金属製など『如何にも』な外見をしていた。


 だからライカは、アイテムボックス内の鍵を、何か特別な物とは考えていなかった。


 取り出した鍵を見たレンも。


(こんな草臥れた鍵じゃ、まあ、ゴミが紛れたと判断してもおかしくはないか)


 と思うような代物である。


 クロエは錆びた銅と表現したが、それは黄銅で出来た錆びた鍵だった。

 黄色い錆が浮いた鍵は、外見だけなら長年使ってすり減ったような見た目で、人間の手が触れやすい部分が摩耗していたり、触れたり擦れたりする部分には錆がなかったりと、どう見ても古びた鍵である。


 だが、レンはそれが迷宮の核の鍵である可能性が高いと判断した。

 外見的な特徴こそないが、迷宮の核の鍵には魔力伝導効率が良い何かが仕込まれていることが多い。

 錬金魔法の錬成で確認すれば、聖銀ミスリル魔銅オリハルコンの合金が鍵に微量に含まれていることが分かる。


 ただその位置も材質も、鍵によって異なるため、レンであっても断定には至らない。


 なぜなら、魔道具として作られた錠前の鍵に魔法金属が使われることは普通にあることだからである。

 この鍵がそうしたものである可能性を否定できない以上、レンとしては断定には至れないのだ。


 しかも600年前と言えば、魔道具が世界に溢れていた時期でもある。

 普通ならばこの鍵が当時の魔道具である可能性と、迷宮の核の鍵である可能性は半々だろうとレンは考えた。


 が。


(これがである可能性はそこそこ高い)


 レンがそう考える理由は、これが定礎に入っていたことだった。


 少なくとも他のシナリオのためのキーアイテムなら、プレイヤーがそれを定礎に入れたりはしない。

 当時作られた魔道具の鍵という可能性も否定できないが、錠前なしで鍵だけを入れる理由もない。定礎は建物を壊すときに取り出す物だと知っていたプレイヤーが作ったのであれば、そこに予備の鍵を入れるはずもない。


 もちろん間違って入れたまま定礎に埋め込まれた可能性も否定はできないし、当時のプレイヤーにとって、この世界はゲームだったのだから、誰かのいたずらまで疑えば、どんな可能性だって残るわけだが。


「どう?」


 鍵を手にして固まったレンに、クロエはそう尋ねた。


「うん。断定できるだけの情報はないけど、これが迷宮の核の鍵である可能性は高いね。リオが潜るときに試して貰おう」


  ◆◇◆◇◆


「それじゃ、迎えに行ってくる」

「3日後に妾達が戻ってくる故、受け入れの用意を頼むぞ?」

「妖精なら当面はこの前作った会議室でも十分に生活できますけど、馬車でコラユータの街まで搬送するつもりで用意しておきますよ。気を付けて」


 姿隠しのマントを着たアイリーンを頭に乗せたリオが迷宮に入ったのは翌日のことだった。


 それを見送ったレンは、欲しい素材があると、安全地帯の会議室で皆と別れ、森に入ってひとりで昆虫系の魔物を狩り始めた。

 イエロー系の領域である。

 出てくる魔物は、レンの基準では油断しなければ負けることのない相手ばかりだが、レンが欲するのは昆虫系の素材であり、昆虫系の魔物は強さの他、気配察知に掛かりにくいという性質がある。


 だから、レンは森の奥に向けてストーンバレットを数発撃ち込み、それに反応した魔物を探しつつ狩りを行なうことにした。


 敢えて弾速を押さえた小石の弾丸が木の葉や小枝を弾き飛ばしながら森の中を飛翔する。

 その音に、獲物がいるのかと反応した魔物は、気配感知にも反応を返す。この方法を取るため、レンはひとりでの狩りを選択したのだ。

 後は、発見した魔物にストーンバレット(本気)を撃ち込めば、大抵の魔物は隠身を解いてレンとの戦いを選ぶ。

 そこに、細剣レイピアなり弓なりで攻撃を加えれば、大抵の魔物は倒せる。

 学園の周辺でグリーン系の魔物を相手に学生達が安全に戦うために、と考えて編み出した戦術だが、イエロー系の領域でも、レンなら危なげなく戦うことができた。


 魔物の死骸を手に入れたレンは、迷宮前に作った会議室の結界範囲を少し広げると、外で魔物を解体して素材の処理を行なう。

 得られた素材を持ってクローネ邸に戻ったレンは、細工師の技能を持つエミリアとフランチェスカに型紙とウェブシルク裁断に特化したハサミを渡し、裁断と端の処理と補強を任せる。

 その際、妖精サイズのパラシュートをひとつサンプルとして渡すと、エミリアは不思議そうな顔をした。


「これを手に持って落ちるのですか?」

「ああいや、本当は手足と体にも分厚い帯みたいのを巻いて、そこに取り付けて背中に背負うんだ。今回作るのは帯のないタイプだから、サンプルではそこまで作ってないんだけどね」

「つまり人間が装着するわけではないのですね?」


 クロエが着けないのなら問題ない、とばかりにエミリアは作業に戻る。


「さて。じゃ、俺は糸か……」


 少し離れた場所で、解体した蜘蛛から取り出した出糸腺を使って、大量の粘着性が低い蜘蛛の糸を作り、それを巻き取ったレンは、薬剤で糸を強化し、数本をより合わせて細い糸を作り出す。

 ゲーム内でウェブシルクの量産を行なった際に何度となく行なった作業だが、現実になった影響でかなり面倒な作業となってしまったそれをこなしたレンは、十分な糸が出来たところで伸縮性のある紐とロープを編む。


「それにしても随分大きいのだな」


 様子を見に来たラウロがエミリア達が切った布を見て、呆れたようにそう言えば、レンは


「本来はこの半分ほどですから」


 と答える。


「本来は? つまり、これは本来の形ではないということなのか?」

「形状は大体同じです。異なるのはサイズの方です。まだ未確定ですけど、彼らが昔住んでいた森の中を希望した場合、エーレンに馬車を運んで貰いますけど、妖精もライカも飛べますから、間違って落下した時の心配はしていません。これは人間じゃなく、馬車のためのものなんですよ」

「馬車を飛ばすことが出来るのか?」

「飛ばす、じゃなく、ゆっくり落とす、ですね」


 エミリアに見せたサンプルに錘を付け、レンはパラシュートの布の先端を摘まんでそれを天井に投げ上げた。


 布の先端を持って投げれば、遠心力で錘側が先に飛んでいく、それに引っ張られる形のパラシュートが空気抵抗で開き、パラシュートは天井よりもやや下で錘の加速を止めた。

 後は重力に引かれた錘が落下し、パラシュートがその落下速度を一定に保つ。

 フラフラふわふわと落ちてくるパラシュートを見て、ラウロは、


「なるほど、こういうものか」


 と頷き、ハンカチを取り出して投げ、広がらずに落ちたそれとの違いについて考え始める。


「このパラシュートを馬車に取り付け、万が一の落下時は、同乗したライカがパラシュートを開きます」

「パラシュートを開く?」

「通常時、布を広げたままだと風に煽られたら危ないですから、普段はこんな感じで畳んでおくんです」


 サンプルのパラシュートを、パラシュートの天辺部分が二等辺三角形の頂点になるように半分、更に半分と、合計3回位折って、頂点部分からクルクルと丸め、同じ方向に紐を巻き付け、小さな塊にしたそれをレンはラウロに渡す。


「これでは開かぬのではないか?」

「紐の処理がちょっと面倒ですけど、そうやって巻いてる分には開くはずです。天井に向けて軽く投げて見てください」

「……どれ」


 ラウロが錘を投げると、錘よりも軽くて空気抵抗の大きなパラシュートが取り残される形でクルクルと解け、落下する途中で綺麗に開傘する。


「ほう……む? 壊してしまったか?」


 落ちたパラシュートを拾い上げたラウロは、布を広げ、パラシュートの中央にある穴を見て少し驚いたような顔をする。


「ああ、スピルホールですね。そこには最初から穴があるんですよ」

「空気の抵抗で減速するなら、穴がない方が良いのではないか?」


 マントが風をはらんだ時の様子を思い出し、ラウロはそう尋ねた。


「絶対に必要ってわけじゃないんですけど、穴は風の通り道を作るために開けてるんですよ。通り道がある利点はふたつで、まず、速度とバランスが安定します。空気抵抗が想定より大きくなりすぎたとき、逃げ道があるので、そこから風が抜けて安定します。横風が吹いてる中でもそこそこ安定しますね。もう一つは風の通り道が傘の中にできることで、傘が空気を取り込みやすくなって広がりやすくなるんです。広がってくれないと意味がありませんので」

「なるほど。色々考えられているのだな。で、アレで馬車を安全に下ろせるのか?」


 エミリア達が塗っている大きなウェブシルクを指さしラウロが尋ねると、レンは、


「正直に言うと、分かりません。パラシュートについては調べたことがあったから知ってましたけど、具体的な計算方法は知らないんですよ」


 と答えた。


「分からない? だがこの小さい物で減速は出来ているようだが?」

「一定以上の速度にならないことは間違いないんですが、どの程度の速度になるのかの計算方法を覚えてないんですよ」


 自由落下は空気抵抗を無視すれば等加速直線運動である。落ちた物体は加速し続けて地面にぶつかる。

 その空気抵抗を無視できないほどに大きくするのがパラシュートで、パラシュートの仕事を乱暴に述べるなら、落下物の終端速度――この場合、重力と抵抗の釣り合いが取れ、それ以上加速しなくなる速度――を早い段階で作りだし、落下物が一定速度以上にならないようにすることである。


 終端速度と空気抵抗の関係は雨や雪を考えると分かりやすい。

 例えば高度数百メートルから落下する雨や雪の速度は、雲の底部までの距離が500mで空気抵抗がないものと仮定すれば、高度0地点で計算上は秒速99mを越える。

 もしもそんな速度の雨が降れば、普通の傘を使うのは危険である。規制はジュール換算なので単純比較はできないが、18禁エアガンの弾速がそれに近い。傘で防ぐのはあまりお勧め出来ない。

 しかし、実際の雨はそこまで早くない。雨粒の大きさやその時の空気密度などで変化するが小雨で秒速2m。大粒で秒速8m近くだ。

 大粒の方が風を受ける面積が大きいのに速くなるのは、二乗三乗の法則による。体積(重さ)は直径の三乗、面積は直径の二乗で変化するため、重さの方が大きさの変化の影響が顕著となるためである。


 単純な自由落下の公式程度なら記憶にあるレンだったが、空気抵抗のある物体の落下速度や空気抵抗係数などについてはうろ覚えで、安全な降下のために必要なパラシュート面積などは分からなかったのだ。

 だから、


「人間が使うサイズは軍用が直径10mくらいだったので、直径を1.5倍にして2つ作ります。馬車も軽量化するので十分なはずですが、それを数字で保証できないんですよ。非常時に一定の減速ができれば、それで構わないという割り切りでやってます。勿論試験はしますよ?」


 と付け加える。

 既存の魔法金属のフレームの馬車の装甲類を外し、布張りすることで、総重量は200キロほどという馬車に妖精200人とライカを乗せても、300キロにはならない。

 軍用のパラシュートそのままでも、150キロほどに耐えられることを考えれば、十分にオーバースペックと言える。


「人間サイズの物は用意してあるのかね?」

「ハーネス――パラシュートを装着するための帯なんかですけど、それがない物なら試験用に用意しています」

「一度、レベッカ辺りに試させてみたいのだが」

「上空に上がる方法は?」

「二階からではダメかね?」

「ダメですね。落下距離が短いと、傘が開きません、人間サイズなら最低でも20mは確保したい所です。最低ラインですから、可能ならその倍くらいは欲しいです。馬車用のパラシュートが完成したらその試験のために50mくらいから落としますから、その時一緒に上がりますか?」

「そうだな。そうして貰えると助かる」

「ああ、でも、本人に高いところから落ちるのは平気か、確認してくださいね。高所恐怖症の人間には拷問みたいなものでしょうから」

~~~~~~~~~

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