第149話 海への道のり――アイリーンと転移の巻物

 妖精とのやり取りは10日に及んだ。

 ライカに言わせれば、僅か10日で終わったということになるが、取りあえず10日ほどで方針が決定した。


 短期間で方針決定に至った最大の功労者はリオである。

 初日、リオは妖精を迷宮の最下層まで送り届け、翌々日、決定権を持つ代表者と、かつてヒトと取引をしていたという妖精を連れてきたため、初日のローペースが嘘のように、様々な話し合いがスムーズに進んだのだ。

 それであっても決まったのは方針だけであるが、それには明確な理由があった。


「リュンヌが魔王となった時から、600年が経過しているなど信じられる筈がなかろう?」


 ただただ、それに尽きた。


 ヒトとドワーフが、それを事実だと述べても、常識がそれはあり得ないと判断させたのだ。


 時を超えるという概念自体は別に珍しい物ではない。

 地球でもお伽噺の中には目覚めたら数年~百年後というものが各地にあるが、この世界でも似たようなお伽噺が存在した。

 だが、それらはお伽噺である。自分の身にそれが起きたと言われ、はいそうですかと納得できる者などいない。

 何より、彼らからすれば未来に来たと言われているのに、そこにあるのは英雄の時代と大差ない――むしろ退化しているようにすら見える文明なのだ。

 信じられる根拠がまるでなかった。


 それでも彼らが対話に応じたのは、ソレイルを祀る神殿の神官がいたからだった。


 そうした顛末の末、妖精は自分たちが本当に600年後の世界にいるのかを確かめることを最優先事項とした。

 それが事実と確認出来るのであれば、迷宮は踏破してもらっても構わないというのが妖精の出した方針だった。


「長として、不確かな情報に踊らされるわけには参らぬ。ヒトの街の長であるなら、それは理解できよう」


 と言ったのは妖精の長、アイリーンで、ラウロ、オネスト、レンは、その言葉に当然だと理解を示し、ではどのように証しを立てるかという話が続き、言葉を信じられないなら、実際に知っている土地を見て貰うしかないだろうという結論に至り、その手段を含めた調整も行なわれていたのだ。


  ◆◇◆◇◆


 そして本日、妖精達を領主邸の賓客としてもてなした後、クローネ邸に戻ったレン達は、邸内の会議室で必要な準備を行なっていた。


「必要な書類は整いましたわ……レンご主人様、最終確認をひとつ。貴重な巻物を消費することになりますが、そちらは請求しないのですわよね?」


 妖精を迷宮前の安全地帯からサンテールの街まで移動させる手段として、ラウロからレンに打診があったのが、転移の巻物だった。

 絶滅が危惧されていた妖精が生き延びていたのだ。可能な限り危険は回避したい、というシンプルな理由にレンも頷き、転移の巻物を使って一時的にサンテールの街まで跳ぶことが決定したのだ。

 その費用は請求しないとレンが宣言したため、書類にはその金額の記載はない。


「仕方ないよ。これ以上の方法がなかったんだから」


 最初に出た、普通の馬車に普通の護衛を付けるというのは全員が却下した。

 次に出た、レン、リオ、ライカが護衛について馬車で送るのも、必要な時間が長すぎて、目が離れる時間が発生するとレンが難色を示した。

 エーレンやライカに運んで貰う案も出たが、天候の影響を受けるため、状況次第では移動が阻害されることがあり、場合によっては森に降下することもあるとリオ、ライカが問題点を提示した。

 他にも様々な案が出たが、オラクルの村までの距離を考えるとどれも不安が残る。

 結果、サンテールの街までは転移の巻物を使い、そこからはレン達が護衛に付いて短時間で村まで進むという案をラウロが提示し、レンが頷いたのだ。


「巻物についてはディオが素材を集めてくれてたお陰で、個人用って考えればそれなりに数があるし、今回は神託関連業務ってことで持ち出しにしておくよ」


 巻物は所詮は道具なのだから、貴重だからと死蔵しているのでは意味がない、というレンに、ライカは承知しましたと頷き、書類を手渡す。


「こちら、バルバート公爵、コラユータ子爵の署名が入った手紙と書類ですわ。文面は事前にご相談したものですがご確認ください」

「王家宛、サンテール家向けだね……うん、大丈夫だ。複製はオネストさんに渡したね? あれ、神殿向けは?」


 その質問に答えたのはクロエだった。


「用意した。予め心話でも伝える」


 要点をまとめた書類の原本と写しに目を通したクロエは、問題なしと署名を入れ、原本をレンに手渡した。


「心話で先に伝えちゃっても大丈夫なのか?」

「ん。準備期間が必要。書類が届くまでは非公開っていうのはしっかり伝える。間違いは起こらない」

「そっか……で、今回の神託の内容については、まだ教えて貰えないのか?」


 レンにそう尋ねられたクロエは首を傾げた。


「神官の服装で会議に参加?」

「それは聞いたけど、なぜそうしたのか、とか?」

「聞いてない」

「……そか」

「でも妖精と会って理解出来た……神託の巫女が始まったのは、魔王戦争の頃。彼らは神託の巫女を知らない可能性がある。巫女だと言っても神殿関係者だと信じて貰えなかったかも知れない」


 神託に限って言えば、神殿成立当時から灰を詰めた箱に神が文字を記すという形で下ろされることがあったが、神託の巫女は魔王戦争の序盤に作られた役目であり、戦争が終わるまではその情報は伏せられていた。

 だから、妖精には神託の巫女よりも神官の方が分かりやすいのだろうと答えるクロエに、レンはそれだけではないだろうと答える。


「その理由なら、フランチェスカさんやエミリアさんに神官の服を着せて出席させても良いんじゃないか?」

「ん。でも私が見聞きすることにも意味はあるから」

「見聞を広げるってヤツか。その場にいることで感情まで伝わるんだっけな」


 頷くクロエに、神託の巫女としての務めとしてなら仕方がないか、と納得するレンだったが、全ての疑問が解消されたわけでもないようで首を捻る。


「まだ何か気になる?」

「ん? まったくの興味本位なんだけどさ。そう言えば神官の服は当時から替わってないなっていうのと、身分を示す飾りなんかも600年同じってのは凄いな、と」

「古いものを使い回すため、あまり変えていないと聞いたことがある」


 普通の布製品を使えば、当然草臥れてくるしボロにもなる。

 古くなれば、新しい物に交換する。

 すると、常に新しい物と古い物が混在するようになり、その状態でデザインを変えれば、まだ使えるものも変えていかなければ統一感がなくなる。

 使えるものを廃棄するのも、新旧混在して現場を混乱させるのも、生存が優先される状況下ではあまり望ましいことではないとの判断から、神殿に限らず多くの場所で多くの物の変化が抑制されたのだ。


「600年の変化がないから神殿の者と分かって貰えたわけだけど、変化がなさすぎて、600年の経過を信じて貰えなかったわけか」

「そう、かも?」


 クロエは首を傾げつつも、多分そうだと頷いた。


  ◆◇◆◇◆


 そして翌早朝、レン達は領主邸を訪れ、その中庭で妖精の長を含めた皆が顔を合わせる。


「パーティ登録もできたし、忘れ物がなければもう行きますけど」


 今回転移するのは、レン、ライカ、アイリーン、リオ、ラウロ、ジェラルディーナ、クロエ、エミリアの8名だった。


「俺は大丈夫だが、オネストも行きたがっていたな」

「どれくらいあっちにいるか未定ですからね、急に連れて行ったら、領の人に迷惑でしょうし」

「しかし、俺も連れて行って貰えるとはありがたい。貴族としては、義兄ルシウス殿以外は転移していないのだろ?」

「そうだったかな? そうかも知れません。転移の巻物は、今あるのを使い果たしたら、簡単には素材が集まりませんから」

「転移など、珍しくもないだろうに」


 中庭に置かれたテーブルの上に設えられた椅子からアイリーンがそう言うと、


「妖精ならそうでしょうね」


 とレンが返す。

 それを聞きつけたラウロが、妖精は転移が出来るのかと興奮したように詰め寄りかけてジェラルディーナとエミリアにブロックされる。


「俺も詳しくはありませんけど、妖精の郷はここじゃない別の世界にあるそうです。で、妖精はそこに通じる入り口を使って転移するとか」

「神界や冥界のようなものか? そうすると、昔は転移はそこまで珍しい物ではなかったのか」

「んー、転移門ポータルなんかもある場所にはあったし、転移の巻物の素材も普通に買えましたし、俺やライカなんかは、数え切れないほど転移してます」


 転移先の制限こそあるが、離れた街に跳べるため、プレイヤーの多くは巻物を買ったり作ったりしていた。

 稀少な素材を使うため安価とは言えないが、需要に応じた供給もあり、完成品を購入することもできたのだ。


「しかし、その様子だと、600年後というのは、色々不便になっておるようじゃの?」

「会議でも話した通り、結界杭が劣化して、滅ぶ一歩手前みたいな状態でしたからね」

「で、ヌシが神託によりそれを救ったエルフ。そのエルフがたまたま絶滅したと思われていた妖精――我らと遭遇した、か……随分と盛っておるの」


 等と言われ、レンはまったくです、と苦笑しつつも頷いた。


「多分、色々誘導されてるんだと思います。自分でもちょっと遭遇しすぎだと思ってます」

「分かった上でやっておるとすれば、ヌシは底抜けのお人好しなのかえ?」

「いえ、利己的な理由です。エルフは1000年を生きます。現状を放置して人間が滅びれば、老後、ひとり森の中で朽ちていくことになるでしょうから」

「それを厭うてと申すか」

「この場で信じろとは言いません。オラクルの村……かつてのゲズイッフィの村を見た上で判断してください」

「うむ、そのために妾自らが出向くのじゃ。よく計らえよ」


 言葉は偉そうだが、僅かに震えているアイリーンに、レンは首肯を返す。


「かつて、妖精とも交易を行なっていた黄昏商会の名において、お約束しましょう……しかし、長自らが出向くものですか?」

「ヌシらの言葉が事実なら長が正しく事態を把握せねばならぬし、嘘なら出向いた者に危険がある。妾には継ぐ者もあるゆえ、問題はない」

「信じろとは言いませんが、危険は少ない筈です……というか、こんな話してるくらいならもう行きますよ。その目で事実を確かめてください……さ、みんな行こう。こっちに全員集まって」


 レンは全員が近くにまとまったのを確認し、転移の巻物を開き、転移者リストと、随分と増えた転移先リストを確認する。

 全員の視線がレンに集中する中、転移先リストからサンテールの街を選択したレンは続く確認メッセージ


『サンテール への転移の申請を受理しました。転移者は、レン、ライカ、リオ、クロエ、エミリア、ラウロ、ジェラルディーナ、アイリーン、の8名です。よろしければ、はいを選択してください』


 を確認して『はい』を選択し、次の瞬間、中庭から姿が消える。


 執務室の、中庭に面した窓からそれを見送ったオネストは、嘘や誇張混じりだと思っていた『英雄の時代』のことを記した書物の内容に思いを馳せるのだった。

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