第147話 海への道のり――80年と597年

 議題

 ■前提の共有

  ・迷宮の影響

  ・お互いの現状の共有

 ■妖精との安全保障条約の締結の問題点について

  ・問題の有無

  ・問題について、解消手段の有無


 ファビオは、壁に貼ったアジェンダの前に立ち、皆に向かってお辞儀をする。


「本日はお集まり頂き、ありがとうございます。議長を務めますファビオ・ガストと申します。それでは、まず、会議を行なうに至った経緯を私から説明させて頂きます」


 ファビオは、近くにヒトの街があり、最近魔物が増えてきていること、その原因が迷宮から溢れた魔物にあるらしいと判断した経緯。対策として迷宮を踏破して迷宮の核を取り除く計画があったが、中に誰かが住んでいることが判明し、対話を求める方針となったことなどを順を追って説明した。


「ヒト側が対話を求めるのは、竜人が自分たちの棲む迷宮の核を自由に操ることができるという事例から、妖精に同じ事ができるなら、魔物が出てこないようにできるのではないかと考えたからです。議題後半はそれらについて話し合うためのものとなっています。それに加えて、我々が妖精に出会ったのは80年ぶりです。その間、どのように生きていたのかを教えて頂きたいのです」

「80年?」

「そうですね。最後にあなた方妖精が他の人間種族に接触したのは、記録に残る限りその辺りと聞きます」


 リリアはマチアスと顔を見合わせ、大きく首を傾げると、


「……行き違いがありそうよね……それじゃ私達の話をしますね?」


 と答えた。


「私達フレーア氏族は、ゲズイッフィと呼ばれるヒトの村のそばに郷の入り口を開いて暮してたの。それが、1年前のある日、郷ごと、迷宮の核のある階層に飛ばされたのよ」

「あの迷宮で、よく生き延びられたものだな」


 ラウロが感心したように呟く。


「9割ほどがその場で意識を失ったかしら。魔素濃度が高すぎたからだと分かったのは少し後……大人ほど強い影響を受けたみたいで、残った子供達は大騒ぎになったわ」

「魔素濃度で死なずとも、魔物もおろうに……」

「核の階層に魔物は出ないみたいなの。あと宝箱があったの。動ける者の内、私とマチアスがそれに気付いて開封してみたら幾つかの品が入っていて、そのひとつが神々と対話するアーティファクトだったのよ」

「神と対話したの?」


 興味を惹かれたクロエが尋ねると、リリアは頷いた。


「回数制限があったからもう使えないけど、キュリオシティ様が応えてくれて、助けになってくれたの」

「それで迷宮の核を操作できたんだ」


 リュンヌの眷属でもない者がどうやって迷宮の核を操作できたのかを気にしていたリオは、なるほどと頷く。


「迷宮の核の操作方法、魔素の流れの制御方法を教えて貰って、核の階層で生き延びることが出来るようになったのよ」 

「食べ物はどうしたのかね?」

「核の階層のすぐ上の階層を花畑の島にしたの。元々海の階層だったから、魔物の大半は海の魔物だったし、宝箱の中にはこれがあったし」


 リリアはそう言って、マントを持ち上げて見せた。


「……姿隠しのマントだね? なるほど、リオから隠れられたのはそれがあったからか」


 レンの言葉に、リリアは苦笑交じりに頷いた。


「これ、最初に見付けた宝箱の中にあったもののひとつなのよ。入っていたマントは2枚。最初に触れた私とマチアスしか使えないの。だから今回、私達ふたりだけがここに来たの」

「所有者登録がされたのか……解除コードが分からなくなってるんだね?」

「うん。色々試したけど、迷宮の核の操作盤みたいなのが出てきて、登録した解除コードを入力してくださいばかりで……登録なんてしてないのに」

「手に入れたとき、入力を求められなかった? 迷宮の核の操作盤みたいなの」

「あの頃はそんなの見た事なくて、何か出たから驚いて払いのけたのよ」

「なるほど……デフォルトで登録されたっぽいね……もしかしたらだけど、幾つかこれじゃないかなって候補があるから、教えてあげるよ。戻ったら試してみるといい」


 レンは手元のメモにサラサラと幾つかの4~6桁の数字を記入すると、小さく切り取って、立ち上がって後ろに控えていたライカに手渡す。

 ライカはそれをリリアに手渡す。

 ヒトサイズの紙は小さく切り取られていてもリリアには分厚いようで、受け取ったリリアはそれを苦労して丸めて腰のベルトに差し込んだ。


「ありがと。帰ったら試してみるね」

「10回連続で間違えると、丸一日、入力できなくなるけど、時間が経ったら戻るから心配しないでね」

「ん。えっとどこまで話したっけ?」


 首を傾げるリリアに、ファビオが答える。


「宝箱の中にそのマントがあったから、食べ物はなんとかなった、までですな」

「あー、うんそうそう。で、私とマチアスは物資補給担当ってことになって迷宮内を結構自由に往き来できるようになったの。だけど、他の人達は魔物に襲われたらひとたまりもないから」

「魔素はどうしているのかね? 君たちだって、魔素に晒されて平気なわけではあるまいに」

「魔素の流れは制御できるから、迷宮の核を操作すれば安全な通り道は作れるの……魔物は消えないから、危ないのは危ないけど。あと、短い時間なら、マントがあれば魔素の影響は小さく出来るから、それを組み合わせてエイヤーって感じね」


 カチャカチャと微かな音が鳴り、リリアの視線がそちらを向き、それに釣られて全員の視線が部屋の片隅に集中する。

 そこには、お茶の用意をするフランチェスカとレベッカの姿があった。


「あらあら」


 ライカは椅子から立ち上がると、ふたりに近付いて、ポーチからワゴンなどを取り出す。


「お茶の用意ならお手伝いしますわよ」


 フランチェスカとレベッカが用意している茶器を見て、ならば、とライカは小皿と焼き菓子を取り出してワゴンの上で取り分ける。

 各自の席の後ろを回り、焼き菓子と紅茶をサーブする。

 今回の相手が妖精の可能性があると聞いていたレベッカは、用意した小さなミルクピッチャーを茶器に見立てて慎重に少なめに新鮮な果汁を注ぎ、レンに用意して貰っておいた針ほどのストローを添える。


「あら、私は果汁なの?」

「妖精は茶の類いは好まないと伺っていたのですが、お取り替えするっすか?」


 レベッカに問われてリリアは慌てたように首を横に振り、細いストローで果汁を口に含む。


「……いいえ。ありがとう。苦いのを我慢して飲むべきかなって心配だったのよ」

「……あ」


 そんなやり取りの中、何かに気付いたようにクロエが立ち上がってリリアの横に立つ。

 そして、じっとリリアを見つめるクロエ。


「確認。ゲズイッフィの村?」

「え? あの……あ、1年前まで私達が暮していたのはそのそばですけど?」

「ゲズイッフィの村? 交流はあった?」

「……交易してたはずよ? たまに蜂蜜を塩と交換してもらってたし」

「なるほど……ライカは覚えてる?」


 知っているか、ではなく覚えているかと尋ねたクロエに、ライカは暫く考えてから、


「ああ! あの!」


 と手を打った。


「知ってるのか? ライカ」

「ええと……はい。そちらの名前は書類上でしか使っていなかったのと、もう使わない名前としてすっかり忘れていました……その、オラクルの村ですわ。炭酸温泉で湯治客を呼んでいた頃の」

「ん? あー、何回か聞いたかも? そっか、あそこ……か……いや待って待って」


 レンは右手の人差し指で、眉間をトントンと叩きながら考え込む。

 そしてメモ帳に時間軸となる線を引き、80年、1年と描き加える。


「……オラクルの村が出来てから1年以上だっけか?」

「はい。ゲズイッフィの村が廃村になった時期は不明ですが、50年ほど前と聞いた気がします」

「50年か……で、妖精の姿が最後に確認されたのが80年前……周辺の森は素材採取や戦闘訓練で使ってるから、調べ尽くされてる……と」


 レンは50年と描き加えてガリガリと頭を掻いた。

 ラウロが席を立ち、レンの書いているメモを後ろから覗き込む。


「普通に考えればサンテールの街に、妖精の存在を秘匿している者がいた。などだろうか?」

「なさそうな可能性を除外するとそれが残るんですけど」

「他に可能性があるのかね?」

「ちょっと待ってください。それに答える前に……リリアさん、妖精は全部でどのくらいいるんだい?」

「迷宮の中だけなら200人ね。外の様子は知らないけど、妖精は全部で1万人くらいじゃない?」


 ガタン、という音に視線を向けると、オネストが驚きのあまり立ち上がっていた。


「し、失礼しました。しかし1万人?」

「え? だって、長が言ってたよ? 人間は全部で10万人くらいいるって。マチアスも覚えてるよね?」

「んー、覚えてるような覚えてないような?」


 ハグハグと焼き菓子をほおばるマチアスは、自信なさげに首を傾げる。


「ライカ、人間が10万人だったのって?」

「英雄の時代ですわ。それも英雄達全てを数に入れての話です」

「そうすると、リリアたちは俺の同類ってことか? でも英雄ならさっきのデフォルトコードなんかは知ってる筈だし」

「……あり得ない」


 クロエが断言した。


「言い切れるのか?」

「召喚がそんなに簡単ならもっと大勢の英雄を喚ぶ。妖精はもっと世界が安定してから喚べばいい。それにレンの時だって、リュンヌ様だけでは喚べなかった……それに神託ではそんなことは言ってなかった」

「神託?」


 オネストがクロエの顔をマジマジと見つめたあと、ラウロに視線を移し、納得したように頷いた。


「なるほど、根拠はあるけどまだ言えないのか?」


 いつになく頑ななクロエの様子に、これは神託案件かもしれないとレンは意見をするのを止めた。


「それにしても俺と同じ時代からの転移か」

「レン殿は随分あっさりと受入れているのだな」

「空間転移は今でも巻物を使えば可能な技術です。時間転移も過去から未来への一方通行なら簡単に出来ます」

「そうなのかね?」

「時間遅延の魔法ですよ。あれに掛かると、主観的には周囲の皆が素早く動いているように見えます」


 時間について考えた事がないと理解は難しいだろうか、とレンが考えていると、ファビオがなるほど、と頷いた。


「新鮮な果物を魔法の旅行鞄に入れ、三ヶ月後に新鮮なまま食べられるのは、果物から見たら、三ヶ月後に運ばれたのと同じということですかな?」

「そうです。だから、時間も空間も越えること自体は難しくないんです。ただ、未来から過去に干渉するとなると話が変わってきます。普通、時間は戻りませんから」

「あのさ、何を話しているのか理解出来ないんだけど、誰か説明してもらえない?」


 リリアがそう言うと、隣でマチアスがコクコクと頷いていた。


「君たちがリュンヌを魔王と呼んでいた理由がようやく理解出来たよ……リュンヌと人間の戦争……この時代じゃ魔王戦争とか呼ばれているけど、それが終わったのは600年くらい前になる」

「正確には597年前ですわ」

「え? だって、私達が迷宮に入る前はまだ戦争してたわよ?」

「で、リュンヌは敗北し、その後、他の神々に認められて神の座に戻った。竜人は眷属として神に殉じただけで罪はない。エルフも個人の罪だけが裁かれ、種族としては罪に問われなかったそうだよ。そして、妖精が最後に他の人間種族の前に姿を現したのは」

「80年振りってさっき言ってたのはそれだったのね? それを信じろと言われて頷けると思う?」


 混乱しつつもリリアはそう尋ねた。


「まあ無理だろうね。明確な証拠でもなけりゃそんなの信じられないよな。だけど証拠……と言ってもなぁ……何を見せても作り物だって言われそうだし……まあ証明方法は後で考えよう」


 自分がこの世界に来た当初、様々な可能性をひとつずつ潰してようやく現状を受入れる事ができたのを思い出し、レンは溜息をついた。


「リリアは信じなくてもいいから、そういう可能性もあるんだって前提で話を聞いて欲しい」

「……分かったわ。でも証拠がないと信じないわよ?」

「構わない。それじゃもうひとつ教えて欲しい。妖精達は、好きで迷宮の中にいるのか?」

「そっ! そんなわけないでしょ!?」

「ん。なら、外に出ることが出来る場合、全員外に出るという選択をするかな?」

「さすがに全員となると分からないわ。でも逃げ出したいってみんな思ってるわよ。この姿隠しのマントが誰でも使えるなら、やりようもあるんだけど」


 ふたりで外まで出て、ひとりが二枚のマントを持ち帰る。それを繰り返せば、時間は掛かるが全員外に出ることができる。

 だが、迷宮の外で待つというのは、外の魔物の脅威を考えると自殺行為に等しい。


「ファビオさん。現時点で俺が聞きたいのはこんな感じです。お互いの現状の共有は出来たんじゃないでしょうか?」

「ああ、そうだね。何かまだ質問がある者はいるかね?」

「はい」


 クロエが手を挙げ、ファビオはクローネ嬢と呼ぶ。


「今妖精が奉ずる神様は?」

「ソレイル様と、迷宮で生きる力をくださったキュリオシティ様」

「あまり聞きませんが、キュリオシティというのは、どういう神様なのでしょうか?」


 ライカが問うと、リリアは


「知恵の神様」


 と答え、クロエが即座に否定した。


「違う。知恵を司るのはリュンヌ様。キュリオシティ様はリュンヌ様の娘で、好奇心を司る……だけど、ソレイル様の信者でもあるなら、神殿は妖精を助けたい」

「もうひとつ、良いでしょうか?」


 オネストが聞きたいことがあると手を挙げる。


「どうぞ」

「妖精が迷宮から脱出したとして、住処についての希望はあるのかね? 妖精は特殊な安全地帯を作ると書かれた本を読んだ記憶があるのだが」

「安全な……魔物が入ってこない場所があればその片隅に、このテーブルほどの広さを頂ければ助かるわ」


 テーブルサイズと聞き、レンはテーブルにリリアサイズが何人乗れるだろうかと計算した。


「塔でも作るのか? 200人だと、ギリギリ乗るかどうかだろ?」


 レンの質問に、リリアはそうじゃないと首を横に振った。


「妖精がある程度集まると、妖精の郷っていう場所への出入り口を作れるようになるのよ。知らなかった?」

「妖精の郷って名前と外見だけは知ってるけど、入ったことはないな」


『碧の迷宮』にあった設定を思い出しつつレンが答えると、リリアは当然だと答えた。


「郷に入れるのは妖精だけだもん。広さは妖精の人数に連動して広がるのよ? その郷の出入り口を作るのに、このテーブルくらいの広さが欲しいかなって」

「迷宮の中では郷で暮していたのか?」

「迷宮内じゃ作れなかったのよ」

「ちょっと待ってくれ。つまり、他の人間種族が住むような家は不要なのかね?」

「んー、郷にもちょっとしたものは作りたいから、資材は分けて欲しいけど、材木を3本くらいかしら?」

「5本」

「マチアスが言うなら5本なのね。それくらいかしら。あと出来れば花畑を紹介して欲しいわ……もしかしたら、ゲズイッフィの村のそばに戻りたいって妖精もいるかも」

「他に質問がなければ、その辺りは、次の議題で話し合うとしましょうか」


 ファビオがまとめに掛かると、今回はみんな何も言わずに頷いた。

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