第144話 海への道のり――対話と失われた種族

 その夜。


「あたしは月と冥府と知恵を司りし女神リュンヌ様の眷属たる竜人族レウスの娘。黄金竜エーレンと連理比翼の契りを結びしリオ! この迷宮から魔物が溢れ出て、近くのヒトの住む町が危険に晒されている! だから迷宮を踏破するために来た! だけど、この迷宮には人間の意志が感じられる! 管理者がいるなら戦う意志はない! もしも誰かがこれを聞いているなら返事を! それが無理なら暗闇の中に火を灯して欲しい! 昨日、気配を漏らしてくれた誠意に応え、2日後の夜までは待つ。その後も無反応であれば、地上の人々を守るため、押し通らせてもらう!」


 呼び掛けに反応はないように見えたが、リオが眠った後、階段のそばに小さな火が灯された。


 そして、翌朝、その灯りを発見したリオは、面倒なことになったと溜息を吐いた。


「エーレン。どうしよ? 本当に誰かいるんだって。これじゃ迷宮の核は持ち帰れないよね」

(うむ。まあ何にせよ、話し合いが必要だろう。しかし妙だな)

「妙?」

(いや、失言だ。少し気になる点があるが根拠はない。気にするでない。それで、リオはこの後どうするのだね?)

「話し合いしないとだよね。迷宮の核を制御できるなら、竜人の巣うちみたく、魔物が外に出にくくするとかして貰いたいし」

(外にはワイバーンもおったから、竜人の巣うちのやり方では不十分だがな。あれは空を飛ぶ魔物には通用せん)

「どっちにしても、取りあえず。声を掛けるしかないよね」


 リオは結界棒から一歩踏み出し、暗闇の中に揺れる灯りに向かって声を張り上げる。


「火を確認した。感謝する。少なくとも、言葉と火を操る者がいると認識した。これ以上の破壊は控える! だが、迷宮から溢れ出た魔物が、地上のヒトの街の脅威となっている! その対策について話をしたいが可能か?」


 暗闇の中にリオの声が吸い込まれ、続いて耳が痛くなるような静寂が続く。

 が。

 不意に暗闇の中で魔法が発動した。


(リオ。反撃は控えよ。攻撃ではない)

「風? なんか妙な動きだけど……って、何か飛んで来る?」


 迷宮の中に不規則な風が流れ、その風に乗って何かが近付いてきた。

 そして、それはリオの足元に舞い落ちる。


「葉っぱ?」


 緑の葉は、この世界の森に多く生えている広葉樹の葉で、レンがいればブナの葉と判断しただろう。

 毒性のないありふれた葉っぱをリオは爪先で突き、その表面の規則的に穿たれた虫食いのような跡を見て拾い上げた。


「文字っぽい? 小さくて見にくいけど、文字っぽいよね」

(うむ……もう少し魔石ランタン近付けよ……これはまた懐かしいものを見た……)

「知ってるの?」

(うむ。魔法で生み出した葉に、魔法で傷を付けて作ったふみだ。リオはこの文字を学ぶ機会がなかったな……しかし……なるほど)

「読んでよ」

(ヒトの街の脅威を口にするなら、魔王リュンヌの眷属たる竜人こそが脅威であろう。とあるな)

「まあ、うん。そういう考えのヒトっているよね」


 ルドルフォの護衛をしていたステファノから、そういう視線を向けられたことのあるリオは、腕組みをしつつ、うんうんと頷いた。


「でも、魔王って言い切るんだ?」

(確かに最近では珍しいな)


 リュンヌがかつて魔王であったことは周知の事実だが、今でもリュンヌを恐れている人間はいない。

 魔王戦争後、正気を取り戻したリュンヌは、再び神として世界を守ることをすべての神々に誓い、神々はそれを認めたのだ。

 それ以降、エルフや竜人を差別する者はあっても、リュンヌを魔王と呼ぶ者はいない。それはリュンヌを許した神々をも貶める行為だからである。

 直接被害を受けた者が生きていた戦争終結直後ならともかく、戦後600年も経てば、そういう意見が大勢を占めるようになる。


 今でもリュンヌを魔王と呼ぶのはどういう存在だろうかとリオは首を傾げた。

 エルフなら当時を記憶する者もいるだろうが、魔王戦争におけるエルフの立ち位置は非難される側である。

 それ以外の長命種としてはドワーフがいるが、彼らにとっての600年は祖父母の世代となる。


「どう返したらいいかな?」

(まずは返答をした事への礼。眷属我々の立場としては、まずリュンヌ様は魔王戦争後、神の座に戻っており、魔王と呼ぶのは止めて欲しいと告げるべきであろうな。その上で、リオはヒトの依頼を受けてここにいると)

「ヒトの依頼って必要?」

(リュンヌ様を信じることが出来ても、長い間人間の前から姿を消していた竜人を信じる理由としては弱かろうて。それにリオがヒトの街の脅威ではないことも伝わる)

「なるほど……エーレン、魔王戦争終結から何年だっけ?」

(正確には597年だな)

「ありがと……えっと……ふみを受け取った! 言葉を返してくれたこと、感謝する! だが、リュンヌ様が神の座に戻って既に597年。今なお魔王と呼ぶのはあまりにも不敬である。止めていただきたい! また、あたしはヒトの街の領主の依頼でここにいる。ヒトの脅威となるつもりはない!」


 リオがそう告げると、再び闇の向こうに気配が感じられるようになった。


「エーレン、小さい気配が漏れてるね」

(うむ……しかし先のふみの件に加えてこの気配……そういうこともあるのだろうか?)

「エーレン?」

(ああ、まだ確証はないのだが、少し気になる点があるのだ。もう少し情報が欲しいところだ)


 リオが小声でエーレンと話していると、暗闇の中の気配が大きく揺らいだ。

 優秀な気配隠しの魔道具があるのか、気配そのものはとても小さいが、明らかにそこに誰かがいると分かる。

 それに気付いたリオは首を傾げた。


「エーレン。気配の隠し方がおかしくない?」

(ほう。なぜそう思う?)

「……気配隠しの技能があるなら、もっと完全に隠れられると思うんだ。実際、前はもう少し上手く隠れてたし……だけどなんかこう、説明しにくいけど変って感じる」

(気配を隠す気がないにしては、感じられる気配が小さいから、何をしたいのかが分からない。と言った所か?)


 エーレンの言葉に、リオは我が意を得たりと頷いた。


「そうそれ。漏れ出る気配が微かで、動きもおかしい?」

(……リオもそう感じるか……ならば我の考えすぎではないのやも知れぬな)


 リオは暗闇に背を向け、見ていませんアピールをしつつ、その気配を探る。

 人間の心臓の高さにある気配は、やや上下に動きながらもほぼ同じ位置にあった。


「エーレン。さっきの手紙の文字って初めて見たけど、どういうものなの?」

(……それを伝えると予断を生むやもしれぬが……妖精が使う文字だ。既に滅びた種族と考えられており、リオはそれを学ぶ機会がなかった)

「妖精? ってあの小人みたいな? 羽のある?」

(その妖精だ。30年前に偵察に出た者の報告から滅んだと思っていたのだが)

「……文字があったんだね。古エルフ語とかは勉強したのに、妖精の文字は勉強しなかったから、文字がないのかと思ってたよ」

(彼らは魔法で生み出した木の葉に文字を刻むのだよ。だから知る限り書物は残ってない。刻まれた深さや角度、使った葉の種類で意味が変わるし、そもそも魔法で生み出した木の葉は時間が経つと消えるのだ。それでも彼らが文字を使うのは、離れた仲間への伝達のためなのだよ)


 リオは先ほど拾った葉っぱをマジマジと見つめた。

 角度や深さと聞いた上で見てみると、穴の淵の角度は区々であるように見えた。


「それにしても妖精かぁ……気配が小さいのってもしかしたら、体が小さいからってこと? で、気配が上下に動いてるのも、ふわふわ飛んでるからなの……かな?」


 リオは暗闇の奥の気配の方に視線を向ける。

 そして大きく息を吸った。


「確認したい! そちらは妖精で間違いないか! 数十年前に妖精は滅びたと聞いていたが、君たちはどうやって生き延びていた? 良ければ聞かせて欲しい!」


 相手の挙動から、ここにいるのは偵察で、村長のような存在が他にいるのだろう、とリオは考えていた。

 もしもこの迷宮が妖精の隠れ家として機能していたのなら、それを奪うことは、自分たちが竜人の巣がある迷宮を奪われるに等しい。


 リオの呼び掛けからしばらくの間をおいて、再び迷宮内に風が吹いた。

 リオが舞い落ちる葉を捕まえ、灯りにかざすとエーレンが読み上げた。


(我らは妖精だ。竜人は信用できぬ。竜人、エルフ以外を5人以上連れてくれば話を聞こう。とあるな。リオ、さっきの葉と今の葉はレン殿から貰ったポーチに入れておけ。その中なら消えずに持ち帰れるかもしれん)


 リオは木の葉2枚をポーチにしまい込む。

 そして小声でエーレンに声を掛ける。


「竜人とエルフ以外って言ってるのは、魔王戦争のせいだよね?」

(うむ。エルフがリュンヌ様を魔王に堕とし、竜人と黄金竜はリュンヌ様がどのように変わられてもそれに殉ずる覚悟をもっておそばに付き従った。魔王戦争を口にするのなら、エルフと竜人は忌むべき存在と思っている可能性がある……だが、対話そのものは拒否しなかったな)

竜人あたしたちとは話さないってだけだもんね。でもエルフもダメならレンもライカもダメって事でしょ? 迷宮内じゃ、ヒトには魔素が濃すぎるんじゃない? どうしよっか?」

(ふむ)


 エーレンは暫く考えをまとめてからリオに告げた。


(ヒトを連れてくることについては戻って相談が必要だが了解した。ただし、ヒトにはこの迷宮の魔物も魔素濃度も危険なので迷宮の外での対話を希望する。加えて、外の街に被害が出ぬよう、魔物が外に出ないようにして欲しいということを伝えるとするか。あとは相談して戻ってくるのは早くて明後日だから、用意をしておいてもらいたい、か)

「うん。それじゃ伝えるね……竜人とエルフ以外となれば、ヒトを連れてくることになる! 戻って相談の上となるが、近くの街の者に伝える! ただしこの迷宮の魔物や魔素はヒトには危険だ! 迷宮の外での対話を希望する! 加えて外のヒトの街に被害がないよう、魔物が溢れ出ないように対応してほしい! 一度戻って相談をしてくるので、早ければ明後日には戻ってくる。備えてほしい! あたしは一旦迷宮から出る! 対応に感謝する!」


 それだけ伝えると、リオは荷物をまとめ、結界棒を片付け始めた。

 周囲には魔物の気配もあるが、それらはリオと会話することで漏れ出るエーレンの気配に怯えて地面の砂の中で息を潜めていた。


 少なくとも相手に知性があり、ヒトを連れてくれば対話に応じると言っていることから、リオは魔物もオブジェクトも、できるだけ傷付けないように地上を目指すのだった。


  ◆◇◆◇◆


 その日の夕刻。

 パメラが夕食の支度をしていると、不意に空が暗くなった。

 影は一瞬にして通りすぎたが、次の瞬間、パメラは真横に立つ娘の姿に気付いた。


 頬の鱗、耳の後ろの角等を見て、聞いていた特徴に一致すると判断したパメラは、安全地帯にいる他の傭兵に聞こえるように、やや大きめの声で


「あ、あの、リオ様ですか?」


 と尋ねた。


「うん。そう。あたしはリオ。あんたたちはレンの手配でここに?」

「そうです。迷宮で異常があったら街に知らせるための見張りです」

「ふうん。ちょうどいいや。ちょっと問題があってね。あたしは今から街に行ってレンと話をしてくる。明日、また戻ってくるから、今日はここで待機しといて」

「ま、街まで護衛します!」

「いらないよ。あたしはひとりで赤の迷宮に潜れるんだよ? ……と、そうだ。これあげる」


 リオはポーチから、海の階層で集めてきたサザエを3つ取り出してパメラに渡した。


「これは?」

「留守番のお駄賃? 海になってる階層があってね。そこで獲ってきた。殻ごと火で炙って、塩か醤油で食べてみて」


 大きなサザエに目を落としたパメラが視線を戻すと、既にリオの姿は消えていた。


「ミルコ! ピーノ! 起きて!」


 天幕の下の丸太を蹴飛ばして、丸太を枕にしていたふたりをたたき起こし、パメラは今あったことをふたりに伝え、どう動くべきかを相談するのだった。

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