第143話 海への道のり――その頃のレンとその頃のレオポルド

 その後、その日の昼、夜、翌朝と3回、累計4回の声がけを行なったリオだが、反応はまったくなかった。

 それどころか、それまで感じていた視線のようなものも感じられなくなっている。


「ねぇエーレン、この迷宮ってそんなに深いのかな?」


 外部からの侵入者リオ対策として、下階層に下りにくい構造になっている可能性もあるが、竜人の巣には、自分たちしか使えない抜け道などがあったりする。

 同じような造りであれば、複雑な構造の迷宮であっても、進むのにはそれほど時間は掛からない。

 リオは魔素の様子から、この迷宮の深さを10階層程度と見積もっており、道を知っている住民であれば第五階層からなら半日程度で往復できるものと考えていた。

 その見込みの倍の丸一日が経過しても応答がないということから、迷宮の深さを見誤っていたのではないかと思い始めていたのだ。


(我の予想はリオの予想と大きく変わらぬ。実際の所は潜ってみるまでは分からぬが)

「だよね……階層間の魔素の流れは割と緩やかだし……昼までに戻ってこなかったらどうしようか?」


 リオ自身が切った期限は声がけ5回であり、昼がそのタイムリミットとなる。


「期限を延長したらダメだよね? こっちから言った約束を破ることになっちゃうし」

(……ならば、初回に気配を漏らしてくれたから人間がいるのは分かっていると伝えた上で、長の回答待ちと考え、一回だけ期限を延長すると告げれば良かろう)

「前言撤回とかしても平気?」

(気配を漏らしてくれた相手の誠意に応えて延長したとすれば良い……それに、あの後一切の気配が感じられない。2回目以降を聞かれていない可能性もある)


 一回目、リオが声を掛ける前にもリオ達は何かの存在に気付いていた。

 だが、今はそれが一切なくなっている。

 一回目のリオの宣言を聞いているなら、時間稼ぎをしても何も解決しないと分かる筈だ。

 リオに声を掛けられて慎重になっている可能性もあるが、今更気配を殺しても意味はない。

 ならば監視者は長の元に走っているのではないか、とエーレンは自身の予想を告げた。


「んー、そうなると暇になるね」

(ソレイルの巫女から借りた本でも読んでいれば良かろう?)

「ん。そうする」


 リオは寝椅子の横にランタンを置き、クロエから借りたヒトの視点で書かれた歴史書を開くのだった。


  ◆◇◆◇◆


 同じ頃。

 育成用のポーションを量産しているレンの元に、報告があるとライカが言ってきた。


レンご主人様、ミラはそろそろ問題ないように思います」


 一晩でミラはレンから与えられた課題を消化し、クロエもそれを認めたとライカはレンに報告した。


「ミラ……ええと、素材の下ごしらえ部分が弱かったんだっけ。道具の使い方とかも大丈夫?」

「はい。ですので、この後、アルシミーの神殿に連れて行きます。サブリナの方は、疑問点を見つけ出す部分で少し手間取っています」

「あー、その辺は勉強した経験の有無で変わってくるからなぁ」


 人間が何かを正しいと信じる場合、正しさの基準がどこかにある。

 本が貴重なこの世界では、権威ある書物に書いてあれば事実である、と考える者が多い。

 だから錬金術大系本を読んで、そこに疑義を提示することが難しいのだろう、とレンは考えた。


「なら、錬金術初級部分はライカから『なぜ』を提示して、サブリナにはそれに対する答えを考えて貰うことを訓練として、『なぜ』を見付ける部分は別に課題を出そうか」

「課題と言いますと?」

「例えば蒸留について、とかかな。錬金術にも絡む知識だし。そうだね。『水を含んだ液体を加熱すると一定温度でお湯になり、蒸発して蒸気になる。この蒸気を冷やすと水に戻る。こうやって一度蒸気にすることで不純物が取り除かれ、得られるのが蒸留水である』という文章には間違いが含まれるけど、どこがどう間違っているのかを考えて貰おうか」


 レンの言葉を聞き、ライカは小さく首を傾げ、少し考えた後で理解の色を示した。


「……ええと? ……ああなるほど。確かに間違いと言えば間違いですわね。でも、正しいと言えば正しいですし……これに気付くでしょうか?」

「正しい情報だと思って聞いたら気付かないだろうけど、間違った情報を含んでいて、それを考えるのが試験だと伝えれば、錬金術大系をしっかり理解していれば分かる筈だよ。実際、ライカは気付いたわけだし」

「承知しました……ところで、アリダさんはかなりの勢いでポーションを消費しているようですわね」

「ん? それは技能習熟と成長が予想よりも速いペースで進んでるってこと?」


 レンの問いにライカは頷く。


「学園の平均から見て、2倍ほどの進捗でしょうか」

「シルヴィ並か……無理はさせてないんだよね?」

「自発的なものですわ。私達がいる内に出来るだけ技能を育てておきたいと考えているようですわね」

「クロエさんと相談して体力回復ポーションも適時与えるようにしてね」


 短期間で頑張ってしまう生徒の中には体の調子を崩す者もいる。

 本来はそういう無理をさせないのも師匠の腕なのだが、クロエにそのさじ加減は難しいだろうとレンはライカにその部分を補助するように命じた。


「承知しましたわ」

「あ、あと、頑張りがあまり理解されない部分だから、オネストさんにも伝えといて」


 世界の平均と比べれば学園の生徒の成長は信じられないほどに早い。

 ポーションを使うことで、自然回復を待たずに訓練が行えるため、真面目に訓練を行なえば外の数十倍の速度で成長できるためである。

 しかし、疲れたら休むのが当たり前の世界で、ポーションで短時間で回復させつつ仕事をするやり方に馴染まない者も少なくはない。

 そうした者は、少し休んでからポーションを使って回復しつつ、というやり方をさせており、結果、錬金術師であれば外の10倍の速度で成長するのが目標とされている。

 そんな中で、アリダは平均的な学生の二倍程度の進捗を続けており、そのための努力は並大抵のものではない。

 日本人に置き換えれば、社員に健康を維持しつつ眠る必要がなくなる薬を与え、24時間最高のパフォーマンスを発揮し続ける程度の難易度に近い。

 レン達のいる間にできる限りの成長を、という強い動機に押された結果だが、その努力は正しく評価されるべきだ、とレンは考えたのだ。


「そうですわね。学園の優等生に比する頑張りだとお伝えしておきます」


 頷いたライカは、レンの指示を伝えるためにクロエたちが使っている作業部屋に足を運ぶのだった。


  ◆◇◆◇◆


 迷宮の前。

 リオが設置した結界の中にレオポルドと3人の冒険者がいた。

 地面に刺さった結界棒は3本で、全員、地面に刺さった結界棒の前に膝をついている。

 一本だけ冒険者2名が張り付いているのを見やり、レオポルドは


「それでは結界棒の交換を行なう。全員、訓練通り実施すること。準備はいいか?」


 と声を掛けた。


「いっすよー」

「問題ないっす」

「いつでもどうぞ」


 レオポルドの声に冒険者達は思い思いの返事をする。

 全員問題なしと判断したレオポルドは、目の前の作動中の結界棒を左手で握りしめる。


「では行くぞ! 3! 2! 1! 0!」


 0のかけ声で結界棒を引き抜くが、カウントは続く。


「1! 2! 3!」


 1で右手に持った新しい結界棒を地面に刺し、2で結界棒にふたりで張り付いていた冒険者が体を入れ替え、3のタイミングで結界棒に触れて魔力を流し込む。


「パメラ! 報告!」

「魔力を通しました! 起動点灯を確認……魔力感知で結界の発生を確認。問題ありません。ただし周囲の魔素濃度は危険域です」


 彼らが行なっていたのは、迷宮の前の結界棒の保守だった。

 リオが潜る際に3本の結界棒を使って、迷宮の入り口前に張った結界。

 これは、迷宮内から魔物が出てくるのを押しとどめるためのものだった。

 ついでとばかりに、幾つかの補給物資を結界内に配置したりもしているが、主目的はバリケードである。

 使用している結界棒はレンの手による特製であり、この迷宮前に限って、周囲の魔素も引き込むことで3日程度は効果が持続する。

 現在はオネストの責任において、定期的にそれを交換しているのだ。


「結界棒でもっと魔素を消費できればいいんだけどなぁ」


 冒険者のひとりがぼやくが、パメラは無理だと首を横に振る。


「普通の魔道具が消費するのはごく狭い範囲の魔素だけよ。持ち歩くならともかく、固定式じゃ消費範囲は限られるわ。こいつはその範囲をどうやってか広げてるけど、こんなの現代の技師じゃ作れないわよ」

「魔道具ってのは面倒なもんだな……ま、とっとと撤収しようや」

「よし。では全員、移動準備。外の安全地帯で待機中の皆と合流するぞ」


 冒険者達は無言で防具やベルトを確認すると、剣や槍をしっかりと握りしめ、レオポルドに頷く。


 エーレンによって森の魔物は一層されたが、昆虫系の魔物は周辺の森から流れ込んできている。

 迷宮から魔物が溢れ出てこないなら、森の中はイエローの領域である。

 それでも彼らにとっては十分に命がけだが、レッド系の魔物が出てこないなら、戦って勝つ方法は確立されている。


 ちなみに外の安全地帯とは、かつてリオが勝手に迷宮に入った際に、ライカが魔素の薄い場所を選んで結界棒で作ったもので、迷宮周辺の監視のため今も維持されている。


「レオポルドさん、結界棒を使った安全地帯を森の中に増やしたりは出来ないんですかね?」

「公爵の話では、街道沿いに結界棒と結界杭の中間のようなものを使った安全地帯を作る計画があるそうだが、当面はそちらが優先だろうな」


 街や村は単独では存続できない。

 生産能力を食料に絞れば、それぞれで自給できる街や村もあるが、全ての街や村で鉄鉱石を得ることが出来るわけではないし、製鉄ができるわけでもない。

 それらなくして結界を維持することはできないため、一定の流通は必須となる。

 だから街道沿いの安全地帯の優先順位はとても高い。

 それを理解している冒険者達は、それなら仕方ないと理解の色を示した。


 ライカが作った安全地帯には冒険者3名が残っていた。

 彼らはリオが迷宮に潜ったあと、迷宮周辺の見張りとして配置されていた冒険者である。


「待たせたな。それではこれより街に戻るが、準備は出来ているか?」

「全員問題ありません」

「よし。では、ミルコ、パメラ、ピーノは次回交代までの見張りを頼むぞ」

「了解っす。結界から出なきゃ安全な仕事っすから」


 良い稼ぎになるっす、と笑うピーノに、レオポルドは渋い表情をする。


「結界は魔物以外には効果ない。油断して普通の獣にやられたりすればいい笑いものだぞ」

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