第156話 海への道のり――毒と槍
その後、アイリーンはオラクルの村を自由気ままに視察し、満足すると今度はサンテールの町に移動して姿を隠しつつヒトの暮らしを見て回る。
「オラクルの村は600年前とさして変わらぬし、
あちこち見て回ったアイリーンの感想はこれだった。
サンテールの街の領主邸の一室で、薄く切った果物を囓りながらそう呟いたアイリーンに、レンはそれは仕方ない、と頷いた。
「600年前は、今は英雄って呼ばれてる連中が色々作ってたからね」
実際には、運営がゲーム内に設置した様々なオブジェクトもあったわけだが、それを言うと混乱を招くと考えたレンはそう答えた。
失伝によって現代のNPCには作れなくなったが、昔から存在する品々の代表格としては結界杭がある。
どうやって作ったのか分からないという意味ではオーパーツとでも呼ぶべき代物だが、そうした物が、この世界には多々存在する。
それらの内、劣化の少ない品々は現代でも使われているが、多くは時の流れの中で失われていた。
それに加え、当時のプレイヤー達は現代日本にある様々なモノを効率度外視で再現して遊んでいた――かく言うレンもそういう遊び方をしていたひとりであるが、当時は、レンですら作り方を知らない様々な品が作成されていた。
その時代を知っていれば、アイリーンの感想もやむなしである。
「庶民の住む辺りでは冷蔵庫もなくなっておったぞ? あれでは氷菓が作れぬではないか」
学園が出来るまで、氷の魔法を使える者は少なく、そのため氷を使うタイプの冷蔵庫すらも普及していない。
まして魔石式の冷蔵庫となれば、買える層は限られてくる。
「あー、オラクルの村なんかで生産が始まってるけど、現時点では貴族じゃないと買えないからね」
魔道具の流通量を絞る、という目的もあり、冷蔵庫に限らず生活に密着する便利な道具は流通が抑制されている。
600年前を知るアイリーンの目には、失われた技術や魔道具による文明の衰退具合は、聞いていた以上であるように感じられたのだ。
「作り手が減っておったのじゃよな? オラクルの村にはそれなりにおったように見えたが、その恩恵を受けられる者がまだ限られると言うことか?」
「まあ、そうですね。魔道具が増えすぎて既存の職業が衰退したりという懸念もあるでしょうし」
魔道具を普及させすぎることで生じる危険性はレンの想像に過ぎない。
だから、それについては言葉を濁す。
ちなみに、アイリーンがサンテールの街に滞在している理由は王都で行なわれている話し合いの結果待ちだった。
現在、王都では、心話によって得た情報を元に、王宮と神殿による話し合いが行なわれている。
片やクロエから、片やラウロに頼まれたライカから、先代の神託の巫女イレーネに心話で連絡を行い、それぞれの視点での報告が行なわれていた。
それを元にした会議の結果が出るまでは、可能な限りサンテールの街かオラクルの村に滞在して欲しいと、どちらからも連絡があったため、待機中となっていたのだ。
「それにしても、そろそろ飽きてきたの。いつまで待たせるのじゃろうか?」
「王宮と神殿、どちらが窓口になっても良いなんて言ったんですから、しばらく掛かると思いますよ」
「面倒じゃの……そうじゃ、ならば今のうちに、妾に剣術を教えてたもれ」
唐突にそんなことを言い出したアイリーンの言葉に、レンは自分の耳を疑った。
「剣術、ですか? 妖精なのに?」
「力で劣る妖精が身に着けるのは無理かの?」
力が全てとは思っていないレンだったが、妖精にはもうひとつ致命的に足りないものがあるとレンは考えていた。
「力もですが、何より体格的に厳しいかと」
一言で言えば、妖精には体重も身長も決定的に足りていないようにレンには思えたのだ。
「妖精の体格だと……多分、持ててこれくらいですよね?」
レンは長さ10センチほどのペーパーナイフを取り出した。
刃の付いていないそれは、サーベルを模したものでアイリーンはそれを片手で軽々と持ち上げた。
「軽いが?」
「あれ? 関節から筋肉の距離が短い分、妖精は力が弱くなると思ったんだけど」
ヒトの場合、筋肉の量が同じであれば、関節から筋肉までの距離で、出せる力が変わってくる。
梃子の原理である。関節から筋肉までの距離が支点から力点の距離に相当し、筋力が同じでもその距離が長い方が出力は大きくなる。
レンはここから、妖精は力が弱いと考えていたのだが、これには支点から作用点までの距離との比率という考え方が抜けていた。
「あれ? それじゃ、これだとどうでしょうか?」
レンはポーチから、ナイフ、短剣、
「ふむ……これは持ち上がる。これはやや重いかの……こっちだと、長いから数人おらぬと厳しいかの?」
それでもナイフ、短剣は余裕で持ち上がり、
それを見て、レンはなぜこの体格で、と考えた。
「ちょっと俺の手に乗って貰えますか?」
「こうかの?」
レンは、掌に載ったアイリーンを少し持ち上げ、重さを確かめた。
(身長はヒトの10分の1程度……体積は3乗だから……1000分の1か……ヒトサイズで4~50キロなら、50グラム……感覚的にもだいたいそんな感じだ。ナイフは150グラムくらいで、短剣は鞘を含めて400グラムくらい。体重の8倍がなぜ持ち上がる?)
「しかしヒトの持つ武器は重いのぉ……たしかにこれを振るうのは難しそうじゃ」
そう言いつつも短剣を持ち上げて軽々素振りをするアイリーンの腕の細さを見て、レンは昔習ったことを思い出した。
(あ……二乗三乗の法則か? ……体積は三乗だけど面積は二乗。筋肉が出せる力の総量は断面積で決まるから、体積が1000分の1になるなら、断面積は100分の1……自重に対する比率で、体重比で考えてヒトの10倍の力が出せる? ヒトが自分の体重相当を持ち上げられると仮定するなら、50グラムの10倍だから、500グラム程度までは持ち上げられるのか)
「これなら剣士系の職業を覚えられるかもしれないですね」
「真か?」
「かもしれない、です。剣士系の職業を得るために必要なのは、基本的な勉強と、ある程度の力と持久力と言われています。もしもこの力が、体格を基準にした数字なら、もしかしたら、ということです」
「ふむ……で、それを確認する方法は?」
「他の職業と同じですよ。神殿で習得したい職業を司る神に祈れば、条件を満たしていれば、剣と書物を授かります」
初期の条件が満たされていれば、職業の恩恵を得るために必要な物が与えられる。
そして必要なだけの訓練を行なってから再度祈りを捧げることで職業を得ることが可能となる。
満たされていないなら、何も与えられない。
「ほう、それだけで良いならこの後付き合え……ところでレンよ、意見を聞きたい。妾達が剣術を習得可能とした場合、何を学ぶべきと考える?」
「普通に考えると、体格的に叩き切るのは向いてません。斬るか刺すになりますが、斬るはお薦めしません」
「なぜじゃ?」
「魔物相手なら毛皮や甲殻、ヒト相手なら防具があります。ヒトが使うほどの長さ、重さの武器なら、それらを切り裂くことも可能ですが……」
魔物や人間の攻撃にも耐えることを念頭に置いて作られるのが防具であり、これを効率よく破壊するのは、人間であっても苦労する。
体格が同じ人間からの攻撃を防御可能な防具を抜くのは、妖精の武器では難しい。
革鎧の厚い部分などは、貼り合わせた革の厚みだけで1センチ近いし、裏地や鎧下を全て足すと数センチになることもある。
妖精の使える武器が人間のナイフ程度と考え、かつそれを振るう妖精の体重がナイフよりも軽いことを考えると斬る戦い方では、相手の剥き出しの急所狙いか、鎧の薄い部分を狙う方法でしか戦いは成立しない。
だが、防具というのはその急所を守るように作られていて、妖精には防具を抜く力はない。そして、致命傷にならないところを斬った場合、速やかに反撃を喰らうことになる。
「妖精の力と体重では難しいと申すか……じゃが、確かに相手の肉にすら届かぬでは意味がないかの……そうすると刺す方か?」
「そうですね。そもそも、跳ね飛ばされる危険性を考えると近接戦闘はあまり薦めたくありませんが、俺が妖精サイズで近接戦闘を行なうとしたら、刺しつつ斬ることが出来るような武器……具体的には刃の部分が長い槍などを選ぶと思います……ただ……これも妖精の見た目的にあまり薦めたくありません」
「見た目とな? ああ、なるほど。この見た目で槍で刺すとなれば、まるで蜂じゃな。じゃが、妾達に適した戦い方がそれならば、仕方のない話じゃ」
「ところで、そもそもなんで剣士系の職業って話になったんですか? 仮想敵は何でしょう?」
アイリーンは口角をあげ、笑顔を作った。
が、目は真剣なままで、
「すべてじゃ。迷宮の最下層に飛ばされた後、すぐ上の階層で何回か戦ってみたが、妾たちは魔法が通じぬ敵には逃げる以外何も出来なかった。だから魔法以外の戦う力が欲しい」
「対人は想定しますか?」
「したいのぉ。600年で世界は悪い方向に変わっておるようじゃ。妖精の戦い方を知る者が残っておれば、数発耐えれば容易く蹂躙出来ると考えるじゃろ?」
「魔物と対人では、どちらを優先したいですか?」
「何か違うのかえ?」
戦いは戦いだろう、とアイリーンは首を傾げる。
「戦い方には色々あります。刃物や鈍器、飛び道具、魔法、政治、経済、その他。対人戦なら政治経済その他が特に有効ですし、戦術も対人と対魔物ではまったく別物です」
「対人向けと言っても、政治経済では野盗を撃退はできまいに」
「そういう場合のためのその他です」
「その他とは何じゃ?」
「正攻法以外を含む全てですね」
正攻法以外という言葉に、アイリーンの目が光る。
「面白そうな話じゃ、聞かせよ」
「まず、ヒトにも魔物にも一定の効果があるのが罠ですね。殺傷力のある落とし穴とか、くくり罠とか。敵に対する障害物を目に見える形にしたのが砦や城で、見えない形にしたのが罠ですから、あれも正攻法の派生と言えるかもしれませんが」
「魔物にも効果? じゃが、魔物相手だと並の罠では食い破られぬか?」
「破られますね。だから足止めとして使います。罠で相手の足が止った所を狙う感じです」
なるほどと頷き、アイリーンは他には何があるのかと、続きを促す。
「妖精が使うことを考えると少々危ないですが、毒の類いですね」
「妖精が使うと危ないとはどういう意味じゃ?」
「毒物の致死量っていうのは、大半は体重に比例します。体が小さい妖精は、少量の毒で死ぬ可能性が高いです」
「確かに……妾達も幾種類かの毒には通じておるから、それは理解出来る。しかしそれが妾達にとって、平和のために必要な危険なら受入れるぞ? 毒以外には何がある?」
「人間種が相手なら偽情報で撹乱するのも手ですね」
レンの答えに、アイリーンはそれは割とまともな戦い方ではないかと返す。
『碧の迷宮』では、魔王戦争の折、欺瞞情報で竜人をおびき出すような作戦が取られたこともあり、情報戦はこの世界では既知の物となっていた。
「なら、これも情報戦の一種だから人間相手の手段ですけど、やられたら常に10倍くらいやり返すようにして、妖精は危険だと認識させるというのとか」
「危ない種族だから手出しは控えよう、と思わせるわけじゃな……それは先々を考えると不利益の方が大きそうじゃの。他にはどんな方法があるのじゃ?」
「後は奇襲、相手が油断している時を狙っての夜襲とか?」
「……それのどこがその他なのじゃ? 敵が背後を許したり、戦場で油断したなら、それは単なる攻撃の好機ではないか」
不思議そうにそう言うアイリーン。
神々の恩恵が日々齎されるこの世界に於いて、神殿は腐っておらず、地球のような騎士道は生まれていなかった。
ちなみに地球における中世あたりの騎士道は、教会によって作られた教会をトップとする権力構造を維持するための代物である。
が、それを知らないレンは、
(なるほど、騎士道精神とか、まだないのか)
と納得するのだった。
「でもそうすると、卑怯は問題なしか……罠や毒に抵抗がないのもその辺か」
それはどちらかというと徳川幕府が武士道という思想を広める前の武士の考え方のひとつ「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」に近い。
「そうすると、俺が知ってる『正攻法以外』はこのくらいかな。俺が知ってるのは、現代では普通の戦術だ」
「なんじゃ、そうなのか? 槍と毒を使った戦法などを教えて貰いたかったのじゃが」
「妖精の一部が危険を負いますけど、妖精にしかできない戦い方はあります」
「一応聞かせてもらおうかの」
興味深げにそう言うアイリーンに、レンは自分の考えた戦い方を伝える。
「妖精は長が群れ全体を手足のように操って全員の攻撃魔法を同期したりしますよね?」
「そうじゃの、それが妖精の強みじゃ」
「それを使って、妖精の一部が魔法や槍で相手の目などを狙って注意を惹きつけ、残りが毒を塗った槍を持ち、相手の耳や首筋、手首足首など、剥き出しの部分を狙うんです」
「ただの陽動ではないかえ?」
「そうです。ただ、これを行なうには、十分な速度と連携の正確さが必要です。妖精にならできるでしょうけど、ヒトやエルフでは難しいでしょうね」
「そうなのか?」
「不可能ではありませんが、ヒトやエルフが妖精のように攻撃のタイミングを合わせるには、声を掛けたり合図をしたりが必要です。そうすれば相手は警戒しますが、妖精はそれが不要で、しかも小さく早いですから、相手の死角にも入りやすいです。まあ、槍を持っても素早く動けるかどうかによりますが」
レンの言葉にアイリーンは頷くとレンに、ならば、と問いかけた。
「ならば、妾達が使える槍と同じ程度の長さ、重さの棒を見せては貰えぬか? 重さ、長さが分かれば、確認できるじゃろ?」
「なるほど……妖精が使える槍……長さは短槍ってことで身長よりやや長目の20センチとして、太さは3ミリ? イメージとしてはボールペンの芯か……木で作ったら折れるだろうから総金属製の中空のパイプかな、材質は魔法金属、穂先は3センチほどの両刃のナイフみたいなものにして、貫通力と僅かながらの切断力を有し……穂先には細い溝を作って毒が滞留しやすくして、穂先の後ろには毒のタンクを取り付けられるように凹みを作って……石突きは取りあえず四角錐にしておくか」
メモを取ってイメージを固めたレンは、鉄のインゴットを取り出し、土魔法の錬成でイメージ通りの形を作り出す。
「器用なものじゃの。これで武器など量産できるわけじゃな?」
「いえ、それは無理です。鏃程度なら行けますけど、これ、焼きも入れてませんから一合で真っ二つになりますよ。とりあえず、形と重さと握りの参考にしてみてください。鉄以外を使えば、もっと軽くもできます」
「ふむ……こう、かの?」
両手で槍の中程を握ったアイリーンは、それなりに見える形で槍を構え、突きを放つ。
「なんじゃ、使いにくいの」
「手だけで放てばそんなものです。最初は足は動かさず、槍に覆い被さる感じで腰から上半身を少し曲げつつ、両手を前に」
「こう……か? あまり変わらぬように思うが……ではない。まずこれを確認せねば」
ふわりと舞い上がったアイリーンは槍を持ったまま部屋の中を飛び回り、時折槍を振ったり、突いたりする。
「速度は十分ですね。ヒトが投げた投げナイフよりも早いです。音も出さずに相手の死角からそれが出来るならそれだけでも脅威になり得ます」
「ふむ、槍と考えずに我が身をナイフと思って飛ぶ方が良さそうじゃの」
「槍使いの初級を学ぶと、突きの速度と距離が伸びますから、学べるなら学んだ方が良いですよ」
「距離が伸びるのか……しかしどのようになるのじゃ?」
「ええと、こんな感じです」
棒術の棒を取り出したレンは、アイリーンの前で棒を構え、一歩前進しながら上半身を僅かに倒しつつ、左手で保持した槍を右手で勢いよく押し出し、即座に引く。
「待て。どう考えても、届かない位置まで先端が出ておったぞ?」
棒の長さ、一歩の距離、上半身を倒しつつ動かした両手の移動距離、それらを足しても、先端の位置に届かない、と指摘するアイリーンに、レンは感心したような視線を向ける。
「初見でよく到達距離に気付きましたね……今のは初級の技能の幾つかを使った基本的な技ですけど、手の中で槍を前に滑らせることで、手と体の動きよりも大きく槍を動かすんですよ。だから、ただ前に出すのよりも遠くまで伸びます」
「滑らせるじゃと? つまり、武器をしっかり持っていなかったということか?」
「手の中で滑らせてる間はそうですね。だから相手との間合いを計って、ぶつかる前に握り込んで押し込んでやる必要があります」
そうしないと跳ね返されます、と笑うレンに、接近戦の職業の厄介さの一端を知ったアイリーンは渋い顔をする。
が、すぐにそれは晴れる。
「まあ良い。職業に就ければ、その辺りも覚えられるのじゃろ?」
「そうですね……というか覚えないと就けません」
「うむ、まあ何とかなるじゃろ。それでじゃ、妾達が槍を覚えた暁にはレンには頼みたいことがある」
「槍を作りますか?」
「それもじゃが、幾つか集めて貰いたい薬草があるのじゃ」
「毒ですかね?」
「そうじゃ」
「それはヒトに頼んで下さい。エルフが毒とか、何か暗躍していると思われそうですから」
そう言って笑うレンに、アイリーンはそうじゃな、と無邪気な笑顔を見せた。
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