第151話 海への道のり――湖と露天風呂 

「心当たりがあるんだ。ならそれを探せばいいね」

「うむ。まず石炭が露頭した地があった。そばに小山もあったな」


 600年は長いが、地質学的にはそれほどの時間ではない。

 もちろん、風化や浸食、植物に覆われて見えなくなる、場合によっては噴火や地震で地形が変わることもある。

 が、近くに大河がなく、火山の影響も少ない地域であれば、腐葉土に埋まるような変化を除けば地形そのものが劇的に変わることは少ない。

 例外として、生物の営みなどに起因するものもあるが、これは元々そういう種――例えばビーバーのような――がいなければ成立しない。


(ヒトがもっとも地形を変えるがな……その地形、心当たりがあるぞ)

「うん……あー、あたしと繋がってる黄金竜が、その地形を知ってるって」

「真か?」


 リオの角に掴まったまま、アイリーンはピクリと体を震わせる。


(ヒトが採掘し、坑道から出た水で小さな湖になっておるがな)

「ヒトが掘り返して、今は小さな湖になってる……って、あー、あそこかぁ」

「湖じゃと? あの辺りには大きな川などなかったが、森の中で雨水が溜まったなら沼というべきじゃろ?」

「坑道から水が出て湖になったんだって。場所なら分かるから見に行く? あの辺、湖になったあとで開拓されたって聞くけど」

「他に当てもないしの」


 アイリーンはふわりと浮かぶと、御者台に座るレンの肩に移動する。


「これ。竜人の娘から聞いたが、近くに湖があるそうじゃな。もしかしたら、そこは知っておるかも知れぬ。案内あないせよ」

「慌てないでください。村のそばの魔物の大半は駆除しているけど、昆虫型の魔物はどっからか入ってきます。森に入るなら村で護衛を増やしてからです」

「こんな小さな村にそこまでの戦士がおるのかえ?」

「戦士はいますが、強さは期待しないで下さい。昆虫型の魔物を発見するための目を増やすのが目的です」


 600年前のプレイヤーを知っているアイリーンが相手では、レンですら強者とは言いにくい。レンはあくまでも戦闘もこなせる錬金術師なのだ。

 それに強さだけを基準にするならリオの方が強い。

 だから当時を知るアイリーンにレンは、必要なのは魔物を見付けるための目だと告げた。


「……確かに蜘蛛やカマキリは厄介じゃの。よかろう。待とう。だがただ待つだけは嫌じゃ」

「準備に30分も掛かりませんけど……誰かに村の中を案内させましょう。神殿や温泉もありますし」

「よし!」


 再び宙に舞ったアイリーンは、リオの角に捕まる。


「竜人の娘。リオと言ったか。村の中を案内せい!」

「ん? 案内はするけど、希望は? 狭い割に色々あるよ? 30分だと全部は無理だからね?」

「ならばまずは温泉じゃの。温泉は昔からあったのじゃよ」


 ふうん、とリオは馬車の屋根から降り、レンに行ってくると手を振って歩き出す。

 と、馬車からクロエとエミリアが降り、後を追ってくる。


「レン、待って。神殿方面なら私も行く」

「ああ、神殿向けの手紙を頼むんだったな」

「そう」


 クロエの存在に慣れつつある村の住民の内、クロエを見知った者が、神官の装束のクロエを二度見しながらすれ違っていく。


「そこの神官は、妙に皆の視線を集めておるの? ヒトは、そういう見た目を好むのか?」

「ん? ああ、クロエさんは可愛いけど、みんなが見てるのは違う理由だね。クロエさんはちょっと特別な巫女なんだよ」

「ふむ……確かに付けている徽章の割に、まだ年若いの。じゃが、この徽章、巫女ではなく守護者のものじゃ」

「徽章、分かるの?」


 クロエは神官服に付けた幾つかの徽章を見てそう尋ねた。

 徽章は、それと知らなければ読み取ることはできない。

 一番目立つのが、帯のようなものをたすきのように斜めに掛けたサッシュ。

 その色と模様で、どういう系統の神官であるかが分かる。


「うむ。そのサッシュは神殿の騎士じゃろ? おう、たしか騎士と呼ぶのは不味いのだったな。それにサッシュに下げている飾り紐は出入りの制限がある場所に入るためのものじゃったか……ふむ……そうは見えぬが、神殿の中でもかなり高位の者につく守護者と見るが?」

「……徽章の読み方はあってる。それと神殿の護衛は国の決めた階級に従う者ではないから騎士と呼ぶのは正しくない……でもなんでそんなに詳しい?」


 ちなみに、クロエが身に着けている神官の装束はコラユータの街の神殿で調達したもので、徽章の類いはフランチェスカの物を借りている。

 見る者が見れば、クロエの服装は神託の巫女の護衛が正装をしている、と見える。

 だが、普通、神殿の関係者でもなければ、サッシュはともかく飾り紐の見分けなどつかない。


「妾は妖精じゃ。興味を持ったら何でも調べるしどこにでも行くだけじゃ。全ての未知を既知にすることを至上とするのが妖精じゃからの」

「なるほ……ど?」

「お、あの辺りが温泉か?」


 リオの角に掴まったまま周囲を見ていたアイリーンが、前方の四角い建物を指差した。


 昔ならともかく、今の温泉はその多くが見えないように隠されている。

 ボイラーで加熱された温水の湯気は、蒸気を減らして煙突から出ていくため、微かな揺らぎ程度しか見えない。

 だがアイリーンは温泉の施設を指差し、温泉だと看破した。


「……あってる」

「ふむ……ここがゲズイッフィの村なら門との位置関係的には確かにあの辺りに温泉があったが……周囲は完全に別物になっておるな。それにあったのは露天風呂じゃった筈じゃが」

「古いのは場所を移した?」


 クロエが首を傾げると、エミリアが頷いた。


「温泉の湯気で周辺施設が傷むからと、移転した話を聞いております」

「そうか」


 そんな話をしつつ、アイリーンはリオの角から体を浮かせる。

 そして、そのまま凄まじい勢いで温泉の建物めがけて飛んでいく。

 村の中なら危険は無いだろうが、一応周囲を警戒するリオ達。


「面白いの! なんじゃこれは! これが風呂かえ? 煙突から温かい空気が出ておるが、煙は出ておらぬわ」


 止める間もなくアイリーンは煙突に飛び込んでいった。


「……は?」


 それを見たリオが目を丸くする。


「エミリア、あれ、多分危ないことしてるんじゃ?」

「み、見て参ります!」


 エミリアは慌てて温泉施設に飛び込むと、煙突の下部の部屋を目指す。


「うひゃぁ……」


 が、情けない声が浴室の方から聞こえ、方向を変える。


「ご無事ですか?!」


 がらりとドアを開くエミリア。

 幸いなことに、そこは女湯であり、エミリアはギリギリの所で痴女の汚名を着ずに済んだ。


 アイリーンは湯の中にぷかりと浮いていた。

 炭酸泉の湯のせいで、アイリーンの全身に泡が付着し、衣類の裾に泡が入り込んで、服が膨らんでいる。


「おう……無事じゃぞー」

「何をなさったんですか?」


 天井を見上げるエミリアだが、そこには煙突はない。


「うむ。煙突から入ったら、体の自由がきかなくなっての、落っこちたらツルツルの坂道を滑って、ここに出てきたのじゃ。なんで急に体が重くなったのじゃろうな?」

「……あの煙突が湿気を排出するためのものだからでしょう……湿気を吸って服が体に張り付いたのかと。もしも火を焚いた煙が出る煙突なら、あなたは死んでいたかも知れないのです。妖精の長としてそれはどうなのでしょうか?」

「うむ。反省はしておる。だが、珍しい経験が出来たなら、死んでも構わん。それが妖精じゃ」

「よく……生き延びてこられましたね」

「かかっ! よく言われるわい! じゃが妖精とはそういうものじゃ。しかし湯気か……なるほど、あれは霧に巻かれた時と似とった」


 言われてエミリアは天井の排気口を見上げる。

 主に、浴室内の蒸気を排出する目的の煙突は、煙突効果もあってそこそこ効率よく湯気を吸い出している。

 そして煙突内に入った蒸気の大半は途中で冷却され、水滴となって滴るようになっている。


「……霧ですか……湯気用の煙突ですから、確かに似ているでしょうね」

「さて。びしょ濡れになってしもうた。ヒトのハンカチほどの布を二枚用意してはもらえぬか?」

「手拭いでしたらこちらに」


 風呂から出たアイリーンはずぶ濡れで、エミリアは慌ててその体をそっと抱いて脱衣所の洗面台に運び、クロエ用の雑多な品が入ったポーチから菓子などを入れる小さな籠と、手拭い数本を取り出してそばに置いた。


「お着替え、お手伝いしましょうか? 妖精の着付けはしたことがありませんが……」

「よい。自分で出来る」


 アイリーンが服を脱ぎ、手拭いで体と髪と羽を拭いたところで、クロエとリオがやってきた。


「煙突の下にいなくてちょっと探した」

「浴室の排気口の方から落ちたそうです」

「うむ。中々面白い体験じゃった」

「クロエ様、アイリーン様のお召し物が濡れてしまいました。乾かして頂けないでしょうか?」

「ん」


 エミリアから濡れた服を受け取ったクロエは、掌サイズに軽く畳むと、錬金魔法の乾燥で衣類から水気を飛ばす。

 それを見ていたアイリーンが感心したように呟く。


「ほ、守護の神官なのに錬金術師なのかえ?」

「そう。中級」


 クロエから受け取った服を身にまとったアイリーンは。乾燥した布地に、心地よさそうに目を細める。


「なるほど。あのエルフに育てられたわけじゃな」

「そんな感じ」

「それにしても、泡の風呂は変わらぬが、あの露天風呂が屋内の風呂になったのか……勿体ないことをする」

「エミリア、露天風呂に案内して」

「承知しました……それではアイリーン様、こちらへ」


 ふわりと浮かんだアイリーンは、今度はエミリアの綺麗に編み込んだ銀色の髪に掴まる。


「ほ。この編み込みは掴みやすくて良いの」

「お戯れはおよし下さい……露天風呂は神殿の反対側です。ご案内します」


 エミリアは温泉の建物から出ると、神殿とは反対側に足を向ける。

 そちらには、木造の庵のような建物があった。


「ふむ……あれか。建物は似ても似つかぬが……」


 エミリアの髪を離したアイリーンは、そのまま高くに舞い上がり、空から露天風呂を見下ろす。


「……じゃが、岩の形や配置は似ておる……移設したと言ったが、こちらにも温泉が湧いたのかえ?」

「いえ。地面の下に石の管を通してお湯を流しているそうです。前の位置にあると、湯気で神殿や周囲の建物が腐るからとか」

「ま、木などを湯気に当てればそうなるじゃろうな……お。あの岩はどことなく記憶にある物に似ておるの」


 クロエ達の上空から滑空して露天風呂上空に移動したアイリーンは、丁寧な仕事じゃと呟く。


「何かありましたか?」


 慌てて後を追ってきたエミリアが問うと、温泉を形作る岩ではなく、湯が流れ出る岩の隣に飾りとして置かれた岩を指差し、アイリーンは頷いた。


「あの岩の形は覚えておる。600年というのが信じられないほど変わっておらぬが」


 静かに大岩の上に着地したアイリーンは、その岩肌を撫で、小さな窪みに腰掛けると、温泉内に入ってきたエミリアに視線を向け、


「ここがの、妖精には椅子に丁度良いのじゃよ」


 と呟いた。

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