第155話 海への道のり――好奇心と制限

「では、入り口を設置する場所までの移動はその方向で進めるとして、後は、今後の窓口についても話をすべきですですよね……ラウロさんからどうぞ」

「……うむ……今はエルフのレン殿とヒトである我々が対応しているが、アイリーン殿には現状に不満などはないかね?」

「不満とな?」

「現在、なし崩しに我々が窓口になっているが、これを継続しても良いかね? という質問だ。人員の交代、或いはエルフやドワーフと交渉したい、などだな」

「レンはエルフではないか?」

「俺はエルフですけど、600年前からヒトの社会で生活してますから、立場はヒト寄りですね」

「……ふむ」


 リオの肩の上で腕を組み、羽を震わせ考え込むアイリーン。

 耳元で発生した羽音に、リオは迷惑そうな顔をするが、静かに椅子役を務める。

 考え込むアイリーンに対してレンが補足をする。


「俺たちとしては現状に不満はありません。ただ、妖精の側から見たら、他に選択肢を与えられずにここまで来てますよね。危機的状況でそれは強制となんら変わりません。だから他の選択肢を選びたいなら考慮します、って話です」

「そうなった場合、ヌシらは何か得をするのかえ?」

「利としては、金と手間を省けることでしょうか。損を言うなら、妖精との繋がりがなくなることが最大の損ですね」


 もうひとつ思いついたデメリットについては、この世界の人間の宗教観を考え、レンは口にしなかった。


(これが神託の一部なら、従う方が最終的な利となる可能性はあるけど、この世界の人間なら神の意志を優先するだろうから、そういうバイアスなしで判断して貰おう)

「なるほど。妾達との繋がりが失われるを損と考えるか。それはどのような損じゃ?」

「そうですね。まず皆が滅びたと思っていた妖精を保護した、というのは一種の名誉となり得ます。それに、妖精についての資料もそれほど残ってはいませんので、聞き取り、まとめるだけでも知識となります。また、現在、甘味は貴重です。妖精の蜜の取引が可能なら、金銭面でも得るものが大きいです。簡単に思いつくだけでこれだけあり、これらを失うことが損です」

「600年前、各地に妖精はおった筈だが、その後も研究されておらぬのかえ? ヌシはそれなりに知っておったようじゃが?」

「俺が知っているのは当時付き合いがあった連中だけだし、その大半はハグレだから、普通の妖精と同じに考えられないんです。で、リリア達に会った後、コラユータの街で探してみたんだけど、資料が殆どなく、苦労しました」


 ハグレとは、氏族を持たない存在である。

 大半の人間種族は氏族に属しており、その恩恵を受ける。

 世界の異物であるプレイヤーは氏を持たないか自分で付けた氏を自称するが、これらはすべてハグレと見なされる。そして多くの場合、ハグレは『氏族から追放された者』という意味合いを持つ。


 レンの返事を聞いたアイリーンは、ハグレか、と頷いた。アイリーンのいた時代、600年前は多くのプレイヤー全てがハグレだったためか、アイリーンの言葉からハグレに対しての嫌悪感はあまり感じられない。


「なるほど、ハグレからの情報では、大したことは分からぬだろうな」

「氏族に属する者は、軽々に氏族や種族の秘密を口にしませんしね。だから郷の中については未知ですし、郷の入り口の外見などの情報が残ってるだけで、入り口を作る方法も知られていません。戦い方が知られていたのは、妖精の氏族と共同戦線を張ったことがあったのと、ハグレが仲間を募ってひとりを長として色々試した結果です」

「ふむ。人為的に長を作り出したわけじゃな?」

「氏族の長と同じ事が出来ていたのかは分かりませんが、似たような事は出来ていたみたいですね」

「実質、妖精については戦い方以外は伝わっておらぬのか……それを知りたいと? なぜじゃ?」


 それを聞かれ、レンは、なぜだろうかと自問する。

 そして、考えた結果、明確な答えを持ち合わせていないと気付いた。


「単に好奇心でしょうか……」

「ほう? 好奇心で妖精の秘密に触れようとするか?」


 アイリーンに睨まれ、レンが済まなそうな表情をすると、ラウロがそれは違うと言った。


「何が違うのじゃ?」

「知識は力だ。俺はこの旅でそれを痛感している。そして、責任ある立場の者が力を求めるのは正しいことだ」

「力を得て、どう揮うのじゃ?」

「分かりやすいところでは、魔物から皆を守る方法とする。この場合の皆には妖精もエルフ、ヒトの民も全ての人間種族が含まれる」

「知識を得ることでそれが適うと?」


 アイリーンの問いに、ラウロはそれもまた少し違うと首を横に振った。


「一口に知識と言っても多様だ。戦い守るための力となるかどうかを知るためには、まず、それについて知らねばならん。だから現時点では、その知識がどんなものかを聞く必要がある。俺はそう考えている、レン殿に悪意はない、そう怒らないでやってくれ」

「なるほどの……一応言っておくが、妾は別に怒っておるわけではないぞ?」

「そうなのか? その割に追求が厳しかったようだが」

「妖精の行動原理は好奇心じゃ。どうして好奇心を持つことを怒れる? ただ、妖精と同じ行動原理に従うというのが面白く、なぜそうなのかと……これも好奇心じゃな、許せ」


 笑うアイリーンに、レンはやや固くなっていた表情を緩めた。


「いえ、こちらこそ好奇心で不躾なことを申しました……それとラウロさん、ありがとうございます」

「礼には及ばぬが、いつも冷静なレン殿が言葉を失うとは思わなかったぞ」

「……正しい知識を得ることは正しい行いだと思っていたんです。だから正しいことをするのは何故か、と質問されたように感じて、返答に詰まりました」

「ふむ。妖精とはまた違う考え方じゃがそれもまた面白い。正しい、と考えるか」


 ふむふむ、と楽しそうに頷くアイリーン。

 そんなアイリーンにクロエが声を掛けた。


「神々の多くは知る事を大切にされる。好奇心は悪じゃない。それで窓口は?」

「たしか、現時点ではヒトが最も多いのじゃよな?」

「そう」


 頷くクロエに、アイリーンはならば、と答える。


「ならばヒトじゃ。神殿と貴族のどちらかは、ヒトが決めるが良かろう」

「分かった」

「随分と簡単に決めたな」


 ラウロが不思議そうにそう言うと、アイリーンはそうか? と首を傾げる。


「相手が保護をすると言っておるのじゃ。最も大きい勢力を窓口に選ぶのは当然じゃろ?」

「そういう意図なら理解出来なくもないが……窓口の候補にレン殿は入れなくても良いのかね?」

「ん? 窓口は別でも、神託に関わるのなら何らかの形で関係は続くじゃろ?」


 苦笑しつつも頷くレン。


「資材その他の提供で学園としての関わりは続くでしょうね」

「それだけかえ? 600年前を知る者との交流は、ヌシに取って意味は薄いかの?」

「あー、なるほど。そういう意味ではまだまだ情報交換ができることがありそうですね」


 その返事に満足げにアイリーンは笑う。

 ふたりの会話を聞いたラウロはそういう事かと納得の表情を見せた。


「レン殿とアイリーン殿は、時間を基準とすれば、同郷のような存在となるのか」

「そうじゃ。土地と土地との距離ではなく、時と時との距離で考えれば、妾達はたまさか旅先で再会した同胞のようなものじゃ」


 その時、ノックの音が響いた。

 素早く移動したエミリアがドアを開くと、そこには数人のメイドたちがいた。


「お茶をお持ちしました」

「ああ、レイラの指示か……ん? シルヴィも来たんだ」

「最近色々やり過ぎてて自信がなくなりつつありますが、私もメイドですから」


 レンの軽口に、お茶の用意をしつつシルヴィは笑顔で返した。

 室内にアールグレイもどきのベルガモットに似た香りが広がる。


「アレッタさんはひとりで仕事?」

「ライカ様が戻られていますので、今日は魔術師の勉強をしています。アレッタお嬢様がどこを目指しているのか分からなくなってきました」

「魔法の系統は? 元々水を使えてたし、確か土は履修済みだったよね?」

「時空魔法です。当面の目標はアイテムボックスの作成と、結界杭の作成だとか。それが出来たら次は生命魔法も学ぶと仰ってました」

「あー、聖銀ミスリルがあっても、結界杭の新造ができる人間はまだ少ないからね。うん、良い選択だと思うよ」


 アレッタの将来的にではなく人間社会の将来的に、そういう技術を使えるような者が増えることは望ましい、とレンが言うと、小さく切ってサーブされた焼き菓子を、細く削った竹串を使って囓りつつ、果汁を飲んでいたアイリーンが不思議そうな顔をする。


「なんじゃ、結界杭の劣化と言っておったが、数も足りておらぬのかえ?」

「錆びて使えなくなってしまった物もあるので、600年前と比べると数は減ってますが、多くはしっかり保管されてます。復活できる村の数を人口から逆算すると、しばらくの間は杭は余ります。だけど、今後人口が増えていけば、新しい結界杭が必要になる、というお話ですよ」

「なるほどの……メイド、焼き菓子はまだあるかの?」

「はい、木の実を砕いたものと、果物酒に漬けた木の実を使ったものの二種類がございます」

「なんと。砕いたモノも美味かったが、種類があるのか。ならば次は果物酒の方を頼むぞ」

「畏まりました」


 シルヴィは焼き菓子を、薄く小さく器用に切り分け、断面が見えるように小皿に並べてアイリーンの前に供する。

 薄く切った焼き菓子でも、アイリーンの前に置くと、それはまるでケーキのように見えた。


「うむ……良い香りじゃ。リンゴポムの酒に……ペッシェの香りも微かに混じっておるの……柔らかくなるまで木の実が酒を吸っておるわ」


 焼き菓子の断面を竹串を使って突きつつ、アイリーンは目を細める。

 それを見たレンは、


「妖精は酒はあまり飲まないと思ってました」


 と呟く。


「甘い酒なら飲むぞ? じゃが、苦いのは好かん。たまに蜜が酒になったりするのはとても残念じゃ」


 風味は蜜なのに甘くないのは詐欺じゃ、とアイリーンはつまらなそうな顔をする。


「あー、勝手に酒にならないようにする方法なら知ってますよ。あと、そうやって酒になったものを少し加工すれば、人間は蜜のままより高値を付けるでしょうね」

「まことか? どうすれば酒にならぬように出来るのじゃ?」

「錬金魔法の温度調整ができるなら60度未満で加熱するんです。それが無理なら風を当てて水分を飛ばすという方法もありますね。どちらも、水分を飛ばした後、密閉しておかないといけません。ミツバチなんかは後者の方法で蜜が発酵しないようにしています」

「水分? とろみを増せば良いのかえ?」

「……英雄は糖度を増すって表現をしますけど、そうですね、何も加えず水分だけ飛ばしてとろみを増せば同じ結果になります」


 およそ天然の糖分には天然酵母が付着している。

 それが活動することで、糖分がアルコールと炭酸ガスに分解され、人間はそのアルコールを酒と呼ぶ。

 集めた蜜にも酵母が付着しているため、放置すればそれらは酒となる可能性が高い。雑菌も混じっているため、発酵ではなく腐敗に進む可能性もあるが、ある程度アルコールができあがれば多くの雑菌は殺菌され、アルコールにそこそこ強い酵母の独擅場となる。


 糖度が80%を超える蜜の中では、蜜の浸透圧により、酵母の活動が抑え込まれるのだが、元々、蜂が集めたばかりの蜜は糖度が40%もないため、採取したままの蜜は酒になるのだ。

 つまり、普通であれば、ミツバチが集めただけの蜜は、酒となってしまう。

 なぜそうならないのかと言えば、ミツバチは集めた蜜に風を当てて水分を飛ばして糖度を上げるということをしているのだ。


 加えて、水分を飛ばして糖度を上げた蜜を、胸腺から分泌したワックスで密封する。これによって、空気中の水分によって、蜜の糖度が下がらないようにもしているのだ。


 レンの説明を聞き、アイリーンは妖精はそのような事はしないが、採取した蜜を温める習慣があり、そうした物は滅多に酒にならないと答えた。


「じゃが、加熱が不十分なものがあったのじゃろうな……しかし先ほど60度未満と言ったか? なぜじゃ?」

「……温めすぎた蜜より、あまり温めない蜜の方が体に良いんです」


 正確には、含まれるビタミンやミネラルが破壊されるのであって、加熱しても別に体に悪くなるわけではないが、それを伝える言葉はまだこの世界にはなく、レンは曖昧にそう表現した。


「ふむ……妖精には魔術師は多いが錬金魔法の使い手はおらぬな」

「過去にもいなかったのですか」


 現在いないだけなら育てられるが、過去にもいなかったのであれば、何か制限があるのかもしれないと考えたレンはそう尋ねた。


「過去も未来もおらぬだろうな……錬金術師の道具は、ヒトやエルフのサイズを前提としておる。ポーション作成なども、ヒトの使う鍋1つ分を作らねば失敗するんじゃよ。そんなものを扱える妖精はおらぬ。じゃから、妾達はヒトから買い取ったポーションを、自分たちが作った陶器の器に移して使っておる」

「あー……単純に小さい鍋で、縮尺に合わせて分量で作ってもダメってことですか?」

「うむ、駄目じゃったと聞いておる。まあ、出来ぬ事が多いかわりに妾達は空を飛べる。そういうものじゃと割り切っておるよ……しかしその錬金魔法は色々使い道が多そうじゃの。それだけを習得するなどは無理なのじゃろうか?」

「錬金術師初級を目指すだけなら、或いは可能かも知れませんけど、試したことはないですね」


 錬金魔法は錬金術師初級になると覚えられる魔法である。

 職業を習得するには、決められたことを学び、技能の下敷きとなる基礎的な技術を身に付ける必要がある。

 だから、妖精でも錬金魔法を覚えることは可能である、とレンは考えていた。


 そしてまた、別の方法でも可能性はあると考えていた。

 料理人の職業についていない者でも、練習すれば簡単な料理はできる。


 元々魔法が使える妖精であれば、魔力操作などの技能はそれなりに訓練されている。

 であれば、異なる系統の魔法として錬金魔法を覚えることができるかもしれない。

 勿論、本来のルールから逸脱する以上、制限なりがあるだろうが、と考えたレンは、詳細を確認するには試してみるしかない、と考えるのだった。

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